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映画の言葉『武士の一分』木部孫八郎のセリフより

「必死すなわち生くるなり」

©2006「武士の一分」製作委員会
映画の中の何気ない台詞が、
あなたにとっての特別な“言葉”となり、
世界を広げ、人生をちょっと豊かにしてくれるかもしれない。
そんな、映画の中の言葉を紹介します。

必死すなわち生くるなり

By 木部孫八郎

『武士の一分』より

思いもよらぬ展開となった1年が終わり、新しい年がやってきました。2021年も引き続き不安な日々が続いていますが、そんな中でハッとした言葉に出会いました。

藤沢周平による原作を山田洋次監督が映画化した『武士の一分』は、毒見役として働く下級武士・三村新之丞(木村拓哉)の復讐劇です。ある日、新之丞は毒に当たって失明してしまいます。絶望したものの、今後も藩に生活を保障してもらえることが決まり一安心。しかし、妻・加世(檀れい)が家禄の安堵あんどと引き換えに、番頭・島田(坂東三津五郎)と密通したという事実が発覚。激怒した新之丞は妻を離縁します。

その後、家禄の安堵あんどは藩主の温情によるものであり、島田は無関係だったことが判明。島田は家禄を口実に、事情を知らない加世を騙していたのです。そのことを知った新之丞は島田に対し、「武士の一分」を賭けて果し合いを挑むことを決意します。

「必死すなわち生くるなり」

これは、果し合いに向け新之丞に稽古をつけた剣術の師・木部孫八郎(緒形拳)の言葉です。「ともに死するをもって心となす、勝ちはそのなかにあり。必死すなわち生くるなり」敵と相打ちする覚悟で挑めば、勝機がある。決死の覚悟とは“生きること”である。この教えを胸に、新之丞は島田のもとへと向かうのでした。

人間であれば誰しも、いつか死にます。「必死」「決死」という言葉には「死」という文字が入っていますが、「必死で頑張る」「決死の覚悟を決める」といった言い回しは、全力で何かに挑戦するとき=未来に向けて「生きよう」とするときに使います。死を意識するとき、人は(まだ死んでいない)自身の生を強く意識するはずです。死をも覚悟するということは、全力で「生きよう」とすることなのではないでしょうか。

年明けから新規感染者が急増し、いつもよりも強く「死」を意識してしまう今だからこそ、今まさに生きている自分自身を感じ、「生きよう」と胸に刻んでいたいと思います。

※2021年3月3日時点のVOD配信情報です。

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FEATURED FILM
スタッフ
原作:藤沢周平 「盲目剣谺返し」(「隠し剣秋風抄」文春文庫刊)
脚本:山田洋次/平松恵美子/山本一郎
監督:山田洋次
音楽:冨田勲

キャスト
木村拓哉/檀 れい/笹野高史/小林稔侍/緒形拳/桃井かおり/坂東三津五郎

2010年12月23日リリース
発売・販売元:松竹株式会社 映像商品部
©2006「武士の一分」製作委員会
三村新之丞(木村拓哉)は、最愛の妻・加世(檀れい)とつましく暮らす、海坂藩の下級武士。「早めに隠居して、子供がたに剣を教えたい」と夢を語る、笑いの絶えない平和な日々は、藩主の毒見役をつとめて失明した日から暗転する。
絶望し、自害しようとする新之丞を加世は必死に思い留まらせるが、愛する夫のため、口添えを得ようとして罠にはまり、番頭・島田藤弥(坂東三津五郎)に身を捧げてしまう。義を重んじ、卑怯を憎む侍としての「心」と、ひとりの男としての「愛」の狭間で、新之丞の怒りは激しく燃え上がり、己の「一分」をかけた復讐を心に誓う。しかし島田は藩内きっての剣の使い手。目の見えぬ新之丞の無謀な果し合いに勝機はあるのか、そして失われた夫婦の愛情は再び取り戻せるのか…。
PROFILE
映画・演劇ライター
八巻綾
Aya Yamaki
映画・演劇ライター。テレビ局にてミュージカル『フル・モンティ』や展覧会『ティム・バートン展』など、舞台・展覧会を中心としたイベントプロデューサーとして勤務した後、退職して関西に移住。八巻綾またはumisodachiの名前で映画・演劇レビューを中心にライター活動を開始。WEBサイト『めがね新聞』にてコラム【めがねと映画と舞台と】を連載中。
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