目次
VHS所有本数:73本
「真面目すぎる自分だからこそ響いた」
部屋に入るとまず目が合ったのは、名作『探偵物語』(1983)に出演した頃の薬師丸ひろ子さんのグラビアポスター。ベッド横の壁には相米慎二監督の映画『お引越し』(1993)のポスターが貼られ、テレビ台の下にはVHSデッキ、その周囲にはDVDとたくさんのVHSビデオ…と、おじゃました部屋は、まるで昭和の時代にタイムスリップしたかのようです。
今回ご紹介するDVD棚の持ち主は、俳優・モデルの田中一平さん。King Gnuや家入レオなど錚々たるミュージシャンのPVへの出演、Columbiaなどファッションブランドのカタログモデルなど、幅広いジャンルで活動をしてきました。映画俳優としては、山口雅俊監督『闇金ウシジマくん ・ファイナル』(2016)や山下敦弘監督『ハード・コア』(2018)などの大作に参加する一方、第13回大阪アジアン映画祭インディーフォーラム部門で上映され好評を博したインディーズ映画『アイニ向カッテ』(2018)で主演するなど、作品の規模やテイストを問わず出演し続けています。
「部屋のテレビはアンテナに繋いでないので、映画を観る用のモニターとして使っているだけの状態なんです。普段家にいる時は、BGM代わりにラジオをつけるか、映画を流すかのどちらかですけど、映画の場合は、気づくと座って観入っちゃってることが多いです。ネット配信サービスには加入してないから、映画を観る場合は部屋にある作品を再生するか、映画館に行くか。行きつけの映画館は名画座ばかりだし、観る映画には偏りがあるかもしれない(笑)」
棚に並ぶ映画のラインナップを見てみると、台湾のツァイ・ミンリャン監督のBlu-ray BOXや、ドイツのライナー・ヴェルナー・ファスビンダー監督の『ヴェロニカ・フォスのあこがれ』(1982)ほか多数、フィンランドのアキ・カウリスマキ監督の『過去のない男』(2002)など、世界各国の作品が並ぶ一方、神代辰巳監督や相米監督など、70年〜80年代の邦画も存在感を放っています。半数近くを占めるVHSは、赤羽や板橋などの中古VHSショップで集めたそうです。取材の数日前に30歳の誕生日を迎えたばかり、という平成生まれの田中さんが、なぜ昭和の名作映画をここまでそばに置いているのか、気になりました。
「僕は新潟県の出身なんですけど、大学進学で上京するまでは、ハリウッド映画などの大作しか観ていませんでした。でも東京に出てきてから、当時ファッションスナップが流行っていた影響で、写真を撮られる機会が増えて。撮られることが面白くなってきたのをきっかけに、モデルや芝居の仕事を始めるようになりました。そうした撮影現場で知り合った方たちから、それまで知らなかったような映画をたくさん教えてもらったんです。最初はツァイ・ミンリャン監督の『西瓜』(2005)や『郊遊 ピクニック』(2013)を観て、ショットの視覚的なかっこよさに惹かれました。その後で、神代監督や相米監督、北野武監督など、邦画も観るようになりました」
そう言うと、一番好きだという神代辰巳監督作品のコレクションのうち、2019年末に初めてDVD化された『アフリカの光』(1975)、そして『もどり川』(1983年)を棚から出してくれました。もうひとつ見せてくれたのは、渋谷の名画座・シネマヴェーラで手に入れた、百科事典のように重い本『映画監督 神代辰巳』。神代監督全作品の解説やシナリオ、インタビューなどが詰まった1冊です。
「この本、見つけて思わずレジに持っていったんですけど、“12,000円です”と言われて内心ビビり(笑)、でも思い切って買いました。神代監督は日活ロマンポルノのスター監督ですが、『アフリカの光』や『もどり川』のような一般映画もすごく面白いんです。僕が思う神代監督作品の魅力は、すべてに笑える要素があるところ。『アフリカの光』にしても、萩原健一さんと田中邦衛さんが演じる若者たちが、マグロ漁船でアフリカの海を目指そうとする、というキテレツな設定で(笑)。でも映画でくらい、キテレツな物語を観て笑い飛ばしたいじゃないですか。僕たちは普段生きてると、意味のあることばかり求められますよね。“目的は何だ”とか“テーマは何だ”とか。神代監督の映画を観ていると、作品に意味なんか求めない、映像や会話が生き生きしていて面白ければいい、という根本的な情熱を感じるんです」
でも神代監督や相米監督の作品といえば、それぞれに傑作揃いとはいえ、田中さんが生まれる前に作られた、自身とは縁遠い映画がほとんどなはず。「上京するまでは人並み程度にしか映画に触れてこなかった」という大学生当時の田中さんに響いたのは、どうしてなのでしょうか。
「“ザ・昭和の男”な登場人物たちがすごくかっこいいんですよね。口は悪くて破天荒だけど、筋が通っていて優しくて……僕自身は多分、根が真面目すぎる性格なんです。大学時代はサークルのチャラチャラした雰囲気が苦手で入らず、学食で壁に向かって一人でひっそりと昼飯を食べてるようなタイプでした。大学の友だちと遊ばない分、時間があるから働こうと、飲食店のバイトを5つ掛け持ちしたりしていましたね。生真面目な自分だからこそ、周囲に遠慮なく自分らしさを貫く昭和の男たちの姿を観て、ガツンときたのかもしれません。僕は平成元年の生まれなので、自分が体験できなかったという意味で、昭和という時代そのものに対する憧れも強くて。“この時代に生まれたかった!”とすら思います」
ショーケンや北野武に教わったこと
「大切なのはテクニックではなく“生き様”」
田中さんは神代監督の作品をはじめ70〜80年代の邦画を観る時、役者の顔や身体のフォルム、また服装など、映画の中に映る「人間の姿」を観るのが好きだと話します。役柄としてではなく、その人自身として惚れ込んでいる昭和の役者も多いそうですが、最も好きな役者として名前を挙げてくれたのが、“ショーケン”こと、萩原健一さんです。
「ショーケンを初めて観たのは、神代監督も一部の回を演出したテレビドラマ『傷だらけの天使』。そのオープニング映像のショーケンがまたかっこいいんです! あまりにも好き過ぎて、映像ディレクターの友だちと、僕が主演でオープニングのパロディを撮影したくらい(笑)。ショーケンさんは奔放で破天荒なイメージの強い方だけど、インタビュー記事や著書を読むと、演技のロジックが自分の中でちゃんと確立していて。台本どおりにこなすだけでなく、勘が鋭いから、アドリブも多く取り入れていたみたいです。でも何といっても、本人の生き様がかっこいいので、顔や身体から感じる迫力がとにかくすごい。ショーケンさんが映っているだけで映画が成立するし、その姿に引き込まれるんです」
映画観賞を通して繰り返し目に焼き付けてきた萩原健一さんの姿は、田中さんのプライベートに活力を与えただけでなく、役者やモデルという「魅せる」仕事を続けていくうえでも大きく影響したそうです。
「20代前半に今の仕事を始めた頃は、“映画に出たい”欲が強くて、良くも悪くももっとガツガツしていたし、“もっと芝居が上手くならなきゃ”という焦りがあったんです。僕だけでなく、同業の知り合いでも“すぐに売れたい”と言っている人は多かった。でもショーケンさんや北野武さんのような、僕が憧れる人たちを画面越しに見ているうちにふと、“画面に映る役者の姿には、どうやって生きてきたのか、という生き様が表れるものなんじゃないかな”と思ったんです。つまりうまい芝居をしようとかテクニカルな部分だけを磨くんじゃなく、人間としての土台を積み上げていくことも大事だなと」
そのためには、20代の頃のように映画だけにこだわるのではなく、ミュージックPVや短編ドラマなど多様な現場に率先して参加したいと話します。それは現場でいろんな人と出会い、言葉を交わすことで、自身の感覚を磨くことができるから。ときに落ち込むこともあるそうですが、そんなときもやはり映画が田中さんを支えます。
「例えば仕事のない時期があるとします。そういう時期ほど、毎日会社に通って働くとか、世間で普通とされていることができない自分に落ち込むんです。でも映画を観れば、ショーケンさんや武さんが“お前はお前でいいじゃないか”と励ましてくれる。お二人とも世間から批判を浴びたり孤独になったり、いろいろ苦労してきた方だから、“辛い日々があっても、いつか光浴びる時が来るんだ”と言われているような気になるんです。そのお二人と同じくらい、エレファントカシマシの宮本浩次さんも昔から大好きなんですけど、エレカシの『偶成』という曲に“俺はこのため生きていた/ドブの夕陽を見るために”という歌詞があって。30代に突入した今、自分の視界もクリアになってきて、“小さな花でも自分らしく咲きたい”という思いで仕事に向き合っています」
インタビューも終わる頃、終始落ち着いたトーンで話していた田中さんが、この日一番のテンションで「神代監督の映画のオープニングタイトルがすごくかっこいいので、どうしても観てほしくて…! ちょっと再生していいですか?」。そう言って『赫い髪の女』(1979)のDVDを棚から出し、再生してくれました。日本のブルースバンド・憂歌団の曲「どてらい女」をBGMに、陽炎が揺らめくトンネルの奥からひとりの女が歩いてくる。1台のダンプカーとすれ違い、女が振り向いた瞬間にストップモーションになってタイトルが入る! ほんの2分足らずの映像ですが、部屋の中に“あの時代”ならではの濃密な空気が流れた気がしました。
「最近の映画についてもアンテナを張らないと、とは思うんですけど」と苦笑いする田中さんですが、自分が心から「いい」と思える基軸を見つけ出した姿はたのもしく感じられました。この世にはもういない、今は映画を通してしか触れることのできない時代感や人物が、その鑑賞者を支えることもある。そんなお守りのような映画に出会えたなら、世間の常識とは違う生き方を選んだとしても、自分を強く保ち続けることができるのかもしれません。
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