目次
これまでの“自分”を捨てる覚悟の先に、
何が見えたのか?
― 「イヤなことは一切やらない。やりたいことだけをやる」と、石井監督が決意し取り組んだ本作。キャスティングも「一緒に戦える人、無茶な戦いを面白がってくれる豊かな心を持っている人だけにお願いした」ということでしたが、その想いを託された仲野さん、大島さん、若葉さんは、どんな心持ちでこの想いを受け止められたのでしょうか。
仲野 : 座っている順番でいいんじゃない?
若葉 : え、俺から?(笑)
― (笑)。はい、では、若葉さんからお願いします。
若葉 : これは…挑戦状だなと思いました。なんかあれですね、学生時代に、怖い先輩から呼び出された時のような感じです(笑)。
仲野 : そういう感覚だったんだ!
― 挑戦状というのは、何か挑まれているような…?
若葉 : なんだろうな…その時点から緊張感があったというか…。
― 「これは断れない、やらねば!」というような?
大島 : そうですよね、怖い先輩だったら(笑)。
若葉 : 呼び出されたからには、もう行くしかないな、という。僕は大衆演劇出身で、幼少期から演技というものに関わってきたんですが、その役者人生というか、自分が積み上げてきたものを盾にはできないなと。むしろ、それをどこまで壊していけるのか、そこを問われている。そういう挑戦だと思いました。
― 若葉さんが演じた武田は、仲野さん演じる主人公・厚久の苦悩に寄り添い、親友の胸の内にある感情を引き出そうと努める役柄ですが、プライベートでも若葉さんと仲野さんは10年来の友人と伺いました。石井監督は、その点も含めて「あらゆる面で若葉君がこの映画の屋台骨を支えている」とおっしゃっています。そして、お二人だけでなく、仲野さんと石井監督も実は長いお付き合いなんですよね?
仲野 : 僕は、初めて石井監督と10代の頃に出会ってから、人としても俳優としてもすごくお世話になってきたんです。
― どれだけ年下でも決して呼び捨てで人を呼ばない石井監督が、この世で唯一呼び捨てにしているのが仲野さんだそうですね。かつてはご近所に住んでいたこともあったとか。
仲野 : そう、だから最初にお話をいただいたとき、武者震いのようなものを感じました。知っているからこそ、この脚本には石井監督の想いが強く詰まっていることが、より理解できたので。…本人を目の前にして言うのも恥ずかしいんですけど、石井組の主人公というのが、目標のひとつでもあったんです。
― 石井監督の「渾身の一作の主人公」です。仲野さんとしては、ついに来た、と。
仲野 : そうですね、なんかこう…ものすごく感慨深い気持ちになりました。ちょうど仕事でも名前を変えた(2019年6月に芸名を「太賀」から「仲野太賀」へと改名)節目のタイミングだったので、今作に出ることが、自分の俳優としての人生を何か決定づける瞬間になるんじゃないかという予感がすごくありました。
― 仲野さんが演じた厚久という役は、複雑な関係性の中心にいて、感情を飲み込み耐え忍びつづけるという、大変難しい役どころでもありました。今作のこの役を演じることが、俳優としての人生の「何かを決定づける」と。
仲野 : これまで自分が、俳優として「望んでいたもの」や「求めていたもの」が、つかみとれるのか、つかみとれないのか、それを決定づける作品になる…これでダメだったらもうダメだろうと。そのぐらいの覚悟がありました。
大島 : 私も、太賀さんと同じで、こんなに想いが詰まった作品に声をかけていただいたことが本当に嬉しかったです。それで、すぐに事務所へ「いいですか?」と確認しました。私の役柄が、世間のみなさんが私に抱いている印象とはかけ離れていると思ったんです。でも、だからこそ挑戦してみたかった。
― 大島さんが演じた奈津美は、登場人物三人の中でも、自分の人生をどう進めるのか、最初に覚悟を決めた、物語の起点にもなる役柄でした。その分、序盤からむき出しの人間性をあらわにしないといけない役でもありましたね。
大島 : これまでの自分を全部脱ぎ捨てて、本気でぶつかれるいい機会をいただけたと思いました。…で、いざ現場に入ってみたら、男子部活に入ったような気分で(笑)。
仲野 : すみません(笑)。
大島 : いや、でも私も、もともとはアイドルグループに所属していましたけど、あれこそ男子の部活みたいなものなんです(笑)。表面上は華やかに見えても、実際はすごく泥臭くて、土まみれで、みんな塩水飲んでゲホゲホしながら必死にもがいている。そういう場所だったから、今回の現場と実は近いものがあって、心地よかったんです。全く新しい場所にきたというよりは、馴染みのある空気というか。
― 大島さんの本質と馴染んだと。
大島 : そうですね。私の本質とか気性って、そうだよな、男子部みたいなものだよな、というのは改めて感じました。
石井 : 今回、大島さんは最初の衣裳合わせ(衣裳や小道具を合わせる日程)の日から、もう覚悟が決まっているように見えました。これ、言っていいのかわからないんですけど、すっぴんで来たよね。
大島 : えっ、普通そうじゃないんですか!?
石井 : 結構違うよ(笑)。
大島 : えっ! そうなんですか!?(笑)
石井 : しかも、大島さんにとって、わりとマイナスになるようなある情報を、あっけらかんとした口調で「私こうなんですけど、よろしくお願いします」みたいな感じで言ってきて。
大島 : そんな言い方でした?(笑)
仲野 : 誰よりも男気あるなー。
石井 : 「命がけでやります」「人生かけてやります」とか言う人はたくさんいるけど、それは言葉にして安心しているだけで、僕はそういう人を一切信用しないようにしてるんです。でも大島さんは、自分は捨て身でだ、という気迫を態度で示してきたというか。覚悟を纏ってきたんです。
― 覚悟を纏っていた。
石井 : そう。それは太賀と若葉くんも同じで、三人とも、その纏っていた覚悟は、最後まで貫徹していましたね。
― 今作は、これまで『舟を編む』(2013)『映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ』(2017)『町田くんの世界』(2019)と映画の新たな可能性を切り拓いてきた石井監督の“再デビュー作”とも呼ばれています。「映画づくりの原点回帰を目指す」というプロジェクト(※)としてスタートしましたが、予算は少なかったそうですね。また、脚本・監督だけでなくプロデューサーも兼任されています。なぜ、そのような条件の中で映画をつくろうと決められたのでしょう?
(※上海国際映画祭で2019年6月に企画されたプロジェクト。「原点回帰、至上の愛」をテーマに、台湾の名匠ツァイ・ミンリャン監督や、香港のフィリップ・ユン監督など、アジアの名だたる監督6名が、共通のテーマで映画製作を行い、日本からは石井監督が参加。)
石井 : 僕は当時36歳だったんですが、30代半ばになってくると、自分の進んでいく道が何となく見えてくるというか、安定してくるんですよね。「でも、それでいいのか?」と思っている自分が絶えずかたわらにいて。それはきっと、映画監督だけじゃなく、どの職業でも訪れるタイミングなんだと思います。特に今は、配信などの隆盛で映画の価値が問われている。映像業界だけでなく、社会全体が変化していく中で、ふと「今自分が携わっている映画の本当の面白さってどこにあるんだろう」と、一度原点に立ち返ってみたくなりました。「映画の本質をつかみたい」という、自分の奥に眠っていた想いが浮上してきたというか。
― 「映画の本当の面白さ」をまっすぐに追求したくなった。
石井 : 自分のくだらないプライドとか、社会的な常識とかルールとか、そういうのを全部捨てた映画づくり。それを、今試してみたいと思いました。全部捨てたら、最後に何が残るのか。…この三人だったから、それにトライできたということもあると思います。
― 仲野さん、大島さん、若葉さんの三人と「映画の本当の面白さ」に迫った先にあるものが、「自分の信じているもの」だという確信が、石井監督にはあったんですね。
石井 : …ちょっと。ちょっとは(笑)。
仲野 : ちょっと、ね(笑)。
映画の本当の面白さを追い求めるため
自分たちの限界値を、あえてバラしに行く
― 「映画の本当の面白さ」にたどり着くため、石井監督は「一緒に戦える」と信じられる三人とその旅に出られたわけですが、仲野さんが撮影期間を振り返って「胸が張り裂けるような日々だった」とおっしゃるように、その旅路はとても険しかったようですね。
仲野 : 「どうなってしまうんだろう」という怖さが常にありました。特にラストのシーン。他のシーンでは、ある程度自分の中でもシミュレーションしながら予想して演じることができていたんです。でも、最後の部分は、頭で考えていても明確な正解が見えなかった。とにかく現場に行って、お互いに向き合ってみないと何もわからない。言葉にもしたくないという想いがあって。
若葉 : 撮影しながら、その瞬間その瞬間が、あまりにも必死だったからね。とにかく太賀の芝居を見て、それを全身で受け止める、ということに徹してました。いろいろ頭で考えて、プロテクターを纏って現場に行っても、そんなのどうせバレるな、と思っていたので。もう常に自分をさらけ出さざるを得ない状況でした。
大島 : そういう、お互いさらけ出している二人の姿や、監督と何度も話し合っている姿を間近で見ることができたので、「あ、ここまで出していいんだ」と、自分も自分の思いを吐き出すことができました。石井監督と太賀さん、若葉さんの信頼関係が体感できたので、私も信頼することができたんです。だから、あそこまで奈津美としての感情を出し切ることができたのかなと思います。
石井 : この映画は、三人のラストシーンがどうなるのか、それがすべてだったんです。これまで話の中で「さらけ出す」とか「覚悟」「信念」「本気」という言葉で表してきた、自分たちの「信じているもの」すべてが太陽の下にさらされて、バレてしまう。自分たちの限界値がバレる。
― 怖さ、もありますよね。
石井 : そう。やっぱりめちゃくちゃ怖かったです。だって、これが今の自分たちの限界なんだ、と完全にバレるので。
仲野 : うん…。
石井 : でも、そこに向かうまでの旅をみんなでしている感覚があって、それはすごく面白かったです。それで、そのラストは、自分でも引いちゃうくらいのものが出てきたから、なんというか…俳優の人ってすごいな、と思いました(笑)。
大島 : なんですか、それ(笑)。
仲野 : 最後、急に素人の感想みたいでしたけど!
― (笑)。大島さんのラストシーンについて、石井監督は「カットをかけるのがあと10秒遅れていたら、大島さんは発狂したまま死んでいたのではないか」とさえ思ったとおっしゃっていました。誰よりも早く覚悟を決めながらも、実はずっと過酷な現実に押しつぶされそうになっていた奈津美の感情が剥き出しになった場面ですね。
大島 : 台本に「叫ぶ」と書いてあったんですけど、私、監督に「実際には叫ばないかもしれません」と言っていたんですよね。もっと声にならない感情になるのかな、と思っていて。でも、いざ始まってみたら、悔しさとか大切なものを失う恐怖とか、奈津美としてのいろんな想いが一気にこみ上げてきて、気づいたら叫んでいました。カットの声がかかった後、共演していた北村(有起哉)さんに、“ごめんね、ごめんね”と何度も謝られて。
石井 : うん、すごかった…。
大島 : 監督にも謝られましたよね。その時に初めて、自分が叫んだことに気づいたんです。「あ、私出せたんだ」って。すごく嬉しいことだったので、自分でもその時のことはよく覚えています。
― 仲野さんと若葉さんは、お二人でのラストシーンでした。若葉さんは、そのシーンを撮り終えた後、「こんなシーンを(脚本に)書いちゃだめだ」と思わずつぶやいたそうですね。
石井 : そうそう。本来、若葉くんは、僕という怖い先輩に呼び出されているわけだし、僕の方が年上だし監督だし、そんなことを決して俺の前では言ってはいけないんですよ(笑)。
若葉 : (笑)。
仲野 : ふふふ…。
石井 : でも、鼻水出しながら、涙を拭きながら、そうつぶやいた若葉くんを見て、あぁこの人は出し切ったんだ、と思ったんです。と同時に、これ以上にないものが撮れたんだなと、納得できました。…わざと言ったのかどうか、それは本人に聞いてないけど…。
若葉 : ずっと思っては、いましたね(笑)。なんでこんなシーン書くんだよって。
石井 : ははは!
仲野 : 僕もその時のことは覚えてます。もう、みんな放心状態になってて。「もう、だめだよ!」とか言って。
大島 : そうなんだ(笑)。
仲野 : 僕と若葉くんは、ラストシーンの撮影前はあまりにも緊張していて。本当は俳優部としてはそんなことしたくないんですけど、この日のいつ頃撮影する、と監督と約束したんです。
若葉 : (笑)。
石井 : 本当は午後撮影の約束だったところを、午前中の段階で僕は「今いけるな」と確信した瞬間があったんです。それで、急遽変更して太賀と若葉くんに「このまま撮ろう」と提案しました。あの時の二人はすごい顔してたね(笑)。
大島 : へー、そうだったんですか。
仲野 : ちゃんっと約束したんですよ! それなのに、バーン! とちゃぶ台をひっくり返されて(笑)。
石井 : 若葉くんが車を運転して、助手席に太賀、後部座席に僕と撮影スタッフが乗った状態で、東京からロケ地まで行ったんです。だからその日はずっと同じ空気、緊張感を二人と共有していた。で、足利のロケ地に着いて、車の後部座席から会話する二人を撮る、というシーンだったんですけど、一台の車に乗ってみんなでグルグル回っているうちに、この二人の思いが痛いほど分かってきた感覚になって、僕自身が高揚してきたんです。
― 高揚…というのは、車内という狭い空間の中で、全員の熱量や気迫がひとつに高まっていくような?
石井 : なんだろうなー…。厚久と武田という役における関係とか、そうじゃない普段の、10年来の友人であるという太賀と若葉くんの関係とか、僕との関係とか。そういう映画と実人生の時間を、全部まるごと背負ったまま車がゆっくり動いているような…。撮影中にああいう感覚になるのは不思議でした。同じ車の中にいたから、そうなったんだろうね。
若葉 : 異様な空気でしたよね、車の中が。
大島 : すごい…。
仲野 : 僕も、急に撮ろうと言われてびっくりしたけど、でもやらない理由はないというか。僕たちも、かなりブレーキがぶっ壊れるんじゃないかっていうくらい、ずっとアクセルがかかりっぱなしの状態だったので「早く離させてくれ」という感じもありました。
― だから、撮り終わった後、「こんなシーン書いちゃダメだ」という言葉が思わず出てしまうぐらい、これまでの緊張感が一気に解けたんですね。
仲野 : このシーンを撮るまでに、それぞれの役がどのくらいの想いを積み上げていって、かけてきたということもわかっていたし、監督もキャストも全スタッフも含めて。だからこそ、そのシーンが終わってからの解放感はすごかったです。
石井 : そういうものを見ちゃうと、理屈じゃないなと思いますね。でも、申し訳ないという気持ちは一切なかったです!
一同 : (笑)
― 「一緒に戦える人、無茶な戦いを面白がってくれる豊かな心を持っている人」と、映画の本当の面白さを追い求めた先に、石井監督は何が見えましたか?
石井 : 脚本を書く前からだいたい自分の中で予想はありましたし、どうにかしてそこにたどりつきたいと思っていたんです。けれど、実際できあがった大島さん、太賀と若葉くんのそれぞれのラストシーンの気迫と熱量を見て、「“その瞬間、必死で生きていたんだ”という人間の姿、その魂の動き、それを撮ることこそが、映画の本質なんだ」と、完全に気づかされました。言ってしまえば、この映画は、その要素以外にないと思っています。この三人の気迫、それで映画が成立しているんです。
自分の原点に立ち戻ることができる
大切な映画
― では最後に、みなさんにとって、自分の中にある信念や情熱を思い出すような、原点に立ち戻ることができる映画を教えてください。
仲野 : なんだろう…。
若葉 : 僕は、好きな映画について聞かれる時はいつも答えるんですけど、『アイデン&ティティ』(2003)ですね。
― 田口トモロヲさんの初監督作品ですね。若葉さんは、『愛がなんだ』(2019)や『街の上で』(2021年春公開予定)で以前インタビューさせていただいた時も、大切な映画としてこの作品を挙げてくださいましたね。
若葉 : 本当に好きな映画で。一度観たら「楽しかった!」で終わる映画も多い中で、この映画は、時間が経つとまた思い出すし、何回も観たくなるんです。観るたびに印象が違うし、余白があるというか、想像力を掻き立ててくれる。
若葉 : 僕も、そういう人が何回も観たいと思うような映画に参加していきたいとずっと思ってます。…うん、参加していきたいです。
仲野 : 2回言った(笑)。
大島 : 大事なことは2回言わないとね。
仲野 : 僕は、中学生の時に観た『リアリズムの宿』(2003)です。それまで、メジャーな大作映画しか観ていなかった僕が、初めて日本のインディペンデント映画に触れた作品で。自分の原点という意味でも、すごく衝撃でした。
― つげ義春さんの同名漫画を映画化したロードムービーで、山下敦弘監督の映画ですね。偶然にも、若葉さんが選んでくださった『アイデン&ティティ』が公開されたのと同じ年に制作された作品です。どのような衝撃でしたか?
仲野 : わかりやすさや華やかさではない、映画作家のこだわりとか、画面から匂い立つようなものを初めて感じたんです。今若葉くんが言ったように、想像力を掻き立てられるし、映画ってこんなに自由でいいんだ、と視点が広がった作品ですね。その衝撃が、今の自分にも多分つながっていると思います。
大島 : 私は、最初に映画を観た記憶として残っているのが、小学生の時に親がリビングのテレビで観ていた、チャップリンなんです。どの作品だったかまでは覚えていないんですけど、隣で一緒に観てました。
― 最初の映画体験が、無声映画だったのですね。
大島 : でも、台詞がないというのが、すごく心地良い記憶としてあるんです。言葉って邪魔な時が多いじゃないですか。気持ちを相手に伝えるためには必要なんだけど、でも、一文字変わったり、ちょっとしたニュアンスの違いだけで、受け取り側の印象も変わって誤解を生んでしまったり。
だから、チャップリンの無声映画のような、言葉のない世界に憧れがあります。人間同士でも言葉を使わずに会話ができたらいいのに、っていつも思います! 表情とか仕草とか、そういう些細なところから気持ちが交わせたらいいのにって。
石井 : 実は…僕の選んだ映画も、大島さんと同じなんです。
仲野・若葉 : ええー!
大島 : いつ思い浮かべましたか?(笑)
石井 : 本当に、この質問されたとき、最初に思い浮かんだよ。だから、僕からは何も言うことないです(笑)。
大島 : いえいえ、教えて下さい!
石井 : 僕は、チャップリンの中でも特に『街の灯』(1931)という作品が好きで。理由は大島さんとは少し違うんですけど、中学生くらいのとき、家族が寝静まった深夜にコソコソとリビングに降りてきて、テレビで録画していた『街の灯』を観た記憶があります。自分で意志を持って観た、最初の映画体験ですね。
― その記憶は、どのように石井監督の中に残っていますか?
石井 : 中学生くらいの頃って、全部のことが気に入らないんですよ。家で起こることも、学校で起こることも、全てが納得いかなくて、自分が思っている理想と現実との間にギャップを感じる。それが思春期特有のものなのか、個人的な性質なのかわからないけど、そういう状況の中で、何かに救いを見出そうとしていて。それが、僕の場合は映画だったし、チャップリンの『街の灯』だった。人間や人生に対する愛のある眼差しを、人生で初めて発見したんだと思います。