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尾崎世界観の「心の一本」の映画、を出発点に
池松 : どういう順番で座ります?
― よければ、お好きな席にお座りください。
尾崎 : じゃあ、端っこで。
池松 : またそういう…。
伊藤・松居 : (笑)。
― 今日はよろしくお願いします。今作は、ジム・ジャームッシュ監督の『ナイト・オン・ザ・プラネット』から作られた、尾崎さんの楽曲を起点に生まれた映画です。
― クリープハイプというバンド名も、この映画に出てくる「Hype!」(イケてるという意味のスラング)というセリフが由来になっているそうですが、それほど尾崎さんにとって特別な映画だったということでしょうか?
尾崎 : はい、すごく好きな映画です。高校生の頃、大晦日にひとりで家で観たんですけど、その体験も含めて好きで。観る側も一緒になって作品を補完していくような感覚が、自分の中にはありました。この映画をあの時期に観たから、今こうなっているな、と。
― クリープハイプは2001年に結成し、2012年にメジャーデビューされていますね。
尾崎 : なんとなくこの映画を観た時に、バンドをやろうかなと思ったんですよね。当時は、売れているものに対して腹が立つ気持ちもあって。でも、何か作品とか表現には触れていたい。そういう気分に、この映画はぴったりでした。登場人物たちの会話も心地よくて。なんかいいな、でもなんでいいんだろうと考えた時に、掴まえられそうで掴まえられないあの感じが良かったんじゃないかと思いました。
― みなさんは、『ナイト・オン・ザ・プラネット』をご覧になったことはありましたか?
伊藤 : 私は、今回のオファーをいただいて初めて観たんですけど、これまでに観たことがない種類の映画でした。わかりやすい映画しか観てきていなかったので…なんていうんだろう。
池松 : 拳銃がバーン、ボーン!みたいな(笑)。
伊藤 : そうそう、拳銃がバーンとなって「イエーイ!」みたいな(笑)。
松居 : 「ジム」と言っても、ジム・キャリーの方の!?
― (笑)。劇中、そういうセリフがありましたね。
伊藤 : (笑)。でも、『ナイト・オン・ザ・プラネット』を観て、物語がわかりやすくてスッキリするような内容じゃなくても、面白い映画ってたくさんあるんだなって。当たり前ですけど、改めて気づきました。
― 『ナイト・オン・ザ・プラネット』は、ロサンゼルス、ニューヨーク、パリ、ローマ、ヘルシンキの同じ夜を舞台に、タクシー運転手と乗客の間に起こった5つの出来事を描いたオムニバス映画です。
― 伊藤さんが今回演じたタクシー運転手の葉のセリフには、実際に登場するセリフの引用や、本編で同じくタクシー運転手を演じた、ウィノナ・ライダーに重なる場面もありましたね。
伊藤 : 「お金は必要だけど重要じゃない」とかですね。葉ちゃんが、ウィノナ・ライダーのあの生き様に憧れるというのは、私も共感しました。それに影響を受けて、自分の言葉のようにお客さんに話しているのも、あぁわかるなと。
― 池松さんは、以前インタビューでも、ジャームッシュ監督の作品が好きだとおっしゃっていました。
池松 : 僕は、そうですね。特別な人ですよね、影響を受けてますし。ジャームッシュ監督の作品は全部大好きで。その中でも、『ナイト・オン・ザ・プラネット』は特別な一本です。今回の撮影に向けて、改めて研究しましたけど、本当にすごい映画ですね…。
― 改めて観返したんですね。
池松 : 観ましたよ。なんてすごいんだ、と思いました。この作品は日本にミニシアターブームをおこしたきっかけとなる一本で、僕もその恩恵を自覚的にも無自覚的にも受けている。確か、1992年の4月に日本で公開されてるから、当時僕は2歳になる頃で、伊藤さんは生まれてないんじゃないですか?
伊藤 : 生まれてないです…。
池松 : そうだよね。初めて『ナイト・オン・ザ・プラネット』が公開されてから30年が経った今、世界はコロナ禍にあって。ミニシアターが危機に扮していると言われた去年、映画館でジャームッシュ特集が組まれたわけですが、若者を中心に沢山の人が足を運んでいたそうです。
― 初期作から最新作まで12作品が上映された「ジム・ジャームッシュ レトロスペクティブ2021」ですね。ポスターとチラシを手がけた大島依提亜さんが、今作でもタイトル・宣伝デザインを担当されています。
池松 : やっぱり、いい作品は色褪せないんだなと改めて実感しましたし、同時に映画館から人が遠ざかっているのではなく、映画を求めているから、映画が遠ざかっているんだとも思いました。
― 私も今回観直して、こんなに笑える作品だったのかと驚きました。登場人物たちの会話もユニークですよね。
松居 : そうそうそう。
池松 : 今、多様性、多様性と声高に叫ばれるようになりましたが、この映画は、世界の夜に、路上に生きる人々のタクシーの中だけを映してそれを見せています。
どのエピソードでも共通するのは、登場人物が社会的に弱者である、ということ。どんな境遇や個性を抱えて生きている人も許容し、彼ら彼女らをゆるやかに微笑ましく団結させている。すごい眼差しとセンスだな、と改めて思います。
松居 : 僕も、ジャームッシュの映画が、もともとすごく好きだったんです。『ブロークン・フラワーズ』(2005)とか『パターソン』(2016)とか。
― 『パターソン』には、今作で妻を待ち続ける男を演じた永瀬正敏さんも詩人役として出演しています。
松居 : 『ナイト・オン・ザ・プラネット』も、その好きな作品たちのひとつでした。いい映画だとは思っていたんですが、尾崎くんにとってそんな特別な想いのある映画だということは、あとで知りました。
― 尾崎さんと20代から交流があった松居監督もそれを知らなかったんですね。高校生の時からずっと心の中にあった『ナイト・オン・ザ・プラネット』を、改めて曲にしようと思ったのは、どのようなきっかけがあったんですか?
尾崎 : このクリープハイプの「ナイトオンザプラネット」という曲は、2020年の2月末に作ったんです。ちょうど、コロナの影響で、予定していたライブが初めて延期になった時期で。ライブが行われるはずだった日に、「本当なら今頃始まってたな」と思いながら、なんとなく作り始めましたね。
― コロナ禍で暮らしや仕事に影響が出始めた当時の空気や尾崎さんの気持ちが、この曲には含まれていると。
尾崎 : そうですね。普段は、あんまりそういうことはやらないんですけど、これはできそうだなと思って意識的にやりました。曲を作り始めると、『ナイト・オン・ザ・プラネット』のことを書きたいという想いが心に浮かんで。当時はちょうど、ジャームッシュ監督の新しい映画が公開されていたタイミングでもあったので。
松居 : 『デッド・ドント・ダイ』(2020)だよね。
尾崎 : そう。その映画の配給会社の方が「ジャームッシュ監督と対談しませんか?」と言ってくださって。当時自分がパーソナリティを務めていたラジオ番組で、ニューヨークと繋いで話をさせていただいたんです。最後に、自分が監督の作品からすごく影響を受け今音楽をやっていること、そしてバンド名も作品からインスパイアを受けてつけたことを伝えられました。嬉しかったですね。
― ライブの延期、ジャームッシュ監督の新作の公開など、色々なタイミングが重なって生まれた曲なのですね。曲を書いた時から、この曲をもとに松居監督と一緒に作品を作りたいという想いもあったのでしょうか?
尾崎 : 単純に、松居くんがこの曲を好きだろうなと思ったんです。ちょうどクリープハイプもアルバムを出そうという時期だったので、「特典映像で30分ぐらいのショートフィルムが作れたらいいな」とは考えてました。でも、映画になるとは思っていなかったですね。
― この曲を受け取った松居監督が、MVや短編ではなく「長編映画にしよう」と思われたところから今作が生まれたわけですが、それはなぜですか?
松居 : いつもは尾崎くんの曲を聴くと「こういう画にしよう」というのが思いつくんだけど、今回は全く思い浮かばなくて。でも、すごくいい。これまでのクリープハイプの曲の雰囲気とも違う。バンド名の由来のことは知っていたから、この曲に対する覚悟を感じたし、尾崎くんとも5年くらい一緒にものづくりをしてなかったので、自分もそれくらいの覚悟で応えたいと。
基本的に映画が動き始める時は、まずお金を集める会社を見つけて、という流れなんですが、今回はまず先に「この曲を長編映画にしたい」と思ったんです。
“あの頃映画”を
次のステージへ上げるために
― 池松さんと尾崎さんと松居監督は、クリープハイプのMVや、舞台『リリオム』(2012)、映画『自分の事ばかりで情けなくなるよ』(2013)『私たちのハァハァ』(2015)など、20代の頃から数々の作品を一緒に作り上げてきた関係性がありますね。
松居 : そうですね。尾崎くんとはクリープハイプのMV『鬼』(2016)以来、池松くんとは『君が君で君だ』(2018)以来なので、一緒に作品を作るというのは、約5年ぶりでした。
― 今作では、制作スタッフも、以前ご一緒した人たちへ久しぶりに声をかけたとお聞きしています。池松さん、尾崎さんとの再会も含めて、松居監督にとって原点回帰するような作品だったと思うのですが、その中心となる役どころに初タッグとなる伊藤沙莉さんが加わりました。
松居 : 10年前の尾崎くんと一緒に作品を作っていた時は、よく一緒に映画館に行ってたんですよ。それで、映画を観ながら「ああいう人に出てほしいよね」「いや、出てくれるわけないでしょ」「アホのふりして一回聞いてみるか!」みたいな会話をよくしていて。
そういう憧れみたいな感じで、「伊藤さん出てくれたらいいなー」と、昔みたいに尾崎くんと話していたんです。「一回聞いてみようか!」と。伊藤さんに出ていただけることになって、本当に嬉しかったです。
― この3人の関係性に、伊藤さんが飛び込んでいくわけですが…どうでしたか?
伊藤 : …転校生みたいな感じでした! カメラマンさんとか現場のスタッフの方たちも含めた空気感っていうのがやっぱりあって。最初は、ビクビクしました(笑)。でも、誰も「俺たち!」(肩を組むポーズ)みたいな感じはなくて。「入りたいなら、入っておいで」みたいな、ウェルカムな空気感だったんです。
松居 : (笑)。
伊藤 : 尾崎さん演じるミュージシャンが弾き語りをしている高円寺のガード下を、葉と、池松さん演じる照生が2人で歩くシーンは、初めて3人が勢揃いする撮影だったので、緊張もしたけど、実は個人的にテンションがアガってました(笑)。
尾崎 : あのシーンの撮影で、池松くんと6年ぶりに会ったよね。
― 初めて照生と葉が出会った日に、2人で会話をする中で、お互いに心地よいものを感じ始めるというシーンですね。ミュージシャン役の尾崎さんと2人の人生が交錯する、印象深い場面でした。
伊藤 : 池松さん、尾崎さん、松居監督のタッグは以前から憧れていたので。「おぉー揃ってる!」みたいな。
― そこにご自身も参加するというのは、ワクワクするものなのでしょうか?
伊藤 : 「入れるんだ!」という前のめりな感じではなく、好きだからこそ「私は後ろから見ているだけで…」と(笑)。もう、静観しているだけで嬉しかったです。
一同 : (笑)。
尾崎 : 伊藤さんがいなかったら、この映画はできなかったと思います。
池松 : そう。間違いなく。伊藤さんが今作のウィノナ・ライダーとしていてくれたから、この作品が生まれたんだと思います。
― 池松さんは、久しぶりに一緒にやろうと声がかかって、いかがでしたか?
池松 : …ねー。断りづらいですよね(笑)。
一同 : (笑)。
池松 : 松居さんからは、ちょこちょこ一緒にやろうと声をかけてもらっていたので、今回のオファーに関しても嬉しく受け止めました。尾崎さんとは完全に再会です。そしてまず、尾崎さんの「ナイトオンザプラネット」があったということが、この作品に携わる上で、大きな要素になりました。映画の主題歌を、撮影に入る前に聴くということはこれまで無かったので。脚本を読んで、また聴いて、ということを繰り返しました。
本当に主題歌が素晴らしかったので、ここを糸口に準備段階から松居さんとより深めていけるんじゃないかなと思ったんですよ。
― 「ナイトオンザプラネット」があることが、作品に携わる上で大きかったと。
池松 : あと、その時期に自分が考えていたことと、この作品がジャームッシュの映画のDNAを受け継いでいることで重なるところがあって。
― それは、どういうことでしょうか?
池松 : なぜミニシアターやインディペンデントな映画がこれほど広がり、人を熱狂させたのか、資本優先の大きな映画ではなく、小さな映画にしか出来なかったことは何なのか。その起源を考えていくと、今の時代の空気感と通ずるところがあるように感じています。
そして、コロナ禍で文化の在り方が問われる中、作り手が一番大事にしなければいけないのは、観客が観たい“いいもの”を作ることしかなんじゃないかと思っていたんです。行き着くところ、それしかないと。ちょうど、予定されていた海外での撮影がコロナの影響で一気に飛んでしまって、そう思っていたところに松居さんから連絡をいただいて。
― なるほど。そういう経緯があったのですね。
池松 : 自分も沢山の恩恵を受けてきたミニシアターという場所と、昔の自分、つまり尾崎さんや松居さんと一緒にいた頃、その両方に向き合えるんじゃないかと。時代の変わり目にバック・トゥ・ベーシック、を目指すというか。
― この作品ならその想いを実現できるのではないか、と。
池松 : この不確定な時代に、明日が不安な日々を過ごす中で、人と人や社会的な繋がりを感じられずに、自分が本来どこに属していたか、どこを辿ってきたのかを思い出す時間が訪れたと思うんですね。そして、様々な別れと出会いがあります。昔から時代の変わり目に人が沢山死んで、人が沢山生まれていることは歴史が証明しています。
どの時代においても、時代の変わり目には、過去を振り返る“あの頃映画”が多く作られるのも人間の真理だと思います。そして、尾崎さんの曲を聴いて、「この映画は“あの頃映画”を、もうひとつ、今の感覚でアップデートできるんじゃないか」と思いました。
戻れない過去を抱えて
今をどう生きるか
― 年号が変わったりコロナがあったりと、時代や社会の変わり目にいるここ数年は、私たち個人個人も、過去に思いを馳せる機会がより増えていると映画を通して感じます。
池松 : はい。
― 「“あの頃映画”を、もう一段先のステージに」ということでしたが、「あの頃は良かった」と感傷に浸ったり、過去を慈しむような気持ちになったりするだけでなく、過去も現在も同時に受け止めて、その地続きとしての未来に向かっていくという感覚を、みなさんは現場でどのように共有していたのでしょうか?
松居 : 本当に、曲に引っ張られながら作っていった感じがあって。その感覚を、池松くんが言葉にしてくれるんです。「過去と今を均等に抱きしめて前に進む、色々あったけど大丈夫だよ、ということだよね」って。で、僕が「うん。そうだね…!」と。
…多分、そういうこと言うと、恥ずかしがって嫌がると思いますけど(笑)。
池松 : まあ、色々と制作過程の中で話しますよ(笑)。
― (笑)。
松居 : あとは、尾崎くんや伊藤さんとも、脚本を読んで、どんな印象を持ったかを聞きました。映画に命を吹き込むために、「たとえば、普段どんな時に喧嘩する?」と質問してみて、その実体験を脚本に取り込んでみたり。
伊藤 : 「喧嘩した後、『なんで追いかけてこないんだよ』とか、つい言っちゃうんですよね」と松居監督に話したら、そのエピソードが実際に脚本に使われてて、「あー恥ず!」みたいなこともありました(笑)。
松居 : それまで僕の映画は、モテない男の集まりとか、田舎の女子高生4人組とか、どちらか一方の視点から描くことが多かったので。1組のカップルを中心に映画を作る、ということが初めてだったんです。とにかくステレオタイプな作品にはしたくないし、僕の妄想だけにもしたくなくて。
尾崎 : そもそもステレオタイプじゃないのよ、あなたの映画は。世間のステレオタイプが、あなたの「変」だから!
一同 : (笑)
― 今回とても印象的だったのが、人物と同じくらい、街の風景や暮らしの営みが丁寧に描かれていたことでした。例えば、朝起きたら部屋の植物に水をあげて体操をする、という照生の習慣も、コロナを挟む6年間の中で変わっていなかったり。それは、何気ない日常の時間を掬い取ることで「過去と今を均等に抱きしめる」、という松居監督の意図もあったのでしょうか。
松居 : この話自体が、7月26日という照生の誕生日だけを6年間描いていく物語なので、定点観測みたいになったらいいなと思ったんです。その「一日」も映画の主人公というか。その日の天気とか、出会う人とか、行った場所とか、映画に映るすべてが愛おしいものになったらいいなと。その方が、悲しい過去にならないんじゃないかなと。
― 照生が葉と喧嘩別れをした後に、ぼんやりと広場に座りながら、周囲にいる女子高生グループや、会社帰りのサラリーマンたちの何気ない会話を眺めている場面が印象的でした。
尾崎 : あの場面は、映画の中でも空気が変わるというか、すごく不思議な場面ですよね。
松居 : そう。池松くんも、あそこは絶対大事だと言ってくれて。
池松 : ジャームッシュの『ナイト・オン・ザ・プラネット』は、タクシーの中の物語でありながら、映画の中に街が映ってるんですよね。街を映すということはそこに暮らす人々の営みが映っています。今回、タクシーの車内のシーンは牽引で撮ってるんですよね。牽引って、今世界でもほとんどとられていない撮影方法なんですよ。
― 「LEDパネルに背景を映し出してセット撮影する」という方法ではなく、「俳優が乗った車を牽引車につなぎ、実際に路上を走りながら撮影する」手法ですね。都会の道路で牽引車となると、かなり大変な撮影だったのではと。
池松 : 全然合理的ではないんです。でも牽引にこだわることで、車内の背景や窓に街の灯りが映り込んで、営みや歴史や空が映る。そういうことにこの企画の意味があるんじゃないかと思っていました。この2人の世界の話だけじゃない、みんなが「ちょっと思い出す」話にしたいなと思ったんです。
松居 : そう。個人的には、「灯り」そのものに対する敬意もあって。照生が怪我をしてダンサーから照明の仕事に変わっていく設定も、そのイメージのひとつです。
― みなさんご自身は、人生の中で抱える「忘れられない記憶」や「戻れない過去」を、どう受け止めて前に進んでいますか?
松居 : 僕は、そういうのを美味しくいただいて作品にします、というタイプなので(笑)。
尾崎 : 「スタッフが美味しくいただきました」みたいに。
松居 : そうそう。だから、悔しい思いとか悲しい過去が自分の中にあればあるほど、ありがたいですね。
尾崎 : そういえば松居くんは、昔とある作品の打ち上げで悔しい思いをして、自分の手の甲を噛んで、その痕がいまだに残っているんですよ(笑)。
松居 : そう、ここね。
伊藤 : え、すご!! ほんとだ。
池松 : 初号のめでたい日に、松居組の作品づくりに対する嫌味を言われちゃったんですよ。
尾崎 : 池松くんも居合わせてたんだよね。
松居 : あれは悔しかったなー!
一同 : (笑)。
松居 : 「あいつを倒す!」とか言ってたら、池松くんに「それは作品で倒そう」と言われて。
尾崎 : それで、どうしようもない怒りをこらえるために、自分の手の甲を噛むという。自分はその場にいなかったんですけど、話を聞いただけでその松居くんを想像できる。
― 松居監督にとっての「ちょっと思い出しただけ」ですね(笑)。
松居 : 結構鮮明に覚えてますけど…。
尾崎 : なんの話でしたっけ(笑)。あ、そうだ、自分の場合はそういったものを曲にして何度も歌うから、またちょっと松居くんとも違う不思議な感じなんですよね。
― 確かに、歌は何度も歌い、また自分だけでなく他の人にも歌われるという点で、特別ですよね。
尾崎 : でも根本は一緒だと思います。悔しい記憶や悲しい思い出でも、必ず曲にしたり、文章にしたりラジオでしゃべったりする。それはすごく大事なものですね。
池松 : 僕にもやっぱり映画があるし、お芝居があるし、そこに昇華できるはず…ではあるんですが。実はあまり手放しに良いものだとは思っていません。人生の曖昧さ、人間の不完全さを語ることは大事だとは思うんですが。過去にどうやって折り合いをつけ向き合えばいいのか、という疑問を、この映画にもできる範囲で詰め込んだつもりですし。
表現として残したり吐き出したりできるのは、この仕事の利点かもしれないですね。その分、人の情念みたいなものも、できるだけ掬い取っていきたいという欲張った気持ちが昔からあります。
伊藤 : そうですね…。なんか、過去の辛いこととか、戻れない懐かしい時間とかを思うと、胸がギュッと、物理的に痛むじゃないですか。その体の反応が面白いなと、私はずっと思っていて。なんで、こんなにちゃんと「ギュッ」てなるんだろうって。
伊藤 : でも、痛む胸があるということにちょっとホッとするんです。その感覚を知ってるということが、何かに絶対繋がるから。私も、たまたまそれがお芝居だったけど。だから、胸がギュッとなると「あ、また一個その感覚を知れた」って思ってます。
― 尾崎さんが初めて観た時、掴まえられそうで掴まえられないという感覚が心に残ったジャームッシュの『ナイト・オン・ザ・プラネット』。その映画をもとに、戻れない過去とこれから向かう未来の間で尾崎さんが作った「ナイトオンザプラネット」。その曲をもとに、松居監督、池松さん、伊藤さん、それぞれの思いをのせて作られた『ちょっと思い出しただけ』。改めて、現在地点から振り返って、何を思いますか?
尾崎 : 自分が映画を観て、曲を作って、それがまた新しい映画になって。表現者としてこれほど恵まれていることはないと思いますね。でもそれも、5年前に一回“解散”していたから、だらだらと関係を続けていなかったから、今があると思います。
松居 : うんうん、間違いなく。
尾崎 : 再結成するバンドの気がしれないとずっと思っていたんですけど、「悪くねーな」と思いました。
クリープハイプ – 「ナイトオンザプラネット」 (MUSIC VIDEO)