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「この時間が終わってほしくない」
という気持ち
― 松居監督は『くれなずめ』について、「友だちみたいな映画です。コイツに会いに来てください」とコメントされていましたが、メインキャラクターである高校時代の帰宅部仲間全員が個性的で、少し冴えない感じも含めて、誰が観ても「あんな友だちがいたな」と思い出を重ねることができそうなメンバーでした。
― この6人がもし身近にいたら、お二人はどの人物と一番仲良くなれそうですか?
松居 : 仲良くなれそう…!? そういえば…誰だろう。
高良 : 俺は、(若葉)竜也が演じた明石かなぁ。案外みんなのまとめ役というか、一緒にいてサポートしてくれる気がする。
― 演劇界で役者をしている明石は、高良さん演じる欽一と一緒にいるシーンも多くありましたね。普段はふざけていますが、劇団を主宰する欽一が先輩に「コメディじゃなくてもっと社会と向き合えよ」とバカにされた時、声を荒げて庇うような、仲間思いの熱い一面も持っていました。
松居 : 僕は、ハマケン(浜野謙太)のソースかなぁ。自分の大事なものが、すごくはっきりわかっている感じがあって。だからこそ、お互いに依存し合う関係になったら辛そうだけど(笑)。でも、この中だと、長く一緒にいられそうで、一緒にいて一番楽な気がする。
― 欽一は、劇団・ゴジゲンを主宰する松居監督と設定として重なる役どころでもあり、オリジナルとなる舞台版では、監督ご自身がこの役を演じていました。この役を高良さんに依頼された理由として、「難しいことを考えていそうだけど、魂が熱いヤツにお願いしたいと思ってたから、高良健吾くんはぴったり」ともコメントされていましたね。
高良 : そんなこと言っていたんだ(笑)。
松居 : なんだろう。高良くんは本当に色んな作品に出ていて、これまでずっと見続けてきて思ったのは、素朴なんじゃないかなと。
― 素朴。
松居 : 普通の感覚を大事にしているような気がして。欽一は、真面目な熱い男に見えて、実は小さな人間でもあるんです。先輩にバカにされても、空気を読んでしまって言い返せなかったり。だから、普通の感覚も大事にしているような人が演じてくれたら、すごくワクワクするなと思いました。
― 「普通の感覚」というのは?
松居 : ご飯が美味しかったら「美味しい」と、夕焼けが綺麗だったら「綺麗だな」と思えるとか。そういう日々の、意識していなかったら簡単に過ぎ去っていくような感覚をひとつひとつ大事に受け止められるというか。映画みたいな大きな仕事を続けていたら、そういう感覚って忘れがちになってしまうことが多いと思うんですけど、これまでの高良くんの演技を見て、そういう感覚を忘れずに持っているような気がしたんです。
― という松居監督からの印象をお聞きして、実際の高良さんはいかがですか?
高良 : 僕がこの仕事を始めた頃、現場でご一緒させていただいた柄本明さんに「私生活を大切にしなさい」と言われたことがあったんです。『雷桜』(2010)という映画に出演した時に、廣木(隆一)監督にも同じことを言われて。そのことは自分の中にずっと残っています。
当時、電車で現場に通っていたんですけど、駅で前を歩いていた女性からすごくいい香りがして「お!」となったんです。その時に、こういう感覚をずっと大事にしようと思いました(笑)。
― (笑)。そういう感覚は今でも…。
高良 : 変わらずありますよ! そういう話ですか?(笑)
松居 : そうそう、そういう話です(笑)。そういう日常の隙間にあるようなちょっとした感覚を、みんなで共有できているような現場でしたね。
高良 : 今回の現場は、昔からの友だちと映画を作っているみたいでしたね。実際に友だちと映画を作ったら、身内ノリになっちゃいそうだけど、でもそこはみんなグッと我慢していたし。不思議な感覚でした。このメンバーで現場にいれば、カメラが回っていても、「こうしよう」とかお互いはっきりさせなくても良かったというか。
― その現場の空気は、この映画に込められた松居監督のメッセージ「はっきりしなくていい、狭間の中でいろ」とも重なりますね。
松居 : 演出のことにしても、お互い言葉にして確認するのがすごく「野暮だ」という空気が現場にあって。それはすごく嬉しかったです。誰かひとりでも「これって、つまりどういうシーンなの?」って言い出したら…。
高良 : もう野暮だよね。「それ言っちゃうんだ!」みたいな(笑)。
― 言葉にしなくても同じ感覚を共有できるというのは、とても稀なことですよね。今作で松居監督は、6人の関係性を「作る」のではなく、自然と信じ合える関係に「なる」ために、撮影期間の3分の1をリハーサルに当てたそうですが、その時間が大事だったのでしょうか。
松居 : 台本を読み合ったりするだけじゃなくて、ただ話して、同じ時間をみんなで過ごしたことも大きかったと思います。
高良 : 撮影が始まってからも、大事なことじゃなくて、しょうもない話ばっかりしている感じでしたよね。すごく寒い日に、ふんどし一丁で撮影するシーンがあったんですけど、みんなで「さみー!」とか「すげー帰りたい」とか、カメラが回ってない時にずっと言っていて。
― まさに、映画の中の“6人の空気”そのままですね! 藤原季節さんも「映画の撮影がこんなにも楽しかったのは初めてです」とコメントされていました。
高良 : 僕、子どもの頃に転校ばかりしていたんですけど、その時のことを思い出しました。映画の現場って、終わったらまたすぐに次の現場が始まるんですけど、子どもの頃も、友だちと過ごすのがすごく楽しいと「今回だけは転校は勘弁してくれ!」って思う瞬間があったんです。今回の撮影現場が、その時の気持ちに近くて。「あーもう次に行かなきゃいけないのか」という感覚がありました。
― クランクアップが近づくにつれて、終わりが寂しくなるような。
高良 : それが、クランクアップ当日に突然寂しさが来たんです。
松居 : みんな、現場でそんなに構えてないからね(笑)。
高良 : 毎日ただ楽しいという感じで撮影をしていて、気づいたら「あ、今日で終わりか」みたいな。いや、本当はわかっていたけど、どこかで気づかないふりをしていたのかも。
松居 : 誰もそういうこと言わないから、この映画に寄せられた6人のコメントを見て、そんなことを思ってたんだって後から知りました。「いい現場だったね」と口にした時点で、嘘っぽくなっちゃう気がするというか。「絶対思ってないでしょ」って。その感覚を言葉にした瞬間に、失われるものがすごくあるような、言葉にするのがもったいないような、そういう時間でしたね。
誰かと過ごす時間の中で
自分の輪郭を見つけてきた
― 「言葉にするのがもったいない時間」が撮影現場にあったということでしたが、今作についても松居監督は「曖昧にこそ真実が宿る」とコメントされていましたね。白か黒かはっきりさせない、曖昧なままでいいという思いは、どういうところから生まれたのでしょうか?
松居 : 最初に、ゴジゲンの舞台でこの作品を構想する際に、「死生観の話をコメディでやろう」というのがありました。自分の経験の中で、生きるとか死ぬということも、曖昧だなと思うことがあって。例えば、客観的に見たら死ぬというのは“もういない”ことなんだけど、でもいなくなってからの方が、その人のこと思い出したりして「むしろいるし」とか。
高良 : うん。わかるかも。
― 存在としてはいなくても、自分の中では「いる」という。
松居 : そういう白と黒に分けられないような感覚を、いろんなところで自分が抱えていたから、やってみようと。それが「曖昧」とか「狭間」みたいなテーマと結びついたのかもしれません。もともと、昼と夜の間の、形容できない中途半端な時間が好きなんです。夕暮れとか。
― 今作のタイトル『くれなずめ』は、日が暮れそうでなかなか暮れないでいる状態、前に進めないでいる状態、「暮れなずむ」を命令形にした造語だそうですね。映画の中でも、夕暮れの時間帯がストーリーの象徴的な場面で使われています。
松居 : 映画では披露宴と二次会の間にある時間を描きましたけど、ああいう「出来事と出来事の狭間にあるような時間」って、物語を作るうえで省かれたり、描く価値がなさそうと思われてしまったりしますよね。でも、そういうこぼれ落ちてしまうような時間こそ、僕は大事だなと思っているんです。
― その狭間の時間を、ひとりではなくみんなで一緒に過ごしている風景が描かれていましたが、松居監督はこれまで監督された映画『君が君で君だ』(2018)や『#ハンド全力』(2020)、『バイプレイヤーズ~もしも100人の名脇役が映画を作ったら~』(2021)などでも、「誰かと一緒にいる時間」を多く描かれていますね。
松居 : 僕は、主人公が誰、みたいなことをあまりしたくなくて。なんか寂しい気持ちになるんですよね。でも、群像劇だと、それぞれみんなの物語を描けるから。
あとは、僕自身がひとりで培ってきたものなんて全然なくて。いつも誰かと一緒にいる時間とか、出会ってきた人を通してたくさん影響を受けてきたので、自然とそうなるのかもしれません。
高良 : 僕もそうですね。自分のことなんか自分ではわからなくて、人や何かを通して見つけることしかなかった。地元の熊本にいた学生時代とか何者でもなかったし、でも「何者かになる」のがこの仕事だったりするので。
高良 : そういう時、人もそうだけど、映画とか音楽みたいなカルチャーからも、背中を押してもらってきた気がします。
― それは、たとえばどんなものでしょう?
高良 : 僕は、中学時代に初めてGOING STEADY(ゴーイング・ステディ)を聴いた時、「なんで俺のことを歌っているんだ!」と思いました(笑)。当時の気弱な自分そのままというか。
― GOING STEADYは、ミネタカズノブ(峯田和伸)さんがボーカルをつとめていた4人組パンク・ロックバンドですね。インディーズでの活動ながら、ライブのチケットは即ソールドアウトするなど、2000年代の音楽シーンで人気を博していました。2003年に解散してしまいましたが、ミュージシャンに限らず多くの方々に影響を与えたバンドとして今でも語り継がれています。
松居 : 「ゴイステ」は、多分当時みんなが「俺の歌だ!」って思ってたよね。なんで俺のことがわかるんだろう、って。
高良 : 僕の場合は、友だちからゴイステを勧められたんです。当時、バンドをしている友だちが周りに多くて、いろんな音楽のCDを借りて聴いていました。その中のひとつで。
松居 : 『さくらの唄』?
高良 : そう、『さくらの唄』! 2001年に出たアルバムですね。あのアルバムからずっとゴイステを聴いていて、その後も銀杏BOYZを追いかけて。でもヒップホップが好きな友だちも多かったから、どちらも聴いていましたね。
松居 : 当時はDragon Ashとかもヒットして、ヒップホップも流行ったよね。僕は、ちょっと前に尾崎豊を聴いて「俺のこと!?」って思いました(笑)。昔は、岡本太郎さんを「こんなふうに生きられたらかっこいいな」って影響をうけていたし、中学、高校、大学に出会ったカルチャー全部にくらってた気がします。
高良健吾と松居大悟の
「心の一本」の映画
― 自分を知るきっかけになったカルチャーで、自身に大きな変化を与えたものはありますか?
高良 : それこそ僕は、永瀬正敏さん主演の『私立探偵 濱マイク』というテレビドラマの影響が大きかったです。永瀬正敏さんのことが昔から大好きで、出演されている映画もずっと観ているし、未だに影響を受けている人のひとりです。
― 『私立探偵 濱マイク』は、2002年に放送されていたテレビドラマで、エピソードごとに演出を手掛ける監督が毎回変わることも話題となっていましたね。行定勲監督や中島哲也監督など、今振り返っても錚々たる監督ばかりです。
高良 : そうなんです。それも魅力で、スタッフロールを見て「今回撮ったのは誰なんだろう」とワクワクしながら調べていました。そこからTSUTAYAに行って、その監督の映画を借りてみたら、今まで自分が観たことがないような映画にたくさん出会える。「わからないけどなんか面白い!」という感覚で当時は観ていました。
松居 : わかるわかる。
高良 : 周りのみんなは知らない世界だけど、でも自分は観ている、という特別な感じもあって(笑)。そこから、どんどん映画の世界にはまっていって。それがこの仕事につながるきっかけをくれたと思います。
― 映画や音楽から影響を受けてきたというお二人が、何度も観ている「心の一本」や、原体験となる映画などありましたら、教えて下さい。ぱっと思い浮かんだものでも。
松居 : 僕は、北野武監督の『菊次郎の夏』(1999)ですね。大事なことが全部詰まっている気がするんです。
― 離れて暮らす母親に会いに行く少年と、近所に住むおじさん・菊次郎(ビートたけし)の道中の物語を描いた作品ですね。どういったところが心に残っていますか?
松居 : 「お母さんに会いに行く」という話だったら、普通は会いに行ったところで終わっちゃいそうじゃないですか。でも、その帰り道がすごく長くて、キャンプをしたりスイカ割りをしたり、ずっとふざけ続けてる。それが優しいな、と。
― 優しい、ですか。
松居 : 例えば、何かの試験に受かりたいとか、どこの会社に入りたいとか、みんな生きる中でいろんな目標があると思うんですけど、それが果たせてもそうじゃなくても、その後も人生は続いていきますよね。結果だけじゃなくて、その過程の中でこぼれ落ちる、何気ない時間を大事にしたいなといつも僕は思うし、それが伝わってくる映画なんです。
高良 : 僕は自分が映画や音楽から影響を受けたというお話をした際、ふと思い出した映画があって。小学校6年生の時に、卒業のタイミングで将来の夢を聞かれるじゃないですか。
松居 : あるね。
高良 : その時、「考古学者になってアトランティス大陸を見つける」と卒業文集に書いたのを覚えているんです。それは、当時『インディ・ジョーンズ』シリーズと『ハムナプトラ/失われた砂漠の都』(1999)が大好だったからで。
― どちらも、考古学者の主人公が活躍する映画ですね。偶然にも、『ハムナプトラ』は、松居監督が選んでくださった『菊次郎の夏』と同じ年に公開された映画です。
高良 : 自分から「こうなりたい!」と思ったのは、考古学者が初めてだったので、夢を与えてくれた存在として、映画というものがあったんだなと思いました。少年として、くらっちゃったんですよね。小学生の時、大好きで何回も観ていました。
― 松居監督は、子ども時代に「くらってしまった」映画の記憶はありますか?
松居 : なんだろう…いっぱいありますけど。あ、何だっけ、コント集団・ジョビジョバの「ジョビジョバ大ピンチ」を映画化した…本広(克行)監督の…ダウンタウンの浜ちゃんが銀行員の役で出演してる銀行強盗の…。
高良 : 何だろう?
― 『スペーストラベラーズ』(2000)でしょうか。銀行強盗に入った3人組が、ちょっとしたミスから人質を巻き込む大事件を発展させていくという、コメディ映画ですね。
松居 : そうそう、それです!! 「スペトラ」、大好きだったなー。
ジョビジョバの舞台が原作なので、銀行の中だけで話が展開していくシチュエーションコメディなんですけど、めちゃくちゃ面白くて、子どもの頃の映画体験としてすごく覚えてるんです。「すげー! 映画って面白い!!」って思った原体験かも。笑えるんだけど、最後はちょっとグッとくる人間ドラマがあって。全員が主役というのも好きでしたね。
― 群像劇、コメディ、舞台など、今の松居監督につながる要素が詰まった映画ですね。
高良 : あ! 原体験と聞いて、今思い出した映画が!! もうひとついいですか? 小学校の頃、初めて映画館に行って観た『学校の怪談』(1995)です。
― 平山秀幸監督の映画シリーズですね。当時、「学校の怪談」は小説や漫画など、子どもたちの間でブームとなり、テレビドラマのシリーズも、中田秀夫監督や黒沢清監督など、豪華な制作陣が手掛けていました。
高良 : テケテケとかトイレの花子さんとか、すごく流行ったな―。学校の怪談グッズも、みんな持っていた。でも多分、世代的に、僕と松居さんが体験した映画がちょっと被ってますよね? 『もののけ姫』(1997)とかみんな観ていませんでした?
松居 : 観てた! 腕とかめっちゃ飛ぶから、びっくりしたよね。
高良 : 子どもの頃好きだった映画って、思い出補正がかかっていて、改めて観ると「あれ?こんなものだっけ」ってなりそうだけど、『インディ・ジョーンズ』とかこの頃好きだったものは、今観ても変わらず面白いですね。