目次
※本記事には性暴力事件に関する記述が含まれます。また、一部本編の内容に関する記述が含まれます。あらかじめご了承ください。
女をネタに男同士で盛り上がりたいだけ?
清田 : 映画の後半ではレイプ事件に関わった人たちとの対決が展開されていきます。加害者に加担してしまったことを悔いている人もいれば、性被害が“自分事”になって初めてその重大さに気づいた人もいて、認識や態度にはグラデーションがあったわけだけど、レイプ事件の主犯であるアル・モンローやその親友ジョーたちの振る舞いはとりわけ絶望的だった。
ワッコ : ライアン含めてみんな医学部出身のエリート男で、アル・モンローなんか名のある麻酔科医になってる上、幸せな結婚まで控えていて順風満帆って感じで。そんなホモソーシャル(※1)の頂点にいるような男たちが敵の本丸なんですよね。
森田 : 映画の中ではレイプ事件の様子も、直接的な表現ではないけど出てくるよね。酔った男たちがはしゃいでいるのが伝わってきて、なんというか、「これは性欲ですらない」という印象があった。
ワッコ : 「お前こんなこともやっちゃうのか!」みたいな、悪ふざけや度胸試しみたいな感じで最悪でしたよね。ニーナがセクシーだからセックスしたくなったとかじゃ全然なくて、ただただ偶然そこにいたからそうなったみたいなノリを感じました……。
清田 : 小説家の姫野カオルコさんが『彼女は頭が悪いから』で描いた世界と完全に重なるよね。2016年に東京大学の学生5人が起こした性暴力事件をモチーフにした小説で、加害者たちはひとりの女子学生を泥酔させ、暴行を働いた。ゲラゲラ笑いながらいたぶるなど、相手をまるでおもちゃのように扱っていた登場人物の東大生たちにも性欲的なニュアンスはほとんどなくて、その行為を媒介に男同士のノリや連帯を楽しんでいるという感じが強かった。
ワッコ : 最低すぎて言葉を失う……。桃山商事の著書『どうして男は恋人より男友達を優先しがちなのか』(イースト・プレス)でも、ホモソの闇を感じるエピソードをたくさん紹介しましたよね。
どうして男は恋人より男友達を優先しがちなのか(イースト・プレス)
森田 : ある女性相談者さんから聞いた、男友達のグループLINEに彼女の写真を勝手に送っていた彼氏のエピソードなんて、まさにそれだよね。
清田 : 彼女の下着写真を送っていたり、もっと最悪なものになると生理の血がついてしまったシーツの写真を送り、「さすがの巨根www」「彼女かわいそうwww」とか盛り上がっていたり……。
ワッコ : 下衆の極み! 男同士の会話を盛り上げるために彼女を燃料として投下する彼氏も低いし、盛り上がる友達も低すぎる。でも、「いつものバカなノリ」の一種としか思ってないんだろうな。
清田 : それゆえ“加害”をしているという自覚がなく、記憶に残っていないことすらある。キャシーが対峙していく加害者たちの態度もまさにそんな感じで、覚えてなかったり、若気の至りで片づけようとしたり、「見ていただけで何もしてない」と言い放ったり、まるで他人事で罪の意識がない。
森田 : 結局アル・モンローは大学や弁護士に守られて罰せられなかったわけだけど、現実でもそういうことはよく起きている。前編でも紹介した、アメリカ・モンタナ大学のアメフト選手たちが起こしたレイプ事件を追った『ミズーラ 名門大学をゆるがしたレイプ事件と司法制度』(ジョン・クラカワー/亜紀書房)でも、被害者が周囲から理不尽に非難されたりネットで「クソ女」みたいな誹謗中傷を受けたりする一方で、加害者には裁判で「寛大な」判決が下されたり、検察が事件を不起訴にしたりする様子が描かれていた。社会全体がホモソ……。
ミズーラ 名門大学を揺るがしたレイプ事件と司法制度 (亜紀書房翻訳ノンフィクション・シリーズ II-12)
“バカな俺たち”を確かめ合って連帯するホモソの闇
森田 : でも、ホモソの悪ふざけみたいなものに関しては自分にも身に覚えがあって、他人事ではいられないところがある。俺も高校でアメフトをやっていたんだけど、ホモソのノリで同級生や後輩をイジっていた……反省しなきゃいけないことがたくさんあるなと思う。
清田 : 自分も男子校でホモソの価値観をすくすく吸い込んでしまったので、本当に身につまされる。中高一貫の学校に通ってたんだけど、特に中学生のときは高校生にいたずらを仕掛けたやつが勇者みたいな空気があって、トイレの個室に入った高校生に上から水をぶっかけたり、校庭を歩いている高校生に上の階から雪のかたまりをぶつけたりしていて。
ワッコ : 残酷……。怪我でもさせちゃったらどうするんですか!
清田 : 本当にそうだよね……。実際、高校のときに同級生の男たちがイキって酒を飲み、泥酔状態で自転車レースをして通行人に怪我をさせてしまった事件も起きた。自分にもその可能性があったわけで、本当にゾッとする。でも当時は男同士のバカな戯れみたいなノリでやってて、罪の意識とか一切なかったのが正直なところで。
ワッコ : あと、ホモソの集まりって男同士の連帯とか言うわりにやたらと女を呼ぼうとしがちですよね。大学時代、サークルの男たちが“呼んだら来てくれそうな後輩女子”に電話して居酒屋に召喚するところを何度も見ました。わたしは当時、“男子枠”みたいな扱いで飲み会に参加していたので、ある意味ホモソの一員としてそれに加担してしまった感もあります……。
森田 : あー。会社にも、新入社員とやたら飲みたがるお偉いさんがいる。キャバクラ的な華やぎのために呼んでいる印象があって、すごく気持ちが悪い。って、自分も昔は飲み会のときに「女子を呼ぼう」ってなってたことがあるからまったく他人事ではないんだけど……。
清田 : そこにある動機を掘り下げてみると、“バカな俺たち”みたいなノリを受容し、おもしろがってくれる存在を求めているのかもしれない。下心的な期待も含まれているとは思うけど、それ以上に承認や盛り上がりのための装置みたいな捉え方をしているような気がする。
ワッコ : なるほど、バラエティ番組における女子アナの構造と一緒ですね。会社やサークルで、さすがに先輩に対して「つまんねーよ!」とかは言えないから、呼ばれた女性たちもおもしろがってるふりをせざるを得ないし、しかもそこでは絶対に男たちを超えるおもしろを発揮しちゃダメなんですよね。
清田 : まさに……。極端な話、男同士ってしゃべることがないんだと思う。感情の吐露や自己開示が苦手で、しかもなんでも笑いにつなげなきゃいけないという謎の圧力をかけ合ってるから、身の上話や他愛ないおしゃべりができない。だからひたすらノリを共有するだけのコミュニケーションになっていく。さっき紹介した胸クソLINEも、アル・モンローたちが起こしたレイプ事件も、そういう“バカな俺たち”を確かめ合うノリの延長線上にあるものだと思う。
奪われたのは「前途有望な未来」だけじゃない
清田 : これは前編で森田が話していた「認識の差」という問題につながると思うけど、加害者サイド──特に男性たちはことごとく加害の意識がなかったじゃない。「若いときの過ちは誰にでもあるだろ」みたいな言いぐさだったし、なんなら脅迫されてるみたいな被害者マインドすら抱いていた。
森田 : 自分たちが何をやって、ニーナやキャシーから何を奪ってしまったのか、全然わかっていない感じだったよね。
ワッコ : 絶望的すぎる。
清田 : #MeTooで著名人が告発されたときなんかもそうだけど、思うに男性の多くは“社会的な死”みたいなものしか被害として認識できないのかもしれない。仕事を失うとか、立場を追われるとか。ライアンやアル・モンローたちも「今さら何なんだ!」「俺が今まで必死に築き上げてきたものをぶち壊す気か!」みたいな態度だったし。一方ニーナやキャシーは人権や尊厳をボロボロに踏みにじられたわけで、そこを問うている。被害の捉え方がまったく違ってて、その溝の深さに気が遠くなった……。
森田 : 加害者たちは罪にすら問われなかったわけだもんね。
ワッコ : なぜか「プロミシング・ヤング・マン」たちは前途有望なまま守られたわけですね。
清田 : 絶望的すぎる。ニーナは男たちに自分がしたことの意味をわかっているのかとひたすら問いかけていた。東大生の事件もそうだったけど、仮に法的に罰せられたとしても、自分がどんなことをしてしまい、相手の何を奪ったのか、なぜそんなことをしてしまったのか、ちゃんと認識した上で罪の意識を持たないことには本当の意味での謝罪や贖罪は始まらないように思う。
ワッコ : しかも彼らに手を差し伸べる人もたくさんいて、すんなり再起できちゃったりするんですよね。ホモソ社会はそういうふうになってるから。
清田 : この映画も『彼女は頭が悪いから』も、あと坂元裕二脚本のドラマ『問題のあるレストラン』 なんかもそうだったけど、お前たちがゴミのように扱った女性にも名前があって、人生があって、大切な人たちがいて──つまり「人間なんだぞ!」というメッセージを加害者たちに突きつけていく。その認識が謝罪や贖罪への第一歩になるわけだけど、その一歩すら遠いという絶望も含まれているような気がする。被害者が奪われたのは「前途有望な未来」だけじゃない。そう考えると『プロミシング・ヤング・ウーマン』というタイトルすら皮肉な表現のように思えてきた。
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森田 : 加害者サイドでそういう「重み」を認識して、罪の意識に苛まれていた唯一の人物が弁護士のグリーンで、キャシーは彼にとても同情的だったよね。そう考えると、映画の中でのグリーンの最終的な役回りには、ある種の希望が託されてるように感じる。
ワッコ : 物語の本筋にはあまり関与していませんが、コーヒーショップの雇われ店長であるゲイリーの存在も重要でしたよね。あの距離感がとにかく最高っていう。
清田 : 話は尽きないけど……衝撃のラストも含めてぜひ観てもらえたらうれしいし、感想を誰かと熱く語り合ってもらいたい作品です!
※1:同性同士の恋愛または性的な意味を伴わない、つながりや関係性。
※2:2015年にフジテレビ系列で放送されていたテレビドラマ。女性へのセクハラやパワハラが横行する職場を退職した主人公(真木よう子)が、友人や元同僚を集めてレストランを開業し、様々なトラブルを乗り越えながら敵対する男たちにリベンジをかける、女性応援コメディー作品。
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