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でも、この溢れる想いは言葉だけじゃ伝えられない!
映画に描かれた様々な「愛を伝えるシーン」から、言葉やキスやハグだけではない“大切な人への愛の表現” を紹介します!
『愛がなんだ』から学ぶ
”愛の伝え方”
「今日は誰もいねえよ」って時、あの人に最後に思い出してもらえる存在でありたいと願う。
「テルコとナカハラの年越しシーンより」より
「愛されている」心強さ
家でひとりで呑んだ夜、無性に寂しくなって、電話帳をはじからはじまで繰り返し眺めたことがあります。「だれでもいいから今すぐに話したい。なんなら今から和民に集合して、サワーで悪酔いしながら歴代の元彼の愚痴を朝まで話したい」。そんなざわつく気持ちとはウラハラに、深夜に突然「和民行かね?」と誘える相手など、だれも浮かんできやしません。
『愛がなんだ』(2019)の主人公テルコ(岸井ゆきの)は、片思いのマモちゃん(成田凌)に都合よく振り回されてばかり。そんなテルコと同じくらい不毛な恋をしているのは、テルコの親友、葉子(深川麻衣)に片思いをする、カメラマンのナカハラ(若葉竜也)。
葉子は家にナカハラを呼び出しては、テルコの相手をさせて男の元に出かけたり、テルコとマモちゃん、マモちゃんが片思いするスミレとの、謎のグループ交際に無理やりナカハラを送り込んだりと、やりたい放題。ハタからみれば生殺し状態のナカハラは、それでも忠犬のごとく、葉子の無茶苦茶で無慈悲な命令に従います。
ナカハラの登場するシーンはどれも印象的なのですが、私が特に好きなのは、大晦日、葉子が出かけてしまった葉子の家で、取り残されたナカハラがテルコと2人、お互いの片思いについて話すシーン。
「夜中に1人で部屋で呑んでたりしてて、寂しいなーってとき、無性に誰かにどうでもいい話聞いてほしいことないですか? おれは、葉子さんにそういう時にいつでも呼び出してもらえるところにいたいんですよね」「今日は誰もいねえよって時に、あナカハラいんじゃんて、思い出してもらえれば、それでいいっす」
思わず「エモい…」と呟いて、和民じゃないのにレモンサワーをあおりました。「いつでも思い出していい」存在があることは、ひとりぼっちの夜の孤独をどれだけ和らげてくれることか。その存在は紛れもなく、自分が誰かに愛されている証なのだと思います。
ナカハラは結局、葉子への思いを断ち切ることにしたのだけれど、葉子にとって、いっとき、ただまっすぐに自分を待っていてくれた存在がいたという時間は、きっとこの先、彼女の心のプロテクターになってくれるのではないでしょうか。