この間、お盆で九州に帰る友人夫婦に頼まれ、二十日間ほど猫と留守番をすることになった。
画家のTくんと写真家のMちゃんは、私が大人になってから出会った友人だ。最近、彼らの住む平屋の一軒家に、一匹の黒猫が住み着くようになったという。「留守の間、クロマル(猫の名前)の世話をしてもらえないかな。家にあるものは何でも自由に使っていいから!」ということだった。私の住んでいるところから自転車で通えるし、猫は小さい頃に飼っていたこともあって好きなので「もちろん」と喜んで引き受けた。その時、私のやることといえば台本を読むことくらいだったし、ありがたいことに台詞というのはどこにいても覚えられる。
朝、ノートパソコンと台本と数冊の本をリュックに詰め込み、まだ日差しが暑くならないうちに自転車で彼らの家に向かった。鍵を開けて入ると、誰もいない部屋の中央で扇風機が静かに回っていて、テレビには高校野球がついていた。リビングのテーブルの上にはTくんの描いたイラストつきの書き置メモ。そのテーブルの下に、うずくまってこちらを見ている黒猫がいた。「今日から一緒にお留守番、よろしくね」と声をかけた。
午前中はひたすら台本とにらめっこ。台本を読むのに疲れると、家の中をぶらぶらと探索した。他人の家というのは面白い。本棚には私が初めて見る画家の本や分厚い写真集がぎっしりと詰まっていた。目についたものを抜き出してページをめくってみる。これらはTくんとMちゃんが二人の人生のある時期に出会い、今も離れずにいる本たちなのだと思った。
お昼になったのでクロマルに餌をやり、私も台所でトマトサラダを作って食べた。人の家の台所で料理をしているといろんなことに気づく。大小様々な鍋やフライパン、よく研いである包丁、いろいろな調味料や食器……。ここは長く住んでいる人の家だ。全体的に「もの」が多いし、その「もの」たちにはそれぞれに思い出や記憶が染み込んでいる。この家を二人で暮らしやすく作ってきたんだなあということが伝わってくる。同時に、引っ越しの多かった自分がいつの間にか少ないものでコンパクトに暮らすようになっていたことにも気がついた。
こんなふうに猫との留守番の日々は過ぎて行った。最初は離れたところにいたクロマルも、二、三日すると私がドアを開けると足に絡まりついてきたり、台本の上に横たわってゴロゴロ喉を鳴らすようになった。
そんなある日、「気晴らしに映画でも観るか」とテレビの脇に置いてあったDVDコレクションのファイルをめくっていると、『いのちの食べ方』というタイトルに目が止まった。私はこの作品を以前に観たことがあった。原題は『OUR DAILY BREAD(私たちの日々の糧)』という。私たちが普段スーパーやコンビニで買う食べ物が、どこからどんなふうにやって来るのか、その過程を淡々と映したドキュメンタリー作品だ。
ベルトコンベアーで次々と運ばれて箱に投げ込まれるヒヨコたち、満員電車のような檻の中で卵を産むことだけのために育てられる鶏たち、異様に太らされて自力では性交もできず、子供も産めない牛たち。農薬まみれになって梱包される大量の果物や野菜……。そこに繰り返し映し出されるのは、“生き物”が効率よく“食べ物”に変わっていく様子だった。それらの映像の一つひとつは壮絶でショッキングなのに、何かとても静かでシーンとしていて、それが余計に不気味だったのを覚えている。動物や植物は、人間の言葉を持たないからからかもしれない。
この映画を目にすると、思い出さずにはいられない記憶がある。
二十二歳の時に出会った恋人は、皮膚のアレルギーを抱えていた。今は生まれてくる子供の三分の一がアレルギーを抱えているというから珍しくはないのかもしれない。でも、いつも血が滲むまで自分の皮膚を掻きむしったり、顔の表情がわからなくなるほど赤く腫れ上がったりする姿を側で見ているのは胸がつぶれる思いがした。
私はアレルギーを引き起こす原因のことを調べ始めた。そしてなるべく添加物や保存料が入っている食品を買うのはやめ、無農薬の野菜や果物を買おうと試みた。でも、スーパーで売っている食品の裏側を見ると、必ず原材料名のところには見たこともないようなカタカナの薬品が入っていた。なぜだろう? どうして薬品の入っていない食べ物を見つけるのがこんなにも難しいのだろう? 食べ物を通して、いろんな疑問にぶつかりはじめた。
『いのちの食べ方』はそんな時に観た作品だった。大量生産して大量消費させるためには、保存料や防腐剤が必要になること。虫が寄りつかない野菜を作るためには、農薬や除草剤を撒かなければならないこと。そしてそれを知らずに口にする私たちは少しずつ体を病んでいくことを知った。
私たちは千葉の里山近くに引っ越し、土を耕して種を撒き、いろんな野菜を育て始めた。当時会社員だった私は週末になると農家に泊まり込み、有機野菜の作り方を教わったりした。ほとんど外食もせず、若くして隠居生活のような暮らしをしている私のことを、高校の同級生たちは目を丸くして驚いたり心配したりしていた。だけど、私は幸せだった。自分たちが育てた野菜を畑から採ってきてご飯を作り、それらが食卓に並ぶ喜びは忘れられない。
それから何年もの月日が流れ、私は今あの頃とは違う場所にいる。会社も辞め、恋人とも別々の道を歩むことになった。でも、あの雑草だらけの里山や「今日はこれで何を作ろう」と心を弾ませて立った台所の風景、ヘチマを乾燥させたタワシの手触り、まだ土のついている採れたての野菜、手作りしていた甘酒の匂い……そんなものたちの記憶は、今も私の心の一番奥の方にそのまま残っている。まるで真っ白な空中にぽっかりと浮かんでいるみたいに。ときどき、ふとした瞬間に蘇るのだ。
結局、私はそのドキュメンタリーを観ずにファイルに戻した。
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夕方、近所のスーパーでゴーヤと無花果とカレールーを買ってきた。今日は夏野菜カレーを作って食べようと思ったのだ。
思えば、食べること一つとってもいろんな時期があった。母親の作ってくれたご飯を家族と食べていた頃、好きな人の病いを癒やすために食べていた頃。今、私は肉も魚も食べるし、食品の裏側を神経質に見ることも減った。撮影がある日は、朝簡単な野菜スープを作っていってロケ弁と一緒に食べたり、りんごや柿をリュックに入れてお腹が空いたらそのまま齧ったりもする。
私は自分の演じる人物がご飯を食べる姿を想像するのが好きだ。「You are what you eat(あなたはあなたが食べた物でできている)」という言葉があるように、この人は、何を、誰と、どんなふうに食べる人なのだろうと思う。
去年の秋に撮った映画『夕陽のあと』では、九州の離島に暮す漁師の妻を演じた。舞台になった長島はコンビニが一つしかない漁師町で、夕方になると近所の人がタッパーにおかずを入れて持ち寄ったり、釣ったばかりの魚を捌いてみんなで食べたり、まるで島全体が家族のようだった。こんなふうにご飯を食べる人たちもいるのだ。
夕ご飯に作ったカレーを食べながら、クロマルの艶のいい毛を撫でると気持ち良さそうに喉を鳴らした。いつかまた、隣に猫がいる生活もいいなと思った。
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