僕には3つ歳が離れた弟がいる。大下翔生。僕ら兄弟は仲が良いし、これからも仲が良いと思う。今思うと、これは僕の父が言い続けた言葉があるからなのかもしれない。昔から「俺が怒るのは兄弟喧嘩をした時だけだ。それ以外は怒ってない」と何度も言われ続けた。どれだけ喧嘩をしても、仲直りの儀式をさせられていたのだ。
映画『リバー・ランズ・スルー・イット』に出てくる兄弟も、必ず仲直りをしていた。
真面目な兄・ノーマンと自由奔放な弟・ポール。2人は、父親のマクレーン牧師の影響で幼少期から釣りをしていた。どんなに大きな喧嘩をしても、翌日には釣りをする。2人にとって川で釣りをするということは、生活の一部で、当たり前の事になっていたのだ。兄は大学で都会に。弟は田舎で有名な釣り人になった。2人は、しばらく会わない時間を過ごす。
兄弟がテーマの映画を観ると、色んなことを思い出す。僕たちは彼らのように離れるのではなく、一緒に過ごすことを決めた。それは先に上京した僕が、実家に帰って弟に会う度「東京に来い」と言い続けていたからだ。
2019年4月。飛騨高山から弟が上京してきた。バスケットボール少年が、バスケットをやりたくて大学に入るためだ。弟は僕と一緒に住んでいた山内君の部屋に引っ越してきた。本当は、そのタイミングで家を出て行くはずだった山内君だが、家が見つからずその後2ヶ月はいた。つまり弟は、上京した最初の2ヶ月を全く知らない人と住む事になったのだ。
なかなかのハードな生活だ。既に、部屋のカーペットは焦げていて、きっと弟はすごく怖かったと思う。
東京にまだ慣れていない弟を、僕は映画館に何度も誘った。弟が、映画にハマったきっかけは多分僕だ。あるとき、渋谷で行われたヤスミン・アフマド特集の『タレンタイム〜優しい歌』を観に行く時に、弟を誘った。
そして映画を観終わって彼は、初めて映画を観て泣いたと気付いたらしく、僕に伝えてきた。それから映画を観るようになり、よく映画館に行くようになった。配信されている名作達を観たそうだったので、僕のファミリープランに入れて、テレビもあげた。
彼は、僕に熱心にオススメを聞いてきたりして、僕が昔映画にハマった時のように、分かりやすいものから教えていった。僕がTSUTAYAで借りてきたものを一緒に観たり、とにかく彼の日常の中に突然映画が入り込んだのだ。
バスケットボールをやめた弟は、悩んでいた。東京を見たのだと思う。何でもある。何にでもなれる。だけど、見たことないくらいの不安。これから先、どんな仕事をしたいのか。2人で些細な事から大喧嘩になり、最後に彼は役者をやりたいと言った。そうなったら誰が何と言おうと、応援したいのだ。甘い世界じゃない。もちろん分かっている。自分も体感している。けど、彼の中での夢が出来て僕は嬉しかった。
しかし、弟の態度からそんな姿勢は感じられなかった。
当時の彼は、自分はいつか売れると思っていたのだ。そんなはずないのだが、自分を過信している節があったのだ。なのに行動はついて来ていなく、僕はあまり弟と会話をするのが楽しくなくなってしまっていた。
弟は(僕にとっては意味の分からない)プライドが高い人間である。
2020年の終わる頃、実家で『イージー・ライダー』を観ていた時だ。始まって20分が経ち寝息が聞こえてきたので弟を見ると、ぐっすり眠っていた。
映画が終わり、僕が「寝てたっしょ?」と聞くと「寝てない」と答えるのだ。
「いや、寝てたの見たよ」
「いや寝てない」
「何で認めないの? 俺だって映画で寝る事なんてしょっちゅうあるし」
「いや、寝てない。」
「寝てる事を責めてるわけじゃなく、なぜ認めないのかが俺には分からない。その変なプライドみたいなものは、何なの?」
振り返れば、どうでもいい喧嘩だと思う。
だけど、彼のプライドは映画を観る上で必要の無いものだと思ったのだ。眠ったから怒ってるわけじゃない。『イージー・ライダー』を眠って所々しか覚えてない状態で、観たという認識をするのはもったいなさすぎる。眠ったという認識があれば、また観ようと思えるじゃないか。僕は、面倒臭い人間だ。
弟の生活を見守る事、3ヶ月。
弟から意味の分からない電話がかかってきた。
何を言っても「俺、坊主にする」しか言わないのだ。
話を聞けば、芝居のレッスンで自分のプライドや恥が邪魔している事に気付いたらしく、こんな髪の毛坊主にしてしまえば邪魔なものがなくなる、と思ったらしい。家に帰ってきた弟を見て、おにぎりみたいだ、と思った。全く似合っていないのだ。
坊主にして、スッキリしているのに腹が立ち、「お前はアマチュアだ。プロは坊主にしようと思っても出来ないからね」と、真剣に怒った。けど、僕が何と言おうと坊主にした事や、坊主にしてミュージックビデオの撮影が2個無くなった事は後悔してないと言っていた。理解できない行動だったけれど、この時から彼の(僕にとっては意味の分からない)プライドは、どこかに消えていったのだ。そんな弟を見ていて、自分がどこか忘れていた感情を思い出すことが出来た。
弟は、人と積極的に話すようになった。話し方も、前みたいに適当な相槌を打つだけではなくしっかり自分の気持ちを話せるようになった。前の何倍も、2人で映画を観た後に話す時間が好きになった。
この間実家に帰った時、2人で夜道を歩き家のゴミを捨てに行った。その時僕はふと、「なんか昔より、ゴミ捨て場が近い」と言った。
「分かる。何で何だろ」
「身長伸びたから歩幅変わったんじゃない?」
というと弟が忌野清志郎の「ぼくの家の前の道を今朝も小学生が通います」を流し始めた。
“ぼくらが遊んだ一本松の丘には住宅が建ってしまったし お花畑だったところはボーリング場になってしまったけど いちばん変わってしまったのは ぼくなのです”
今の僕の気分にぴったりの音楽を流し始めたのだ。家に着いたので、入ろうとすると弟は「これ聞き終わったら入るわ」なんて言っていた。この時、なんか分かんないけど、凄く嬉しかったんだよな。感性に嬉しくなるって、兄弟だからなのかな。
この文章を、書くために写真フォルダを2019年から遡った。
たった2年前だけど子供の顔をした僕らと、今の僕らの表情が写った、写真一枚一枚。一つ一つに思い出がある。見てられないものだってあるけど、それらが重なって、今になる。
家に帰ると、相変わらず部屋の中から爆音が聞こえる。映画を観ているのだ。
そして僕も自分の部屋に入り、映画を観る。観終わると、換気扇をつける音がする。
僕も部屋を出て、タバコに火をつけて、「おもろかった?」と弟に聞けば、映画の感想大会が始まる。いつまでも弟の机の上には履歴書がある。なかなか受からない事務所。写真だけで、今の彼の一体何が分かるというのだろうと思いながら、僕は僕でやっていくことしかできない。