PINTSCOPE(ピントスコープ) 心に一本の映画があれば PINTSCOPE(ピントスコープ) 心に一本の映画があれば

有賀薫の心においしい映画とスープ 2皿目

相手の物語を聴くということ、
そして樹木希林さん『あん』

シンプルレシピを通じ、日々ごきげんな暮らしを発信する、スープ作家・有賀薫さん。スープの周辺にある物語性は、映画につながる部分があるかも? とのことで、映画コラム連載をお引き受けいただきました! 題して「心においしい映画とスープ」。映画を観て思いついたスープレシピ付きで、隔月連載中です。
スープ作家
有賀薫
Kaoru Ariga
1964年生まれ、東京都出身。スープ作家。ライターとして文章を書く仕事を続けるかたわら、2011年に息子を朝起こすためにスープを作りはじめる。スープを毎朝作り続けて10年、その日数は3500日以上に。現在は雑誌、ネット、テレビ・ラジオなど各種媒体でレシピや暮らしの考え方を発信。『帰り遅いけどこんなスープなら作れそう』(文響社)で第5回レシピ本大賞入賞。『朝10分でできる スープ弁当』(マガジンハウス)で第7回レシピ本大賞入賞。その他の著書に『スープ・レッスン』(プレジデント社)、『有賀薫のベジ食べる!』(文藝春秋)、『私のおいしい味噌汁』(新星出版社)など。5月13日に新刊『有賀薫のだしらぼ すべてのものにだしはある』(誠文堂新光社)が発売。

『あん』という映画の中で、印象的なシーンがありました。
樹木希林演ずる徳江が、どら焼き屋の雇われ店主・千太郎(永瀬正敏)に、小豆あんの炊き方を教える場面です。小豆を洗い、ゆで、水にさらしてあくを取り、砂糖を加えて練り上げます。ただ、あんを作るだけの工程を、カメラはまるでドキュメンタリーのように丁寧に細やかに、追っていきます。
店の中は静かです。小豆の煮えるかすかな音へ、歌うように、ささやくようにアドバイスをする徳江の声がシンクロします。樹木希林さんの、しわがれた、それでいて人を安心させる、あの声です。

浸す前にちゃんと見た?(何を?)何をって……小豆よぉ

もうそろそろだね、湯気の香りが変わってきた

あったまった豆、割れやすいからね。静かに静かにね。
静かに静かにー、静かに静かにねー

刻一刻と変化する小豆のどんな小さな変化も見逃さない、徳江の細やかな感性と迫力とに圧倒されて、気がついたら涙がこぼれていました。小豆の煮えるシーンを見て泣くとは、われながら驚きですが、自分に欠けているものがあったようにも感じたのです。

誰かの話を聞くことは、本当に難しいと思いませんか。
私はライターとして、インタビュー記事を書いてきました。あるとき、一つの質問に対して相手の話がなかなか終わらなかったため、話を一区切りしようと「つまり、それは〇〇ということですね?」と返したところ「あなたは私の話をちゃんと聞いていないでしょう」と言われてしまいました。聞いていたのに、と思ったのですが、帰って録音したものを再生すると、確かにそのときの私は「自分にとって都合のよい」結論を聞きだそうと焦っていたのです。

人にも、ものにも、たどってきた道があり、相手のペースでその話に耳を傾けるのが、本当の意味で「聴くこと」なのですが、それは本当に難しい。
重い荷物を背負った徳江は、「聴くこと」に自分の生きる意味を見い出し、遠くから旅をしてきた小豆の声を聴きながらあんを煮続けてきました。やはり事情があって自由を奪われた千太郎がそんな彼女にみちびかれ、おいしいあんを作って客を喜ばせ、世界とつながっていきます。

人はつい発信することばかりを考えてしまいがちですが、本質に近づくために大事なのは受信力を磨くことであると、この『あん』は教えてくれます。映画を観る人に耳をすませることを求めるように、登場人物たちは小さな声でつぶやくように話します。

静かに静かにー、静かに、静かにねー

惜しまれつつ逝ってしまわれた樹木希林さんのこの声が、映画を見終わった後も、リフレインしています。じわじわと、自分の耳が意識される映画でした。

スープ作りもあん作りと似ています。素材の声をちゃんと聴いてあげないと、おいしくなりません。聴く力不足でまだまだな私ではありますが、自分のスープの中で「聴く」力が試されるレシピがあります。にんじんのスープです。旬のにんじんを切って、炒めていきながら、にんじんの声をずっと聴き続けることが大事なポイントです。
にんじんはどの畑からうちまで旅してきたんだろう。何を言いたいのだろう。音が変わり、見た目が変わり、香りが変わります。
にんじんが、もう大丈夫と言っているように聴こえたら、おいしくなっているはず。ぜひ、声を聴くレッスンとして、やってみてください。

◎映画のスープレシピ:
『野菜の声をじっくり聴くスープ』
(にんじんのポタージュ)

材料(2~3人分) 所要時間40分
にんじん 2本
オリーブオイル 大さじ1
塩 小さじ1/2

◎つくり方

  • にんじんは皮をむいて7mmの薄切りにする。
  • 2鍋にオリーブオイルを熱し、にんじんを中火で7~8分ほど炒める。(途中、焦げ付きそうになったら水を足してもOK)色と香りが変わったら、水250mLと塩小さじ1/2を加え、ふたをして15分ほど煮る。途中ふたをあけてみて、水がなくなっていたら水を50mLぐらいずつ足していってよい。
  • 3にんじんがやわらかくなったら、水をさらに200mL足してハンドブレンダーをかける。水(牛乳でもよい)を少しずつ足して好みの固さに仕上げ、塩で味をととのえる。器に盛り、煮て賽の目にしたにんじん(にんじんを煮た中から少しとりおくとよい)を飾る。
BACK NUMBER
FEATURED FILM
監督・脚本:河瀬直美
出演:樹木希林、永瀬正敏、内田伽羅、市原悦子、水野美紀、太賀、兼松若人、浅田美代子
監督・脚本・河瀨直美、原作・ドリアン助川、主演・樹木希林で贈るヒューマンドラマ。小さなどら焼き屋の雇われ店長として単調な日々を過ごしていた千太郎(永瀬正敏)。ある日彼のもとに、どら焼き屋の求人募集の貼り紙を見て、一人の老女、徳江(樹木希林)が「働きたい」と現れる。最初は戸惑った千太郎だが、どら焼きの粒あん作りを任せてみることに。すると徳江の作った粒あんがあまりにおいしく、店は大繁盛。しかし徳江に関する心ない噂が、彼らの運命を変えていくことになる。第68回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門オープニング作品。
PROFILE
スープ作家
有賀薫
Kaoru Ariga
1964年生まれ、東京都出身。スープ作家。ライターとして文章を書く仕事を続けるかたわら、2011年に息子を朝起こすためにスープを作りはじめる。スープを毎朝作り続けて10年、その日数は3500日以上に。現在は雑誌、ネット、テレビ・ラジオなど各種媒体でレシピや暮らしの考え方を発信。『帰り遅いけどこんなスープなら作れそう』(文響社)で第5回レシピ本大賞入賞。『朝10分でできる スープ弁当』(マガジンハウス)で第7回レシピ本大賞入賞。その他の著書に『スープ・レッスン』(プレジデント社)、『有賀薫のベジ食べる!』(文藝春秋)、『私のおいしい味噌汁』(新星出版社)など。5月13日に新刊『有賀薫のだしらぼ すべてのものにだしはある』(誠文堂新光社)が発売。
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