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つい先日、美容院で髪を切っていた時の事なんですが、ふと思いついて「髪の毛をファイナルファンタジーの人みたいな色に染めて下さい」とお願いしました。
40歳をとうに過ぎたおじさんが真顔で急に呟いた突飛な注文に対して、担当してくれている美容師さんはふふっと軽く笑ったあと
「櫻井さん、最近仕事の調子はどうですか?」
と見事に話をすり替えてきました、当然の反応だと思います、当然の反応なんですけど僕は一歩も引き下がらずに「ファイナルファンタジーの人、やっちゃいましょう」と話をぶり返すと、美容師さんは「…分かりました、だったらもう、怖がって誰も寄り付かなくなるぐらいファイナルファンタジーの人にしましょう」と意を決してくれたんですけど、そうなると途端に「あ、俺が思い描くファイナルファンタジーの人と、この人の中に居るファイナルファンタジーの人、違う人かも」と思って怖くなり、やめようかなと思った時にはもう遅く、結果、チンピラおじさんファンタジーの僕が誕生しました。
そんな、その3日後にはすっかり色が抜けてただのド金髪に成り果てた、つまりはファイナルファンタジー的要素と1万2千円が3日で泡と消えた僕が今回鑑賞した恋愛映画はこちら!
『道頓堀川』
1982年公開、深作欣二監督の映画であり、主演に真田広之、松坂慶子、脇を固めるのは佐藤浩一、山崎努、渡瀬恒彦、加賀まりこ、柄本明など名優揃いの映画ですが、僕ねえ、ぶっちゃけこの映画知らなかったんですよ。
僕は深作欣二監督の映画が好きでして、大体の映画は観たと思ってたんですけど不覚にもこの映画は存在自体も知らなくてですね、しかも俳優も豪華じゃないですか、なんで知らなかったんだろうと思いながら観たんですけど、観てるうちに、ははあ、これはなるほど、と附に落ちる思いがしました。
この映画、パッケージとしては確かに恋愛映画だと思うんですよ、ポスターを見ても裸で見合う真田広之と松坂慶子ですし、物語の始まりも「道頓堀川のほとりで真田広之が絵を描いているところに犬を散歩中の松坂慶子がやって来る→犬が真田広之の書いていた絵を破壊→松坂慶子は謝った後でひとしきり自らの素性を説明し→真田広之に対してレモンを渡して颯爽と去っていく」という、恋愛映画としては完璧の入り方をします。
「ははーん、これはきっと貧乏学生が高嶺の花に恋をして、きっと高嶺の花の女性も貧乏学生に恋をして、しかし二人を様々な困難が襲いかかり、二人の恋はつらいものになるのだろうな」というあらすじが透けて見える展開、そしてこの映画はまさにその通りに話が進むんですけど、そう聞くと皆さんはきっと
「ああ、よくあるやつね」
と思うのかもしれません、そんな平和ボケした皆さんの頬をつねってやりたい。
主人公二人の情報を整理しましょう、できるだけ簡単に説明します。
・やすおか邦彦(19)【真田広之】
美大生で絵の勉強をしているが母親が死んでしまい天涯孤独になってしまったので喫茶店で住み込みのバイトをしている心優しい童貞。
やりたいことが見つからず自らを中途半端な人間だと思っている。
・まち子(29)【松坂慶子】
昔から面倒を見てくれていた金持ちのおじいちゃんと結婚しておりそのおじいちゃんから割烹料理屋を任されてその店の女将をしている。
なんとなく生きているので自らを中途半端な人間だと思っている。
続けて、この映画における二人の物語をできるだけ詳しく説明します。
・いつの間にか仲良くなってなんとなくセックスして、ちゃんと説明すれば何の問題もない事で邦彦(真田広之)が勝手に落ち込んでまち子(松坂慶子)の元を去り、人知れずバイトをしているところに離婚したまち子がやってきて「一緒に住もう」と言い出すので邦彦が受諾して同棲が始まる。
その後、家ですき焼きを作って待っているまち子の元に帰ろうとした邦彦だったが、帰る途中の道端で包丁を振り回す知り合いに遭遇して不運にも……。
以上です、それ以上でもそれ以下でもない、これが全てです。
「ネタバレかよ」とか言わないで欲しい、この映画はそんな甘いもんじゃないんだ。
そんな、最後のオチなんて重要ではないのですよ! 他に見るべきものがいっぱいあって、ぶっちゃけ、観ているうちに「二人の恋愛なんてどうでもいいんだ!」と思えます。
そう、この映画、二人だけを抜き取ってみれば30分で終わるような物語です、しかし、だがしかし、そんな二人の周囲で巻き起こる二人とはあんまり関係ない出来事の数々! 二人がお互いを想う気持ちとは関係ないところで炸裂する人間模様! 二人がそれぞれ抱える過去とは全く関係ない時系列で語られる脇役たちの過去エピソード!
賭けビリヤードの世界で日本一になろうともがく佐藤浩市の口から放たれる
「俺には玉突き以外何も無いんや、これがなくなったら生きてる価値も無いんや」
という言葉に応援したい気持ちが芽生えるも、同じ口から溢れ出る「肩身の狭い人達」への悪態の嵐に「少しでも応援しようと思った俺が馬鹿だった」と酒量が増えてしまう俺! 名前順で前の方にあるから期待してたら少なかった渡瀬恒彦の出番!
真田広之がバイトしている喫茶店に閉店後やってきて、急に裸になりカウンターに上がって「ウギャヒャアアアア!」と叫びながら躍り狂うかつて同級生だった女の子の情緒! 真田広之が「これは危険だ!」と思わず抱きしめた際に女の子が呟く
「これが私の卒業式だから……いいよね?」
という謎の言い訳に対する真田広之の返答が
「この街にいるとみんなが優しすぎるから俺も街を出るよ」
であることの不可解! 説明も描写も足りない? 否! 映画を観ている俺が脳内で補足すれば良いだけの話だ! 頭を使え! ただなんとなく観ていれば良い映画じゃないんだ! 諦める前にふんどしを締めなおせ!
そんな俺を更に奈落の底に突き落とそうとする「青白い顔をしながら常に三味線を持って歩く、殺し屋の風情を持った雰囲気重視な男」柄本明の存在!
あなた職業はなんですか!? どうしていつも三味線を持っているの!? そもそもどういう人物像を想定しているんですか!? 柄本明が出てくる度にその類の疑問が湧くのは当然なんですが、これから映画を見る人の為にこれだけはアドバイスしたい!
この人なんもしない! するけど! するけど別にこの人じゃなくても良い事をします!
だからこの人についてこっちが勝手に掘り下げてはいけない! 雰囲気が凄いから色々と思いを巡らせてしまうけど、この人について考えるのはよせ!
そして何より真田広之がバイトする喫茶店のマスターで、なおかつ佐藤浩市の父親である「名優」山崎努の存在感!
「俺がお前らぐらいの歳には、黒澤明の映画『天国と地獄』で奇跡を起こしていたけどな」
と言わんばかりに真田広之と佐藤浩市を飲み込んでいる! もうちょっと手加減してあげて! 彼らはまだ駆け出しの俳優だ! そんな山崎努に隠された壮絶な過去! 恋する二人とは全く関係ない山崎努オリジナルの過去! 若き加賀まりこを冷たく諭す山崎努の「馬鹿なことを言うな」「いつでも頼ってこい」の行間にどれほどの思いを挟み込めば気が済むのか! それだけでもうこの男が生きてきた人生が透けて見えてくるようだ!
疲れ切った表情で賭けビリヤードの種銭欲しさに女房に売春をさせる山崎努! 売春させている女房がホテルから出て来るのを待つ山崎努の悲哀に満ちた表情! そんな山崎努にホテルから出てきた女房が泣きながら投げつけて舞い散る一万円札! 女房は走り去り山崎努は風に舞う札を拾う! 「あれ? 映画間違えたかな?」と思わせるほど山崎努の凄惨なエピソードが観客に襲いかかる! 後半は完全に山崎努の映画だ!
どうですか、僕はですね、皆さんがこの先、この映画を観るのか観ないのか分かりませんが、お願いだから観て欲しいという気持ちを最優先で書いています。
僕もこのコラムを書き始めてから幾つもの恋愛映画を観てきましたが、そのどれもに当てはまるのが「恋する二人を邪魔する存在」というものであり、それは恋愛映画にとって必要不可欠なものだと思うんです。
この映画における「恋する二人を邪魔する存在」は「二人以外の全登場人物」であり、厄介なことに、二人以外の登場人物はすべからく「二人が恋してることなんか気にもしていないし、私たちはただ生きているだけ」というところにあります。
登場人物全員が「中途半端」で「もがきながら」生きている。
おそらくはですよ、松坂慶子が最初のシーンで真田広之に言う
「ドブドロの道頓堀が綺麗に見える」
と言うところに落とし込みたかったのかな? とは思うんですよ、登場人物全員がドロドロに汚れて絡み合い、しかし映画として見た場合、それが綺麗に見えるんだ、みたいなところを狙ったのかもしれないですけど、山崎努にどうしても目がいってしまうから、結果的に
「ドブドロの道頓堀川でも、山崎努は美しい」
と言う感想しか浮かばない、いやだ、いやだそんなの、どうしてなの、真田広之頑張れよ、美大の学生なのに服を脱いだ時に良い体すぎるよ、筋肉ムキムキじゃないか、どうしてなの、どうしてそんなに中途半端なの、中途半端……中途半端?
そう、お分かりいただけたでしょうか? ここまできて僕はある結論に達するのです。
この映画は「中途半端な人間のみが持つエネルギー」を前面に押し出した「中途半端を最大出力で発揮した、中途半端ここに極まれりな映画」なのだと!
中途半端はいけないことでしょうか? 中途半端では何も得られない?
中途半端だから得られるものだってあるじゃないですか。
誰だって完璧でいたいけど、完璧な人間なんていないですし、持たざる者だからこそ持ち得る物もあると思いません?
僕の場合で言いますと、会社勤めしてる人からしたら僕なんか貧乏だし、社会的な補償も信用もないですし、この先どうすんの? しっかりしなさいよって感じだと思うんですけど、僕からしたらですよ、それはほんとにそう、ほんとにそうなんだけど
「お前はでも、ファイナルファンタジーの人みたいな髪の毛できねえだろ?」
と思うのです。
いや、別にしたくないよ、と言われたらそれまでですけど、僕はわざわざ混んでいる日程で旅行に行かなくても平日の空いている日程で旅行に行けますし、それも羨ましくないの? とは思っちゃうのです。
持たざる者だからこそ、持ち得る物がある。
負け惜しみかもしれないし、自分を誤魔化しているだけかもしれないけど、自分が「持たざる者だからこそ持ち得る物」があって、それを誰かが「良いなあ」と思っているとするならば、俺ってばそんなに捨てたもんじゃないな、とも思うんですよね。
隣の芝生は青く見えるって言うじゃないですか、だからきっと、自分の立場だったり状況だったりを誰かが羨ましがっていると思えば、少しは気分も軽くなりません?
あなたがどんなに自分をドブドロだと思っていても、誰かにしてみればあなたは綺麗に見えている、そんなことを感じさせてくれるのがこの映画『道頓堀川』ではないでしょうか?
ああ、みんなにこの映画を観て欲しい、そして最後のシーンをつまみに6時間ぐらい喋りたいです。
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