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不安定に揺れ動く14歳という季節
― SFホラー映画のポスター、漫画やCDが詰まった本棚、ベッドの横に置かれたLPプレーヤーやゲーム機。今作の多くのシーンで舞台となったのは、主人公の一人である14歳の男子中学生・磯辺の好きなもので埋め尽くされた部屋でした。思春期の頃の自分の机や部屋は、特別な意味を持つと思うのですが、みなさんは10代の頃どんなものを並べていましたか?
石川 : どうだったかなー。今の方が、好きなものを並べているかもしれません。当時は、好きなキャラクターのぬいぐるみとか、仲のいい友だちとの写真を飾るぐらいで。
浅野 : 今は、どういうものを集めてるんですか?
石川 : 側に置いておきたい本とか。漫画は厳選して置くようにしています。今の仕事を始めてから好きになったので。
― 石川さんは、2017年の20歳の時に俳優として活動を始めますね。それから、好きな本や漫画などを集めて部屋に並べるようになったと。
浅野 : 部屋に本棚はありますか?
石川 : あります、あります! 部屋の壁を本棚で埋めたくて。
浅野 : 1回それやりたくなるよね。
青木 : 僕の中学生の時は、漫画のキャラクターのフィギュアをいっぱい並べていたと思います。友だちと放課後に自転車を飛ばして、近くのゲームセンターまで行ってましたね。限られたお小遣いでめっちゃクレーンゲームしてました(笑)。
そこで取ったものとかを重ねて並べて、埃だらけになっても気にならなくて。ポスターとかも、結構貼ってあって。
― どんなポスターを貼ってたんですか?
青木 : 好きなアーティストのポスターでしたね。CDアルバムを買った時についてくる特典の。磯辺の部屋まではいきませんが、余白のない物でぐしゃぐしゃしてるのが好きでした。
今は、逆にポスターとかを貼るのが苦手になってきて。インテリアもシンプルなんです。でも、CDラック兼フィギュア置きみたいな棚が一個あって、その中だけは自分の好きな物でぐしゃぐしゃにしています。そういう願望はまだありますね。
浅野 : ふぅーん…。
― 今作のウエダアツシ監督が、「モノに執着して所有することを楽しんでいたのは、90年代後半に青春を送った世代が最後なのかもしれない」とコメントされていましたが、好きな物を並べたくなる気持ちは、2010年代に思春期をおくった若い世代のお二人にもあるんですね。
石川 : はい。
青木 : ロマンはあります(笑)。好きなものに囲まれる安心感というか。
― 90年代に思春期をおくった浅野さんは、どうでしたか?
浅野 : すごい昔話になっちゃうんですけど(笑)。
― はい(笑)。
浅野 : 僕は地方出身なので、欲しい物があってもなかなか手に入らなかったんです。例えば、ちょっと昔の漫画を買おうとすると、電車で20分くらい行ったところの古本屋に行かないといけない、とか。だから、10代の時は殺風景な部屋でした。むしろ、上京してからの方がいろいろ買えたので、一気に増えた感じはあります。本棚をびっしり埋めるというのに憧れがあったし。
最初に、まず大きな本棚を買うんですよ。そうすると隙間が気になるから、どんどん買っちゃうんですよね。
― 石川さんに引き続き、浅野さんも。
青木 : 僕もわかります…。
浅野 : でもわかったのは、今の仕事場にも大きな本棚があるんですけど、棚が埋まったらピタッと集めなくなって。厳選して置いているから捨てる本がないし、入れるところがないから満足しちゃうんです。
― 入れ替えもしなかった?
浅野 : しなかったですね。…あー、でもだんだん人の出入りが増えてくるにつれて、目につく棚には「これを見てほしい」という恣意的な選別が(笑)。で、本当の本当に自分が好きな本は、逆に棚の裏の目立たないところに置いたりして。
― 「他人の視線を意識する世界」と「自分だけで完結する世界」と。棚の中でも分けるようになっていくんですね。
浅野 : 使い分けていましたね。でも、基本的に僕は一人でいれるタイプなので、部屋は自分だけの空間だと思っています。思春期の頃は理想として、自分の好きなもので部屋を埋め尽くしたいとうい欲求がありましたね。
「自分」を表すSNSのアイコン
― 今作の磯辺は、自分と亡くなった兄の好きなもので埋めつくされた部屋に、自分を守るように籠もっていました。そこへ同級生の小梅を招き入れるところから物語が動き始めます。部屋の中で二人は体を重ねますが、心はつながれず、不器用に感情をぶつけあっていきます。
浅野 : お二人は若いから、思春期は少し前のことですよね。そもそも反抗期とかはありました?
青木 : 僕はありました! 誰もが通るような、典型的な反抗期でした。親から「塾の宿題やりなさい」とか言われて反抗するような。他人から指図されたくないという自我が出てきて。その不満をフィルターにかけないで、100%親にぶつけてましたね。
― その苛立ちというのは、小梅と磯辺のように、家族以外の周りの人にぶつける時もありましたか?
青木 : なかったです。友だちといる時は、結構八方美人タイプで。誰とも仲良くなれるし、誰からも嫌われたくないし、先生とも仲良くできるし、というずるいタイプだったんです(笑)。
― ずるいタイプ(笑)。
青木 : カードゲームを一緒にする友だちもいるし、外でスポーツを一緒にする友だちもいるし、クラスの誰とでも話せる人だったんで。だから、小中学校に通ってる時は、本当に学校大好き人間でした。
でも高校に入ってから、誰とでも仲良くするというのは無理だな、と気づいて。今の仕事を始めたことも重なって、「自分らしさとは?」を考え自分に向き合う時期になったんですよね。中学生の磯辺が考えていたようなことを、僕は高校生になってから考えるようになりました。
― 石川さんは、今隣でうんうんと聞きながら、何か思い出そうとしているような表情をしていらっしゃいましたが。
石川 : 自分の10代の頃を、しっかり話していてすごいなと思って…(笑)。
青木 : 長く話してすいません…。
石川 : いや、ちゃんと言葉にできていてすごい。私は反抗期が遅くて、高校の終わりくらいだったんです。
浅野 : 何に対して反抗してたの?
石川 : 何に対して…家庭に一気に変動があった時期だったので、すごい気持ちが沈んじゃったんです。だから、なんていうんだろう…悲しみ通すんだったら、もう破壊しちゃおうと。それが反抗期につながって。とにかく、自分からぶつかって砕けて、というのを繰り返してました。
― ぶつかる矛先は、誰に対してだったんですか?
石川 : 家族です。逆に友だちには、さっきの青木くんの話と同じで、誰にでも好かれたかったというか。いじめられたくなかったし、みんなを好きだと思いたかった。「この子はちょっと苦手だな」と思っても、仲良く見せたいという気持ちの方が勝って。そういう卑怯なことやってました(笑)。
― 卑怯なこと(笑)。
青木 : うんうん。
石川 : でも、それも途中で崩れちゃって。誰とでも仲良くするというのは、自分には合わなかったんだなって。そう気づいたのは、私も今の仕事を始めてからですね。出会う人みんなを好きになれなくても、自分にとって大好きな人がいれば、もうそれでいいなと思えるようになりました。
浅野 : 今、お二人の話を聞きながらずっと自分の思春期を思い出してたんですけど、中学生くらいまで自分は、わりと優等生というか、対外的には波風立たせないタイプだったんです。でも、高校生から一気に勉強ができなくなって、それに対する不満の矛先を、漠然と社会とか大人とか、そういう形のないことに向けていましたね。だから、怒りを内側に内側に溜め込んでいました。反抗期があったけど内弁慶で。
― 今作の磯辺も、言葉にできない喪失感を抱えていましたが、上手く表現できず、内側に溜め込んでいましたね。
浅野 : 磯辺は、内側に溜めた自分の感情的な部分を、小梅にしかぶつけられなくて、内弁慶な人間なんですよね。僕も内弁慶だったから、自分が自然に描けるのは、そういう姑息な…姑息な人間だなという気がしたんです。
― 姑息な人間。
浅野 : 10代の頃って、内側に溜め込んだ感情をぶつける先を探すのに、みんな必死だと思うんですよ。僕の場合は高校生の時に漫画家としてデビューしたので、ひたすら漫画に向けていたかな。思ったことはそこに描けば溜飲が下がるという感じでした。でも今は、当然のようにSNSもあるし、自分という人間が定まる前から「対外的な自分」を示さなきゃいけないじゃないですか。それは、結構大変だなと思います。
― 石川さんと青木さんは、思春期の頃からSNSを使ってましたか?
青木 : 中学生の頃はLINEを使ってました。
石川 : 私は高校生の頃ですね、LINEを使い始めたのは。
青木 : 僕は、LINEの自分のプロフィール画像を3日に1回は変えてました。
石川 : えっ(笑)、3日に1回!
青木 : 自分が何者なのかわからなくて(笑)。自分の好きなものも、本当に「自分が」好きなのかわからなくなって、気に入らなくなって、次々と変えてました。
浅野 : あー。
青木 : 自分がそういう目で人を見ていたんだと思います。「この人はこういうプロフィール画像だから、こういう性格なんだろうな」とか、そういう歪んだ考え方が、巡り巡って自分に刺さったという。
最近は逆に、プロフィール画像はもう初期設定のままです。「無」というか。
― 「無」なんですね(笑)。
青木 : まだ「これが僕です」というものが定まっていないから、常に無色のニュートラルでいようかなって…僕の卑怯さが生み出した現段階なんですけど(笑)。
浅野 : (笑)。石川さんのLINEのプロフィール画像はなんですか?
石川 : 私は、人と一緒に映っている写真が最初で、その後はビョーク(アイスランドの歌手、シンガーソングライター)でした。
浅野 : それは、好きだから?
石川 : はい。それに、みんなに知られてもいい「好き」だから。やっぱり、LINE交換した人にプロフィール画像を見られる、ということを考えちゃいますね。前は特に気にしていました。でも、今は真っ黒の画面にしてます。
― 真っ黒!
青木 : あーー。いたなぁ、真っ黒の人(笑)。それはそれで、その人の思いが見えますよね。
― 真っ黒にしている意図が見えると…。色々考えた結果、「初期設定」や「真っ黒」に行き着くんですね。
浅野 : 昔だったら、誰も認識できないまま流せていた、なかったことにできていた自分の姿も、今は全部形に残っちゃうので慎重になりますよね、どうしても。
ちなみに僕のLINEのアイコンは、自分の漫画のキャラクターにしています。そのまんま。何も考えたくないから。「なりすましか!」っていうくらい(笑)。
青木 : それいいですね。僕も宣材写真とかにしようかな…!
浅野 : ツッコミも入らないですよ(笑)。
卑怯で、ずるくて、姑息で。
相手に、合わせ鏡のように映る自分の姿
― 今作の原作となった『うみべの女の子』のように、『素晴らしい世界』や『おやすみプンプン』など浅野さんの作品には、制服を着ている世代の人物が多く登場しますね。
浅野 : 今日お二人と話したように、中学生とか10代は自分をわかりきっていないし、まだ客観性を持っていない。だからこそ、起こるドラマというのがやっぱりあるんですよね。僕は、そこにどうしても魅力を感じちゃうんです。逆に大人とか、倫理的に優れている人は、「正しさ」はあるんですけど、物語として面白いかというと、僕はあまり惹かれなくて。
― 未熟さゆえに人と衝突する、そういう中で起こる物語に惹かれるのですね。
浅野 : 僕が20代の頃は、まだ自分もその世代に近かったというのもあり、当事者として描いていたところもあったんです。『うみべの女の子』を描いてたのは30歳前後くらいだったので、当時のことを客観視して描けるようになっていた時期でした。
― 漫画『うみべの女の子』は2009年に発表されました。
浅野 : 本当だったら、人に言えないような、その頃は周りに隠していたようなことも、一周回ってノスタルジックに感じられるようになっていた頃で。それも自分を形作るひとつなんだよなって。それならば、漫画に描いておこうと。
― 自分の現在地から思春期を振り返ることができるようになった、ということでしょうか。
浅野 : はい。だから逆に言うと、10代のキャラクターの内面を描くというのは、この作品を描き終わったあたりから、あまりしなくなりましたね。思春期をテーマにするという意味では、すごくいい時期に描いていた作品でした。
10代を描いた他の作品もありますけど、『うみべの女の子』は本当に思春期や14歳ということをテーマの中心にすえたものなので。
― 「当時の自分を客観視する」というお話がありましたが、思春期の頃は、そうやって他人に見られる自分を意識したり、相手を通して自分を見つめたりする時期でもありますよね。
青木 : 僕が、当時を振り返ってすごい覚えてるのは、「恋愛している自分」が嫌いだったということです。誰かを好きになりたいのに、自意識が先に出るというか、恋愛してる自分を客観的に見て、取り繕ってるように見えちゃうんです。だから、人を好きになると同時にどんどん自分が嫌いになって。
― 恋愛をしている自分のどういうところが、取り繕っているように見えたんですか?
青木 : 好きな人に優しくしても、「今のは、巡り巡って本当はただの自己満足だったんじゃないか」とか思ってしまって。友だち相手だと全然考えないんですけど、恋愛という関係になると「何かやってあげなくちゃ」という意識もあって、相手に向ける気持ちが自分の本心なの?とか、余計なことを考えて面倒くさくなっちゃうんですよね。
石川 : 私は、中学生の時は、自分の嫌な面と向き合うところまで全然至っていなくて。周りから見ても、自分大好き人間だったと思います。小梅も、自分の嫌な部分を突きつけてくるような人は、磯辺くらいだったと思うんですけど。
浅野 : 僕は、自己嫌悪みたいなものはありましたね。自分が理想としている自分になれない、という意味での自己嫌悪はありました。さらには「他人」に対する苛立ちも、実は合わせ鏡みたいなもので、結局自分に返ってくるということがすごく多かったです。
― 自分に対する苛立ちだけでなく、他人に対するものも、結局は「自分」だと。
浅野 : 自分の欠点を修正すれば、それまでイライラを向けていた人が全くの他人になるというか、気にならなくなるんです。誰かのことを嫌いと思った時は、まずその人を責めるんじゃなくて、自分を振り返るべきだと。そう思うようになってから、結構人間関係がスムーズになりましたね。
青木 : なるほど…。
― それを思春期の頃に気づいたんですか?
浅野 : 高校生くらいですかね。
― 早熟ですね!
浅野 : それくらい自分もわがまま放題だったし、人に対しての苛立ちもすごかったんです。高校時代に、友人関係でものすごい大きな後悔がひとつあって、それが自分のことを見直すきっかけになりました。
でも、そういうことがないと、自分を客観的に見るということは、難しいですよね。いろんな後悔が今の自分を作っているな、と今振り返ると思います。
石川瑠華、青木柚、浅野いにおの
「心の一本」の映画
― では、最後にみなさんがこれまでご覧になってきた映画の中で、思春期に観て心に刺さった、あるいは自分の思春期を思い出した作品を教えて下さい。思いついた方から、どうぞ!
青木 : はい! 僕は中学の時に卓球部だったので、曽利文彦監督の『ピンポン』(2002)を何十回も観てました。憧れの塊、みたいな。僕、行動を起こすための原動力が「憧れ」であることが多々あるんですけど、そういうことが映画で起きたのは『ピンポン』が初めてでした。
― 卓球という競技を通して高校生たちの青春や挫折を描いた、松本大洋さんの漫画が原作、宮藤官九郎さんが脚本をつとめた作品です。今作の磯辺の部屋にも、松本大洋さんの漫画が置かれていましたね。この映画の、どのようなところに憧れたんですか?
青木 : スカッとする青春映画でもあるんですけど、刹那的な輝きも描かれていますよね。中学生ながらに、「今を一番生き生きと過ごせたらいいな」と思ったというか。繰り返し観ることで、観るたびに印象が変わってくる映画の良さ、というのを初めて感じたんです。
言葉にうまくできないですけど、「生きている人」というか「生き物」としての煌めきが伝わってくる。「こんなふうに生きたい!」という高揚感があるんです。
石川 : 私が思春期を描いた映画で好きなのは、『ヒミズ』(2011)です。20歳くらいから私はこの仕事を始めたんですけど、それまではいわゆる大きな映画館で公開されるような映画しか観ていなくて。でも、『ヒミズ』を観たことによって、「俳優って自分が思っていたものと違うんだな」というのを知ったんです。「こういう俳優になりたい」と明確に志す、きっかけにもなりました。
― 古谷実さんの漫画を原作にした園子温監督の『ヒミズ』は、深い孤独を抱えた15歳の主人公と、彼を支えようとするクラスメイトの女の子が、絶望の中でも小さな希望を探していく作品ですね。その二人を演じる染谷将太さんと二階堂ふみさんの存在が、世に広く知られるようになった作品でもあります。
石川 : 思春期という狭い世界の、苦しい環境の中で、泥まみれになりながらも「幸せ」までは到達できないかもしれないけど、二人で正解を探していく。誰かがいてくれて救われることもあるし、逆に傷つくこともあるけど、人は本当に一人では生きていけないんだということを、お二人の演技やセリフの奥から感じられたんです。
― 石川さんは以前、目標とする役者さんとして二階堂さんの名前を挙げていらっしゃいましたね。
石川 : はい。「結婚しよう」と女性からプロポーズするあのシーンも、めちゃくちゃ心に残って…! 初めて観た20歳のときはわからなかったんですけど、最近改めて観た時にそう思いました。
私は、女性男性って分けるのが好きじゃないと昔から言ってるんですけど、女性が強くて、頑張っている映画をどうしても応援してしまいます。
浅野 : 僕は、今でいう「中二病」的に影響を受けたのは、岩井俊二監督の『PiCNiC』(1996)ですね。
石川・青木 : あーー!
― 様々な事情で心に病を抱えた3人が、一緒に精神病院を抜け出し、塀の外を冒険していくロードムービーのような作品ですね。岩井監督は当時「日本を“病院みたい”だと感じ、それをこの作品で表現した」と語っていました。
浅野 : 高校生くらいの時に観たんですけど、「自分は今一体何を観てるのか…」と、全然飲み込めなくて。それまで、すごくわかりやすいものだけしか観ていなかったんで、衝撃だったんですよね。
― そういう意味で、中二病的と。わかります。
浅野 : 「こういう作品が世の中に存在するんだ」ということに、希望を感じたんです。自分が知らない世界もまだまだあるな、と思えた。登場人物たちの自暴自棄なところも含めて、10代の自分ともリンクしましたし。
― 浅野さんが、内側に不満や怒りを溜め込んでいた時期ですね。
浅野 : そうです。この映画は、登場人物たちがとにかくずっと苛立ってるんですよね。その感じも、当時の自分には響くものがあって。岩井監督の他の映画も、当時たくさん観ていました。観る側に託している部分も多く、そういう表現も含めていいなと思っていましたね。