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「女性同士の対立」に見せかけた
「確かな連帯」を描く『疑惑』
新卒で入社した会社はマスコミ系で、1年目で営業に配属された同期は私を含めて3人でした。女子2人に男子1人。ただでさえ女性比率が低い会社の中でも、営業は特に女性の数が少なかったので、新人の過半数が女子という事態はそれなりにセンセーショナルだったと思います。私は同期の彼女と非常に仲が良かったのですが、私たちを待っていたのは「確執イジリ」とでもいうべきものでした。
2人で立ち話をしているだけで「そこ、揉めるなよ~」とからかわれ、「お前よりもあっちの方が可愛い」「あっちの方が仕事できそう」「お前が同じチームでガッカリ」といった言葉を毎日のように浴びせられるのです。幸い私たちはバカバカしいとしか思わず、険悪になったり対抗し合ったりすることはありませんでしたが、正直ウンザリしました。「女の集団はドロドロだから、女性同士は対抗するものだ」と信じ込む心理は一体なんなのでしょうか?
野村芳太郎監督の『疑惑』は、松本清張の原作を映画化した作品です。富山の大金持ちが妻と共に自動車で海に転落。生き残った妻は複数の前科がある水商売上がりの女でした。世間は妻による保険金目当ての計画殺人だと騒ぎ立て、誰もその女性の弁護を引き受けようとしません。最後に国選弁護人としてお鉢が回ってきたのは、疑惑の女性とは正反対の人生を送っている女性弁護士でした。
桃井かおり演じる疑惑の女性・鬼塚球磨子は、常に周囲をイライラさせる女性です。ふてぶてしい態度で悪態をつき、すぐヒステリックに怒り散らします。ろくでもない人生を歩んできたのは確かなのですが、夫殺しについてだけは明確に否認し、自力で危機(死刑判決)を免れようと、留置所で六法全書を読み耽る日々を送っています。
対して、岩下志麻が演じる弁護士・佐原律子は冷静沈着。まさに「鉄の女」といった風情です。マスコミの揺さぶりにも世間の反感にも動じず、唯一の真実に向かって徹底した調査と弁護を展開。裁判の不安からハッタリと罵倒を投げつけてくる球磨子に対しても、一歩も引かない強い態度で対峙します。
軽犯罪を繰り返しながら泥臭く生きてきた球磨子と、女性弁護士として孤高の努力の末に地位を築いた律子。2人の人生は客観的に見て正反対ですし、彼女たちが顔を合わせるシーンは常に緊迫しています。一見すると、対立していがみ合っているようにしか思えないかもしれません。しかし、性格や生き方こそ違えど、球磨子と律子には通じるものがあると私は感じました。
まず、球磨子も律子も、(過去はともかく)今は全く悪いことをしていないのに、それぞれ「毒婦」「強すぎる女」というイメージから誤解されています。球麿子に会う人は最初から侮蔑の表情を隠しませんし、律子の話題を持ち出した新聞記者は、彼女の実績よりもまず「今は独身で、娘は元夫が引き取ったらしい」と噂していました。彼女たちは2人とも、最初から色眼鏡で見られる存在なのです。
そして、そのイメージのせいで大切なものを失った点も共通しています。球磨子は懇願されて嫁いだ先の家族から徹底的に蔑まれ、あらゆる権利を剥奪されてしまいました。律子は他の女性に夫を奪われ、ひとり娘との面会の機会さえ奪われてしまいます。でも、どんなに悔しくても悲しくても彼女たちは一滴の涙も流しません。押し黙り、ただ前を見据えるだけです。
『疑惑』は裁判劇ですが、クライマックスは裁判のシーンではありません。ラストに訪れる球磨子と律子の対面こそ、本作の神髄を表していると思います。正反対だけれどそっくりな球磨子と律子が、最後の最後で激しく対立しつつも、強く深く共鳴する名シーンです。
律子の懸命な調査の甲斐あって、事件は無理心中の結果だということが判明。ついに球磨子の無罪は証明されます。しかし、世間のバッシングはさらに強まるばかりでした。律子の立場もますます孤立。唐突に元夫の妻から投げつけられた「娘とは二度と会わないでほしい」という理不尽な要求を黙って受け入れた後、律子は球磨子が働くラウンジへと足を運びます。
「自殺の場合は保険金が下りないっていうのよ。保険金がダメなら慰謝料とってよ」と媚びてくる球磨子に対して、冷たく拒否する律子。2人は互いに「あんたみたいな女は大嫌い」と罵り合い、しまいに球麿子は律子の真っ白なスーツに赤ワインをかけるのです!しかし、スーツが赤く染まっても律子は顔色ひとつ変えません。お返しに、球麿子の顔にワインを思いっきりぶっかけます。静まり返る店内。そしてワインまみれになった2人は、「これまで通り、私は私のやり方で生きていく」と互いに宣言するのでした。
クズばかりの環境で生きていくために、なりふり構わずに自分の力で生きてきた球磨子と、男ばかりの環境の中で女性弁護士として努力してきた律子。球磨子は他人からの信用を犠牲にし、律子は(多くの男性弁護士は普通に手にしている)幸せな家庭を犠牲にしました。女性として自分の足で生きていくために、孤独な戦いを強いられてきた球磨子と律子が初めて顔を合わせたとき、彼女たちは互いの人生の苦しさ、悲しみ、孤独を瞬時にして読み取ったように私は感じました。激しく火花を散らしながらも、確かに共鳴し合ったと。
最後に律子はスッと立ち上がり、「またしくじったら弁護してあげるわよ」と微笑みを浮かべながら言い捨て、球麿子もまた「頼むわ」と不敵な笑みとともに返しました。このラストシーンのやりとりを見たとき、私には2人が互いにエールを送り合っているように見えたのです。
いまハリウッドでは、理不尽な社会の犠牲となった女性たちのシスターフッドを強調する映画がたくさん作られています。私は、『疑惑』もある意味で理不尽な境遇の女性たちによるシスターフッドが描かれた作品だと思っています。ただし、手を取り抱擁を交わすのではなく、互いに牙を向きワインを掛け合うことによって。
なぜならば、彼女たちは攻撃する術しか持たなかったから。圧倒的な男性社会で生き抜くためには、ハリネズミのように棘で身を固くして周囲を威嚇し、決して弱みを見せないようにするしかなかったから。だから、球麿子と律子の魂が近づいたとき、もはや全身を覆いつくしていた棘は互いの皮膚を傷つけてしまい、抱擁し合うことは叶わなかった……でも、そこには確かにシスターフッドがあった。私にはそんな関係に見えました。
『疑惑』が公開されたのは1982年です。当時よりも少しだけ女性の社会進出が進んだいまならば、球麿子と律子は絶えず悪態をつきつつも、最後には互いにワインまみれでゲラゲラと笑って抱き合う親友同士になれたのかもしれません。『疑惑』が描くのは、「女性同士の対立」に見せかけた「確かな連帯」なのだと、私は解釈したいのです。「女性同士は対抗し合うもの」などという愚かな思い込みが、いつか消え去りますように。
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