そんな自分にとって特別な、そして誰かに語りたい映画体験記。
一本の映画には、様々な登場人物の、様々な感情が描かれています。それを観ることで、わたしたちも普段ではなかなか味わうことができない感情も体感することができるのです。
今年のステイホーム期間中に観て、「何が真実で何が嘘かが見えづらい時代だけど自分なりの指針を持って考えていかねば!」と、気持ちをすっきり新たにできた映画があります。
それは、『イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ』(2010)。自粛中に、観逃していた映画をネット配信で、ここぞとばかりに観漁ったうちの1作です。
そもそも気になっていたわけは、ずばり、かの有名なバンクシーが監督だから。グラフィティ(ストリートアート)で頭角を現し、今や芸術家として第一線で活躍、その作品は億単位で取引されるアート界のスーパースター。いつも世情をとびきり華麗に風刺してのける、時代の寵児によるドキュメンタリーというだけで、観る理由は充分です。
冒頭、仄暗い部屋でパーカーを着て、例のごとく顔がフードの奥へ完全に隠れて見えない状態で登場したバンクシー。本作のことを「どんな映画なの?」とインタビュアーに聞かれると、「僕の映画を作ろうとした男のドキュメンタリーだ/僕よりはるかにおもしろいから」「感動大作じゃないが/ひょっとしたら教訓になるかも…」とのこと。ここでちょっと拍子抜け。どうしてかというと、ろくに作品について調べていなかったので、勝手にバンクシー自身についてのドキュメンタリーだと思い込んでいたのでした。
では、その“おもしろい男”って誰なのか。それは、ティエリー・グエッタ。って、いや本当に誰!? 彼はどうやらLAに移住したフランス人で、古着店を営むよき家庭人。小太りでごく平凡な彼ですが、他人と違うところがあり、それはホームビデオに熱中しすぎるがあまり、カメラを一時も手放さないことらしいのです。
彼は数奇な運命により、フランスの有名グラフィティアーティストらの制作風景を撮るようになります。ついにはドーバー海峡を越え、当時から名の知れていたバンクシーと接点を持つことに成功。そして世界で初めて、彼の制作風景の撮影を許されるのです。その貴重な映像は本作でも観られます。
ティエリーすごいじゃん! グラフィティ界の、影の立役者じゃん!…などと呑気に感心していたら、終盤に思いがけない展開が。満を持して、ついに撮り貯めた映像で映画を作ったティエリーでしたが、 なんと悪夢のような駄作になっちゃってバンクシーは閉口。それで遠回しに映画制作をやめさせるため、代わりにアートを薦め、「小さな個展を開いては?」と伝えました。しかしそんなバンクシーが放った、その場しのぎの、なんの気なしの一言を、ティエリーは本気にしてしまい…!?
この映画は一言で言うと、才能のない素人が、その情熱と憎めない人柄だけで成り上がってしまった実話。ダークジョークっぽい演出は一見どこまでも低温な感じで、ちょっと虚無感さえ覚えるほどです。
でもその裏に、バンクシーの喜怒哀楽の感情や、煩悶が窺えるような気もします。グラフィティをやることの純粋な楽しさ、ティエリーという理解者を得た喜び、アーティストとしてはぽっと出のティエリーがバンクシーの名を使って成り上がっていくことへの戸惑いや哀愁、そして、ティエリーが「バンクシーの盟友」というだけで盛り上がってしまう世間への怒り…(「バンクシーが監督だから」と本作を観た自分としては、ちょっと耳が痛い)。
映画の公開年は10年前。だけどバンクシーの苦悩はめちゃくちゃ鋭かったというか、アートというジャンルを超えて、2020年の世界を予言していたようにも感じられます。というのは「この人は知名度があるから信頼できる」と思いがちな民衆心理を利用し、実力がともなってなくても「有名であることをお金に替える」ことが上手な人たちというのが一定数いて、彼らはインターネットも活用しながら、年々勢力を得ていると感じるからです。そういう人たちは、アート界だけでなく、ビジネス、政治などどんな世界にもはびこっているように思います。
グラフィティを巡って軽快に始まった、この波乱万丈な物語は、観方によってはスカッと爽快な「素人の下克上」ともとれそうです。でもわたしは鑑賞中、特にティエリーの付け焼き刃なアート作品がもてはやされるシーンなどは、いわば「真実の崩壊」を見ているようでモヤモヤしました。
それはお調子者のティエリーだけが悪いわけじゃなくて、ティエリーを持ち上げた人々の責任でもあり…大げさと思われるかもしれないけど、わたしたちが「有名であることをお金に替える」人たちを日々生み出しているのと、アートファンがアーティストとしてのティエリーを生み出したのは、地続きな気がしてなりません。人はときに意図せずして、その評判に実質が伴っていない怪物を生み出してしまう。
何を信じ、何を信じないべきか。それを自分なりに見極めて生きていきたいと思うし、そのためにはものごとの背景を一つひとつ調べる手間が必要だなとか、改めて「これから」を考えるきっかけになる作品でした。いやしかし…“お友だち”のケースだからといって綻びを見逃さない水戸黄門ばりのバンクシー兄さん、マジで頭が下がります。その英国らしい皮肉たっぷりの、鮮やかな印籠の振りかざし方はある意味清々しく、しまいにはモヤモヤもスカッとしちゃいました。
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