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スリランカと『インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説』
スリランカへ行こうと決めたのは、良質なシナモンに出会えると思ったからだ。
2月に毎年恒例となっているインドへのインド料理探求の旅を終え、帰国前のトランジットをコロンボに設定して数日間、滞在することにした。スリランカに着くとすぐにホテルにチェックインし、屋上のプールで泳ぐ。ミーハーだと言われようが、構わない。僕は高級ホテルのプールサイドが好きなのだ。
平泳ぎでゆっくり何往復も泳いだ。往復といっても長さ15メートルほどの狭いプールだから真剣に泳いでいるのは僕だけだ。10、15、20、25……、と数えながら往復する。無心になれるわけじゃない。これから対面するかもしれないシナモンが楽しみで仕方がないからだ。
30往復し、顔を上げてプールサイドに上がろうとしたとき、知っている顔が目の前に現れた。
「おお、濱ちゃん!」
神戸の人気スリランカ料理店「カラピンチャ」の濱田君は、毎年2月に店を営むご夫婦でスリランカに滞在している。僕は彼らを頼ってこの地にやってきたのだった。
「僕も泳ごうかな」
濱田君はそう言って、プールに入り、しばらく一緒に泳いだ。
実は、スリランカを訪れるのはこれが初めて。スリランカ料理が好きでずっと行きたいと思ってはいたが、なかなか機会がつくれないままだった。旅慣れている自覚はあるけれど、初めての土地を訪れるときには、それなりにドキドキし、同時にワクワクもする。ほどよい緊張感があって、スリルを味わえる。
僕は予定調和というものが好きになれない。想像していた通りの結果だとガッカリしてしまうし、シナリオ通りに事が進むとつまらなくなってくる。逆にハプニングは大好きだ。「なるようになる」と自分に言い聞かせ、コトを運ぶ。創造力や判断力が問われるけれど、たとえうまくいかなかったとしても、「これでいいのだ」と思える性格だから、たいていのことは楽しめる。
その点、旅は素晴らしい。予定通りに進む旅など、ひとつもないからだ。
シナモンを収穫し、見事に加工する名人がいると聞き、南部のマータラという街を訪れた。濱田夫妻の旧友、ジャヤさんと合流し、早速、名人のお宅へ。夕方にシナモン仕事を見せてもらうように約束してあるという。狭い砂利道をしばらく歩くと、のどかな田園風景が広がるエリアに家があった。が、名人は不在。奥さんに話を聞くと、「明日の早朝にやるんじゃないか」とのこと。
スリルの予感は的中するものである。出直そうと来た道を歩いていると、一人のお年寄りとすれ違った。ジャヤさんが立ち止まって話を始める。どうやら彼が噂のシナモン名人らしい。本当に? 彼が!? 僕は肩透かしに合ったような気分になった。約束を守ってくれなかったのは彼のほうなのに悪びれる様子は一切ない。悪びれる様子のない彼は、軽い調子で「じゃ、明日ね」みたいなことを言い残すと、すっと去って行った。
翌朝、眠い目をこすりながら向かうと、じいさんは、家の前に広がる田んぼの中にいた。シナモンの枝をひと晩、田んぼの水に浸し、湿らせておくのだという。大量の枝をかついで戻ってくる姿は二宮金次郎のようだ。
井戸の水で枝を洗い、薄暗い作業部屋へ持ち込む。6畳ほどの空間にはシナモンの枝以外には何一つ物はない。窓に背を向けて地面にトンと座ったとたん、彼の目つきが様変わりした。専用のナイフを手に外側の皮を削り始める。一番外側が削れて木くずが落ち、内側の茶色くきれいな“肌”があらわになると、別のナイフに持ち替えて皮をむき始めた。上から下へスーッと滑らせ、切込みの入ったところからメリメリと剥いていく。
薄皮が面白いように剥けていく。数ミリ単位でシナモンの皮を剥くのは至難の業。さらに節から節まで50センチほどの長さを途切れなくきれいにめくっていく。ダイコンのかつら向きだってこんなにうまくはいかないだろう。
枝1周分のシナモンが、地面にハラリと落ちた。静まり返った空気の中で淡々と仕事は繰り返され、僕たちは、息をのんだまま見守った。まるで神聖な儀式が執り行われているようだった。じいさんはただのじいさんではなく、正真正銘のシナモン名人がそこにいた。
1ミリほどの薄さに剥かれたシナモンの皮を僕は手に取って鼻に近づける。少し青っぽい若木の香りの向こうから甘い甘い香りがすっと入り込んできた。思わず目を閉じる。こんなに新鮮な香りのシナモンを僕はかいだことがない。そうか、これがシナモンなのか。
手にした破片を口に入れ、ギューッと舌で噛んだ。すると、その昔、日本で体験して感動した、あの味わいがやってきた。甘い! やはり甘いのだ。砂糖でもぬったんじゃないかというほどの甘さ。ずっと半信半疑でいたあの体験(甘さ)をどうしても現地でもう一度確認したいと思っていたのだ。
短い滞在だったが、目的を果たすことができて満足できる旅だった。帰国後、シナモンが僕にくれたスリルと興奮が懐かしくなり、濱田くんにメールをした。
「スリランカを思い出すのに最適な映画ってなんかある?」
「実は、オススメできるものがあまりないんです……」
現地の人々は、映画大国であるインドの映画を楽しんでいるのが現状だという。
「ネタ的に面白いのは、『インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説』(1984年)。インドが舞台という設定ですが、インド政府が撮影を許可しなかったため、実はスリランカで撮影されています。原住民的な人々がシンハラ語をしゃべっていて面白いです」
この映画を観るのはいったい何年ぶりだろうか。上海のギャングとすったもんだした末に歌手ウィリー、相棒のショートと共に脱出を図ったインディアナ・ジョーンズ博士は、とある村にたどり着く。
「ここはどこなの?」
「インドだ」
ジョーンズ博士の言葉を聞いて僕はニヤリとしてしまう。いやいや、そこはスリランカなのに……。その後は、期待通り、スリル満点のアドベンチャー。あらすじは記憶にあるものの、スリランカのエッセンスを探そうとする頭が邪魔をして今ひとつのめり込めない。シンハラ語を話しているかどうかはわからないけれど、登場人物の顔つきを見ながら、「この人たちはスリランカ人なのか、インド人なのか」などと考えてしまうからいけない。
食事のシーンなどは、身を乗り出して食卓を凝視。「インド料理にあんな食べ物あったかなぁ」なんて細かい突っ込みを入れつつ見ていたら、サルの脳みそをスプーンですくって食べるシーンが出てきてヒヤッとし、「ヒ~ッ」と悲鳴が漏れる。と同時にハッと気がついた。
そうか、これはエンターテインメントなんだった。
映画が終わり、僕の胸に去来したのは、まさかの嫉妬と反省である。
またもやハラハラさせてもらったけれど、僕がスリランカで体験したシナモンのスリルだって負けてないはずだ。ジョージ・ルーカス原案、スティーヴン・スピルバーグ監督という豪華コンビの作品に対して対抗心を燃やすなんて、お門違いもいいとこだけれど、つい嫉妬をしてしまう。
良質のシナモンに出会えたことで旅の目的を果たしたような気になっていたけれど、それじゃあ自己満足で終わってしまうんじゃないか。エンターテインメントなんだから無邪気に楽しめばいいはずなのに、シナモン体験が僕以外の誰かにとってエンターテインメントになっていないことに反省してしまう。
せっかく手元に香しいシナモンがあるのだから、この魅力を届けるためのアイデアをひねり出そうと思う。さあ、何ができるだろうか。ワクワクしてきたよ。そして、僕の頭は、魔宮の伝説どころか迷宮入りしそうになる。
スリルって続くのかもしれないな、好奇心がある限り。
- 夢かうつつか、カレーと向き合う日々/『WALK UP』
- なぜ絵を描くのか?なぜなのか?/『世界で一番ゴッホを描いた男』
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- スリルは続くよ、スリランカ。/『インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説』
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