僕の育った町はよく雪が降る町で、冬になるとあたり一面が真っ白になった。深夜に雪がゆっくりと降る時、それは静かだけど確かに不思議な音がした。しんしんというのは本当によく言ったもので、あの不思議な音に名前をつけるなら確かにしんしん、というのが一番近いなと思う。深夜真っ白になった町に、オレンジ色の街灯だけが光っているのを、二階の窓から見た景色は胸の中にずーっと残っていて、毎年冬用の上着を出すときにきまって思い出す。
誰の足跡も付いていない白い絨毯がランプ色になっているあの景色を、僕は毎晩のように眺めた。時々、窓をそっと開けてみたこともあった。一人部屋用の小さな電気ストーブの匂いと外から入ってきた雪の埃っぽい匂い、そしてツンとした夜の匂いが混ざって部屋の中が不思議な、魔法がかかったような空気になるのがとても好きだった。窓から顔を出すと吐く息が真っ白になって、真っ黒な空に登っていくようにみえて、でもすぐに消えてしまうのだった。
僕は小さな頃から冬が大好きだった。1年近くタンスで眠っていたマフラーの独特な匂いや上着のクリーニングの匂い。びしょびしょになった手袋。替えの靴下。M-1グランプリ。ケンタッキー・フライドチキン。ケンタッキーのCM。コカ・コーラのCM。クリスマスのジャスコとその隣のトイザらス。1年で一度だけ朝まで起きていていい夜。鐘の音。初詣で会う友達。雪を踏みしめる時の音と感触。誰にも言わずこっそりとたまに口にする積もりたての雪の味。少しだけ寂しい夜。冬が好きな理由は、僕の育った町が“雪の降る町”だったからだろう。多分そうだと思う。
クリスマスが近づくと「アラスカ」の店内も、トイザらスやジャスコと同じように少し浮き足立っているようだった。レジの前の小さなお菓子売り場のカウンターには、いつも売っている袋入りのものと一緒に、大きなバケツに山盛り入ったポップコーンが売られていたし(あんなもの誰が買うんだろう、と今も思う)、店内にはずっとワム!やマライア・キャリーが流れていた(いつも流れているようなJ-POPはあんまり好きじゃかったけど、この時期に流れているクリスマスソングにはとてもワクワクした)。入り口の近くの新作コーナーの棚には特別にクリスマス映画のコーナーができていて、『ホーム・アローン』や『グリンチ』、『めぐり逢えたら』や『シザー・ハンズ』なんかが並べられていた。
「ホーム・アローン」の「1」「2」は毎年のように金曜ロードショーで放送していたし、何年か前の放送を録画したビデオもテレビ台のガラス棚に入っていたけど、僕は時々わがままを言ってそれらをレンタルしてもらった。僕は、テレビ放送ではカットされているシーンがいくつもあることを知っている、この町で唯一の小学生だと信じていた。今考えると恥ずかしいけれど、そんな小さなことでも自分が他の子たちと違うんだ、と思うには充分だった。
そんなホーム・アローンシリーズでも「3」だけは、テレビを録画したビデオで満足した。今は「3」に対しても愛着があるし(なんてったって「3」までは大好きなあのジョン・ヒューズが脚本だ!)、あの映画内で特徴的に使われている青色も特に大好きだけど、当時の僕にはマコーレ・カルキンが演じる“ケビン・マカリスター”こそが「ホーム・アローン」の主人公だったし、クリス・コロンバス監督が「1」と「2」でつくりだしたあの赤と緑の、魔法みたいでいて、それでもちゃんとどこかの町と街を舞台にしていることがわかる映画が、本当に好きで好きで仕方がなかったのだ。
主人公の年齢がちょうどその頃の自分と同じぐらいだったのも大きいと思うけれど、僕にとって『ホーム・アローン』はとても特別な映画だった。もしも自分が一人っきりで何日間かを家で過ごすことになったら? もしも一人っきりで全然知らない大きな大きな街で過ごすことになったら? それを想像するのは自然とニヤニヤしてしまうぐらい、楽しいことだった。ケビンがずっと着ている上着や、背景の細々した小物、壁紙にベットやソファーなどの家具、無造作に置かれている紙袋から地下室に干してあるシャツ、ちらっとだけ映る電気工事のおじさんのヘルメットとクレーン車のペンキなど、画面にはいつも赤と緑が映し出されていて、ぼうっと眺めているだけでもクリスマスのあのワクワクした特別な空気の味が、鼻の奥にするような気分になった。それはまさしく画面いっぱいに溢れる魔法のようなもので、僕はすっかり夢中になってしまったのだった。魔法といえばあのハリー・ポッターの初期作品もクリス・コロンバスが監督で、特に「賢者の石」では赤と緑がとても印象的に使われている。
ちなみに「1」「2」はサウンドトラックもとても素晴らしくてジョン・ウィリアムズによるスコアが中心の「1」、ダーレン・ラヴの「オール・アローン・オン・クリスマス」やジョニー・マティスの「イッツ・ビギニング・トゥ・ルック・ライク・クリスマス」…なんていったクリスマスソングの隠れた名曲たちがたくさん詰まった「2」、どちらも本当に大好きだ。これらの映画は、僕がクリスマスソングを好きになったきっかけでもある。
その頃「アラスカ」のクリスマスコーナーに並べられた他のビデオは、どれもなんだかファンタジーチックだったり恋愛モノっぽかったりして、当時の僕が惹かれるようなものはほとんどなかったけど、唯一僕の心を撃ち抜いたビデオがあった。それが『ジングル・オール・ザ・ウェイ』だった。『ラスト・アクション・ヒーロー』みたいなドタバタしたジャケットと、パッケージ裏に書かれた「『ホーム・アローン』のクリス・コロンバス制作の!」という謳い文句、「子供のおもちゃを買い忘れたパパが、みんなが欲しがるあのターボマン人形を手に入れるためにあれやこれやと…」というあらすじ、そして何より僕たちのスター“アーノルド・シュワルツェネッガー”が主役、しかも情けないパパ役! という全ての条件に、僕は観る前から“絶対に最高の映画だ”と確信した。しかもこんな映画、今まで一度だって金曜ロードショーで観たことがなかった。これこそ「アラスカ」でしか出会えない映画だった。小学生の僕にとって映画というものは、週末のテレビで流れるものとそれを録画したビデオテープ、そして「アラスカ」で出会うものの三通りしかなかった。僕の町の近くに映画館ができるのはまだまだ15年ぐらい先の話だし、電車で1時間かけていく街にあるような映画館にはほとんど行ったことがなかった(もっと小さい頃に『ゴジラ対デストロイヤー』を映画館で観た記憶があるけれど、それがどこだったのかはいまだに分からない)。
顔と名前が一致するのは、ブルース・ウィルスとウィル・スミス、そしてエディ・マーフィぐらいだったその頃の僕たちにとって、アーノルド・シュワルツェネッガー、いわゆる“シュワちゃん”はほとんど唯一と言ってもいいほどの映画スターだった。とにかくシュワちゃんが出ている映画はどれも最高に面白かったし、『ラスト・アクション・ヒーロー』に『ターミネーター』、そして『シックス・ディ』とそれぞれ全然違う映画と役柄なのに、ちゃんと“シュワちゃん”になっているのがとてもかっこよかった。そして『ジングル・オール・ザ・ウェイ』のシュワちゃんは、その中でも僕が一番好きな『ラスト・アクション・ヒーロー』の時のシュワちゃんに似ていた。もう少し先に観ることになる『キンダガートン・コップ』のシュワちゃんも”その”シュワちゃんだ。ちょっとだけ情けなくて、でも最後はビシッと決めるシュワちゃん。そんなシュワちゃんがショピングモールのプレイランドに突っ込んでいき、カラーボールの海にダイブするシーンや、ラジオ局にものすごいテンションで向かうシーン。偽物サンタクロースの詐欺集団と郵便局員の憎めないライバルとのドタバタ劇。所々で流れるクリスマスソングも、ホーム・アローンシリーズ、特に「2」の感じがしてとてもワクワクした。そして何より、『ジングル・オール・ザ・ウェイ』にも僕が大好きだった、あの赤と緑でできた魔法がかかっていた。あの暖かくて優しい魔法。
今だにクリスマス映画にときめいてしまうのは、僕がこの魔法にかかったままだからなのだろうか。深夜に降り積もる雪と、クリス・コロンバスがつくりだす赤色と緑、この二つの魔法のせいで今だに僕は冬になると、どうしようもなくワクワクするし、切なくて寂しい気持ちにもなるのだった。
僕が小さな頃は、まだトイザらスや町のおもちゃ屋さんに元気がある時代で、色とりどりのおもちゃに囲まれた店内を大きなカートを押して歩くドキドキや、新聞に挟まれたおもちゃ屋さんの広告チラシが当然のものとして、そこにあった。そんなクリスマスのワクワクを肌に感じながら『ホーム・アローン』や『ジングル・オール・ザ・ウェイ』を観ていたのだ。アメリカのトイザらスが倒産してしまい、日本にまだ残っている店舗も少し元気がないように感じる今(それでも僕はトイザらスのあの独特なワクワクする匂いが大好きだ)、僕たちがこの映画を観る時に思い出すのは、あの頃の12月の景色だ。それは決して懐古主義のようなものではなくて、自分の胸の隅っこの方にある思い出を取り出し、積もった埃を払うようなことで、好きだったものを捨てていくのではなくて、大事に抱きしめながら前を向いて歩いていくことだ。
緑のひかり 赤のリボン 町中の風に少し 来年の匂いが混ざり始めたら ソファーもベットも ハンガーにかけられた上着さえも それぞれが魔法のために それぞれの言葉を唱える 聞こうとしなくてもいい じっと目を閉じていられない僕らには どうやっても聞こえないだろう でも 町中のメロディはそのためにあるのだから
降り積もる ドーナツの砂糖踏みしめて それは記憶のどこか 今はまだ忘れない風景の中