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すべてに共感できるわけではないヒロイン
― 首藤監督は、「この作品が撮れないなら人生が終わる」くらいの熱量で、綿矢りささんの小説『ひらいて』の映画化を熱望されたと聞きました。「好きな人に好かれるという恋愛の形からはみ出した世界観、思ってもみない方向から人が人に受け入れられる物語」に感銘を受けたそうですね。
首藤 : 初めて読んだのが、17歳でした。愛のすべてに共鳴して、ものすごく思い入れを持っていました。ですが、脚本を書きながらいろんな人の意見を聞くうちに、どうやら多くの人は愛に感情移入できないらしいと知ってびっくりしたんです。
― 愛の複雑さは、語りたくなりますよね。「好きな人の、好きな人」を自分のものにしようとするなど、愛は自分の感情が動けば、相手に遠慮することなく行動に移してしまいます。
― その自由さと潔さを羨ましく感じる反面、暴力一歩手前の、感情を剥き出しにして行動できる激しさゆえに、すべて共感できるヒロインではありませんでした。みなさんは、愛の魅力をどう捉えていましたか?
首藤 : ここにいる3人は、一度は愛を試みた人たちですもんね。綿矢さんは愛として小説を書かれて、私は愛として脚本を書いて、山田さんは愛自身を演じて。
山田さんは、愛が嫌いだったんですよね? コメントを見て、びっくりしてしまいました。「嫌いだったんだ!」って(笑)。
山田 : 監督が聞いた周りの意見のように、嫌いというより、わからなかったです。演じている時は特に、自分の価値観とは違うところが多かったので、どうしてああいう行動を取れるのか気になってしまいました。でも、試写を拝見してやっと、愛のことをおもしろいと思えるようになりました。今の方が、愛をずっと好きです。
首藤 : 撮影中はずっと、「愛がわからない」とおっしゃっていましたよね。
― 具体的に、どんなところがわからなかったですか?
山田 : そうですね。あらゆる行動に理解が苦しんだんですけど……たとえば、たとえが好きなのに、どうして美雪に感情が向かうのかという話は監督と何度もしました。好きな人を自分のものにするために、「好きな人の好きな人」も自分のものにしたい、という感情はわかるけれど、どうしてそれを行動に移せるのかわからなかったんです。
綿矢 : 愛は、恋にまっすぐなんですけど、そのまっすぐさが間違った方向にずれている人。思いの強さを、「好きな人」じゃなくて「好きな人の、好きな人」にぶつけちゃうなんて、まさにずれていますよね。なんというか、不器用でいじらしいタイプの女の子をイメージして小説を書いていたんですけど、映画を観たら、すごい気合いの入った子なんだと思いました(笑)。
首藤 : 気合い(笑)。
綿矢 : 書いていた時は気がつかなかったんですけど、肝が据わっていると思いました。階段の上から躊躇なくゴミ箱を投げてしまうし、美雪の自宅で美雪と体を重ねようとするし。校舎が閉まっているのに、好きな人が恋人と交わしているラブレターを覗きたいがために、落ちたら怪我をするような高いところから無理やり校舎に入っていくシーンは、見応えがありました。なんて、潔い人なんだろうと。
首藤 : 山田さんとは必ず、演技をする前に「愛ならどうすると思う?」という会話をしたんですよ。ゴミ箱を投げるシーンは「(愛なら)どうすると思いますか?」と山田さんに聞いたら「躊躇なく投げます」と言われて。実際に演じてもらったのを見たら、これが愛だって思いました。
― 愛の意志の強さを表すような、まばたきをほとんどしない表情も印象的でした。
綿矢 : 私も、愛のまなざしが印象に残りました。彼女が隠し持つ感情の激しさが、「口」だけではなく「目」からも伝わってきたんです。ポスターに映されていた愛の表情もそうでしたけど、睨み返すくらいキリッとした視線が似合うヒロインを初めて見ました。行動と気性の激しさが完璧に表現されている表情や身体の動きが、頭に焼き付いています。
山田 : ふふ、嬉しいです。あまり目を動かさないで、まばたきをしないように意識していたんです。その方が、愛っぽいかなと思って。
綿矢 : 愛って成績も良くて、明るくて、クラスでも目立つタイプの女の子じゃないですか。会話も得意だけど、たとえと美雪に出会って気持ちが荒んでいくにつれて、「リア充の会話」がちょっとずつよくわかんなくなっていくんですよね。初めの頃のキラキラした感じから、心に迷いが生じて人間として複雑になっていく感じが伝わってきました。
首藤 : 愛って、自分のルールがはっきり決まってると思うんですよ。毎朝スムージーを飲んでいたり、学校へ行く前に髪の毛を必ずセットしたり。だけど、気持ちが荒んでいくにつれ、全部どうでもよくなって、終盤には高カロリーだから平常時は絶対に口にしないマフィンを食べちゃうんです。
そのシーンの撮影で、山田さんに「マフィンいっぱい食べてくださいね」と伝えたら、「マフィン大好きー!」っておっしゃってたんですよ(笑)。「愛がわからない」ってずっと悩まれていたんですけど、その姿を見て「愛がわからない」ことを自然に受け入れていると思いました。
― 山田さんは「(愛を)今の方が好き」とおっしゃっていましたが、撮影後、愛との距離が近くなりましたか?
山田 : どうですかね。一歩引いて見られるようになって、愛を羨ましいと思うようになりました。あそこまで大胆に行動できたら楽しいだろうし、愛の思い切りの良さには憧れます。
首藤 : 好きか、嫌いかで言うと?
山田 : 周りにはいてほしくないですよね(笑)。ものすごい勢いで、感情のままに動いているから、突然巻き込まれそうで怖いです。首藤監督は?
首藤 : 私も、好きなのかはわからないです。愛は、友だちから「好きな人いる?」って聞かれても、いるのに、頑なに「いないよ」って答えるじゃないですか。あれだけ距離を取られてしまうと、友だちになるのは難しいなって。綿矢さんは、小説を書きながら愛のことをどう思ってましたか?
綿矢 : どちらかといえば、ああいうタイプの人は好きなので、いいなあと思いながら書いてました。愛ってところどころ同性にとっても優しいですよね。「好きな人の好きな人」である美雪と会っている時も、ただ彼女を傷つけたいわけじゃなくて、心から愛して、抱いている感じがありました。映画を観てあらためて、ただ人を傷つけるだけの人ではなくて、好かれる魅力がある人なんだなって思いました。
身体の関係が先でも、
愚かではないはず。
― 先ほど、綿矢さんから「愛は『好きな人の好きな人』である美雪を、ただ傷つけたいわけではなく、心から愛して抱いている感じがあった」という言葉がありましたが、首藤監督は今作で「愛が心をひらいて、美雪が身体をひらく。心と身体の繋がりはすごく大事にしたかった」そうですね。
首藤 : まさに、『ひらいて』は心と身体の話にしたいと思っていました。小説に思い入れがある分、映像で役者さんの身体を使ってできることは、このテーマだと。なので、脚本の段階から意識して書いていました。
それを誰からも指摘されなかったんですけど、初めて脚本を綿矢さんに読んでいただいた時に、メールで「心と身体が描かれていましたね」と送ってくださって。綿矢さんはわかってくれている、と興奮したことを思い出します。
― 愛は「身体を先にひらく」タイプでしたが、美雪と出会い「心もひらいていく」ことで、心と身体が一致する喜びが生まれます。美雪も、愛と出会って初めて「身体をひらく」経験をする。
山田 : 愛の「身体をひらく」行為は、直感的ですよね。それをどうにか理解したいと、監督と何度も話し合ったんですけど、たとえと言い争った後に美雪の家に向かうシーンで、愛のことがちょっとわかった気がしました。それが、心と身体が一致した瞬間なのかわからないですけれど、愛の変化を感じました。
― たとえの「心をひらく」ことができず、傷ついた愛の心と身体が、自然と美雪に向かう場面ですね。
綿矢 : 美雪とたとえは心が通じ合っているけれど、身体はうまくいっていない。手紙でのやりとりくらいがちょうどいい、心安らぐ距離なんです。そこに、愛がふたりの身体をこじ開けるように入っていくんですけど、たとえの心は中々ひらけない。
綿矢 : 心も身体もひらいてもらうことってめちゃくちゃ難しいなと思いながら小説を書いていて、映画でも同じことを思いました。
― みなさんご自身は、心からひらくタイプ、身体が先にひらくタイプ、どちらですか?
山田 : 私は、頭でたくさん考えてしまう性格ですけど、身体が先にひらくことを理解できないわけではないです。
首藤 : 山田さんは、思い切りがいいですよね。
山田 : そうですね、普段からそうだと思います。
― 首藤監督と綿矢さんは、どちらのタイプですか?
首藤 : 以前、友だちと話していて「ヤっちゃった人を好きになるのは馬鹿馬鹿しい」という話題になりました。だけど、ふと、どうして馬鹿馬鹿しいんだろうと思って。「心をひらいてから人を好きになる」のは祝福されるのに、身体の関係を持ってから、つまり「身体をひらいてから人を好きになる」のは「愚か」だとされるのはどうしてだろう、と。
愛に身体をひらいてから心が近寄っていった美雪を通して、「身体が先」でも愚かだと言い切れないことを見せたいと思っていました。
綿矢 : ああ、なるほど。「身体をひらく」ことを真剣に考えてくださっていたから、このような性に対して真摯な映画になったんですね。
首藤 : 女の子たちと喋っていて、身体の関係を先に持つことを責められるのはなぜだろうと思っていたんです。
綿矢 : 本当にそうですよね。「身体をひらく」って、剥き身で人に向かっていく潔い行為。その、「捨て身の尊さ」をもっと考えた方がいいと思いました。私は頭でっかちなので、中々美雪のようになれない。
首藤 : 原作で、愛が美雪に対して、どうしてこんなに自分を受け入れてくれるのか怖い、と思う場面があるじゃないですか。その美雪の、絶対に誰も傷つけない感じが、海みたいだと思いました。
綿矢 : 美雪はすごいですよね。一緒に苦しんでくれるし、底なしの海みたいな深さがある。だけど、彼女は芯があるから「身体をひらく」ことができたんですよね。身体をひらいたのに、心が離れてしまったら蝕まれるかもしれないけれど、彼女のように身体も心も近づいたら癒されるのかもしれないですね。
山田杏奈、首藤凜監督、綿矢りさの
「心の一本」の映画
― 最後に、みなさんの「心の一本」の映画を教えていただけますでしょうか。例えば、自分の「心と身体」について思いを巡らせたような映画があれば。
首藤 : 好きな映画はいっぱいあるんですけど……「心と身体」というテーマで思い浮かぶのは、『ラブ&ポップ』(1998)です。
― 『ラブ&ポップ』は、『新世紀エヴァンゲリオン』シリーズの庵野秀明監督初の実写映画ですね。村上龍さんの同名小説が原作で、援助交際をする女子高生が描かれています。
首藤 : 女子高生が中年男性と援助交際のためにホテルに行ったら、バスルームで「お前がこうしている間にも傷ついている人間がいるんだよ」と説教されるんですよ。すごい暴力を受けているのに、見ているこちらにはすごい救いとしても映っている。心と身体が一致していない、衝撃な出来事として思い出します。
あの、綿矢さんのWikipediaに、邦画なら『月光の囁き』(1999)が好きと書かれていたのは本当ですか?
綿矢 : 大好きな映画です。あの映画もSMっぽいんですよね。
― 『月光の囁き』は、喜国雅彦さんによる漫画を、塩田明彦監督が映画化した作品です。好意を寄せ合っていた高校生ふたりの物語で、人に言えないマゾ的嗜好のある彼の性癖を知った彼女は強く反発しますが、それに応える過程で彼女もサド的行為をエスカレートさせていきます。
綿矢 : Mの描き方が凄かった印象です。純粋で、フェチで。それなのに、あそこまで叙情的に見られたのが衝撃でした。塩田明彦監督の作品が好きで、『ギプス』(2000)や『害虫』(2002)も繰り返し観ています。
山田 : 私は日替わりで好きな映画が変わるので、一本に決めるのが難しいですね……ウォン・カーウァイ監督の『恋する惑星』(1994)を何度も観てしまいます。
― 『恋する惑星』は香港を舞台に、若者たちのすれ違う恋模様を描いたウォン・カーウァイ監督の代名詞とも言える作品です。トニー・レオン演じる警察官に恋し、ストーカーのように彼の家に入り込む女の子を演じたフェイ・ウォンの歌う「夢中人」は大ヒットしました。
山田 : 理由ははっきりと答えられないんですけど、音楽も映画の雰囲気も、全部大好きです。特にフェイ・ウォンが演じる女の子が大好きで。
首藤 : 結構、変わった女の子ですよね。
山田 : そうなんですけど、あの変人っぷりも含めて大好きで。洋画だと自分が演じることとは切り離して観ることができるので、純粋に映画として楽しめます。首藤監督や綿矢さんは、純粋に作品として映画を観たり、小説を読めたりしますか?
首藤 : 私は、撮影している時は映画を観られないです。撮影が終われば普通に楽しめるんですけど、撮影前に観たいものを観ておく感じですね。『ひらいて』の撮影前は、『ショー・ミー・ラブ』(1998)や『渚のシンドバッド』(1995)をよく観ていました。
― 『ショー・ミー・ラブ』はスウェーデンで大ヒットした青春映画ですね。オーモルという田舎町に住む、思春期の対照的な性格の少女二人が出会い、変化していく様を描いています。また、『渚のシンドバッド』は同性の同級生に恋心を抱く青年とその青年に近く少女を中心に、6人の17歳の男女を描いた青春群像劇で、橋口亮輔監督の長編第2作です。
首藤 : 『ショー・ミー・ラブ』は、映画コメンテーターのLiLiCoさんのオールタイムベストなんだそうですよ。
綿矢 : 私は作品を書いている時でも、全然読めますね。別の人が書いた小説は、別物として読めるんだと思います。新たな世界に小説を通じて入っていくことで、刺激を受けるんです。
↓『ひらいて』を読む!