そんな自分にとって特別な、そして誰かに語りたい映画体験記。
仲間と楽しく飲んだ帰り道、もしくは仕事から帰って一息ついた自宅で、1日の締めくくりとして自分を温かく満たしてくれる“深夜のラーメン”。あの染み渡るような美味しさって、何ものにも代えがたいですよね…。そんな深夜のラーメンのように、夜中に一人、むしょうに観たくなる映画ってありませんか?
「私の人生、このままでいいの?」。
動き出さない毎日に焦り、自問自答していた日々がありました。
大学卒業後、親の反対を押し切り上京。MacとWindowsを外国の犬の名前だと思っているような、のどかな両親に育まれた退屈な人生。これを機にイメチェンしようとアンニュイな女を気取っていたら、職場でついたあだ名は「藤圭子」(本当のところは椎名林檎をイメージ)。自分のなりたい自分とは程遠い、ぱっとしない毎日(藤圭子も悪くはないけれど)。
漠然と進みたい道はあったけれど、日々の雑多なあれこれに忙殺され、次第にどこに向かっているのかもわからなくなってきた20代前半のある夜。ふと、駅前のレンタルショップで目に留まったある映画が、私の孤独な気持ちを温めてくれました。
『ナイト・オン・ザ・プラネット』(1991)は、『コーヒー&シガレッツ』(2003)のジム・ジャームッシュ監督によるアメリカ映画。ロサンゼルス、ニューヨーク、パリ、ローマ、ヘルシンキの5つの都市で繰り広げられる、タクシー運転手と乗客との一夜の出会いと別れを描いたオムニバス・ストーリーです。
第一話のロサンゼルス編で、若き日のウィノナ・ライダー演じるタクシードライバー、コーキーが乗せるのは、映画のキャスティングエージェントの女性、ヴィクトリア。新作映画のキャスティングに悩むヴィクトリアは、空港でたまたま拾ったタクシーで若く魅力的なコーキーに魅せられ、「ムービースターにならないか」とスカウトします。しかし、車の整備士になるという夢を持つコーキーはきっぱりと、それでいてじんわり染み込んでいくような口調で、その誘いを断るのです。「私には人生プランがあって、その通りに進んでいるの。…わかるでしょう?」。
ある日突然人生が変わるシンデレラ・ストーリーよりも、今自分が立っている足元と地続きの未来へ進むことの方が大切。そんなコーキーのひたむきさは、自分の望む未来があやふやになっていた私の胸に小さな棘のようにチクリと刺さりました。
物語は、哀愁溢れるトム・ウェイツの歌声が寄り添って別の街へ。ニューヨークでは、黒人の男・ヨーヨーと、東ドイツからやってきた片言の新米運転手・ヘルムートが一晩の友情を育み、パリでは、セクシーな盲目の女性とコートジボワールから来た運転手が、「見える」とは何かを考えさせるウイットに富んだ会話を繰り広げます。
ニューヨーク編での私のお気に入りは、タクシードライバーのヘルムートが乗客のヨーヨーと別れたあと、それまできらきらと輝いていたニューヨークの街並みの“本当の姿”に気付くシーン。しかし、そんな薄汚い喧騒すらも彼は、どこか楽しんでいるようなまなざしで見つめ、危なっかしい運転で夜の街を通り抜けていきます。
ひとつの出会いで起こる小さな“変化”が、自分の中の“変わらないもの”を浮かび上がらせる。ヘルムートの心情が伝わってくるような、ピュアな表情が印象に残りました。
私はこの作品を通して、「どんなに代わり映えのしない今日も、明日との間を旅して誰かと出会い、心の内をほんの少しだけ動かす、小さなロードムービーなのだ」ということを教わりました。登場人物たちは、深夜のタクシーで出会い、別れてそれぞれの日常へ戻っていく(実を言うと、“戻れない人”もいるのですが)。おそらく彼らは、明日も仕事に行ったり、家族と喧嘩したり、タクシーを運転し続けるでしょう。そんな彼らの姿はあの日、私を焦らせていた「動き出さない夜」をそっと肯定し、遠い未来ではなく、その夜と地続きの「明日」に視線を向けさせてくれました。
この映画に出会った20代の夜から10年余り。あの頃『コンスタンティン』(2005)のキアヌ・リーブス演じる主人公のような「影のある悪魔払いをする男」に憧れていた私は、紆余曲折を経てすこぶる「精神の安定したエクソシストではない男性」と結ばれ、おむつを履いた悪魔との出会いで、瀕死のワーママにキャリアチェンジ。かつて憧れたパリの『アメリ』(2001)風アパルトマンではなく、都内2Kでアンパンマンに埋もれ、慌ただしくも充実した毎日を過ごしています。
それでも今も時々、「自分はこのままでいいのだろうか」という漠然とした焦りや不安に襲われる夜はあって…。そんなとき、私は仕事を放り出し、家族が寝静まったひとりきりのリビングで缶チューハイを開け、かつて動き出さない日々に焦っていた私をそっと肯定してくれた、コーキーやヘルムート、あの映画の中の登場人物たちに会いに行きます。
自分が見えなくて心もとなかったあの夜が今につながっていたように、こんな他愛ない夜の繰り返しがまた新たな場所にたどり着く。そう思うたび、なにも動き出さないこの夜を、もう一度、温かな気持ちで迎えることができるのです。
- 介護の中、夢を捨てずにいられたのは、あいつの「ただいま」が希望に向かわせてくれたから。映画『大脱走』
- 眠れない夜に私を救ってくれたのは、70年前の名作ミュージカル映画だった 『雨に唄えば』
- ままならない家族への感情……それでも確かに愛してる。『シング・ストリート 未来へのうた』で描く私の夢
- 嘘の中の紛れもない「リアル」。 いつまでも彼の踊る姿を観たいと思った 『リトル・ダンサー』
- 「どんな自分も愛してあげよう」 肩の力を抜くことができた『HOMESTAY(ホームステイ)』
- 映画って、こんなに自由でいいんだ。そんなことを気づかせてくれた『はなればなれに』
- 日々の選択を、愛ある方へ。自分を大切にするための映画『パパが遺した物語』
- 大丈夫。あなたが私を忘れても、私があなたを思い出すから 『43年後のアイ・ラブ・ユー』
- どうしたら色気を醸し出せるのか!?核心を隠すことで見えてくる、エロティックな世界『江戸川乱歩の陰獣』
- 幸せになるには、まず「幸せに気づく」こと。こんな2020年を希望にかえて締めくくる『食堂かたつむり』
- 仕事も休めばいい、恋もなんとだってなる。人生の舵は、自分が握っているのだ『嗤う分身』
- 号泣したワンシーンが、思いを届けるきっかけになる『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』
- 「私の人生、まんざらでもないのかも」見過ごしていた“当たり前”に魔法がかかる『顔たち、ところどころ』
- 東京という大きな「生き物」が、 人生の岐路に立つ人を静かにつつんでくれる『珈琲時光』
- 狂気を殺さない!愛してみる。生きていく『逆噴射家族』
- 動き出さない夜を積み重ねて、たどり着く場所がきっとある『ナイト・オン・ザ・プラネット』
- 時代の寵児バンクシーの喜怒哀楽や煩悶を追体験!?観賞後スカッとするかしないかは自分次第… 『イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ』
- 「帰省」を疑似体験。離れて暮らす父親の素っ気なくも確かな愛情『息子』
- 90分でパリの100年を駆け抜ける!物足りない“現在”を笑って肯定しよう!!『ミッドナイト・イン・パリ』
- 映画の物語よりも、そこに流れる「時間」に没入する 『ビフォア・サンセット』
- 慣れない「新しい生活」のなかでも、人生に思いきり「イエス!」と言おう!『イエスマン “YES”は人生のパスワード』
- 夢や希望、生きる意味を見失った時、再び立ち上がる力をくれた映画『ライムライト』
- 人の目ばかり気にする日々にさようなら。ありのままの自分が歩む、第二の人生。 『キッズ・リターン』
- 人に嫌われるのが怖くて、自分を隠してしまうことがあるけれど。素直になりたい『トランスアメリカ』
- 成功は、競争に勝つことではない。 「今を楽しむ」ことを、教えてくれた映画『きっと、うまくいく』
- それぞれの場所で頑張る人たちへ 「声をあげよう」と伝えたい。その声が、社会を変える力につながるから『わたしは、ダニエル・ブレイク』
- 僕が笑うのは、君を守るため。 笑顔はお守りになることを知った映画『君を忘れない』
- 心に留めておきたい、母との時間 『それでも恋するバルセロナ』
- 「今振り返っても、社会人生活で一番辛い日々でした」あのときの僕に“楽園”の見つけ方を教えてくれた映画『ザ・ビーチ』
- “今すぐ”でなくていい。 “いつか”「ここじゃないどこか」へ行くときのために。 『ゴーストワールド』
- 極上のお酒を求めて街歩き。まだ知らなかった魅惑の世界へ導いてくれた『夜は短し歩けよ乙女』
- マイナスの感情を含む挑戦のその先には、良い事が待っている。『舟を編む』
- 不安になるたび、傷つくたび 逃げ込んだ映画の中のパリ。 『猫が行方不明』
- いつもすぐにはうまくいかない。 自信がないときに寄り添ってくれる“甘酸っぱい母の味”『リトル・フォレスト冬・春』
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