目次
※本記事には性暴力事件に関する記述が含まれます。また、一部本編の内容に関する記述が含まれます。あらかじめご了承ください。
冒頭から「ミソジニー男あるある」が炸裂
清田 : 初めましての方も多いと思うので、最初に少しだけ自己紹介を。我々は恋バナ収集ユニット「桃山商事」と言いまして、様々な人たちの恋愛エピソードや悩み相談に耳を傾け、そこから見える恋愛とジェンダーの問題をコラムやPodcastで発信しています。
ワッコ : 映画に詳しいとかでは決してないので、こうして映画メディアで連載させてもらうのはなんだかドキドキしますね……。
森田 : 基本的には作品についてわいわい感想を語らっていく感じになりますが、普段のようにいろんな恋バナや我々自身のエピソードなども織り交ぜながらおしゃべりしていけたらと思います。
清田 : そんな連載のスタートに取り上げたいのが、2021年のアカデミー賞で脚本賞を受賞した『プロミシング・ヤング・ウーマン』です。ちょうどダウンロード先行販売が12月17日から開始、来年1月にDVD・Blu-rayが発売されるタイミングなのですが、かなり話題になった作品なので映画館で観られた方も多いかもしれません。とにかく本当にすごすぎる作品で、初回からズドーンとなりました。
ワッコ : わたしも衝撃的すぎて2回観ました……。タイトルを訳すと「将来を約束された前途有望な若い女性」になるかと思いますが、主人公のキャシーは実家暮らし&コーヒーショップ勤務のアラサー女性で、大学の医学部を中退した過去があるんですよね。そのきっかけとなったのが、医学部の同級生であり長年の親友でもあったニーナのレイプ事件で、彼女を助けられなかったことをキャシーはずっと悔いている。
森田 : この映画はその復讐劇みたいな構成になっていて、キャシーは夜な夜なバーやクラブで泥酔したふりをし、近づいてきた男たちにわざと“お持ち帰り”され、彼らに鉄槌を下すということを繰り返している。
清田 : 最初はレイプ事件に関わった人たちに次々と復讐していく物語なのかと思っていたんだけど、それだけじゃないんだよね。特に前半に出てくる男たちは本当にたまたまその場に居合わせただけの関係で。
ワッコ : 心配するふりして下心満載の“介抱セクハラ”野郎とか、薬物中毒疑惑の小説家(志望)とか、通りすがりに無礼な言葉を投げかけてくる工事現場のおじさんとか……そういう男たちを成敗していく、ある種の“世直し”活動なんですよね。
清田 : そうそう。序盤から男の嫌なところを詰め込んだようなシーンの連続で苦しくなった。男たちはキャシーが実はしらふで、明確な意思を持って抵抗してきていることがわかると、ことごとく恐れをなして逃げようとする。これって裏を返すと、男たちは“弱くて従順で脅威を与えてこない女の人”にしか発情できないってことを表してると思うのよ。実際に「化粧落としたほうがかわいいよ」みたいなことも言ってたし。しかも、ワンナイトの関係に持ち込もうとしてるくせにセックスできそうな女性を心の中でバカにしてるという……こういうの含めてひたすら“男あるある”が満載で。
ワッコ : わたしは特に小説家志望の男が印象に残りました。コカインを吸引しながら「俺はすごい小説家なんだ」的なイキり妄想を一方的にしゃべっているだけで、キャシーのことを何も知ろうとしないのに、なぜか「俺たち心が通じ合ったじゃん」みたいなことを言い出して。こういう人、まじで婚活アプリにめっちゃいるんですよ。
森田 : マッチングしていざ会ってみたら、ワッコがずっと質問する側で相手はひたすら自分の話をし続けるだけ……みたいなことがよくあったと言ってたよね。そういう状況をワッコは「100質状態」と呼んでいた。
ワッコ : それです! 雑誌でよくある「100問100答」の企画みたいな状態で、こっちがインタビュアーのように一方的に質問しているという(笑)。でもほんとにこの映画と同じく、「わたしの名前や仕事を覚えてますか?」ってレベルでこちらに無関心だったくせに、「今日が一番楽しかったです」「またぜひお会いしましょう」ってメッセがきて「は???」みたいな。おそらく彼らは幻想や妄想を投影した女としゃべってるだけで、目の前にいる人間をまったく見ていない。あの小説家志望と婚活アプリにいる100質男のメンタルは同種のものだと感じます。
清田 : 侮辱することも、内面に関心を抱かないことも、幻想も抱くことも、神格化することも、女の人を人間として見ていない点ですべて「ミソジニー(女性嫌悪)」なんだよね……。
「被害者にも落ち度があったのでは?」というまなざし
森田 : あと、キャシーはリアルに身を危険にさらしてまで“世直し”活動をしてるわけだけど、それを観て最初は「なんでそこまでするんだろう?」と正直思ってしまった。医学部という、それこそ「将来を約束された身分」すらも捨てたわけで。でも観ていくうちに、そこも映画を観る者への問いかけかもしれないと思うようになった。
ワッコ : 問いかけとは?
森田 : 「被害者やその関係者」と「加害者や傍観者」の間にある認識の差を炙り出す構造になってるんじゃないかなって。ニーナが受けた被害やキャシーが抱いている罪悪感は、死を選んだり「約束された将来」を捨てざるを得なかったりするほど大きいものなのに、加害者たちや、もっと言えば社会全体も、性被害をどこか軽く見積もっている部分がある。キャシーが命がけの行動に出ているのには相応の理由があるのに、それに対して「なんでそこまでするんだろう?」と思うこと自体が、性被害を軽く見てしまっていることの表れかもしれないなと。
清田 : そうか……なるほど。性被害に対して人々が抱いてしまいがちな感覚を、あえて呼び起こすような構造になっているかもしれないってことだよね。確かにキャシーは“盛り場”で“露出の多い格好”で“泥酔”しているし、ニーナも間接的な証言の中である種の“ビッチ”的な人物像を連想させる描写のされ方をしていた。それは「被害に遭った側にも落ち度があったのでは?」みたいな、毎度メディアやネットでわき起こる二次加害的なまなざしをトレースしたものかもしれない。
ワッコ : 本来であれば、たとえ泥酔してようがビッチだろうがレイプされていいわけないだろって話ですよね。でも性暴力の事件が起こると決まって「自業自得だ」みたいな意見がわき起こるという……本当に腹が立ちます。
森田 : 『ミズーラ 名門大学をゆるがしたレイプ事件と司法制度』(ジョン・クラカワー/亜紀書房)という本があって、これはアメリカの大学で実際に起きたいくつかのレイプ事件を取材して、裁判の様子も含めた経緯を描いたノンフィクションなのね。だからこの映画と完全に地続きなんだけど、そこで詳細に描かれているのは、恐ろしいことに多くのレイピストが罰を免れているというその実態なんだよ。「この国(アメリカ)でレイプ事件が起きたとき、90%以上の確率で加害者は刑罰を免れる」と書かれていた。
ミズーラ 名門大学を揺るがしたレイプ事件と司法制度 (亜紀書房翻訳ノンフィクション・シリーズ II-12)
清田 : えええ! 9割以上ってほとんどじゃん……。確かに映画でも、過去に事件のもみ消しに関与した弁護士のグリーンが「パーティで酔っぱらってる写真が1枚でもあれば加害者に有利な展開に持っていける」みたいなことを言ってたもんね。
森田 : ニーナは(おそらく自殺で)命まで失っているし、キャシーもずっと自分を責め続けている。それに比べて加害者側の認識はあまりに軽いし、周囲が加害者側の肩を持つ構図も本当に恐ろしい。でも、多分それが実態なんだなと思う。
ワッコ : よく考えると、キャシーが命の危険を冒してまで世直ししてるのってどこか「自傷行為」のような感じすらありますよね。やればやるほど男たちのクソさに絶望が募っていくはずなのに、それでもあんなに繰り返すのは、おそらく自責の念が関係してるからですよね。
清田 : 成敗の記録をボールペンでノートに刻みつけるように書いてたのも印象的だったね……。(マークの意味についてはライター・鈴木みのりさんがこちらの記事で興味深い考察をされていたのでぜひご覧ください)
恋仲になりかけた小児科医ライアンが
象徴していたもの
ワッコ : 物語の後半では、いよいよレイプ事件の加害者たちとの対決に進んでいくじゃないですか。レイプの現場にいた医大生たち、彼らをかばったウォーカー学部長、そして弁護士のグリーンと、みんな社会的に信用されているエリートなわけですが、キャシーの“世直し”の対象になった男たちと本質的に変わらないどころか、むしろよっぽど悪ですらある。前半で描いてきたものはこうやってつながっていくんだって思いました。
森田 : 今作のパンフレットには監督であるエメラルド・フェネルのコメントが載っていて、そこにはこんな言葉が書かれていた。
〈この映画に悪人は出てきません。登場人物たちはセックスに関してやや無責任な態度を取る文化の一部にすぎません。なぜ私たちはこういう態度を取るのか、悪い部分を良くするためには自分たちがどう態度を変えていけばいいのか。そういった根本的なものを問うことが重要でした。〉
森田 : 物語の後半ではレイプ事件に関わった当事者たちが出てくるけど、みんな近しい人にとっては良き恋人や仲間である一方、別の人に対しては信じられないほど残忍にもなれてしまうという落差が描かれていて、そこが生々しかった。
清田 : キャシーと恋仲になる医大時代の同級生ライアンですら……だったもんね。
ワッコ : あいつな。
清田 : ライアンはコーヒーショップで偶然キャシーに再会して、「学生時代は君のことが好きだったんだ」的なことを言ってアプローチしてくる。彼は小児科医として子どもたちからも慕われていて、キャシーの両親からも気に入られる。
ワッコ : 途中までは理想の彼氏っぽく描かれていたけど、わたしは最初からあいつに違和感があったんですよ。それで2回目はライアンのクズ情報に注目して観てたんですが、やっぱり最初からおかしかった。久しぶりに再会したキャシーに対して、医学部を辞めてなんでこんなクソみたいなコーヒー屋で働いてるの?というようなことを言ってたし、デート中の会話もよくよく聞いてみたら社会的に弱い人を笑いものにするような内容で。Twitterで炎上しろ……。
森田 : キャシーが唾を吐き入れたコーヒーをライアンがゴクゴクと飲み干すところも、かなり気持ち悪かった。
ワッコ : ニーナのことも「なんか仲良しの子いたよね」みたいな感じでうろ覚えだったし、キャシーが部屋に泊まった翌朝にはヨーグルト食べながら「やっぱ誰かといるとさみしくないな」みたいなことを言ったんですよ。「あなたと」ではなく「誰かと」って言ってて、そこにめちゃくちゃモヤりました。
清田 : キャシーと恋仲のような関係になり、パリス・ヒルトンの「Stars Are Blind」が流れるコンビニで一緒に踊るシーンでは一瞬「復讐劇からラブコメに?」と思わせる雰囲気もあったけど、実はそのライアンも……みたいな展開だったよね。
森田 : そう考えるとライアンは、「この映画に悪人は出てきません。登場人物たちはセックスに関してやや無責任な態度を取る文化の一部にすぎません」という言葉を最も象徴している人物かもしれない。
ワッコ : 結局は最後に保身に走ったからな、あいつ。ライアンのラストは注目ですよね。
清田 : 過去の罪悪を告発されることで社会的立場を失うかもしれないという意識は、#MeTooムーヴメント以降の世界を生きる男たちのマインドを表しているような気がした。そして、そこに見られる傍観者的な態度や、他人事と切り離してしまえる感覚は、『プロミシング・ヤング・ウーマン』の核心部分に関わる問題だと思う。加害者と被害者の埋めがたい溝やホモソーシャルの闇など、後編ではこの問題をさらに掘り下げて考えてみたいと思います。
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