実に久しぶりに満員電車に乗った。サラリーマンを卒業したのは7年ほど前になるから、それ以来だろうか。普段、都内の移動は自転車だし、少し距離があるときには車に乗っている。近所へなら歩く。独りの移動は気楽でいい。ところがその日は朝のラジオ番組に生出演するべく、何も考えずに駅に向かった。ホームについてから、「しまった!」。この時間帯は、満員電車がやってくる。
昔はなんてことなかったはずのものに怯える自分がいる。予想通り、やってきた電車は既にギュウギュウの状態だ。軽く息をのみ込んで、扉が開くのを待つ。右側にちょっとふてぶてしい態度の中年男性。左側に物静かそうな女性。そのスキマに自分の体をねじ込ませた。リュックを前にかけ、体をぎゅっと縮こまらせ、申し訳ない気持ちを目いっぱい抱きかかえて。
さすがにちょっと極端かなと思うほどビクビクしながら電車に揺られたのは、前日に観た『イージー・ライダー』のせいだろう。コカイン密売で大金を手にした若者2人が、アメリカ大陸でバイクを走らせる。アメリカン・ニューシネマの傑作と呼ばれる作品。主人公のワイアットとビリーは、ハーレーダビッドソンのタンクに稼いだ金を隠し、カリフォルニアを出て謝肉祭の開催されるルイジアナ州ニューオーリンズを目指す。
すばらしい音楽たちに彩られ、広大な景色の中を颯爽と駆けるロードムービーだが、一方で2人を待ち構える出来事の数々に観ているこっちの気持ちがふさいでいく。いわゆるヒッピーと呼ばれる異質な存在に冷ややかな視線や態度が次々と浴びせられ、最悪の結末が待っている。変な影響を受けたせいか、翌日の満員電車で「ここにいる自分も異質な存在なんだ」と決め込んでしまった。
大学を卒業してそつなく就職し、20年ほど会社勤めをした。その後、“カレーの出張料理人”として独立し、“カレーの旅を撮る写真家”に転身して今に至る。満員電車はおろか、スーツや革靴とはすっかり無縁になったし、平日も休日も気にしなくなった。動きたいときに動き、休みたいときに休む。誰に断りもなく好きな所へ行けるし、だらだら怠けていたって誰に怒られることもない。
大いなる自由を獲得し、ある意味で日々を謳歌していると言っていい。多数派から少数派へ居場所が移ったという意識はある。後ろめたいとは思っていないが、「キミのいる場所と、そこでキミが考えることは、決してスタンダードじゃないのだよ」と肝に銘じている。恥ずかしげもなく自分を美化(?)するならば、『イージー・ライダー』のワイアットとビリーに自分を重ね合わせることはできそうだ。事実、いとも簡単にそうしてしまった僕は、あの日、ワイアットになったつもりで街へ出ていたのかもしれない。
「アメリカはいい国だった。どうなっちまったんだ?」
「臆病になったのさ」
「二流モーテルさえ泊まらせないんだ」
無許可で祭りのパレードに参加したと咎められ、留置場に入れられた2人は、若い弁護士ジョージに出会う。3人での旅が始まったある夜の会話が印象深い。
「何をビビッてやがるんだ?」
「怖がっているのは君が象徴しているものさ」
「長髪が目障りなだけだ」
「違う。君に“自由”を見るのさ」
「“自由”のどこが悪い?」
「そう。何も悪くないさ」
ビリーとジョージのやり取りに思わず唸る自分がいる。「たしかに自由はすぐそこに転がっていたんだよな」と今になれば思う。それをたまたま見つけ、選んだ。値段はついていなかったから、無料で手に入る自由である。ただし、代償は払わなければならない。そう、リスクとも言い換えられるものだ。さあ、どうすればいい?
好きなカレーのことだけでやっていくと決めたとき、同時にその選択も迫られた。でも、当時の僕は、いわゆる「生活の安定」や「安心な立場」みたいなものを放棄する危険よりも、はるかに「カレーを探求したいという熱意」が勝っていた。半ば周りも先も見えない状況に陥って、いとも簡単に、そう、とっても“イージー”に新たな道を行くと決め、今もその道の途中にいる。
「自由を説くことと自由であることは別だ。カネで動く者は自由になれない。アメリカ人は自由を証明するためなら殺人も平気だ。個人の自由についてはいくらでも喋るが、自由な奴を見るのは怖い」
「怖がらせたら?」
「非常に危険だ」
彼らはそんな会話をしたあの日、とある田舎のレストランで地元民の冷ややかな反応に出くわしている。
「どうしてやる?」
「群境で片付ける」
あの常連客たちの心無いセリフが飛び出して以降は、気が気ではなかった。彼らはいつかやられるんだ。嫌な予感は的中し、ジョージは寝込みを襲われ、殴り殺される。さらに旅を続ける2人が銃弾に倒れるラストシーンは、不条理という言葉では整理がつかないほど気持ちをえぐられた。映画の世界なら、あれくらいのことは日常茶飯事だと思えばいいのに、そうは割り切れなかった。
自由を手にした僕はといえば、幸いなことに今のところ危険な目にあったことはない。髪型も服装も平凡で目立たないし、ハーレーにまたがって一本道を突っ走るような派手な行為もしていないつもりだ。少しはうまくやれているのかな。
カレーの世界でメインストリームを横目で見ながら、ずっと脇道を走ってきた。キャリアを重ね、自分の存在感が強まってきたことに危機感を持ったとき、タイミングよく写真に惹かれて引退の道を選んだ。できればこのままひっそりとしていたい。異質な存在ではあるけれど、隅っこで静かにして、意図せずとも誰かを不快にさせたり怖がらせたりしないで済むようにしていたい。
この映画が公開された1969年、アメリカはベトナム戦争の真っ最中だった。殺伐とした空気と異質な存在への冷酷さは、その時代のアメリカならではのものだろうか。僕は、現代の日本にも未来の世界にも通底するものがあるんじゃないか、とつい拡大解釈してしまう。
誰もいない広大な土地の一本道を走っているだけで、たまたま遭遇した車に乗る農夫にライフルをぶっ放される。そんなことが現実に起こっちゃたまらない。でも、何気ない言動がどこかで知らない誰かの気分を害することもある。火種はあちこちに潜んでいるだろう。
25年以上ぶりに観た『イージー・ライダー』で、激しく自分の老いを感じる結果となった。若かりし頃は、「なんだか格好いいミュージックビデオみたいだなぁ」なんてずいぶん呑気に楽しんだ記憶がある。ところが、今回、さしてドラマチックなストーリーもないはずのロードムービーを怯えながら見守ったのは、長い歳月の中でそれなりの経験を積んだ結果、僕という人間がすっかり臆病者になってしまったからなんだと思う。仕方のないことだ。
色んなことを前向きに諦めたおかげで欲しいものはほとんど何もない。でも、失いたくないものはある。カレーと向き合い、カレーを突き詰める自由だけは失わずにいたい。そのために臆病なライダーはこれからも道の隅っこを走るのだ。道中でもし親指を立てるヒッチハイカーを見つけたら、気が済むまで後ろに乗せてあげられたらいいなと思っている。バイクのタンクには、酒を呑んだご機嫌なジョージを忍ばせておこう。
「ニッ! ニッニッ!」
いいお守りになりそうだ。さて、気を取り直してバーズでも聴こうかな。それともジミ・ヘンドリックスにしようかな。
- 夢かうつつか、カレーと向き合う日々/『WALK UP』
- なぜ絵を描くのか?なぜなのか?/『世界で一番ゴッホを描いた男』
- そこに到達するまでの旅が心に残る。/『アルピニスト』
- 若い頃にしたことやしなかったことの夢だ。/『ダゲール街の人々』
- 美しい光は危険なんだ。おいしいカレーもね。/『旅する写真家 レイモン・ドゥパルドンの愛したフランス』
- ケキッキは、ケキッキだ。それで、いいのだ。/『カメラが捉えたキューバ』
- 臆病なライダーが、カレーの脇道をひた走る。/『イージー・ライダー』
- 気を抜くんじゃないよ、あの男が見張っている。/『世界一美しい本を作る男〜シュタイデルとの旅〜』
- 失ったものもいつかは取り戻せる、 といいなぁ。 /『パリ、テキサス』
- 1つさ。 それに頼れば、ほかはどうでもいい /『シティ・スリッカーズ』
- 嘘でも言ってくれ 「見せかけなんかじゃない」 /『ペーパー・ムーン』
- 誰かにもらった正解よりも、自ら手にした不正解 /『80日間世界一周』
- 笑いの裏に苦悩が隠れ、 怒りの裏に孤独が潜む。/『スケアクロウ』
- 指した手が最善手。別の人生は歩めないのだから /『男はつらいよ 寅次郎夕焼け小焼け』
- 希望はいつも足元にあり 仲間はすぐそばにいる /『オズの魔法使』
- 「何のため?」…なんて悩んでいるうちは、ひよっこだ。 /『さらば冬のかもめ』
- 独創性は生むより生まれるもの、なのかもなぁ。/『SUPER8』
- どうして探しモノは見つからないのだろう?/『オー・ブラザー!』
- 答えは見つからず、理由は説明できないのだ。/『ブロークン・フラワーズ』
- 寸胴鍋をグルグルとかき混ぜる、身勝手な男。/『ネブラスカ ふたつの心をつなぐ旅』
- チラ見せに魅せられて、魔都・上海。/『ラスト、コーション』
- スリルは続くよ、スリランカ。/『インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説』
- 普通だよね、好きだよ、ポルトガル。/『リスボン物語』