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「慣れるな」「知ったかぶるな」。“できないなりの覚悟を持つ”自分でありたい
― 現在、井浦さんはお忙しくて映画を思うようにはなかなか観られていないとお伺いしましたが、ご自身にとっての大切な映画と言われて、いま思い浮かぶタイトルはありますか?
井浦 : そうですね……自分の出演した映画って普段中々観ないのですが、めずらしく何度も観ている映画があります。それは、若松孝二監督の『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』(2007年)です。
― 1972年に起こったあさま山荘事件で立てこもった5人のうちの1人、坂口弘を井浦さんが演じられた作品ですね。
井浦 : この作品は、自分の意識改革をしてくれた、いわば僕の中で革命が起きた映画なんです。なので、自分にとってハードルが高いと感じる撮影現場に向かう前には、自分の気持ちや空気を入れ替えるために観ています。身体が覚えているんです。この映画には何もできない、何も知らない、だけど“できないなりの覚悟”を持って、夢中で取り組んでいる自分が映っていると。
― できないなりの覚悟ですか。
井浦 : 若松監督は「慣れるな」「知ったかぶるな」と現場でスタッフや役者に言い続けていました。その言葉が、映画に映し出されている自分と重なるんです。それなりの芸歴は積んでいますが、今も僕は何もできない。できないなら、できないなりの覚悟を持って必死にもがく自分で在り続けたいですし、どんな経験を積み重ねてもこの気持ちは忘れたくないという戒めのために観ています。お守りのような映画ですね。
― 他のインタビューでご自身の分岐点を語られる際、若松孝二監督と、デビュー作の是枝裕和監督が大きな存在だったと名前を挙げられていますよね。
井浦 : おふたりの名前は必ず挙げています。でも、ファッションモデルとしてキャリアをスタートさせる以前から、僕は自分で何かをやり始めたことなんて何もないんです。その時その時に出会った人たちから、いただいたチャンスで今の僕がある。だから、おふたりとの出会いに限らず、今まで関わってくださった全員が大きな存在です。
― 井浦さんが若松監督の事務所に「雑用でもなんでもいいので若松監督の現場に関わらせてほしい」と直談判されたエピソードを拝見していたので、自分から何かをやったことなんてない、という発言は意外に感じます。
井浦 : プレイヤーは自分自身であっても、チャンスは人と関わっていく中で得られていくものだと思います。出会った人たちから、自分でも気が付いていなかった長所や短所を教えてもらって自分に気づく、その繰り返しなんです。若いころは言われたことに傷ついて、何もできなくなることもありました。それでもどうにかその壁を乗り越えようと頑張って、でもできなくて、怒られて、それでも頑張って、また短所が見えてきて……そんなことを繰り返しながら、人として成長させてもらったように思います。
― 頑張って、傷ついて、を繰り返してきたんですね。
井浦 : 夢中になってくると、「自分はできるんじゃないか」と自惚れてしまいがちですが、そういう時がいちばん危ないと思います。僕は周りにいる人から「感謝を忘れるな」「本当のやさしさを持て」と言ってもらえたことで、軌道修正ができた時期もあるので、是枝監督や若松監督にかぎらず、いろんな人に返しきれない恩があります。
簡単にできることを100やるより、ひとつの高い壁にぶつかって、全身骨折するような挑戦がしたい
― 多くの人が、一度傷ついてしまうと、もう一度トライすることに怯んでしまうと思うんです。井浦さんが、それでもぶつかっていこうと何度もトライできるのはどうしてなのでしょうか?
井浦 : 頑固な性格だから(笑)……というのも大きいですが、高い壁にぶつかっていくのが好きな性分なんです。くじけそうな現場のほうが燃えますね。
― くじけそうな現場、ですか。
井浦 : 例えると、是枝監督は現場で怒鳴ることもありませんし、温和な人ですが、撮影現場で求めてくるものは厳しいです。それは技術的なことだけでなく、人対人としてぶつかり合うことを撮影では求められるので、心を見透かされているような気持ちになるんです。俳優仲間には、そういう意味で是枝監督作品に出演するのは怖い、と言う人もいます。若松監督は言わずもがな厳しい(笑)。でも、厳しい人はそれ以上に深い愛情を持っているので、僕はそこを信じてぶつかっていけるし、そういう現場がスタートだったので僕にとってスタンダードになってしまっています。
― 若松監督の現場は、井浦さんが若松監督を演じられた『止められるか、俺たちを』(2018年秋公開)の監督・白石和彌さんにインタビューした際も、大変厳しい現場であるとお伺いしました。くじけて、投げ出したくはなりませんか?
井浦 : 満足するものができなくて、乗り越えられなくて、ものすごく悔しい思いもします。それでも、簡単に飛び越えられることを100やるよりは、ひとつの高くて分厚い壁に挑んで、ぶつかって、全身骨折して(笑)。でも、ボロボロに砕けた骨は時間が経つと強くなりますし。その方が、後から得るものが大きいと思うんです。
― 全身骨折、とは驚きの考え方です(笑)。
井浦 : 本当に骨折しちゃダメですけどね(笑)。子どものころからそうなんだろうな。あえて高い壁に向かってぶつかっていく性分なんですよね。
― ひとつひとつの出会いが血肉となって、いまの井浦さんが形づくられているんですね。
井浦 : 仕事の出会いだけでなくて、10年以上続く大事な趣味も当時よく一緒にいた仲間や先輩たちに教えてもらったものなんです。
― たとえばどのような趣味ですか?
井浦 : 美術やカメラですね。NHK『日曜美術館』のMCや京都国立博物館の文化大使を任せられるほどまでに美術にのめり込めたのは、一緒におもしろがって語り合える仲間がいたからです。好きな分野は調べることはあっても、美術史全般に対してひとりではこんなにのめり込めなかったと思います。カメラも記録用程度だったのが、友人の写真家たちが魅力を教えてくれたことで深めていくことができた。
仕事も趣味も、すべて「出会い」が大事だと思うんです。たとえば役者なら、独りよがりでできたものはおもしろくない。事前に台本を読み込んで自分の中で役をつくり込んで現場に行くよりも、ある程度役をたたき込んだ上で、現場で監督や共演者たちの要望に順応しながらぐちゃぐちゃになって、自分が自分でなくなっていく方がおもしろい。そういう出会いの方が自分に残ると思います。
― 「自分が自分でなくなっていく出会い」というのは、いいですね。人との関わりを大事にされている井浦さんの姿勢を感じます。
井浦 : 自分が思った通りにできたとしても、それが結果として残っていくのかどうかは相手によるものですね。そういう気付きに出会えること、そして気付きをもたらしてくれる人とのご縁はとても大事にしています。これまでぶつかり合ったり、交わったりしながら得た言葉や経験すべてが、僕をつくってくれた宝物なんです。
もう人生半分生きましたし、やりたい放題させてもらったので(笑)、あとは関わってくださった方全員におもしろがってもらえる仕事をするにはどうしたらいいのか、感謝を返していくにはどうしたらいいのか、というのが僕の今のモチベーションです。