目次
「欠けている者」同士の物語を描く
― 繊細さの中に狂気を秘めたキャラクターたちが、耽美的な作風で描かれた『女子高生に殺されたい』。古屋さんの原作が見事に映像化された世界の中で、二面性を持つ高校教師・春人を演じた田中圭さんも、春人の計画した完全犯罪のターゲットのひとりである真帆を演じた南さんも、美しくも妖しい新たな一面が見えていましたね。
南 : 私、実はもともと古屋さんの漫画が好きで、この原作も読んでいたんです。以前映画化もされた、『ライチ☆光クラブ』も大好きで。
古屋 : ありがとうございます…!
― 『ライチ☆光クラブ』は、少年たちの脆く残酷で多感な思春期を描いた、今もカルト的な人気を誇る作品ですね。
南 : だから、『女子高生に殺されたい』のお話をいただいた時に「あ、読んだことある!」と驚きました。「私、真帆ちゃんをやるのか…!」と思って、すごく光栄でしたし、楽しみでした。
― 南さんが演じた真帆は、幼少期の頃に経験したある出来事をきっかけに、心に大きな不安と影を抱えている女子高生です。感情が不安定になると、表情や話し方が一瞬で別人のように変わるなど、多面的な顔を持つ難しい役でした。
南 : 真帆に向き合った時、「一体どういうふうに演じ分ければいいのかな」というのが最初の印象でした。でも、真帆は常に不安の中にいるというか、少し儚いものを、台本を読ませていただいた時に感じて。
― 不安の中にいると感じたと。
南 : 私も、普段生活をする中で、自信が持てないというか。そういう環境にいることがあったので、その感情を手がかりに真帆を掴んでいきました。
― 真帆といつも一緒にいるあおい(河合優実)も、対人関係が苦手でいつも保健室に通っている女の子でした。二人には、不安を抱える者同士での繋がりもあったと思うのですが、その関係性はいかがでしたか?
南 : ……私は友だちが多い方じゃなかったこともあって、自分を重ね合わせることはなかったのですが、でもないからこそ、真帆とあおいの関係性をいっそう羨ましく感じました。「こういう相手がいるのはいいなぁ」と。
― 真帆とあおいは、お互いに絶対的な味方であるという、深い信頼関係で結ばれていましたね。
古屋 : 映画の終盤で描かれていた、二人の関係性もちょっと泣けますよね。そこは感動しながら観てました。真帆とあおいも春人も、全員心の中の何かが欠けている登場人物なんです。
― 春人も「女子高生に殺されたい」という不可解な欲望にとらわれて生きています。
古屋 : そういう3人が集まって物語を展開していく、ということは漫画を描く上で最初から考えていました。特に、真帆とあおいの二人は、お互いを補い合っているという意味合いを込めて、強いつながりを描きたいなと。
― 欠けている者同士が出会った時に生まれる、それぞれの感情の揺れ動きや、化学反応ですね。
古屋 : 城定監督の台本も、オリジナル要素としての多少のストーリーの変化はありましたが、その軸が全くぶれていなかったので、原作者としてもそれは嬉しいことでした。アレンジの仕方が素晴らしかったです。
― 映画では、オリジナルのキャラクターとして、柔道部でひたむきに稽古に励む愛佳(茅島みずき)と、演劇部に所属し春人に憧れを抱く京子(莉子)という二人が新たに追加されていますね。そのことによって、嫉妬や劣等感など、この年齢の女の子たちが抱くヒリヒリするような感情も表現されていました。
古屋 : この二人が加わって、思春期特有の感情みたいなものを、より深く立体的に描いているなと感じました。それは流石だなというか、やられたなと(笑)。「こうすればよかったのか」とか、いろいろ考えちゃいましたね。
南 : (笑)。
― 登場人物だけではなく、ストーリーでも映画オリジナルの展開や演出が城定監督によって加えられていましたね。特に、春人が緻密な計画をもとに「殺されたい」と願っている相手は、真帆、あおい、愛佳、京子の中の誰なのか、という謎が中盤まで明かされず、それを推測する面白さもあります。
古屋 : 城定監督のアイデアは、脚本の段階で読ませていただきました。僕が描いた物語に、もうひとつのミステリー要素が足されているなとも思いましたし、その謎が加わったことによって、一層深く、物語を飽きさせない仕掛けが出来上がっていたなと思いました。それは、映画ならではの見せ方だなと興味深かったですね。
表現を通して
誰かとつながっていく
― 先ほど、「心の中の何かが欠けている」というお話がありましたが、春人、真帆、あおいの3人に共通していた「自分は周りの人とは違うんじゃないか」「自分も誰かとつながることができるだろうか」という不安や孤独、生きづらさのようなものは、特に思春期の頃は多くの人が抱えている感情ではないかなと思います。お二人も、同じように悩んでいたことはありますか?
古屋 : 僕はすごくありました。自分は絵が好きで絵を描いてるけど、そのことで誰かとつながれる感じが全然しなくて。ずっと「将来自分はどんな大人になるんだろう」とか「絵を描いて何になるんだろう」と不安でした。そういう、自分は何者でもない怖さとか恐怖感というのを、10代の頃はずっと抱えていましたね。
南 : うん…(小さく頷く)。
― 絵を描くことを介して、誰かとのコミュニケーションが生まれることが想像できなかった、ということでしょうか。
古屋 : 絵を描き続ける先に、何があるのか全然わからなかったんです。だからこそ、今こうやって、作品を描くことでいろんな人とつながったり、多くの人に応援してもらったりしていることで、10代の頃の自分が少しほっとしてるんじゃないかな、という感じはしてますね。
でも同時に、今も、10代の頃にぽっかりと空いた穴をまだ埋めきれなくて、それを埋めるために、ずっと作品を描き続けているという側面もあるんです。
南 : あぁ、そうなんですね。
古屋 : 埋めても埋めてもまだ埋まらない、という感覚はあります。
― 心の穴を埋めようとしても、なかなか埋まらないと。でも、そうして古屋さんが描いた作品だからこそ、つながれる読者がいるのかもしれません。
古屋 : イベントやサイン会などで、ファンの方と会う機会があった時、そういう場に来てくれる僕の読者の方たちって、若い子がすごく多いんですよね。で、みんなどこか不安そうな目をしてるんです(笑)。
南 : はい(笑)。
古屋 : そういう方たちと会って、挨拶をしたりお話をしたりする時、直接は伝えないですけど、心の中ではいつも「きっと大丈夫だよ」と思ってます。
― 南さんも、古屋さんの漫画のファンだとおっしゃっていましたが、いかがですか?
南 : 心の穴が埋まる感覚が、すごくあります。もともと漫画や小説が大好きで、友達もあまり多い方ではなかったので、「このキャラクターが可愛い」とか、「このキャラクターがすごく好き!」という感情だけで、自分の中が満たされていく感覚がありました。今でもそうです。
― 好きな漫画や小説、映画などがそばにあることで、自分の中にある不安や心の穴を埋めていたんですね。
南 : 基本的に、自分の中ですべて消化できるようにしていたので、好きな漫画やアニメを自分から探して、その世界に浸ることは私にとって大切な時間でした。
― 以前インタビューさせていただいた時も、「自分とは違う誰かになってみたい願望が強かったので、いろんな人格を演じられる女優さんに憧れていました」とおっしゃっていましたね。
南 : はい。今でもその気持ちはずっと根本にあるなと思っています。
― その後、映画『もみの家』で主演を務め、ドラマ『ドラゴン桜』や映画『ゾッキ』(2021)、NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』など、話題作への出演が続いています。
― 役者としての経験を重ね、様々な人格を演じてきた中で、気持ちの変化はありましたか?
南 : 私自身が大きく変わったという実感はないのですけど、例えば、ファンの方から「この役に共感しました」と言っていただけると、何かは届けられたのかな、役を通じてつながれたのかな、お芝居をしていてよかったなと思います。
南沙良、古屋兎丸の
「心の一本」の映画
― ここからは、お二人の「心の一本」の映画を教えていただけますでしょうか。たとえば、10代の頃を思い出す作品や、心の中にある穴を埋めてくれた作品がありましたら。
南 : なんだろう…小さい頃から、家族もみんな映画が好きだったので、家族でよく映画を観ていました。
― 「家族みんな映画が大好きだから、何を観るか決めるのにとても時間がかかる」と以前のインタビューでもおっしゃっていましたね。どんなジャンルの映画をよく観ていたんですか?
南 : そういえば、サメ映画をよく観ていました(笑)。私、B級のサメ映画が大好きで。『ジョーズ』(1975)とか『ダブルヘッド・ジョーズ』(2012)とか!
古屋 : サメ映画を家族で(笑)。
南 : はい。巨大生物が出てくる映画が好きなんです! 今でもそういう映画は変わらずに大好きです。
南 : でも最近観た映画だと、『コーダ あいのうた』(2021)とか『カセットテープ・ダイアリーズ』(2019)が良かった。…挙げるとキリがないんですけど(笑)。
― 『コーダ あいのうた』は、家族の中で唯一の聴者である少女が歌の才能に目覚めていく物語で、2022年アカデミー賞の作品賞も受賞した映画ですね。『カセットテープ・ダイアリーズ』は、イギリスに暮らすパキスタン移民の少年が、音楽との出会いによって成長していく青春映画。どちらも、音楽がひとつのテーマですね。
南 : 『コーダ あいのうた』を映画館で観た時もそうだったんですけど、私、映画館に行った後の帰り道が大好きなんです。いつも歩いてる同じ道じゃない、何か開けた気がするというか。普段気づかないことに気付いたりとか、自分の中の感覚が研ぎ澄まされたり…それがすごく好きなんです。
古屋 : そうなると、抜け出せなくなりますよね。映画館で観るのと、家で観るのとではやっぱり全然違う。家だと、途中でトイレに行っちゃったり携帯が気になっちゃったりするけど、それが映画館では許されないから。2時間その状況に置かれるということが、特殊ですよね。だからこそ集中するし、お金払ったからには何かを得たいと自分もどこか思っているし。
南 : わかります(笑)。
― 「観る」という行為は受身でも、映画館はどこか能動的な気持ちになりますね。古屋さんは、最近はどんな映画をご覧になりましたか?
古屋 : これは家で観たのですが、ウクライナ情勢のことが気になって『赤い闇 スターリンの冷たい大地で』(2019)という映画を観ました。
― 世界恐慌下の1930年代を舞台に、スターリン体制のソ連で決死の潜入操作を行なった、イギリス人記者の実話に基づく作品ですね。ウクライナが抱える悲惨な歴史の一部も描きながら、ジャーナリズムとはどうあるべきかを問いかけてくる一作です。
古屋 : 最近は、より社会的なテーマや史実の作品を好むようになりました。戦争映画とか、山崎豊子さん原作の実話がもとになった物語とか。若い頃は、架空の世界を舞台にしたアニメーションやファンタジーが好きだったんですけど、最近はあまり入り込めなくなってきていて。
― それは、歳を重ねて変わってきた映画の見方なのでしょうか。
古屋 : そうですね。そういう意味ではもうひとつ、この歳になってくると、いろんなものが回収されてくるなという感覚があるんです。というのも、まず、僕が20代の頃に観た『新世紀エヴァンゲリオン』シリーズが、20何年経ってようやく完結して。自分の中の長い物語がようやく回収されたんです(笑)。
― 終わりましたね、ついに。庵野秀明監督による大人気アニメの劇場版シリーズの完結編となった『シン・エヴァンゲリオン劇場版』は、2021年の日本国内の映画興行収入第一位を記録する大ヒットとなりました。
古屋 : あと、ルキノ・ビスコンティ監督の『ベニスに死す』(1971)という映画を僕は17歳くらいの時に観たんですけど、あの映画に出ていた美しい少年、ビョルン・アンドレセンが、2年前に公開された『ミッドサマー』(2019)に年老いた姿で登場してましたよね。で、その後『世界で一番美しい少年』(2021)が公開になったんです。
― 『ヴェニスに死す』は、リゾート地で出会った美しい少年に魅了される芸術家の姿を描いた、トーマス・マンの自叙伝的小説を映画化したものですね。『世界で一番美しい少年』では、当時15歳で映画に出演し、世界中の脚光を浴びたビョルン・アンドレセンの、栄光や苦悩が本人の口から語られるドキュメンタリー作品です。
古屋 : 世界中から注目を受けていた当時、本当はどんな思いでいたのか、歳をとった現在の彼が語るんです。それを観たことで、『ヴェニスに死す』を観た当時から僕の心のどこかにあった、ビョルン・アンドレセンの長い長い物語が回収された気がして。映画を観た時から自分の中にあった、長い歴史のようなものが。
南 : なるほど…。
― 人生とともにあった映画の物語が、ひとつ区切りを迎えたのですね。
古屋 : 作品単体ではなく、20年、30年越しに回収される物語があるんだなと。若い頃の、「この映画が好き」という感覚だけではなくて、映画を通してずっと気になっていた物語が回収される。そういう映画の見方が、この歳になるとあるんだなと思いました。