目次
大人として、明るい未来のために
何ができるのか?
10年前に息子が生まれたとき、嘘偽りなく人生で最も大切な存在だと感じました。それからの私の人生の優先順位は常に息子がトップ。彼がこれから歩む未来が明るいものであってほしいと強く願いながら生きています。
しかし世の中には、日本から報道の自由が失われていること、ヤングケアラー問題、どんどん広がる経済格差といった暗い話題ばかりが渦巻いています。子を持つひとりの親として、大人として、明るい未来のために何ができるのか? 考え出すと目の前が真っ暗になるような気がします。そんなときは、自分を戒めるためにこの映画を観たくなります。
巨匠・黒澤明監督による『生きる』は、自らの死を予期した男性が「生きる」ことの意味を追い求める究極のヒューマンドラマであり、日本の官僚主義を痛烈に批判した社会派作品でもあります。
市役所の市民課長を務める渡辺(志村喬)は、真面目だけが取り柄の面白味のない役人。妻とは死別していて、今は息子夫婦と同居しています。しかし、自分が胃がんに侵され余命いくばくもないことを知ると、彼の世界は一変するのでした。
それまで渡辺は何の変化もない日々を過ごしていました。回ってきた書類に判を押すだけ。市民課を名乗りつつも、市民から持ち込まれた公園建設の要望が役所内をたらいまわしにされていても無関心。かつて少しは持ち合わせていた仕事への情熱も、権威に弱く変化を嫌う官僚主義の前に消え失せてしまっています。プライベートでも、妻亡きあと精魂こめて育ててきた息子との関係がぎくしゃく。生きがいだったはずの息子は成人して結婚し、同居しているのにコミュニケーションを図る機会もありません。……自分の人生には何の意味があったのか? 絶望した渡辺は、仕事を無断で休んで夜の街に繰り出ます。
店で出会った男と繁華街を徘徊して酒を煽り、自暴自棄になってしまう渡辺。しかし、「ある若い女性」との関わりをきっかけにして、彼は新たな生きがいを見つけるにいたるのです。
官僚主義的な事なかれ主義に染まり切って、いわば死んだように生きていた男性が、死を意識して初めて「生きる」意味を探し求め、ついに人生を捧げる対象を見つけて成し遂げるというストーリーは、「生きる」とはなにか? という普遍的なテーマを観る者に投げかけます。
渡辺が、ひとつの出会いから見つけたライフワークに邁進した様子は彼自身の葬儀における回想シーンまで描かれず、そのすべてを役所の同僚たちの会話によって描くという特殊な構成も実にユニーク。段々と渡辺の熱意の理由が判明するに従って、自らの保身に気付いていく彼らの様子から目が離せなくなっていきます。本作を観た人は誰しも、人生への向き合い方を考え直すに違いありません。
生命力溢るる“とよ”
『生きる』の主人公はもちろん渡辺なのですが、私はいつも彼が「生きる」意味を見つけるきっかけを作った「若い女性」、渡辺の部署の部下だった小田切とよ(小田切みき)に目を奪われてしまいます。健康的な身体と豊かな表情を持ち、正直に「役所はつまらない」と言い切る率直さと行動力があり、食べ物をとても美味しそうに頬張る彼女は、まさに生命力の塊だと思うからです。
ケラケラとよく笑い、モグモグとよく食べるとよの姿をいつも眩しそうに見つめる渡辺。とよの「生きる」エネルギーに惹かれた渡辺は、あるきっかけから彼女に頼んで何度も食事を共にするようになります。一方で、このような行動が息子夫婦に不審に思われ、息子との距離はますます広がってしまうのでした。息子に病気のことを打ち明けられない渡辺は、現実逃避するようにとよとの外出にのめり込んでいきます。
しばらくして、とよに執着する渡辺とは裏腹に「気味が悪いからもう遊びたくない」と漏らすとよ。何とか彼女を説き伏せた渡辺は、最後の食事となったカフェで、とよのように活気がある人生を1日だけでも過ごしてみたい、その秘密を知りたいと迫るのでした。
そこでとよの言葉をを受け、渡辺は突然なにかを思いつき、急いでカフェの階段を下りていくのですが、この時点ではそれが何か語られず、ただならぬ様子が渡辺から伝わってくるだけです。しかし、彼の周囲の描写がこのシーンの重要性を教えてくれます。
カフェの中で開催されている若者たちによる盛大な誕生パーティ。パーティの参加者たちは、階段を上ってくる誕生日の主役に向かって、階段の上から高らかにハッピーバースデーの歌を歌います。しかし、カメラが追っているのはその歌を背中で聞きながら階段を下りていく渡辺の姿。するとどうでしょう。単なるハッピーバースデーの歌が、渡辺を祝福しているように聞こえるではありませんか! 新たな生きがいを見つけ「生まれ直した」渡辺を見事に強調してみせた、映画史に残る名演出だと思います。
大人の責任は、大人が取るべき
こうして、とよとの出会いを経て新たな生きがいを見つけた渡辺。しかし、死にゆく渡辺と対比を成す重要なキャラクターにも関わらず、これ以降とよは一切画面に登場しません。渡辺の葬儀にすら現れないことを不思議に思う人もいるのではないかと思います。しかし、私はむしろ彼女が登場しないことにこそ意味があると感じています。
『生きる』にはとよの他にも、息子夫婦、渡辺の尽力によってできた公園で遊ぶ子どもたちなど若い世代のキャラクターが登場しますが、とよに限らず彼らは誰ひとりとして渡辺に対して感謝や謝罪の言葉を述べません。
とよはカフェのシーンで完全に退場し、息子夫婦が抱いた渡辺への誤解はハッキリとは解消されず(示唆のみ)、息子が父親に対して悔恨や謝罪を口にするシーンもありません。よくある映画であれば、「渡辺さんはそんな人じゃありません!」と葬儀に飛び込んでくるとよや、「お父さん、ごめんなさい」と言って涙を流す息子や、「ありがとう渡辺さん」と書かれた横断幕をつくる子どもたち、といった感動的なクライマックスがありそうなものですが、本作にはそのような要素はありません。あくまでも、渡辺と同世代もしくは渡辺の行動を実際に見ていた部下が、彼について回想・想像するのみに留めています。
つまりそれは、子どもや若者を感動の装置にすることを徹底的に避けているということではないでしょうか。子どもに見返りを期待したり、責任を負わせたりしてはいけない、例え理解してもらえなくても、大人の責任は大人が取るべきだというメッセージの表れのように私は感じるのです。
「幸せな人生とはなにか」「本当の意味で生きるとはどういうことか」というメインテーマの裏で、徹底して貫かれている「大人の責任は大人が取るべきである」という戒め。このことは、セリフとしてもハッキリと語られています。
とよと渡辺がまだ楽しく出かけていたころ、渡辺は息子の愚痴をこぼします。“ミイラ”という仇名をつけられていたことを知った彼は、ミイラのように生きてきたのは息子のためなのに、息子は全然わかってくれないと不満を漏らします。すると、とよは「でも、その責任を息子さんに押し付けるのは無理よ。だってそうでしょう? 息子さんがミイラになってくれって頼んだなら別だけど」と息子を擁護します。さらに、自分の親について「そりゃ、生んでくれたことは感謝するわ。だけど、生まれたのは赤ん坊の責任じゃないわよ」と続けるのでした。
死んだように生きていたことも、息子のために人生を捧げたことも、すべて渡辺自身の選択です。誰に頼まれたわけでもありません。だから、他人のせい、ましてや息子のせいにすることはできないのです。
大人になるということは、自分の選択に責任を持ち、若者たちに「生まれたのは自分の責任じゃない」けれど、「生まれてきて良かった」と感じてもらえる世界を作っていくことなのではないでしょうか。嘆き愚痴るのをやめ、未来の子どもたちのために周囲の理解など度外視で新たに見つけたライフワークに邁進した渡辺。最後の最後で大人の責任をまっとうする渡辺の姿に、心が引き締まる思いがします。
先日、息子の誕生日パーティを開きました。子どもたちが歌うハッピーバースデーを聞きながら、私は「生まれ直した」渡辺の姿をまた脳内で思い出していました。今の日本は経済格差や教育格差が広がり、コロナ禍による閉塞感もあってなかなか未来への希望を抱きづらくなっています。明るい未来を生み出すのは、社会を牽引している大人たちの今の行動にかかっています。若い世代が自分たちの年齢になるとき、もっと暮らしやすい社会になっているために自分ができることは何か? 問い続け、行動し続けられる大人でありたいと願います。
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