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どうしたら色気を醸し出せる!?
『江戸川乱歩の陰獣』
私が通っていた私立小学校はとても厳しく、制服やランドセルはもちろん、ノートや下敷きに至るまですべてが指定されていました。もちろん学校に関係がないものを持ってくるのは厳禁。同級生に見つかれば即チクられて、帰りの会でつるし上げられるのがオチでした。
図書室に置いてあるマンガは『タンタンの冒険』(エルジェ)シリーズのみ。当時、日本中の子どもたちが夢中になっていた『ドラゴンボール』の貸し借りを学校でするなど考えられない状況です。
そんな環境の中、外遊びが苦手で友だちも少なかった私は、ごく少数の読書好きの同級生と休み時間を過ごしていました。そんな私たちが発見したのが江戸川乱歩の小説。もちろん、学校の図書室にある江戸川乱歩作品は『怪人二十面相』などの児童向けシリーズのみでしたが、ある日1人の生徒が家にあった『人間椅子』を持ってきたのです(活字の本は学校に持ってきてもよかったので)。
ちょうど性的なものへの関心が芽生えてきた小学校高学年の我々にとって、椅子の中から座面を通して女性のぬくもりを味わうというその内容は衝撃でした。それからいくつも大人向けの江戸川乱歩作品を読み合って、初めて知る淫靡な世界にドキドキしたことを覚えています。
『江戸川乱歩の陰獣』(1977)は、江戸川乱歩の『陰獣』を映画化した作品です。かつて恋人だった謎の探偵小説家・春泥に脅迫されている美しい人妻・静子(香山美子)。静子に下心を抱きつつ、春泥を探し出すことに協力する小説家・寒川(あおい輝彦)。物語は王道のミステリー展開を見せるものの、その裏には想像を絶するアブノーマルな真相が……。
グロテスクなシーンもなければ、セックスシーンも少ない『江戸川乱歩の陰獣』ですが、映画を支配しているのは極めてエロティックな空気です。透き通るように白い肌をした静子の異様な艶めかしさ、静子の色気に息を呑む寒川の表情。そしてなによりも、すべてを映さないことで見るものの想像力を刺激する絶妙な演出。
「すべてを映しきらない」という本作の特徴はいたるところに出現します。中でも印象的だったのが、静子の家に呼び出された寒川が、春泥から静子の元に届いた脅迫の手紙を渡される場面です。テーブルを挟んで向かい合っている静子と寒川。カットが切り替わると、視点はテーブルを下から仰ぎ見る位置に変っています。画面中央のほとんどを占めるのはテーブルの黒い影で、その左側に手紙を音読する寒川の首から上、そして右側にはそんな寒川を慄きながら凝視する静子の首から上が見えています。
シーンを言葉で抜き出しただけでは「なんのこっちゃ?」と思うかもしれませんが、ただ手紙を読んでいるだけなのに、画面の中央が大きく遮られていることによって2人の表情の対比が際立ち、妙にエロティックに感じるのです。アイテムで画面を塞いだり、鏡を使ったり、「すべてを映さない」ことで、目に見えている以上のものを想像してしまうのだと思います。興奮して手紙を貪り読む寒川の隠しきれない静子への劣情、そんな寒川を恍惚とした表情で見つめる静子の得体の知れなさ……首から上だけが強調された2人は目線すら合っていないのに、その間には性的な欲望が充満しているように見えました。
幼い私にとって江戸川乱歩作品の魅力は、とにかくイメージを掻き立ててくれることでした。『陰獣』を初めて読んだときにはSMなどという言葉は知りませんでしたが(なにせ小学生ですから)、自分の想像を凌駕する世界を何とか思い浮かべようと必死だった気がします。
江戸川乱歩作品は突飛で滑稽な要素も強いため、その映像化作品はとかく露骨すぎたり、ユーモラスになってしまったりしがちです。しかし『江戸川乱歩の陰獣』は、露骨な表現をできる限り避けているように感じます。すべてを映さないから、核心を隠すから、観る者は必死で想像して見えない部分を補わなければいけません。その感覚が、江戸川乱歩に夢中になったあの日々を思い出させるのです。
私の出身校は小中高一貫でしたが、中学校からは別の校舎になり校長も変わって一気に自由な校風になりました。マンガやアクセサリーの貸し借りは当たり前、ときには誰かが兄弟の部屋から避妊具や雑誌を持ってきて、皆でキャーキャーいうことも。でも、そういったアイテムよりも、私たちにとっては相変わらず「江戸川乱歩」の方が刺激的でした。小学生のときに数人でこそこそ読んでいた作品たちは中学校でクラスメイトたちに広がって、やがて江戸川乱歩ネタのジョークが流行るほどに! スクリーンに充満していた寒川と静子の抑えきれない欲望のように、隠れたエロティシズムほど想像力を刺激し、人を興奮させるものなのかもしれません。
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