映画『ニュー・シネマ・パラダイス』の冒頭の音楽が流れると、地元にいた頃の思い出がよみがえる。それは、その音楽が僕の中学の下校の時に流れていた音楽だからだ。
僕は3年間、この音楽を聞き、家に帰っていた。
いつだって、この音楽が流れていた。
先月は弟のバスケの応援で地元飛騨高山に帰った。
バスタ新宿でチケットを買い、約5時間30分。
長い道のりも寝てしまえば、一瞬。
おばあちゃんが駅まで車で迎えに来てくれて、2人で家まで帰った。
弟の自転車を借りて、夜の田舎道を走る。
東京とは違ってほとんど街灯がなくて、真っ暗な道。
自分が漕いでいるペダルさえ見えないくらい暗い。真っ暗な中にある、誰かの家の灯りがなんとなく星に見えて、宙に浮いているみたいだった。
中学校の帰り道にある、やたらと臭い下宿。相変わらず臭い。この匂いは世界でここだけというくらい唯一無二の臭さ。
だけど、いつも買ってた全然当たりが出ない自販機は、色あせて意味が分からない色になっている。
コンビニがあった所には、いつの間にかチェーン店のパスタ屋が出来ている。
駅は大きくなっていて、エスカレーターなんて出来ている。自動改札だし。
地元就職した友だちを街で見かける事が多くなった。
“秩序は戻り、時は川のごとく流れる”
誰もいない居間で、1人。
冷たくなった、晩御飯を温め直して食べる。
お母さんが降りてきて、おばあちゃんが1年間かけて書いている原稿の存在を僕に話してくれた。
106枚の原稿用紙があった。
そこには1年前、筋ジストロフィーという病気で亡くなった僕の叔父、大下正の一生が書いてあった。気付いたら朝4時。
涙が止まんなかった。
次の日、僕はおばあちゃんに原稿を読んだことを言った。おばあちゃんは泣き出して、結局僕も泣いてしまって、「何してんだろうね」って2人で笑い合った。おばあちゃんはメイクが落ちて目元が真っ黒。
「メイクやり直しや」と言い、メイクを直して
おばあちゃんは弟の応援に向かって行った。
僕は1人でゆっくりしてから、弟の試合に向かう。
弟のチームはこの試合に勝てば、全国大会に行くことができるらしい。
選手も、客席も、緊張している。
僕は試合が始まる前の、シュート練習をしている弟を見るだけで泣きそうになる。
弟のバスケの試合を見るのは本当に3年ぶりなんだ。
試合は、徐々に点数が開いてあっという間に20点差。
敵チームに点数を取られて悔しそうで、それでも負けないと全力で歯を食いしばる弟を、僕は客席から応援することしかできなかった。
インターハイには行けなかった。ひたすら涙を我慢する弟。
“人生はお前がみた映画とは違う。人生はもっと困難なものだ。”
そんな『ニュー・シネマ・パラダイス』の台詞が胸を苦しくさせる。
家に帰り、僕は疲れて寝てしまっていた。
弟が帰ってきて、僕のところまで来て
「にいちゃん、ありがとう」とだけ言って自分の部屋に戻って行った。
それから2時間後、夕飯が出来て、僕と弟とおばあちゃんでご飯を食べた。
ただ無言で食べ続ける弟。相当悔しかったんだろう。泣かないことに必死で、ただ目の前のご飯を食べ続ける事しかできなかったのだと思う。
『ニュー・シネマ・パラダイス』にこんな台詞がある。
“自分のすることを愛せ。”
お前がバスケをやりたいと言い続ける限り、俺はいつまでも応援する。お前の夢は叶うと言い続けてやりたいんだ。
東京に帰るバスに乗る。
「帰る」という言葉を何のためらいもなく言ってしまうということは、きっとどこかで自分はもう東京の人なのかもしれない。
お母さんが僕に渡してくれた紙袋にはホットドッグが5個入っている。
一つ一つ噛み締めて食べる。
ずっと変わらない味だ。
僕は正直、変わっていくものを見るたびに悲しくなっていた。もうあの時は戻って来ないのだと思うと、苦しくなる。叔父の正くんだってそうだ。当たり前だけど、人は死んだらもう戻ってこない。
だけど、おばあちゃんの涙を見た時、僕は思ったんだ。愛とかよく分かんないけど、あの涙は愛だと思う。
僕はあの涙を愛ということにしておきたい。
どれだけ時間が経って変わってしまっても、ここには変わらない愛がある。
目の前を見ると、大きな文字で新宿駅と書かれている。
この街に帰ってきた。
僕には東京でやらなきゃいけない事がある。