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生まれたての誕生日
12月31日。私の誕生日。
一年の一番最後の日に生まれたものだから、私にとって誕生日という日はちょっと特別な一日だ。一年の終わりとともに、これでもかと大袈裟に私の年齢はカウントダウンされて、この歳とのお別れを名残惜しむことも、余韻を残すことも許さない、いさぎよい幕切れとともに新しい歳が始まる。
生まれた日のせいか、数年前大病をしたせいか、年が重なり歳を重ねるほどに、誕生日は重みを増していく。生まれたことにただ感謝するんじゃなくて、四つの季節を生きられたことにまで深々と感謝してしまう。30歳を超えたあたりからは、「ハッピーバースデー」というよりは、「ホーリーバースデー」と言った方がなんだかしっくりくる感じだ。
命を一つ重ねることは、やっぱりすごいことだと思う。いつどこで死んだかもしれない運命をするりとくぐり抜けて、次の歳へバトンを渡された命。友人に、家族に、産んでくれた母に感謝するも、自分へは特別に感謝をしたい一日でもある。この一年もけっこう踏ん張ったよ私。命をつないでやったぞ、このやろう! と宇宙に向かってガッツポーズしてみたり。誰にとっても大袈裟でいいはずだ。誕生日くらいは。
映画『空気人形』は、業田良家の短編漫画『空気人形』をベースに是枝裕和監督が映画化したものだが、そこに吉野弘の『生命は』の詩も含められたことで、“生きること”の哲学をたっぷりと堪能できる作品に仕上がっている。
タイトルが語るように、ビニール製で中身は空っぽのラブドール(=空気人形)が主人公。独身の中年の男が、彼女に“のぞみ”と名付け、まるで恋人のように傍に置き暮らしている。愛撫され、人間のように扱われているうちに、突然心を持ったのぞみは、生きることの哀しさや苦しさ、美しさを知るようになっていく。
ある日、好意を寄せる青年とディナーに出かけると、隣の席のテーブルに、サプライズでバースデーケーキが運ばれてきた。パンッ! とクラッカーが弾ける音とともに暗くなった店内で、ケーキの上の蝋燭がゆらゆらと揺らめく。純白なクリームの上に飾られた赤いイチゴの愛らしいそれが少女の目の前にそっと置かれると、バースデーソングの合唱の終わりとともに、炎はふぅーっと吹き消された。
この時初めて「誕生日」という日を知ったのぞみは、人が、生まれた日を記念日とすることにすこし微笑んで、そして尋ねる。「みんな誕生日を持つの?」。
浜辺で拾った空っぽのラムネの瓶を仕舞おうと押し入れに手を入れると、自分が入っていた空箱を見つける。そこに記載されている製造元の住所を頼りに、自分が生まれた場所を訪ねると、生みの親である人形師の園田が「おかえりなさい」と言って迎えた。
ずっと探している、心を持った理由。生みの親であればわかるかもしれないと期待していたけれど、のぞみの問いに答えられなかった園田は、それは神様にもわからない難題なのだと言う。でも、心を持ったせいで苦しいと思っていたことも、悲しいばかりではなくて、美しく綺麗なものもあるはずだと。園田との会話で気付かされたのぞみは、この世界を構成する一つになりたいと思えたかもしれない。還る場所があることを確かめるようにして、「いってきます」と言って工房を去った。
のぞみにも誕生日はあった。親もいた。
それでもまだ心は空虚だ。もしかしたら、誰にも祝われたことがない、歌われたことがない、拍手されたことがない誕生日を抱える寂しさがあるのだろうか。
ケーキに蝋燭が灯されて、肉声の歌が添えられる。たったそれだけのことなのに、それはこの命が生まれたことを全力で肯定してくれるように思える。そうして、もう一つ歳を重ねるための一歩の背中を押してくれるのだ。
365日のカレンダーには、山ほどの記念日がある。伝統的なものもエンターテインメント的なものも。数え切れないほどたくさん。それはきっと忘れたっていいような日ばかりだ。でも、自分の誕生日だけは、どんなに忙しくても、どんなに苦しくても忘れたくはない。同じように、自分にとって大切な人の誕生日もなるべく覚えていたい。たった一人の友人が、私の誕生日を覚えてくれていたら、私はそれだけで、もう少し生きようって思うことができるから。
◯今回ご紹介したバースデーケーキ:
「フレンチ パウンド ハウス(FRENCH POUND HOUSE)」のルージュ
今回は誕生日用なので「Happy Birthday」と書かれたプレートもオーダー。
電話番号:03-3944-2108
営業時間:10:00~19:00
定休日:年中無休 (年末年始を除く)但し、土日祝日は喫茶休み
※ケーキのオーダーは電話のみの受付となります。
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