知人の芝居を観に、ゆりかもめのモノレールに乗って「市場前」という駅に来た。はじめて降りる駅。早く着いたのでカフェに入って本でも読もうと改札を出ると、なんと一面の野原だった。クローバーやツクシがそこらじゅうに生えていて、その間に大きなプレハブのような劇場が見える。コンビニも喫茶店もレストランも見当たらない。遠くに「COFFEE/FOOD」と壁に大きく書かれている建物があったので近づいてみると、入口が見当たらない。食品を扱う工場なのかな、とウロウロしていると、従業員用のドアから男の人が出て来た。「あの、近くに珈琲を飲めるような場所はありますか?」と聞いてみると、「この辺りにはないですね。ずっと歩いて、豊洲駅まで戻っていただければ沢山あるんですけど」と言われた。彼の話によると、ここは築地市場の新しい移転地で今は準備中なのだという。「今年の秋からは、ここも一気に賑わう場所になると思いますよ」とのことだった。
半年ほど前、ある方から『TSUKIJI WONDERLAND(築地ワンダーランド)』というDVDをいただいた。1年4か月もの間、築地に通って取材し、完成させたドキュメンタリー作品だという。その日の夜、家のテレビで観ていたらひどく懐かしい気持ちになった。築地に個人的な思い出があるわけでもないのになんでだろう。「ここに来れば何でもある」というごちゃっとした感じ、そこに集ってくる人たちの生き生きした表情、「築地で働いていることを誇らしく思っている」ということが一人ひとりの体中からあふれ出している。「市場はね、俺の人生を狂わした場所だよ」と、苦笑いしながらもちょっぴり嬉しそうに答える男の人を見て思い出した。私にもそんな“場所”があったのだ。
あれは大学1年の秋、私はある演劇サークルを見学にいった。扉を開けた瞬間、「ああ、ここだ!」と思った。木材や小道具がごちゃごちゃと積み上げられた空間の中で、演劇サークルの人たちが汗だくになりながら大声でラブシーンか何かを演じていた。そのすぐ後ろでは民族研究会の男女がスイスかどこかの民族衣装姿でくるくる踊り回っている。「なんてにぎやかで統一感のない場所なんだろう」。それが大学4年間通いつめることになる“地下ホール”の第一印象だった。
通称“地下ホール”と呼ばれるその場所には、まるで日本中から面白い人たちが集まって来たんじゃないかと思うほど個性豊かな人たちがいた。身長150センチくらいのハンフリー・ボガート似の先輩に、「君、演技がうまくなりたいならドストエフスキーを読めよ」と言われてたくさん本を読むようになった。行けば誰かしらいて、何人か集まると自然にコントや即興劇が始まった。授業が終わると、「今日はどんなことが起きるだろう」とスキップして通ったのを思い出す。
季節ごとに公演があり、書きたい人が台本を書いてきて、皆で投票して作品を選ぶ。ある時はシチュエーション・コメディーだったし、ある時はSF時代劇、またある時は台本なしの即興劇だった。毎回書く人が違うからジャンルはバラバラ。ただ「もっと面白いものをつくりたい」ということだけは一緒だった。背中を見ていきたい人たちがたくさんいたのだ。そこは私にとって日本で一番面白いことが起こっている場所だった。ここが世界の中心なんだと誇りに思える場所だった。『TSUKIJI WONDERLAND(築地ワンダーランド)』に出てくる人たちの顔にもそう書いてあったので懐かしくなった。画面に映るエンドロールを見ながら、「こういう場所を私は今も探しているんだなあ」とつぶやいた。
劇場の外に出ると、もう夕方だった。モノレールの窓から「市場前駅」に広がる野原を見晴らした。ここも昔は海だった。今は埋め立てられて、そして何年か後にはこの光景ももう思い出せなくなるのだろう。
“地下ホール”は今もあるんだろうか。あの時あそこに集った仲間は今どこで何をしているんだろう。そう考えるとなんだか幻だったような気もしてくる。でも、そんなことはない。目を閉じれば、いつでもあの仲間たちのいるにぎやかな場所へ行くことが出来る。そこは、私の出会ったワンダーランドだった。
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