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対面する人を五感で感じる。
そうすると、自分にも向き合えるようになる
― 長澤さんは、今作の撮影において、多くのシーンを子供たちと共にされていらっしゃいました。子供たちに対峙すると「その場の感情を大切にしなきゃいけないんだなとあらためて感じさせられた」と、おっしゃっていましたね。
長澤 : 子供たちは本当にピュアで、対面した私に真っ直ぐ向かってくるんです。そうなると、こっちも逃げられません(笑)。そこに乗っていくしかない。でも、そのことが、私が“秋子”という役を演じるにあたって大事にしていた「対話をする」ということに繋がっていたと思います。
― それは、どういうことでしょうか?
長澤 : 私が演じた秋子は、同情する余地がないほど、ひどいことを子供たちにする役でした。
― 深夜、小学生の子供へ、自分と恋人が食べるカップラーメンを買いに行かせるシーンが冒頭から登場します。そこからどんどんエスカレートするように、子供たちの魂に深い傷を残すような秋子の言動が、繰り返し映し出されますね。
長澤 : でも、秋子自身はそれを「ひどいこと」だと思ってやっていない。だから、秋子の言動に私が引け目を感じてしまってはいけないと、なるべく感情を乗せずに言葉が発せられるよう演じていました。そうなると、対面している人に助けられることが多いんです。
それが今回は、秋子の二人の子供である周平と冬華だったんです。子供たちが素直な感情に大きく左右される姿と対峙すると、自分もそれによって素直になれました。
― その時その時の、対面する人に素直に反応して演じられていたんですね。
長澤 : 誰かと対峙して会話をする、つまり対話するということは、「対する人と目を合わせて、言葉を交わす」ということです。それは、当たり前のことでもあるんだけれど、人と向き合う上で、とても重要なことだと思います。
― 日常生活の中でも、なかなか人と向き合って会話をするということは当たり前のようで、難しいこともでもありますね。
長澤 : 今回、この映画を観た周りの方から「最後のシーン、すごい表情していたね」と言われたんです(笑)。でも、自分がその時どんな顔をしているかは、現場ではわかりません。家で「こういう表情をしよう」と練習して、演技をしているわけではないので。秋子の表情は、「人と向き合って、会話をする」ということにすごく向き合った先にあったものなんじゃないかなと感じています。
大森 : 長澤さんは、すでにたくさんの経験があるのに、現場で誰よりも悩んでいたし考えていた。常に自分のことを疑いながら現場にいる様子が、とても新鮮でした。長男・周平の少年期を演じた奥平大兼さんはじめとした子供たちは、長澤さんの役に対するアプローチからとても影響を受けていたと思います。
― 奥平さんは、今作が初めての演技だったと伺いました。大森監督は、奥平さんに「自分が感じることを大事にしてほしい」と言い続けられていたそうですね。演技でなくとも自分の感情に向き合って、それを相手に伝えることはなかなか難しいことです。
大森 : ホント、それってすごく難しい! 奥平さんは演技が初めてなんで、人前に立つだけでも緊張するだろうし。それに撮影現場は俺を含めて、怖い顔した人たちがたくさんいる(笑)。だから、「失敗してもいい」「俺はお前と映画をつくっていくんだ」ということを言い続けました。
― 「俺はお前を信頼している」ということを、伝え続けたと。
大森 : 感情は、リラックスしないと湧き上がってこないですから。自分の心を動かすには、対面している人の、例えば長澤さんの目線を感じればいいし、触れたときは、体温をちゃんと感じればいい。そして、その上で目を見たかったら見ればいいし、見たくなかったら見なければいい。
大森 : 五感で感じるものに素直になれば、心が動いていくっていうことを伝えられるように接しました。そういうことを伝え続けたので、信頼関係を築けたんじゃないかな。
― まずは、大森監督は俳優を信じたということですね。しかし“人を信じる”ということは、とても怖いことでもあると思うのですが…。
大森 : そうですよね…でも、そこに理屈はないんです。長澤さんという人に出会った。そしたら、長澤さんの歩き方ひとつ、その全部を信用する。奥平さんという人と出会った。演技は初めてかもしれない。それでも全部を信用する。
― 出会った以上、その全てを信用すると。それが、大森監督の人との向き合い方なんですね。
大森 : もう、それしかない。確かに、脚本にも関わらせてもらったので、とても長い時間をかけて、この作品に対する想いを撮影までにつくりあげてきたと思います。そうじゃなかったら、映画づくりなんてできない。でも、俺のつくってきたことと、違うことを俳優の皆さんが思ったとしても、俺は信用しちゃう。
俳優から見えている風景と、監督から見えている風景は違うし、俺がつくりあげたものは、俺の頭で解釈したことで、俳優さんが感じたものは、その人自身の肉体で感じたこと。それぞれ違うのは当たり前です。その上で映画にできることは、カメラの前に立つ、その人自身が感じたことを撮っていくことだと俺は思っているんです。
人と向き合うときに、大切にしている
「責任」そして「人間そのものを見る意識」
― 長澤さんは、人と向き合うとき、どういうことを大切にされていますか?
長澤 : この俳優というお仕事に携わってから、今まで本当にたくさんの人と出会ってきました。私は、一度出会った人には親近感を持ってしまうタイプで、一人一人覚えているんです。もちろん、お仕事だからと人との関係性に対しては割り切る人もいるでしょうし、どちらが正解ということはないんですけど。
私は少ない時間でも一緒に時を過ごした人に対しては、情を抱いてしまう。だから、他人のことでも、自分ごとのように考えてしまうというのがあると思います。おせっかいですね(笑)。それは他人からすれば、大きなお世話のこともあるから、難しいことでもあるんですけど。
― 今作に寄せて、長澤さんは「相対する人へ生まれる責任は、関係性の数だけある」とおっしゃっていました。「人と向き合う中で発生する“責任”」という言葉は、人としっかり向き合っている中でしか出てこないと感じます。
長澤 : 多くの人と出会う中で、「ああいう人もいるんだ、こういう人もいるんだ」と人それぞれが違うということを知りました。だから面白くて。人間観察みたいなところもあるのかもしれません。そういう出会いの経験をさせて頂いているからこそ、「人と向き合う」ということが当たり前になっていったんだと思います。
― 人と向き合うことに対しての「怖さ」よりも「面白さ」の方が、長澤さんの中では強いと。
長澤 : そうですね。「なんで、この人はこんなに怒っているんだろう?」という場面に出会うこともあるじゃないですか。でも、自分もそういうことがあったりもする。若い頃、妙にトゲトゲしてしまって、例えば、取材の際、答えたくない質問をされて、ムッとしてしまうことも多分あっただろうし(笑)。
大森 : あるある(笑)。俺の10代はひどかったよ!
長澤 : だって、10代の時は思春期ですからね(笑)。でも、そういう意味で言えば、奥平さんは、人と向き合うときに何かに捉われているということがないと思います。
大森 : ないね。
長澤 : 年相応の自然体でいられるのが、魅力的だなと。
― 大森監督も、これまでのお話を伺っていると、「枠組み」や「正しさ」に捉われず、人と向き合っていると感じました。
大森 : 自分の目の前にいる、その人自身を見る。色眼鏡で見ず、人間そのものを見る、ということですね。そして、興味を持つ。そこに、その人の社会的背景は関係がない。
― 以前「自分自身が、想像もつかないものに向かってみたい」とおっしゃっていましたね。「わからないもの」「枠組みから、はみ出てしまったもの」という自分の想像を超えたものに、多くの人は向き合うことが苦手だと思います。大森監督は、そこに向き合う恐れはないのでしょうか?
大森 : 「人間そのものを見る」と言いましたが、本当は人間そのものなんて、見えないんですよ。でも、「そういうものを見たい」という意識が大切だと思うんです。その意識があれば、「この人を信頼できるかどうか」が自ずとわかってくるのではないでしょうか。
― では、最後にお二人にとって、何度も観てしまうような「心の一本の映画」を教えてください。
長澤 : 私は、『女神の見えざる手』(2016)が、今一番好きですね。
― 『女神の見えざる手』は、『恋におちたシェイクスピア』(1998)のジョン・マッデン監督が、ロビイスト(特定の団体の依頼を受け、政党や議員に働きかけ、政治的決定に影響を与える集団)を描いた作品ですね。ジェシカ・チャステインが演じる主人公のエリザベス・スローンが、銃擁護派団体などの巨大な権力に立ち向かっていくサスペンスです。
長澤 : この作品もですが、ジェシカ・チャステインが演じる、頭の切れる、かっこいい女性像が好きなんです。
― ジェシカ・チャステインは、『ゼロ・ダーク・サーティ』(2012)でCIA分析官を演じ、第85回アカデミー賞主演女優賞にノミネートされましたね。また、自身でも女性の権利を守るための様々な活動をされています。
長澤 : すごい何度も繰り返し観ているわけではないのですが、この作品含め、ジェシカ・チャステインの出演している映画は多く観ていますね。
大森 : 俺は『パターソン』(2016)かな。今一番、繰り返し観ている映画です。
長澤 : どんな映画なんですか?
大森 : あんまりストーリーというストーリーが、あるわけではなくて。バスの運転手をしている主人公が、犬と散歩に出かけたり、詩を書いたり。日常が、そこにただあるだけ。でも、最後に主人公と恋人の愛し合っている二人の姿が、ふと浮かび上がってくるように感じるんです。
長澤 : 観てみます!
大森 : 激しいストーリーがないから、ボーッと観ていても気持ちが良くて…好きなんですよね。