去年の春、妹夫婦が生まれたばかりの赤ん坊をつれて一ヵ月ほど実家に帰って来ていた。その頃私は芝居の稽古でほとんど家におらず、「今日はいつ帰るの?」と母に聞かれても「わからない、行ってきます!」が常で、たまに帰ってきてご飯を一緒に食べてはまたバタバタと出て行くという生活をしていた。
そんなある日、稽古が早く終わって夕方の代々木公園を歩いていると、休日なのかお祭りの出店テントで賑わっていた。ぷらぷら歩いて見ていると、藍染めの布製品ばかり並べているお店があり、そこに手作りの赤ちゃんグッズが売っていた。「そういえば出産祝いもまだあげてない。姉として何かしてあげたいものだ」と思い、ふと目についた小さなヘアーバンドのようなものを手に取って眺めていると、全身藍色の服を身にまとった女の人が近づいてきて、「それ、腹巻きです」と言った。赤ん坊というものがそもそも腹巻きをするのかどうか分からず迷っていると、その女の人はニッコリ笑って「頭にかぶせればターバンにもなりますよ」と言う。「よし、これを誕生祝いにしよう」と、私はその小さな青い腹巻きを買うことにした。まさか祭りの屋台で「熨斗」なんてつけてもらえないだろうから、そのまま紙袋に入れてもらった。帰り道、姉として出産祝いのプレゼントを見つけられたと思うとちょっとした満足感があった。
家に戻って「はい、おめでとう!」と妹夫婦に渡し、さっそく皆で赤ん坊のお腹に巻こうとすると、暑くて蒸れるのかムズがって嫌がる。頭にかぶせようとすると今度は泣き出してしまった。考えてみれば、もうすぐ夏が来るのに腹巻きもないか。あーあ、季節外れのプレゼントをあげてしまった。
常々思うのだけど、人に贈り物をするのは難しい。自分があげたいものと相手が欲しいものが一緒だとは限らないし、あげるタイミングだって難しい。折り目正しくお礼や感謝の気持ちを伝えられる人になりたいと思いつつ、カレンダー通りの生活をしていないせいか、気づいたら友人の誕生日やなんとか記念日を忘れてしまって「ああ……」と反省することも多い。
腹巻きを片手に落ち込んでいると、横で見ていた妹の旦那さんのD君が、「お姉ちゃん、寅さんみたいだね」と笑った。私より七つ年下のイラストレーターのD君は映画に詳しく、中でも映画『男はつらいよ』の大ファンで全巻観ているという。私はその誰もが名前くらいは知っている有名な日本映画をまだ一度も観たことがなかった。「寅さんみたい」と言われても「寅さん」がどんな人物なのかわからない。なんとなく旅人だということくらいは知っている。
翌日、さっそく映画『男はつらいよ』をレンタルショップに探しに行った。ずらーっと並んでいる「寅さん」シリーズの棚の前で私は茫然と立ち尽くした。こんなにあるのか……。どれを観ればいいのか見当もつかない。仕方がないので、適当に目が合ったのを選んで借りて帰ってきた。「ただいま、寅さん借りて来たよ」と私。「お、どれを借りたんですか?」とD君。タイトルを告げると、「おお! 『寅次郎 夕焼け小焼け』は名作ですよ。僕はシリーズの中でも一番好きかも」と言う。
そんなわけで、その晩、私にとっては記念すべき第一作目の『男はつらいよ 寅次郎夕焼け小焼け』を観ることとなった。
冒頭、旅から久しぶりに我が家(?)の団子屋に戻って来た寅次郎は言う。「ひょっとしたら、満男は小学校じゃねえのか?」と。そして祝儀袋を持ってこさせ、「俺もたまには伯父さんの真似事くらいしてやらなくっちゃ」と、さも嬉しそうに甥っ子の入学祝いの祝儀袋に「祝・寅」と筆で大きな文字を書いている。団子屋のおじさんとおばさんは「覚えててくれたんだね」「寅も成長したね」と大喜び。見ていると、この「寅さん」という人は心の底ではいつも「兄らしいこと」や人並みに孝行したいと思っているのに、周囲に心配と迷惑をかけてしまうのが常のようだった。私はなんだか他人事だと思えなくなってしまった。
見ず知らずの一文無しのお爺さん(後に日本画の大家だと分かるのだけど)を何日も家に泊めてあげたり、額に汗して働いたお金を悪い男に騙し盗られた芸者のために何とかしてやりたいと奔走したりと、「寅さん」は出会って好きになった人たちを見返りもなく全力で愛していた。相手が迷惑がろうが、タイミングが悪かろうが、今この瞬間誰かに何かをしてあげたいと思ったら、それはもう全身全霊でやってあげようとするのだ。そんなふうにできるのは、この漂泊の旅人「寅さん」が、出会った人と次いつ会えるとも分からないということを身にしみて知っているからなのかもしれない。
そして最後に気がついたのだけど、なんと寅さんは腹巻きをしているではないか。季節に関係なく、たぶん同じ腹巻きを。私は姪っ子にあげた贈り物のことを思い出して笑ってしまった。
+
最初に手にとった『寅次郎 夕焼け小焼け』はいきなりの大傑作だった。他の作品も観てみたいけれど、困ったことが一つある。それは「寅さん」シリーズが四十九巻もあるということだ。一体、どこから始めればいいのか? 完結しているシリーズものはどのように観ていくかで印象がだいぶ違ってくると思うのだ。ちょうど同じ山でも登るコースによって見えてくる風景や達成感が全く違うように。そう、シリーズものは山登りに似ている。
普通に、第一巻から順々に観ていけばいいのかもしれない(安全安心コース)。
でも逆に、最後から遡って観るということもできる。普通じゃ味わえない何かしらの感慨があるかもしれない(後ろ歩きコース)。
まず第一巻を観る。次に最後の巻を観る。そしてその次に二巻目を観て、最後から二巻目を観る。そうやって過去と未来を行ったり来たりする。かつて漫画家の手塚治虫が『火の鳥』を過去編から描き始め、次に未来編を描き、だんだん近づいていって最後に現代で終らそうとしたように(火の鳥コース)。
いやいや、そんな小難しいこと考えずに、くじ引きみたいにデタラメに手に取ったものから観ればいいんだよ(ケ・セラ・セラコース)。
四の五の言わずに一日のうち観られるだけ観ろ!(修験道登山コース)。
うーん、こうしてみると映画の見方にもいろいろあるなあ。さて、どんな登り方が一番ワクワクするだろう……と、まだ登らぬ山を眺めながら想像するのは楽しい。
(つづく)
- 「手を振りたい風景」をめぐって
- 「人間らしさ」をめぐって
- 「言葉にならないこと」をめぐって
- 「ありのままの風景」をめぐって
- 年末年始におすすめの映画(後篇)
- 年末年始におすすめの映画(前篇)
- 初のホラー体験記
- 足下を流れる見えない水
- 緑はよみがえる
- 「のぐそ部」のころ
- 午後の光のようなもの
- 袋の男とボナセーラ
- 空洞に満ちたもの
- 「わからない」という魅力
- 猫と留守番しながら思ったこと
- いつでも口ずさむ歌があれば
- 白い、白い日々
- 続・私の日本舞踊ビギニングス 「男のいない女たち」
- 私の日本舞踊ビギニングス 「なんなんだ、この歩き方は」
- ゆっくり歩くと見えてくるもの
- 猫と留守番しながら考えたこと
- となりの山田くん、出番です
- ミジャさんからの手紙
- トラ(寅)ベラ・ノー・リターン 旅人帰らず
- 季節外れの腹巻き
- 未来よ こんにちは
- 子どもはどうでもいいことばかり覚えている
- 恋文、または命がけのジャンプ
- 私の出会ったワンダーランド
- 「ありがとう、トニ・エルドマン」たち