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「故郷」という、 ぶれない軸がある人が羨ましい
― 今作で村上さんと芋生さんが演じた翔太とタカラは、ご自身とほぼ同世代となる役柄でしたね。
村上 : 翔太は役者を目指しているので、もし彼が実在していたら、僕とどこかの現場で会う可能性はあると思う。でも、深く何かを話したり、一緒に飲みに行ったり、ということはまだないような気がします。
― それは、なぜでしょう?
村上 : 彼は学生時代や仲間内で、きっと会話の中心にいたような存在だったと思うんです。でも、役者という世界に入ってからは、まだ何者にもなれていないという焦りがある。僕も、いろんな作品を経て、今では多角的に自分を見られるようになったけど、最初はもっとがむしゃらに走っていたので、翔太に似た感情は持っていたと思います。
― 翔太は、役者としても個人としても、まだ自分の個性や居場所を探している途中にいるということで、ご自身とは別のステージにいると。
村上 : でも翔太の、自分を知ってほしいとか、人に認められたいという願望は、役者としてだけじゃなくて、次男という兄弟構成もあるのかなって。
― 兄弟構成ですか?
村上 : 翔太は、地元で地に足を付けて働いている兄とは違うかたちで、自分の存在を証明したいのかなとか。それで地元を離れて、東京で役者を目指している。役をどう生きるか、みたいな時にもよく考えますけど、兄弟構成って、人物形成において、それなりの影響を与えると思うんです。
翔太が「人の記憶に残りたい」とはっきり口に出すところも、僕とは違うなーと思いました。僕は一人っ子で長男だからなのか、思ったことを言語化するまでに、もう少し躊躇しますね(笑)。
― 思いを言葉に出していく翔太とは対象的に、芋生さんが演じたタカラは、父親の暴力によって受けた心の傷もあって、常に何かを重たいものを胸に抱えて、自分の気持ちを抑えているような女の子ですね。
芋生 : 今回、和歌山での撮影だったんですけど、タカラは生まれた時からあの場所を出たことがないんです。前向きな可能性も考えられないし、一生自分はここにいるしかない、と諦めている。だからこそ、東京からやってきた翔太がすごく羨ましく見えたのかなって。
― “自分の人生”を生きているように見えたのかもしれませんね。
芋生 : そうだと思います。私も、熊本県の田舎で育っているので、狭いコミュニティの中で暮らす閉塞感とか、モヤモヤみたいなものは体感としてわかります。だからタカラは、事件が起こって翔太が連れ出してくれた時から、自分の人生がやっと動き出したように感じたんじゃないかな。
私の地元もそうでしたが、海や山に囲まれて暮らしていると、自然があまりにも壮大に感じられて、外に出ていく気分にならないというか、その場所に留まってしまう人が多いような気がします。タカラも、まさか出ていけるとは考えていなかったと思う。
― 二人の生まれ故郷、逃避行の間に見える海や山などの自然が、映画の中で雄大に美しく映し出されていて印象的でした。
芋生 : ああいう自然の景色が、私には懐かしかったです。子どもの頃や学生時代、学校の行き帰りの道から見える、木とか太陽とか川とか、そういう自然にいつも圧倒されていました。自分にモヤモヤした悩みがあっても、「私はこんなだけど、自然は力強いなぁ」と思えたり。
― 救われるような気持ちですか?
芋生 : そうです。私とタカラは、生い立ちは全然違うけど、役を通して景色を見ていると、走馬灯みたいに自分の地元の記憶が蘇ってくる感覚はありました。私が地元の景色を見て感じていたようなことを、タカラも思っていたのかなとか。そこから、役と一緒になれたような気がします。
村上 : 今、芋生さんの話を聞いて思ったのは、僕と翔太の決定的な違いのひとつは、僕には田舎がないことなんです。
― 生まれ故郷や、地元と呼べる場所、ということでしょうか?
村上 : そうです。それは、僕の永遠のテーマでもあって。もちろん出身地というのはあるんですけど、これまで転々と移り住んできたので、いつかここに帰るとか、この土地のお墓に入るとか、そういう「故郷」といえる場所が僕の人生にはないんです。田舎で暮らした時期はあるので、そういう経験を役者として活かすことはできるけど、芋生さんにとっての熊本とは全然違う。
田舎や故郷があるということは、人生の中に、絶対にぶれないひとつのレイヤーがある、ということだと思うんです。それがすごく羨ましくて。
芋生 : うん、確かにそうかも。
村上 : 翔太は、所属していた劇団の仕事の関係で、生まれ育った故郷の和歌山に戻ることになりますけど、まだ東京で何も成功していないのに、中途半端に地元に戻ることも、兄貴に会うのも、すごく嫌だったはずなんです。
よく僕も、上京して頑張っている友だちに、ふざけて「お前、いつ地元に帰るんだよ」とかいじったりするんですけど、本当は羨ましいんです、そういう軸になるような場所があることが。
― 「故郷」といえる場所はなかったとしても、「人」でそういう存在の方はいますか?
村上 : います、います。今の自分では、まだあの人には会えないなとか、10年後だったら会えるかなとか。人生の基準になるような存在の人はいますね。だけど、故郷みたいな場所とはまた違う気がします。
芋生 : 私は、地元の熊本が、人も優しいしご飯も美味しくて好きだったけど、早く外の世界に出ていきたかったなぁ。実際に上京してみると、東京はいい意味で人との間に距離感があって、みんな他人にも干渉しないから、すごく居心地が良かった。自分が自分でいられる気がして。
でも、ふとした時に思い出す地元の景色を、懐かしく支えに思うこともあって。地元とか故郷って、自分が変わっていく中でも、変わらずにずっとそこにあるという強さがあるのかもしれませんね。
自分の中にある「特別」と「普通」を抱きしめて
― 今作の翔太とタカラのように、お二人も自分のことが嫌になったり、誰かと比べてしまったり、ということはありましたか?
芋生 : 結構…あります。昔は、人と違う自分のことがずっと嫌で。「周りから、おかしな子だと思われているんだろうな」とだんだん気づき始めて、居心地が悪くて、どうにか周りから浮かないように生きてきた感じがあります。
― その頃から一転して、役者という今のお仕事の中では、人と違うことや個性を求められることも多いのではないでしょうか?
芋生 : 確かに、お芝居の中では人と違うことが求められるし、役を通して、普通じゃない人生を生きることもあります。でもだからこそ、自分の中にある「普通」を大事にしたいと思っていて。ちゃんと自分で料理をしたり、生活の営みを大切にしたり、人間として必要なことを学びたいし、あえて人と違うことはしなくていいかなって。
村上 : 僕も、「普通に憧れる」というのは、なんとなくわかる気がします。
― 村上さんにとっての普通とは、どういうことですか?
村上 : 僕の場合は、両親が既に芸能活動をしていたので、「親は映画が好きだけど、映画業界とは全く関係ない」みたいな距離からこの仕事を始める人が、時々すごく羨ましくなります。もちろん、僕の周りには三世代に渡ってこの仕事をしている人もいるし、歌舞伎界の知り合いの方は、もっと世代が続いていて、むしろ受け継いでいく世界なので、僕とはまた違う難しさがある。だから、人と比べても仕方ないんですけど。
― 最初から個性を背負っている、という厳しさはあるかもしれませんね。
村上 : 実際の自分自身と、周りが僕に対して持っているイメージに、ギャップを感じることが多いんです。例えば、映画関係者が集まる飲み会で初めてご一緒した方に、「え、そんなにちゃんとしてるの!?」って驚かれたりとか。全然僕ちゃんとしてないんですけど、もともと抱いていたイメージが、相当個性的でやばい奴なんだろうなって(笑)。もしかしたら、芋生さんも僕に対してあったかもしれないけど。
― ありましたか?
芋生 : ありました(笑)。私の中で村上さんは、あまりにも純粋過ぎて、生きづらさを感じている方なんじゃないか…という想像を勝手にしていて。
村上 : はい…。
芋生 : でも、実際にお会いしたら、もっとこう賢いというか、今まで出会った芸能人の方の中で一番ちゃんとしてる方だなって思いました。
― 周りから浮いているような、話しかけづらい人ではなかったんですね(笑)。
村上 : そうやってよく言われるんです(笑)。ありがたいことなんですけど、でもそう考えると、普通じゃなくて、やっぱりもうちょっとバカでありたいとも思います。
― では最後に、お二人にとっての「心の一本の映画」を教えて下さい。悩んだり葛藤していた時期に観て、勇気づけられたり、うまく自分に向き合うことができたような作品はありますか?
芋生 : 私は、ウォン・カーウァイ監督の『ブエノスアイレス』(1997)がすごく好きです。仕事が全くなくて落ち込んでいた時期に、毎日映画ばかり観ていたんですけど、その時に観て勇気づけられました。私が映画を好きになるきっかけとなった作品で、今も観る度に、「映画ってやっぱりいいな」って惚れ直します。
― 映画の存在そのものに、惚れ直すということですか?
芋生 : そうです。主人公二人が、お互いに感情を剥き出しでぶつかり合っていくんですけど、それが私にはとても美しく感じるんです。人間のそういう汚い部分も醜さも、映画はこんなに美しく見せてくれるんだって、映画という存在そのものがもっと好きになる作品ですね。
― 役者という、ご自身の仕事の原点にも立ち戻れるような。
芋生 : それと同時に、自分のことを肯定してもらえたような気持ちになるんです。人はこんなにだめなところも醜さも出していいんだよ、と言ってもらえたみたいで、そういうところがすごく好きです。
村上 : 僕は、学校でも家庭でも、ほとんど映画とかテレビが禁止という環境だったなぁ。その中で唯一許されていたのは、宮崎駿監督と黒澤明監督と、ジャッキー・チェンだけで。
芋生 : ジャッキー・チェンはそこに入ってくるんだね(笑)。
村上 : そうそう。親の影響で、フィッシュマンズとかクラムボンとかハナレグミの音楽には子どもの時から触れていたけど、テレビドラマとか、音楽以外の芸能界を全然知らない、という環境で育ってきていて。
高校の時にカナダに留学したんですけど、現地の人たちとコミュニケーションを取ろうというバイタリティが全然湧かない時期があって、部屋で日本の映画をめちゃくちゃ観ていたんです。それが、自分から初めて日本の映画や芸能へ意識的に触れた機会ですよね。その中で、「これは何か他の作品とは違うぞ」と感じたのが、『キツツキと雨』(2012)と『ヒミズ』(2011)で。
― 沖田修一監督の『キツツキと雨』と園子温監督の『ヒミズ』が自分の中で引っかかった。
村上 : 『キツツキと雨』は、役所広司さんと小栗旬さんという、日本の芸能界のど真ん中を通ってきたかっこいい人たちが、木こり役と優柔不断な新人映画監督役を演じていて。「この映画は何か様子が違うぞ!」と、引き込まれたんです。
『ヒミズ』は、親父(村上淳)が出演しているので送られてきたんですけど(笑)。当時高校生だった僕は、すごくいい意味で「キモっ!!」と思ったんです。染谷将太さんの演技にも圧倒されて、とにかく強烈な印象でした。
― 綺麗事だけでは済まされない人間の姿が映っていたんですね。どんなところが強烈でしたか?
村上 : 二階堂ふみさんが、「なんだってわかる、自分のこと以外なら」という、フランソワ・ヴィヨン(15世紀のフランスの詩人)の詩集を読むシーンがあるんです。普通ってなんだろうとか、自分ってなんだろうということを描いた映画で、そういう意味では今作の『ソワレ』にも少し通じるんですけど。高校生という自分の年齢もあって、そのことがすごく身近に感じられたんです。
― 自分自身と向き合うきっかけになった、そんな映画なんですね。
村上 : 当時は芸能界も全く目指していなかったし、役者という仕事も、僕にとってはすごく遠い存在でした。でも、『ヒミズ』を観た時に、映画というものが妙にリアルに感じられたし、ぐっと自分に近いものに感じられました。そういう意味で、僕にとって大きな存在ですね。