目次
他者の視点によって気づく、
自分自身の現在地
― 池松さんは、昨年、オール韓国ロケで行われた『アジアの天使』や2021年公開予定の中国映画『柳川』、『2021』に参加されるなど、海外の作品に積極的に出演されていますよね。
池松 : はい。昨年はほとんど海外で撮影していました。
― 『アジアの天使』はスタッフもほとんどが現地の方だったと聞きました。これまでと異なる環境で作品づくりをされて、映画や自分自身への可能性について、考えに変化はありましたでしょうか?
池松 : 僕は常日頃、「映画」というのは、英語よりも「世界共通言語」だと信じているところがあって、ほとんどの時間を海外で過ごしたことで、そこを強く実感する一年になりました。そして凝り固まったルールや価値観から離れ、本来ある自由さや可能性を感じることができたのではないかと思っています。
言葉というのは人間が作り出した素晴らしいツールです。でも、人と人が通じ合う時、心を寄せ合う時、何よりも大切なものではない。言葉がなくたって人間同士は通じ合えるし、理解し合おうという意思さえあれば、相手の気持ちを感じとったり自分の気持ちをある程度伝えることは可能です。
― 目で合図をしたり、表情を読み取ったりと、五感を使って「向き合っているもの」を感じ取ることもできますよね。
池松 : そう……だから、相手と手をつなごうとする意思というか、寄り添おうとする心意気こそが通じ合う上で最も重要なものだと思います。そして、その心を構築できるのが映画だと思っています。なぜなら、行ったことのない、どんな人が住んでいるのかも知らない国の映画を観ても、僕たちは心を動かすことができるわけですから。
― 「映画は世界共通言語だ」と信じるようになったきっかけはあったのでしょうか?
池松 : それについては例えばチャップリンなんかが既に何十年も前に証明しているんだと思います。サイレント映画で言葉を使わずにモーションで世界の共通認識を得たわけですから。僕が精神的に理解し始めたのは、映画のデビュー作が、『ラスト サムライ』(2003)という外国映画だったんですね、その経験が大きかったと思います。
― 近代化の波が押し寄せる明治維新後の日本を描いたエドワード・ズウィック監督の作品ですね。当時、13歳だった池松さんは、トム・クルーズさん演じる主人公と心を通わす少年・飛源を務められました。池松さん以外にも、渡辺謙さん、真田広之さんなど多数の日本人俳優が出演されています。
池松 : 俳優だけでなくスタッフも、様々な国の人たちが集まっている現場でした。言葉はわからない中でも、笑い合ったり、様々な感情の交換をしていた記憶が今でもあります。僕は13歳だったのでお酒を飲んで交流する機会はなかったのですが、言葉が通じなくても、十分意思疎通できていた気がするんです。そういう原風景が自分の価値観の根底にあるので、「言葉じゃない」というのはいつも思っていることですね。
― 主に海外で作品づくりをした昨年は、その「言葉じゃない」という原体験に立ち返るような一年だったんですね。
池松 : 僕は去年、30歳を迎える年でした。大学を卒業してからずっと日本映画に向き合ってきて、「次は何ができるのだろう」と30を手前に数年間考えてきました。
いざ30を迎えた年に、世界を見まわしてみるとあまりにも苦しい状況でしたよね。まるで、分断に向かって人と人がどんどん離れ、個人が国の利益のもとで振り回されているような感覚がありました。コロナ禍になる数年前からは、脱グローバルやナショナリズムが正義という名のもとで、声高に叫ばれるようになりコロナによってそのことが更に露わになりました。
池松 : だとしたら、僕にできることはへたくそな英語と映画を持って、直接手をつなぎに行くことなんではないかと感じました。
いつだって空はひとつで人はそれぞれ違うけれど、同じなんだということは、これまでたくさんの映画に教えてもらいました。
― 改めて映画の「世界共通言語」という役割を再確認したと。
池松 : これまでも頭では理解していましたが、精神的に理解するタイミングが訪れたんだと思います。昨年は不思議なくらい海外作品のオファーをいただきました。自分がこれまで経験し、考えてきたことの可能性を試す機会をもらえたんだと感じます。
どうやったら人と人がつながりを保ち、自分だけではなく他者と共にこの混乱と暗闇から抜け出して生き残ることを選んでいけるのか。そのためには映画にできることはなんなのか。そんなことをずっと考えていました。
「映画」を真ん中に置いて、
繰り返し話をしてきた石井裕也監督との関係
― 対面で人と会う機会が減ったことで、会話に加わらない人の表情やその場の空気を感じ取ることが難しくなり、より「言葉」という存在が大きくなっていますよね。
池松 : より諦めを感じた言葉、投げやりな言葉、意味や意思を持たない言葉、何とか諦めずに届けようとする言葉、より真実に近づこうとする言葉、思いやる言葉が飛び交っているように感じます。
― 「言葉」が、必要に迫られる場面もあったかと思います。本作の現場では、どのようにコミュニケーションを取られていたのですか?
池松 : 日本でコミュニケーションをとることよりも何倍もの時間がかかるという意味でも大変でした。普段やっている忖度が通用しないわけですから、言葉を尽くして確認し合うことが必要でした。違いを理解し合うために普段の何倍もの言葉を使ったように思います。だいたいは片言の英語か、通訳を介して話しました。ソル役のチェ・ヒソさんは日本語が堪能だったので、日本語で対話することができました。
池松 : 妹役のイェウンさんとは片言の英語で。兄役のミンジェさんは英語は話さず韓国語のみだったので、必要な時はヒソさんに通訳してもらいました。でも、ミンジェさんとの会話の多くは僕が一方的に日本語で喋って、向こうも韓国語で必死に喋ってくれるという滅茶苦茶なコミュニケーションで。それでも良く喋っていたし、ある程度会話ができていた記憶があります。
― 本作を撮った石井裕也監督とは、『映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ』(2017)『町田くんの世界』(2019)などいくつも作品をご一緒されています。今回、池松さんを主演に据えた理由について、「日本人の俳優を連れて行ったわけじゃなく、自分のアバターを池松さんに担ってもらった」、「自分が韓国で映画を撮ることのシンボルとして依頼した」と、おっしゃっていました。
池松 : 石井さんとは21歳の時に出会って、10年ほど、目の前に映画があろうがなかろうが映画や人生について対話を繰り返し話してきました。一緒に旅に出ることもありましたし、今回も、その延長線上にあったように思います。
― 今作は、それぞれ心に傷を持つ日本人の兄弟とその息子、韓国の3兄妹が偶然出会い、その旅模様を描いたロードムービーです。石井監督は、その制作について、「石井裕也の旅」でもあったともおっしゃっていますね。
池松 : 石井さんは今回韓国側のプロデューサーに入っているパク・ジョンボム監督と7年前に出会いそれぞれの国で交流を重ね、それはまさに石井さんにとっての新しい出会いと旅だったと思います。その経験そのものの実感を『アジアの天使』で、日本人3人と韓国人3人に託しました。
未来の見えないこの世界の行き止まりを感じる2つの家族が旅を経て、新しい時代を切り拓いていく希望のようなものを見出していきます。石井さんにとっても、今回参加したキャストやスタッフそれぞれの人生においても、まさに旅だったと思います。
― 池松さんは、韓国語が全くわからない日本人の弟・青木剛を、その兄である韓国で怪しげな仕事に携わる透をオダギリジョーさんが演じています。
池松 : 俳優も合わせて、日本人は5人しかいなかったので、撮影中はほぼ一緒に住んでいたんですよ。ウィークリーマンションみたいなところを借りて。撮影が終わって部屋に帰ると、ダイニングテーブルに集まって、お酒を飲みながら「今日はどうだった」「明日はこうしよう」とたくさん話しましたね。
― 石井監督に対して、新たに理解したことはありましたか? きっと、そこには言葉にはならないいろいろな時間があったと想像するのですが。
池松 : 難しい質問ですね(笑)。なんでしょうね……毎作品、進化を積み重ねている方なので、これだけ付き合いがあっても捉えきれない部分もたくさんあります。なので、正直まだわからないです。日本でも韓国でも公開して、いろんな声が聞こえてきてやっと、この作品が僕や石井さんにとってどういうものだったのか、本当の意味で理解できるのかもしれません。
池松壮亮の「心の一本」の映画
― アカデミー賞が先ほど発表されまして(※本作インタビューは第93回アカデミー賞授賞式の日)、監督賞をアジア人初の女性監督である『ノマドランド』(2020)のクロエ・ジャオが、助演女優賞を『ミナリ』(2020)に出演した韓国人俳優 ユン・ヨジョンが受賞しました。
池松 : 『ノマドランド』と『ミナリ』。今年の間違いない2作品ですね。
― では最後に、池松さんが繰り返しご覧になっていたり、大切にされている映画を教えていただけますか? 映画好きな池松さんに「心の一本」を伺えることを楽しみにしておりました。
池松 : たくさんありますから『アジアの天使』がロードムービーなので、同じジャンルから選びましょうか。そうですね……『ノマドランド』もロードムービーですよね。
― 家を失った女性が、キャンピングカーに乗り込み車上生活をしながら、行く先々で出会う人たちと交流を重ねていく姿を描いた作品です。第93回アカデミー賞では、作品賞を受賞しました。
池松 : やはり人は人生の節目やその折々に旅に出て、自分が何者かを問うものなんでしょうね。ロードムービーは、形を変えながらずっと作られているジャンルですけど……『アジアの天使』と同じ「旅」と「家族」が描かれた映画で好きなものが一本だけあって、ものすごくメジャーですけど『リトル・ミス・サンシャイン』(2006)とかどうでしょうか?
― 崩壊寸前だった“負け組”家族が、娘の美少女コンテスト出場のため、車でアリゾナ州からカリフォルニア州の会場へ向かった旅を通じて再生していく姿を描いたロードムービーです。サンダンス映画祭で絶賛され、全米でも記録的なヒットを記録しました。
池松 : 物語の展開としては娘のミスコンに行くだけですし、王道なんですけど、シンプルでシャープな作りとキャラクター設定と旅と家族のマッチングが素晴らしい作品です。旅することで、バラバラだった家族が一つになっていく。この映画と似た部分があります。繰り返し観ていますし、今回の作品の撮影に入る前にも観ました。
「家族」ということですと、昨年驚くほど感動したのがHBOドラマの『ある家族の肖像/アイ・ノウ・ディス・マッチ・イズ・トゥルー』(2020)というマーク・ラファロが主人公である、一卵性双生児の双子の兄弟を一人二役で演じている作品。『ブルーバレンタイン』(2010)のデレク・シアンフランスという監督が全話撮っています。久しぶりに出会った傑作でしたね。
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― 『アジアの天使』を撮り終えてからご覧になった映画はありますか? 韓国映画にも、より興味を持たれたのかなと思いまして。
池松 : 帰国してから隔離期間があったので、たくさん観ましたよ。韓国映画だと、Netflix製作の『楽園の夜』(2021)がよかったです。韓国映画は、北野武監督や三池崇史監督の影響を受けていることもあって、「ヤクザ映画」というジャンルが確立されているんですね。評判通りの面白さでしたし、ヤクザ映画という従来のパッケージを使って今やるべきことと新しいことをエンターテインメントに見事に落とし込んでいました。やはり脚本の作りや視点の高さ、丁寧さなど、韓国映画は何歩も先に進んでいるなと感じさせられました。
― 池松さんが何度も繰り返し観ている映画はありますか?
池松 : いっぱいありますね。最近だと、大島渚監督の『戦場のメリークリスマス』(1983)を観返しました。最近4K修復版が上映になったので、昨日映画館で観たのですが、素晴らしかったです。おそらく20回目くらいです(笑)。
― そんなに! お忙しいのに、いつ映画を観る時間をとっていらっしゃるんだろうと思いました。
池松 : いつでも観れる時に観ています。今まではたくさん観ていることをは内緒にしていたんですよ。恥ずかしいじゃないですか、シネフィルみたいで(笑)。あくまでも僕は俳優として作品を作り上げて提供する側なので、そこを外で話しても仕方がないという気持ちもありました。映画を探究する上では普通のことですし、隠さないことに決めました。
― 『戦場のメリークリスマス』は、どんなところに惹かれるのでしょうか。
池松 : あまりにも偉大な映画だと思っていますし、戦争映画で最も好きな一本といっても過言じゃないかもしれません。戦争映画は数あれど、あれだけ日本の戦争というものの歴史と人間の過ちにシャープにかつ人に愛情をもって切り込んだ大島渚監督という方はやはり凄いと思います。
「カラー映画」という意味においても、大島渚監督ほど「日本」というものを意識的に世界に向けて伝えようとした人はいないんじゃないかと思います。そんなことを研究テーマに『愛のコリーダ』(1976)と『戦場のメリークリスマス』を観直しています。
― 海外作品に参加されてみて、日本映画に対する思いの変化はありましたか?
池松 : 話し出したら色々と思うところはあるんですけど、それぞれの国に良いところがあって、暗部があります。どの国の映画が良いのか、という作品レベルの評価は簡単にはできなくても、今日本が文化レベルにおいて遅れをとっていることは誰もが理解しなければならないことだと思います。それは、映画に限らずですけど。
― 池松さんは、日本映画における希望がどこにあると感じられていますか?
池松 : そうですね…………このことに答えるにはあまりにも時間がかかります。あまりにも漠然とした答えになってしまいますが人と歴史じゃないですかね。何でもそうですが、人とこれまで辿ってきた正しい面も負の面も含めた歴史と、人とが全ての希望です。あまりにも大きな答えとなってしまいますが…映画が何を語ってゆくべきなのかをもう少しみんなで考えていくべきだと思います。
どれだけ一人一人が映画と対峙できるか。変わるべき古い体質、壊すべきシステムははっきり言ってたくさんあります。映画作りにおける内部だけでなく、社会全体に漂う空気や政治の問題などといったそれを取り巻く環境にも、見つめるべきことがたくさんあるのではないでしょうか。