この夏、9年間というどことなく座りの悪い年月を過ごした京都から、東京に引っ越しをした。東京にきたのはいくつか理由があって、それについてはまたどこかで書けたらと思っているのだけれど、とにかく引っ越しという作業の大変さにとことん付きまとわれた夏になった。そんなときに限ってフェスやイベントの出演が多かったり、連載していた漫画単行本の追い込み作業が重なっていたりして、本当に1日1日が目まぐるしく過ぎていった季節だった。
大きすぎる窓から容赦なく入ってくる夏の日差しのなかで、僕が毎日毎日汗だくになりながら向き合っていたのは、小さな部屋のなかをぐるりと囲うような本やDVD、CDにレコードたちだった。せっかくの機会なので少し整理しようと、新しい家に送るいわゆる“本当にお気に入りのもの”、今は手元になくてもいいけど持ってはいたい“実家に送るもの”、そして“中古屋さんに持ってくもの”の3つに分けていった。まだ住む部屋も決まっていないなか、なんとなくこれぐらいの棚にこれぐらいの配分で入れたいな、と新しい生活を妄想しながら作業を進めていった。
本やレコードやDVDにはそれぞれ出会った場所がある。古めかしいビルのテカっとした緑色の階段をあがったところにあるレコード屋、住んでいた街から電車で40分かかる(電車は1時間に2本しか来なかった)金沢の町にあったタワーレコード、河原町のタワーレコード、JET SET、カナートのなかのHMV、石川の国道沿いの深夜までやっている怪しげな倉庫のような中古屋、京都のお気に入りの本屋、トランスポップギャラリー、色々な町のブックオフ。だいたいどんなものでもどこで買ったかは覚えているもので、なかにはもうなくなってしまっているお店や場所もあり、なんだかそれを思い出すごとに感傷的になってしまい、作業の手を止めてぼうっとしてしまうことも何度かあった。
思い出やそのとき、その場所の匂いだってそのなかに閉じ込めておける。レコードやCD、DVDみたいに形の残るものとして棚に並べておけることの意味って、こういうことなのかもなぁと思うと同時に、今こうやって手にとっているもの以外にも、自分にとって大事な音楽や映画はあるはずだな、とも思った。映画だと、形として手に入りにくい作品は少なくない。『トイ・ストーリー』や『ホーム・アローン』のような懐かしい映画から思い出す場所は、近くで遠くの思い出となっているレンタルビデオ・アラスカだけど、もうひとつ僕にとって多くの作品と出会った大事な場所があることを思い出した。
僕が通っていた大学はマンガ学部やポピュラーカルチャー学部があるぐらい少し変わった大学で、美術系の学部と人文系の学部が小さなキャンパスの中にほとんど一緒くたになっていて、そのおかげで僕は人文学部に入っていながらアート系の学校の恩恵を受けることができた。それが情報館という施設だった。1階は大きなロビー(はじめて情報館に入ったその日にロビーで流れていたのがシー・アンド・ケイクの『The Fawn』というアルバムで、今でもとても大好きなレコードだ)になっていて、その上の階が図書館、そして地下にはDVDにVHS、そしてレーザーディスクに閉じ込められたたくさんの映画と、その場でそれを観ることができる観賞用のスペースがあった。その場所は僕にとってとても大事な場所になった。
話は少しもどって中学1年の冬休み。突然家にケーブルテレビがきた。まだYouTubeなんてなかった(もしかしたらあったのかもしれないけれど僕は極端にインターネットに疎かった)あの頃、最新のミュージックビデオが一日中流れている音楽チャンネルは田舎の少年にとって相当なカルチャーショックだった。隣町にTSUTAYAができるのはもう少しあとのことだったので、それまでは毎月20日になると駅前の小さな本屋さんで『ロッキング・オン・ジャパン』の最新号を買って、隅から隅まで読んで気になったバンド名を覚えておき、毎日夜21時からのNHK-FMの音楽番組を聴きながらそのバンド名の曲がかかるのを待つ、という方法で新しい音楽を探していたのだ。ストリーミングで音楽が自由に聴ける今の時代からすると相当オールドスクールな方法だ。その中でも特に僕が影響をうけたのが水曜日の23時に放送されていた『スペシャボーイズ』という番組だ。この1時間の中には今まで触れたことがなかったカルチャーがぱんぱんに詰まっていて、なんだか見ちゃいけないものを観ているような気分も相まって毎週毎週本当にワクワクしていた。YOUR SONG IS GOODのJxJxとSAKEROCKのハマケンがメインMCとして番組を進行する番組内で、JxJxは『アニマル・ハウス』という映画をたびたび話題にだしていた。80sおバカ青春学園モノということは放送を聞いてなんとなくわかったけど、レンタルビデオショップ・アラスカの洋画の棚を片っ端から調べてもみつからなかったし、そのあとにできたなんでもありそうなTSUTAYAでも見つけることができなかった。だから、僕が中古屋さんにあるDVDのコーナーの“ア行”でいつも探すのは『アニマル・ハウス』と『ヴァージン・スーサイズ』だった。
そんなふうに何年も恋い焦がれていた『アニマル・ハウス』と出会ったのが情報館だった。「ずっと憧れだったアメリカ!」という感じの風刺画風のイラストが描かれたジャケットのVHSを観た瞬間のあのドクンと胸が打つ感覚は今でも不思議なぐらい鮮明に思い出せる。僕が京都に来て初めて観た映画は『アニマル・ハウス』なのだ。めちゃくちゃに恋い焦がれていたにも関わらず、これは僕のバイブルだ!とはならなかったし、今となっては内容も細かくは思い出せないのだけど、あの経験は田舎町から一歩外の出ることをずっと夢見続けていた僕にとって、色々なことがはじまる予感というかそのはじまりの一瞬を切り取ったようなできごとだった。あれから一度も観返していないのは、なんとなくその感情をあのときのままでとっておきたいからなのかもしれない。
それからの4年間、僕は大学でいるほとんどの時間を情報館の地下で過ごした。授業と授業の間が1コマ空けばすぐに駆け込んで映画を観たし、結局そのまま次の授業をサボって最後まで観終わってしまうことも数え切れないぐらいあった。それは僕が特別そういう学生だったわけじゃなくて、仲のいい友達のほとんどは同じように毎日情報館にいたし、そういえばHomecomingsのメンバーの3人もよく情報館で会っていた人たちだ。僕らは毎日、ずらっと棚に並んだ映画を片っ端から観ていった。当たり前のようにVHSで映画も観たし、たまには格好つけてわざわざレーザーディスク専用のスペースで古い映画を観たりもした。当時資格を取ろうとしていた図書館司書の大事な講義の前に、コッポラの『地獄の黙示録』をレーザーディスクで観ていると、もう全てがどうでも良くなってそのまま授業をサボって最後まで観てしまい、結局その授業には出なくなってしまったなんてこともあった。あのとき『地獄の黙示録』を手にとってなければ、せめてレーザーディスクじゃなくてDVDやVHSで観ていたら(レーザーディスクを観るには専用のスペースを確保し、一度中断すると同じところから再生するのに手間がかかって面倒だった)、僕は今頃どこかの町の図書館では働いていたのかもしれない。
情報館の大きな窓からは地下なのに不思議と外の明かりが入ってきて、僕はそれがとても好きだった。ウェス・アンダーソンもポール・トーマス・アンダーソンもガス・ヴァン・サントもリチャード・リンクレイターも、キューブリックの古い作品も、『カッコーの巣の上で』、『小さな恋のメロディ』、『ペーパー・ムーン』に『JUNO/ジュノ』、『トゥルーマン・ショー』に『グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち』、『ブレードランナー』…数え切れないぐらいの映画を僕はそこで観た。そこは僕にとってとても大切な出会いがまだまだ光りながら埋まっているようなそんな場所だった。
まだ少し新鮮さが隅っこの方に転がっている新しい部屋に、大きな本棚を置いた。そこにはたくさんの本とレコード、そして映画が並んでいる。レンタルビデオショップ・アラスカで出会った映画たちが僕の土台を作ったとするならば、情報館で10代の終わりから22歳までの間に出会った映画はその土台の上に家を作ってくれたといえるだろう。細かく設計図がひかれた、いくつかの部屋に分かれたひとつの家。そこで僕はまた色々なものを作るだろう。歌詞を書いたり文章を書いたり、物語を作ったりもする。いつでもそこに帰っていけるし、僕を守ってくれもする。そこにも大きな窓から西日が入り込んで、僕はその景色や匂いが大好きだったりする。僕の好きなものは、新しい街の暮らしのなかでひとつまたひとつと増えていく。
まだ少し余裕があるこの部屋も、次の街へと引っ越す頃には僕を作るたくさんのもので埋め尽くされているのだろう。
その部屋への階段は新しい匂い いつまでたってもなくならない たくさんの形でずっとそこにいる たくさんの映画やおんがくたち どこへいっても僕は思い出すだろう きみたちと会った日のことを
自分の部屋に ていねいに並べて それがなにかをくれたり ともだちのように はなしをしてくたりする
ベースメント そこには大きな窓があって ぼくたちはそのおかげで迷子にならない 四角に縁取られた西日が ほこりたちをそっと眠りから起こしていく どこへいっても思い出すだろう そんな景色や角度を