三十七歳の誕生日を両親が祝ってくれた。
雨の中、近くのスーパーマーケットに車で出かけて、お寿司とピンクの花束を買ってくれた。夕食のときに「おめでとう」とグラスを重ねたとき、ふいに涙がこぼれそうになってあわててこらえた。「誕生日、誰か祝ってくれたの?」と母に聞かれ、「うん」と祝ってくれた人達の顔を思ったけれど、去年と同じではなかった。もう会わなくなった人もいるし、今でも会う人もいる。二十代の初めから仕事をしながらいろいろな場所に住み、その間にいろいろな人達との出会いと別れを繰り返し、再び生まれ育った家に戻って来た。兄も妹も今はもうそれぞれの家庭を持ち、他所に住んでいる。「人生を楽しみなさい」と母。「真歩のやっていることに勇気をもらっている人もいるよ」と父。
その夜、台風が来た。真っ暗な部屋の中で布団にくるまって、叩きつける雨と風の音を聞いていた。大きな宇宙の中で私は偶然生きているんだなあと、なんだか心もとなくなって思わず尻の肉をつかんだ。そして暗闇を見つめながら、「これから自分はどうなっていくんだろう」とぼんやり未来のことを思った。
次の日、長野に住む幼馴染みのSに会いに行った。
彼女とはゼロ歳の保育園のころから、小学校のとき通っていたピアノ教室も、高校のクラスも一緒だった。大学を卒業してからはそれぞれ別々の道を行ったけれど、半年を空けずに何を話すとでもなく顔を合わせている。彼女もいろいろな時期を経て、今は小さなギャラリーをやりながら山奥の両親の別荘に一人で暮らしている。
「電気まだ止まってるかも」と車を運転するSが言った。台風の後で山道には枝の折れた大きな木が倒れていて、そこらじゅう芝を刈った後のような草の匂いがした。山小屋に着くと真っ暗で、私たちは懐中電灯で照らしながら夕飯をつくり、蝋燭の灯りで食べた。「キャンプしてるみたいで楽しい」と私が言うと、Sは「昨日の夜も真っ暗な中で食べたよ」と笑った。私は台風の夜、この山小屋で夕食を食べる彼女の姿を思った。
翌朝目を覚ますと、窓の外には見渡す限り山の木々と雲の浮ぶ青い空が広がっていた。騒音で溢れた都会の中をうつむいて足早に歩くような生活をしている私には、大自然に囲まれたこの場所は天国みたいに思えた。耳を澄ませると鳥の鳴き声しかしない。Sはもう起きていてパジャマのまま外のバルコニーのベンチに座っていた。「朝起きるとここに座って、この景色見ながらタバコを一本吸うんだけどさ、これからどうなるんだろうって思うんだよね」と彼女が言った。
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それから二週間後、久しぶりにSが東京に戻って来た。
二人で地元の駅から歩いている途中、「いやー、いろんな生き方があるよね」とSが話を始めた。最近はよく映画を借りて来て、夜あの山小屋で一人で観るのだという。彼女が言うには、映画の登場人物たちは実にいろいろな生き方をしていて、どの生き方もそれぞれに面白く、また正しいように思える。主人公が何かに迷い、道を選び取っていくその様を観るのが面白い、と。私から見るとSも“いろいろな生き方”をしている人の一人だよと思いながら「うんうん」と聞いていた。
「でも、いろいろ観たけど、一番面白かったのは『未来よ こんにちは』だったな。不思議な映画でさ、観終わったとき涙が流れてすごく救われたんだけど、何がよかったのか言葉にできないんだよね」。
その夜、『未来よ こんにちは』をベッドの中で観た。
主人公は高校で哲学を教えている五十代の女教師で、長年連れ添った夫(彼も哲学教師)と暮らしている。二人の子ども達は大きくなって家を出てたまに会いにくる。昔モデルだったという老いた彼女の母は、今は他所に一人で暮らしている。
「人は他者の立場に立てるか」という問いから始まるこの映画を一言で語るのは難しい。ただ、印象に残っているのは一瞬一瞬のシーン。たとえば、主人公の女性が、朝まだ暗い部屋で明かりもつけずに冷蔵庫から冷えた朝食を出して一人で座って黙々と食べる姿だったり、満員の通勤電車の中で体を小さくしながら本を読み耽っている姿だったり、「自分の頭で考えなさい。本を読みなさい」と生徒達に話す彼女が、ベッドの中で一人ですすり泣く姿だったりした……。
どうしようもなく「寂しい」と感じるときがある。ふとした瞬間「ああ、一人だな」とか「これからどうなっていくんだろう」と思う。だけどこの映画を観ていて気づいたのは、寂しいのは自分だけじゃないということだった。家族がいても、子どもや恋人がいても、私たちは基本的に「寂しい」存在なんだと思う。だからこそ、誰かの心の温かさに触れたとき心が震える。映画の中で、主人公を演じるイザベル・ユペールは、自分の孤独を紛らわせたりせずにちゃんと向き合って、抱きしめて生きて行こうとしているように見えた。そしてそういう姿を見ることはとても勇気をもらうことだった。
最後はクリスマスに集う家族のシーンで終る。エンドロールで流れる曲を聴いてたら、ふいにこれまで出会った大好きな人達に会いに行きたくなった。観終わった後、用もなく誰かに電話をかけたり、抱きしめに行きたくなるような映画は、言葉で説明なんかできなくても傑作なんだよね。たぶん。
エンドロールに流れる歌「Unchained Melody」はこんなふうに歌っていた。
♪
私の愛しい人 マイラブ
ずっとあなたに触れたかった
長く寂しい時はこれで終わり
時は過ぎていく とてもゆっくりと 多くのことを成し遂げてくれる
まだあなたはいるかしら? あなたの愛が必要なの
私を愛してくれたら嬉しいけど
頼りない川は海へと流れ着く 腕を大きく広げた海の中へと
孤独な川は ため息ついてこういうの
“私を待ってて もうすぐ戻るから 私を待ってて”
私の愛しい人 マイラブ
♪
歌っているのは、男女三人組のコーラス・グループ、フリートウッズ。眠れぬ夜はこれからこの映画のことを思い出そう。
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