小さな頃からずっと好きなものがいくつかある。ミスタードーナツ、セサミストリート、怪獣、ゴーストバスターズ、ドンキーコング、スピッツ、サイゼリヤのお肉の上にのっている野菜の刻んだやつ、チェリー味のもの全部。そして、『タンタンの冒険旅行』シリーズ。大きなハードカバーのこの本は、大人になった僕の部屋にも昔と変わらず飾れられている。「あんなに好きだったのに」と、たまに言われる電車や“働くクルマ”のことは、今ではすっかり忘れて思い出せない。
大きなハードカバーのこの本は、海と山に挟まれた図書館とビデオショップしかないような小さな町にある実家の僕の部屋から、京都のちょっとした山の上の静かな寂しい一人暮らしの部屋へ、そしてそこから町の方に下った小さな小さな部屋を経て、今は風通しが良い川のそばのこの部屋へと、仲間を増やしながらやってきた。本棚は途中で3回新しくなったけれど、今の真っ白な棚が一番似合っているように思う。
いつ、どんなふうに出会って、どうしてそれを好きになったのかは思い出せない。物心がついてしばらくした頃には、町の図書館の床がカーペットの児童書コーナーや、家のソファーの上で、僕はタンタンの本のカラフルなページをめくっていた。それはいつの間にか当たり前のように「ぼくが好きなもの」になっていた。
今はどうかわからないけれど、僕たちが子供だった頃、『タンタンの冒険』は唯一「学校の図書室で読める楽しい漫画」だった。他にも漫画は、伝記や『はだしのゲン』のような戦争を扱ったものがいくつかあったけれど、それは僕にとってどうしたってワクワクしながら読むものではなかった。とくに戦争を扱った漫画は、子供にはショッキングなシーンもたくさんあって(それは僕たちが戦争というものを理解するうえでとても大事なものだったと今になって思う)、なんだか読むのがためらわれるような、怖いものみたさで読むようなものだった。僕は図書室のなかでも、『ミッケ!』や『ウォーリーをさがせ!』があるような「がいこくのえほん」のコーナーがカラフルで可愛くてかっこいい特別な場所のように思えて、とても好きだった。周りのみんながあんまりそのコーナーに寄りつかないこともあって、そこはなんだか自分だけの秘密基地のようだった。ポケモンや仮面ライダーとは違う、ぐっとくるなにかがそこにはあったのだ。
カールしたキュートな髪型の青年タンタンとその愛犬のスノーウィ。間抜けで勇敢なハドック船長と、もっと間抜けなデュポンとデュボンの刑事コンビ。彼らは世界中を旅して事件を解決したり、宝物を探したり、ときには月面にまで冒険にでかけていく。カラフルでどこを切り取っても可愛いページは、周りのみんなが絵本なんてとっくに読まなくなってしまってからも、僕の心の隅っこをくすぐり続けていた。それはもしかしたら、家で何度もビデオで繰り返し観ていた『バック・トゥ・ザ・フューチャー』や『ホーム・アローン』と同じような匂いを、僕がそこに感じていたからかもしれない。それらの映画と同じように、大人になった今でもタンタンの物語は僕の心を掴んではなさない。
映画『タンタンと私』は、そうやって全世界の子供たち、そして大人たちに愛され続ける『タンタンの冒険』シリーズの作者エルジェの生涯について、何年もの時を経て発見されたインタビューテープをもとに、たどっていくドキュメンタリーだ。テープに収められたインタビューは彼がそれまでの生涯を包み隠さずに話したものだったが、彼はできあがった記事を読んで、「あまりにつぶさになにもかもを話しすぎた」と思ったため、たくさんの修正を加え、大きく内容を変えてしまったという。この映画はその音声から浮かび上がる彼と、彼が『タンタンの冒険』に込めた想いを、ラフスケッチやイラスト、彼の数少ないテレビ出演時の映像なんかを差し込みながら紐解いていくもので、小さな頃からそばに置き続けたゆえにちゃんと考えたことがなかったようなエルジェの作家性やその成り立ちをたくさん知ることができた。
1907年にベルギーのブリュッセルで生まれたエルジェは、学生の頃からイラストを描きはじめる。兵役に就いたあと勤めた新聞社で漫画家としての才能を見いだされ、そこからタンタンの物語がはじまっている。そして時代は戦争への道を突き進んでいき、エルジェはそのなかで様々な葛藤や苦悩を味わう。それがタンタンの物語に色濃く反映されることとなるのだ。
そう、『タンタンの冒険』はシンプルに楽しい作品、でありながら第二次世界大戦やその後の冷戦といった戦争や人種差別、政治の問題を物語の真ん中に近い場所へ置いた作品でもあった。それは僕たちが避けたり、逆に面白おかしく眺めたりしていた図書室の戦争漫画と、表現や方法は違えど同じような声をもっているものだったということでもある。
そのカラフルなページのなかには彼がみてきた「時代」と「世界」が映っている。彼は世界のどんな国を舞台にするときも(それがたとえ月の上であっても)、どこまでもリアリティにこだわった。それは彼が初期の作品に間違った形でアメリカ・インディアン(ネイティブアメリカン)を描いてしまったことへの後悔や、戦時中に体験した様々な葛藤に対する彼自身の答えだったんだと思う。できる限りその土地へ実際に足を運び、大量の資料や写真を集め、忠実に風景を再現し、そのとき、世界で起こっていることをそのまま作品のなかに取り入れた。彼は世界の現実を無視できなかったし、それを映さずにはいられなかった。だからその分苦しんだし、傷つくこともたくさんあったそうだ。そしてそのエルジェ自身がかたくななまでに守り抜いたリアリティこそ、タンタンがずっと愛される作品になったひとつの理由なのではないかと僕は思う。
今年の冬。年が明けた1日の夕方、妙に寝心地が良い実家の自分の(だった)部屋のベッドでぼーっとスマホをいじっていると、あるひとつの投稿に手が止まった。そのつぶやきは、短く簡単なことばで「今月の20日をもって京都にあるタンタンショップが閉店してしまう」ということを伝えていた。それはなんだかずっと前から予感していたことのように妙にすんなりと僕の頭のなかに入ってきた。
東京でも大阪でもなく、僕が大学に進学するため新しい生活をはじめた京都の街に、大好きなタンタンのお店があるということは、僕にとって奇跡のようなことだった。ペンやノートといった文房具、ロケットのフィギュア、カレンダーに目覚まし時計と、少しずつ僕の部屋にタンタンのグッズが増えていった。2019年にはじめて韓国にライブをしにいったときに、会場のすぐ近くにタンタンショップを見つけた。店員さんと片言の英語で少し話し、日本のショップカードを見せるととてもよろこんでくれた。
僕たちはタンタンの新しい冒険をもう観ることはできないし、2011年にスピルバーグがタンタンの映画を作ったときと同じお祭りのような盛り上がりを味わえることは、この先もうないのかもしれない。でも、僕たちはきっといつまでも友達でいられるし、何度だって一緒に世界を旅することができる。そしてそんな友達に囲まれていることで、僕は大事なことを忘れないでいられる。だって、彼が描いた世界はいつだって僕たちが住むこの世界のことだから。そして、僕たちは大人になった今、タンタンのように勇気をもって、この世界を知らなければならない。
僕たちは世界を旅することができる。エルジェが作ったカラフルな漫画を手にするたびに。ソファーに腰をおろしたままで。
◯『月世界探険 (タンタンの冒険)』(福音館書店)
- moon shaped river life
- 『ゴーストワールド』にまつわる3篇
- won’t you be my neighbor? 『幸せへのまわり道』
- 自分のことも世界のことも嫌いになってしまう前に 『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』
- “君”のように遠くて近い友達 『ウォールフラワー』
- あの街のレコード店がなくなった日 『アザー・ミュージック』
- 君の手がきらめく 『コーダ あいのうた』
- Sorry We Missed You 『わたしは、ダニエル・ブレイク』『家族を想うとき』
- 変化し続ける煙をつかまえて 『スモーク』
- 僕や君が世界とつながるのは、いつか、今なのかもしれない。『チョコレートドーナツ』と『Herge』
- この世界は“カラフル”だ。緑のネイルと『ブックスマート』
- 僕だけの明るい場所 『最高に素晴らしいこと』
- 僕たちはいつだって世界を旅することができる。タンタンと僕と『タンタンと私』
- 川むかいにある部屋の窓から 君に手紙を投げるように