目次
繰り返し観たい映画、そばに置きたい大切な映画、贈り物だった映画、捨てられない映画…。いろいろな旅を経て、棚におさまっているDVDたち。同じものはひとつとしてない棚から、そのクリエイションのルーツに迫ります。
DVD棚のある部屋は、すべてのきっかけとなる場所
「棚が倒れてきたら危ないので、本来は縦に置くべきものを横にして、DVDや本を積み重ねて収納しています。並べ方にこだわりはないですね。(笑)昔はVHSもたくさん持っていたのに、引っ越しの度に処分してしまって。」
人生でいちばん好きな映画3作品のDVDがどれも手元にないことを、今回の取材がきっかけで気づいたと笑うきくちさん。取材の前に送ったDVD棚についての質問を何度も読み返して、考えを巡らせてくれていました。
「私、ネットの動画配信チャンネルも複数利用しているので、DVDで持っている映画をオンデマンドで観ることもあるんです。(笑)不思議だなあ…どうして私はDVDを買うのかな、と考えるいい機会になりました。思ったのは、部屋で娘と遊びながらでも、ふとDVDや本の背表紙が目に入ってくると、そのことを考えますよね。『(この映画や本には)こういう言葉があったな』と無意識のうちに影響を受けているんだと思います。想像を絶やさないようにするために、私にとって本やDVDは大切な存在なんです。私の想いが本やDVDに乗せられてこの部屋に存在しているので、棚がある部屋にいると自然と言葉のネットワークに包まれているんです。私はこの部屋で、ちょこちょこネットワークにアクセスしながら考えを巡らせる。ここは、すべてのきっかけになる場所ですね。」
友だちみんなに貸したい、だから何とか手に入れた1本。
そんなお部屋にはどんなDVDがあるのでしょう。きくちさんがお守りにしているDVDはありますか?
「龍村仁監督のドキュメンタリー映画『地球交響曲ガイアシンフォニー 第三番』(1997年)です。 『地球交響曲』は“地球に生きるとはどういうことなのか”を解き明かすために第一番から現在第八番まで制作されているシリーズです。各編毎に例えば、福祉に携わる人や物理学者、冒険家などといった様々な職業の方5名ほどが登場し、それぞれの方に焦点をあて、“地球に生きる私たち”をテーマに取材をしています。第三番は写真家の星野道夫さんを特集しているのですが、彼は撮影開始直前に亡くなられてしまって。そのため、星野さんを取り巻くアラスカの人々を通じて、彼の生き方や思想が丁寧に描かれています。夫婦ともに星野さんの文章や生き方が大好きなんです。直接お会いすることは叶わなかったけれど、DVDを介して彼の知恵を伝授してもらったと思います。」
『地球交響曲』は手に入りにくく、いろいろ調べて、やっと手に入れたときくちさんは話します。
「友だちみんなに貸したくて、どうしても欲しかったんです。このシリーズの根底にある“地球で生きて死ぬのはどういうことなのか”といったメッセージを多くの人に伝えたいと思っています。でも自分の口では語りきれないので、このDVDを媒介にして伝えていきたい。友だちを誘って我が家で上映会もしたいです。」
自分の想いに気づくために、BGMのように映画を流す
高校生の頃、小説や映画を競い合うようにシェアする友人がいたきくちさん。当時は、DVDレンタルがまだなく、借りたVHSテープ(188×104×25mmとサイズも大きい)を3〜4本カバンに詰めてパンパンにして学校へ行き、放課後にレンタルビデオ屋さんに寄って返却しては、またたくさん借りて毎晩映画を観るのが習慣だったそうです。部活に入っていなかった彼女にとって、その時間が自分の糧となったそう。その後、アメリカ留学をしたときも、仕事を始めてからも、常にきくちさんのそばにあった映画ですが、出産をきっかけに観る時間はめっきり減っているそうです。インプットする時間がほしいという気持ちと子育てとの狭間で揺れることもありますが、「Wonder(いい意味での不思議)と暮らしている毎日が楽しい」とうれしそうに話します。
今回の取材で、彼女の口からよく聞いた「Wonder」という言葉。それを、彼女がお守りにしているというもうひとつの映画に見つけました。『ひかりのまち』(1999年)、原題は『Wonderland』です。好きな映画は繰り返し観るというきくちさんが「いちばん観ているかもしれない」と話す作品です。
「『ひかりのまち』は、ロンドンに住む3姉妹の日常を描いています。離婚をした人、恋人がいなくて悩む人、妊娠して旦那との関係が変わってしまう人、登場する人物それぞれに日々悩みがあります。そんな中で、映し出されるロンドンの景色が本当に美しくて、流れるように生きる日々が情景の美しさによって救われる感じがします。私は映画を普段から、画面の前に座ってしっかり観るよりも、BGMのように流しておく方が好きなんです。その方が、自分の毎日と映画が入り混じって、自然と自分の中にある切なさや幸せな気持ちに気づく気がします。」
なんの変哲もない毎日でも、自分なりの苦労も幸せもある。「みんないろいろな問題を抱えているけれど、結局はよく生きたい、幸せになりたいという同じ気持ちを抱えている」と周囲を捉えられるようになったというきくちさん。そのやさしい視線は、生まれて10ヶ月になる我が子にも注がれます。
「人生にはいろいろなことがあるけれど、この世界はWonderlandだよって伝えたいですね。」
言葉の仕事を夢みるきっかけになった作品
「棚を見返してビックリしました」と棚から抜き出してくれたのは2本の『気狂いピエロ』(1965年)。ひとつは日本語字幕付きの国内版DVD、もうひとつは海外留学時に購入した海外版DVD。日焼けによる古さも相まって、きくちさんと共に旅してきた時間を感じます。
「アメリカのソフトメーカーから発売されたこの海外版DVDは、パッケージデザインが独特なフォントと写真を使っているのでかっこよくて、集めたくなってしまうシリーズなんです。留学時にこのメーカーを知って、どうしても欲しくなってしまい、特に好きな監督・ジャン=リュック・ゴダールの『勝手にしやがれ』(1959年)と『気狂いピエロ』を買いました。そうしたら、『気狂いピエロ』は字幕付きの国内通常版のDVDも買っていたみたい。(笑)」
高校生の頃は、映画の字幕翻訳者になりたかったというきくちさん。ゴダールの作品を初めて観たとき、「映画って芸術作品なんだ」と映画への見方が変わり、夢への気持ちが高まったと話します。
「ゴダールの映画は物語のために言葉があるのではなくて…なんというのかな、言葉自体が輝いて見える存在だったんです。一番感動したのは『気狂いピエロ』の“言葉は闇の中でも輝くからだ”という字幕。そのセリフ通り、字幕がスクリーンの上でピカッと輝いて、“なんて素敵! なんて素晴らしい! なんてカッコいいんだ!!”と興奮しました。字幕なしの母語で映画を観ている人にはわからない、第二言語の人だからこそ楽しめる字幕は、特別な言葉なんだと思いました。」
『気狂いピエロ』で感じた「言葉へのときめき」は絶えることなく、字幕翻訳者を夢みた彼女は、現在も「言葉」を軸に翻訳や作品の発表を続けています。
「娘はまだ言葉がわからないから、『悲しい/嬉しい』という感情のラベル付けがはっきりとできていません。でも、人ってそもそもそういうものかなって最近思うんです。言葉のどこにフォーカスするかで、気持ちは変わってきます。私が見ていたいのは光のある方。『気狂いピエロ』の言葉で感動したように、読むことでじんわりと温まるような、養分になるような言葉を伝えたいですね。街を歩いていても目につくのは、週刊誌や広告などの利益や情報がつめ込まれた“何かのため”の空っぽな言葉ばかり。そうではない、自分の血肉となるような言葉を目にしてほしいので、作品をつくっているのだと思います。」
好きな映画は、素敵な言葉が出てくる作品と語るきくちさん。子どもが生まれ二人から三人の生活になったことで、彼女と映画の関係に変化が訪れたように感じました。パワーとなる言葉を側に置いて、我が子にとっての光となるような言葉を伝えながらも、自身で噛みしめていたのでしょう。『ひかりのまち』にあるシーンのように、薄黄色の細くきらめく「Wonder」という光が彼女の中に積み上げられているように思いました。
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