目次
「かっこいい人たち」の中で
ふざけることができる贅沢さ
― 先程の写真撮影では笑い声が絶えず、みなさんの関係性が見えてくるような楽しい雰囲気でした。
麻生 : 撮影前、少しお待たせしちゃってすみませんでした…!
オダギリ : いやいや、僕たちがね、勝手に麻生さんを待ってただけですよ。
池松 : ふふ。
麻生 : 優しい! こういう感じでね、現場でもいつも優しいんですよ。
― オダギリさんはこれまで、池松さんとは『アジアの天使』(2021)、麻生さんとはドラマ『時効警察』シリーズ(※)などで共演されてきました。『オリバーな犬、(Gosh!!)このヤロウ』は、オダギリさんが連続ドラマとして脚本・演出を手がける初の作品ですが、その挑戦作の中心にお二人を選ばれたのは、なぜですか?
オダギリ : まず、池松くんにお願いしたのは、共闘できる人だからです。自分が初めて手がけるドラマなので、やっぱり本当に信頼できる人と共に闘いたい、ということですね。
― 池松さんは、鑑識課警察犬係に所属する警察官の主人公・青葉一平役を務めています。池松さんのどういう姿に信頼を置かれたんですか?
オダギリ : 俳優としての意識の高さですね。作品に真摯に向き合って、ちゃんと「俳優であろう」としている。池松くんと同世代やもっと若い人の場合、価値観がまだ揺れている人が多いと思うんですけど、池松くんは自分のやりたいことがクリアに見えているように感じます。そういう所は、同業者から見てもわかるよね?
麻生 : …はい!
池松 : (笑)。
麻生 : や、でも池松くんって、ベテラン俳優のような佇まいなんです。テンションの浮き沈みもあまりないし、いつ見ても同じ感じ(笑)。いい意味で動じない。それがすごいなと思います。あんまりいないタイプ。
― 今作でも、國村隼さん演じる課長をはじめとした個性的な登場人物たちは、戸惑いながらも動じずに突っ込みを入れていく青葉が中心にいるからこそ、さらに際立つ印象がありました。
オダギリ : 池松くんは、シリアスな人間ドラマに出演しているイメージが強いじゃないですか。でも、コメディセンスももちろん持ち合わせているから、「こういう池松くんも見たいでしょ?」と、新たな池松くんの軽やかな一面を世の中にプレゼンしたかったんです。
― そのオダギリさんの依頼を受けて、池松さんはいかがでしたか?
池松 : オダギリさんと兄弟役を演じた『アジアの天使』の撮影の時に、出演のお話をいただいたんです。その前に、オダギリさんから「次こういうことをやろうとしている」というのは、お酒を飲んでいる場で聞いていて。「あー、面白そうだな」と思っていたんですが、撮影の終盤くらいで、ふとそのことを伝えられて。まさか自分に依頼がくるとは思わなかったので、驚いたのですが…実はとても嬉しかったですね。
― 今作を彩る共演者、永瀬正敏さん、本田翼さん、柄本明さん、佐藤浩市さん…などなど、オダギリさんの鶴の一声があってこそ一作品に集まったという、本当に豪華な顔ぶれですよね。
池松 : ほんとに。みなさん現場ですごく楽しんでいて…。なんかね、その光景を見て、いいなーと思いましたよねぇ…。
麻生 : ふふっ。
池松 : え、なんで笑ったんですか?
麻生 : だって、なんか喋り方がいいなと思って…独特だよね。
池松 : (笑)本当に普通に喋ってるだけです。よく言われるけど。
麻生 : いや、いい意味でだよ。ね?
オダギリ : ニヤニヤしながら「いい意味でだよ」はダメだよ(笑)。麻生さんのキャスティングでいうと、本当はお願いしたくなかったんですよ。
麻生 : コラっ(笑)!!
― どうしてですか!?
オダギリ : 僕と麻生さんだと、やっぱり『時効警察』を連想させてしまうかなと思ったんです。
― 今作で麻生さんは、主人公と同じ鑑識課警察犬係に所属する漆原冴子を演じています。『時効警察』シリーズでも警察官を演じていらっしゃいましたね。
オダギリ : 2人とも『時効警察』を大切に思っているし、麻生さんには、そのことを直接相談しました。「本当は麻生さんに出演してほしいんだけど、今回はちょっと諦めてくれない?」って。
麻生 : ひどいですよねー!
― (笑)。それでもオファーされたのは、やはり深い信頼があったからですか?
オダギリ : 「あたし、降りたくない!」って言うから(笑)。
一同 : (笑)。
麻生 : ちょっと、暴露しないの!
池松 : そうだったんだ(笑)。
― オダギリさんは『時効警察』で麻生さんと共演された頃からずっと「麻生さんが面白い」と公言されていたそうですね。
麻生 : 私をからかうのが好きなだけだよね(笑)。
オダギリ : いや、めちゃめちゃ面白いよね?
池松 : 面白いですよ。
― (笑)。撮影現場も、こういうハッピーな雰囲気だったんだろうなと想像するのですが。
麻生 : 現場ではね、オダギリさんとはあんまり話せなかったんだよね。
オダギリ : そうなんです。今回は監督なので、現場でも終始バタバタしていて。不安なことも色々ありましたし。ちゃんと準備できているだろうかとか、麻生さんがちゃんと台詞を覚えているだろうかとか…。
麻生 : それ! 台本に書いてたんですよ(笑)。「麻生さんがちゃんと台詞を覚えられるか心配だ。でも頑張ってほしい」と、ト書きに。しかも、役名ではなく、実名で!!
一同 : (笑)。
麻生 : あと、私本当にアドリブが苦手なのに、「ここはアドリブでお願いします」と書かれているところもあって。しかも、「笑うかどうかは麻生さん次第」って(笑)! 池松くんと一緒のシーンでね? 頑張って3パターンも披露したのに、ほぼカットされました!
池松 : いやいや、面白かったですよー。1個目しか覚えてないですけど。
オダギリ : (笑)。
― 独特のユーモアある会話劇の中から、笑いが生まれるシーンも多くありましたが、そういう創作を楽しむみなさんのモチベーションあってこそだったんですね。
池松 : 楽しんでいましたし、そういう環境を与えてもらえました。コロナの年の末に、撮影が始まったことへの喜びと、オダギリさんが集合をかけてくれた喜びと。やっぱり、オダギリさんの呼びかけで集まった人たちなので、「かっこいい人」ばかりなんです。そういう面々で、お祭りのように撮影を喜び、ふざけあって毎日が過ぎていくことがとても贅沢でしたね。
不安だらけの時代こそ
自由とラジカルであれ
― オダギリさんは、ドラマ『オリバーな犬、(Gosh!!)このヤロウ』が生まれた背景について、「昨年の緊急事態宣言中、巣ごもりと言われる生活を送りつつ、この時代に描くべき作品は何か? と自問しながら書いた」とおっしゃっていましたね。
オダギリ : 第一回目の緊急事態宣言が出た中で、脚本を書いていたんですよ。初めての状況にみんな戸惑い、社会全体が不安を抱えていた時でした。そういう状況下だったので、「アートやエンターテインメントは本当に必要なのか」と、それに関わっている多くの人が悩んだと思うんです。東日本大震災の時もそうだったんですけど、「自分が存在する意義」を疑ってしまうんですね。
麻生 : うん。わかります。
オダギリ : 「今、役者をやってて何の意味があるのか」ということが離れないんです。でも一方で、こういう時だからこそ、アートやエンターテインメントが心の安らぎや、ひと時の高揚を与えてくれることも事実だと気づくんですよね。家から出られないあの時期、色々考えた先に辿り着いたのが、「ただ単純に笑える作品をつくりたい」ということでした。
― 以前、アキ・カウリスマキ監督の映画『希望のかなた』(2017)で主演を務めたシェルワン・ハジさんにインタビューしたのですが、「人生の悲しみにどう対抗し、消化していくのかがユーモアにつながっていく」とおっしゃっていました。
オダギリ : そうですね。今こそ、「何も考えず笑える」ものが悲しみや苦しみを癒すことにつながるんじゃないかなと。それがテレビの良さでもあると思うんです。
― 見る側の生活に深く入り込んでいる、テレビドラマだからこそと。
オダギリ : はい。映画だったら全く違うベクトルで考えていたと思います。
― 池松さんも、今作の出演にあたり「可笑しさとは時に、困難に打ち勝つための力を秘めている」とコメントされていましたね。
池松 : 今の時期に、こんな“可笑しな作品”を考えられる人って、そうそういないと思うんです。最初にお話を聞いた時は、やっぱりオダギリさんって変だなと思いました(笑)。このドラマに漂う「自由さ」と、ユーモア。あと、ある過激さ。
これって、今だからこそ必要なことだと思うんですよ。過激、というとネガティブな言葉に聞こえるけど、例えば「ラジカル」という言葉があるじゃないですか。
― はい。英語の「radical」が語源で、「急進的、革新的」などの意味でも使われますね。
池松 : 「根源的」という意味もあって。この世界は今ラジカルな力を求めていますよね。破壊から再生に向かうために必要な飛躍的な力を。その「根源的なことを進める力」として、“笑い”という表現を選ぶところが、非常にオダギリさんらしいなと思いました。
― オダギリさんは「世の中の何が真実で、何が虚構か。世界はとても不確かなものです」ともコメントされていますね。登場人物たちが事件を追いかけていく姿を、ユーモアで描いているその奥に、私たちが感じている「何が真実なのかわからない不確かさ」が炙り出されてくる感覚もありました。
オダギリ : そうですね。脚本を書くとなると、日々の生活における疑問とか、今までの人生で感じてきたことがこぼれ出てしまうことがあるんです。「自分」を見せることでもあるので、恥ずかしくもあるんですけど。でも、それが作品の幅や深みを出してくれると信じているので、開き直るしかないんですが。
池松 : そういう表現だからこそ、ぜひ参加したいと思いました。出演者のみなさんもそうだと思います。そういうものを届けられるのは、とても嬉しいことで、誇らしいことです。このチームじゃなきゃ、オダギリさんじゃなきゃ、できないことをやってきたと思っています。
麻生 : 私は、コメディを観るのがすごく好きで。だから、観て笑ってもらって、それが誰かの活力になるなら、私が少しでも役に立てるならば、と参加させていただいたんです。でも、思った以上にパワーが必要でした(笑)。本当に楽しかったんですけど。
オダギリ : 麻生さんとは一緒につくっている感覚があるんですよ(笑)。今回も様々な役名を考えてもらったり、麻生さんの言葉や行動からアイデアをもらうことがありました。
麻生 : 私が演じた漆原冴子は、前髪が極端に短いというキャラクターなんです。その設定も、たまたま私が短くなった前髪の写真を送ったら採用されて、そんなキャラクターに!(笑)
池松 : そういうことだったんですね(笑)。
オダギリジョー、池松壮亮、麻生久美子の
「心の一本」の映画
― 今作にフリーライター溝口として出演する永瀬正敏さんは、ドラマ『私立探偵 濱マイク』以来、19年ぶりの地上波連続ドラマ出演となるそうですね。以前、取材した高良健吾さんは『濱マイク』をきっかけに、演出をしていた監督や永瀬正敏さんの映画を追いかけるようになったとおっしゃっていました。磯村勇斗さんは、オダギリさんが大好きで、俳優を目指していた学生時代、出演作をたくさん観て影響を受けたとおっしゃっていました。
― みなさんにとって、表現者としての「今」のご自身につながるきっかけとなった映画やドラマはありますか?
麻生 : なんだろう…。私は、観終わった時に明るい気持ちになりたいので、コメディが好きなんですよね。今ふと思い出したんですけど、ドラマ『パパはニュースキャスター』がすごく好きでした。
― 『パパはニュースキャスター』は1987年に放送された田村正和さん主演のコメディードラマですね。家庭とは無縁の生活を送っていた独身ニュースキャスターのもとに娘と名乗る子供が3人も現れ、同居生活することになります。
麻生 : 娘役として出演していた、3人の女の子たちを観て「あんな風にテレビに出れたらいいなー」と憧れてました。
― 麻生さんが小学生の頃の放送のドラマです。表舞台で演じたい、と思うようになったきっかけの作品だったのでしょうか。
麻生 : そうですね。でも私、もともとはアイドル歌手になりたかったんです(笑)。
オダギリ : そういえば、『帰ってきた時効警察』でもアイドルばりに歌ってたよね!
麻生 : そう。だから、昔はお芝居したいという思いは全然なかったんです。でも、『カンゾー先生』(1998)に出演した時、スタッフの方から「映画に出続ける女優さんになってほしい」という声をかけていただいて。そこから意識が変わりました。「あ、そうか。それかっこいいかも…!」って。
― 『カンゾー先生』は、戦争下の岡山県を舞台にした今村昌平監督の作品です。麻生さんは、柄本明さん演じる“カンゾー先生”のもとで働く看護師・ソノ子を演じ、日本アカデミー賞最優秀助演女優賞、新人俳優賞をはじめとする数々の映画賞を受賞されました。この作品をきっかけに俳優の道を進まれたんですね。
麻生 : そうですね。アイドル歌手は、これから目指しても、もうなれないですもんね…。
オダギリ : え? 今からって話??
池松 : いやいや(笑)。
オダギリ : いや、わからないですよ。麻生さんならやればできる!
麻生 : いや、笑ってるじゃん(笑)。でも、数年前にあるアイドルのコンサートに行ったんです。その時、すっごくキラキラと輝いている姿を見て、「あー私もここに立ちたかったんだよなー」とは思いましたね。
オダギリ : 未だに思うんだ…。それ、書きましょうか? 映画とかドラマって、そういう夢が叶う場所でもあるじゃないですか。
麻生 : やめてやめて! なになに、私に何させる気!?(笑)
― (笑)。池松さんは、PINTSCOPEの以前のインタビューでもお好きな映画をたくさん挙げてくださいましたが、今のご自身につながるような作品はありますか?
池松 : なんだろうー。先ほど『希望のかなた』が話題に出ましたけど、アキ・カウリスマキ監督の映画は、本当に夢中になりました。エミール・クストリッツァやジム・ジャームッシュの作品も。
― それぞれ、80年代に登場し、映画表現を刷新する作品を生み出した監督たちですね。日本ではミニシアターブームの火付け役ともなりました。
池松 : 今名前をあげた人たちの作品もそうですが、僕はけっこうあらゆるジャンル、あらゆる国の好きな映画からそれぞれ少しずつDNAを受け継いでいる自覚があります。
オダギリ : 僕は、ジャン=ピエール・ジュネ監督の『デリカテッセン』(1991)という映画が好きで、その世界観に大きな刺激を受けましたね。
― 核戦争終結から15年後という、近未来のパリを舞台にした作品ですね。SF映画のような世界観の中に、ジュネ監督らしいブラックユーモアの効いた映画ですが、どういったところが、オダギリさんの「今」につながっていますか?
オダギリ : 近未来の荒廃した街の作り込み方が、とっても独創性に満ちているんです。限られたセットでも、限りない世界観を作り上げることができるというのを見せつけられた気がしました。そういうクリエイティブさに憧れを持ちましたね。ジュネ監督の作品はこれまで逃さず観てきたし、こういうものづくりの人になりたいなと思った監督の一人ですね。
― ジュネ監督の映画は、いつもどこかにユーモアがあります。不思議な世界に住む、奇妙な住人たちと言いますか。
オダギリ : うん、そうですよね。あ、それで今思い出したんですけど、今回の脚本の世界観をスタッフに説明する時に、美術チームに対して色使いはジュネ監督の『アメリ』(2001)みたいにしたいと言ってたんですよ。
池松 : おっしゃってましたね。
オダギリ : 言ったんですけど、制作過程でだんだん方向性が変わっていったんです。さすがにパリの街の色使いを東京に求めるのは難しかったんですよね(苦笑)。
― 作家性や独創性というものを、ドラマを入り口として知る人は多いと思います。また、昨今では『スパイの妻』や『本気のしるし』のようにスタートはドラマですが、その後映画として世界に届けられる作品もたくさんあります。映画とテレビの違いを、届ける側として、どのくらい意識していらっしゃいますか?
オダギリ : それを語るのは時間が掛かります(笑)。ただ、俳優の立場で言うと、僕らの時代は、まだ「映画俳優」という人たちがいたんですよね。そこに憧れを持てたし、プライドを持てたんです。でも、今はもう死語に近いですよね。僕らの世代が、そういうのは最後なのかなという気がします。
麻生 : うん。そうかもしれないですね。
オダギリ : ただ、僕はやっぱり、映画に育ててもらったし、映画に助けてもらった人生なので、映画を大事にしたい思いは変わらないんです。やっぱり、映画は映画館で観てもらいたい。そういうつもりで映画をつくってますね。
今作『オリバーな犬』はテレビドラマという意識ではありましたが、映画館で観てもらうつもりで仕上げました。この前、試写の時に大きいスクリーンで観たんです。やっぱりそれがベストな観方でしたね。
― 大きなスクリーンで観るというのは、ひとつの「体験」ですよね。
オダギリ : やっぱり、映画館で観ないと伝わらないこともあるんです。特に音の表現などは。若い世代の人たちも、スクリーンで観るという体験は逃さないでほしいなと思います。今はスマホで簡単に映画を観れちゃいますけれど、それとこれとは全く違う体験が待ってるので。ぜひ映画館で、作品の本質を感じてもらいたいなとは思いますね。
※テレビ朝日系の金曜ナイトドラマで放送されていた、オダギリジョーさん主演のコメディとミステリーが共存する刑事ドラマシリーズ。