ケリー・ライカート監督の『オールド・ジョイ』を映画館の特集上映で観た。
この映画は、もう直ぐ父親になるマークと昔から自由を求め続ける生き方をしているカートが何年かぶりに再会して、車で山奥の秘湯に行くロードムービーだ。カートは、2年前この秘湯に行ったことがあるらしい。
車で秘湯に行くはずが、道に迷った2人はキャンプをすることにする。虫の音と、焚き火の音と2人の声しか聞こえない場所で自分達の話をする。会っていない間に、変わってしまった部分、変わっていない部分。何かしらの壁が生まれてしまっているのだ。それを感じ取ったカートは涙を流しながら、マークに言う。
「マークとは友達でいたいのに、壁が存在する。」
「そんな事ない。友達だ」と言うマークもその存在に気付いているのだ。
日本に秘湯なんて存在するのだろうかと思いネットで調べると、案外あった。楽駆を誘うことにした。楽駆とは事務所の同期で出会ってもう5年くらいになる。彼とは、お酒を飲んだり、銭湯に行ったり、お腹いっぱいな時にラーメンを食べさせられたりする仲なのだが旅行は今までしたことがなかった。「秘湯に行きたい」と伝えて場所を見せると、彼も温泉が好きなので、嬉しそうだった。
「けど俺免許ないから、楽駆が全部運転してね」
「その為に俺のこと呼んでるでしょ? 隣で寝たら怒るからね」
栃木の秘湯に行くことにした。一泊二日で帰れるくらいの距離だし、何より山のふもとの駐車場までは車で行けるのだが、その先は1時間くらい歩く必要があるらしい。遠くの山まで行って、そこからまた山を登らなければ温泉にたどり着けない。こういう大変さが好きなのだ。とは言っても、どのくらい険しい道なのか不安になったので、温泉の人に電話をしてみる。お爺さんが出た。
「もしもし、明日行こうと思ってる者ですけど、駐車場から歩けるものなのですかね?」
「はい〜歩けますよ〜。みなさま結構歩いてこられますよ〜。」
「あ、本当ですか! では歩いて行きます!」
向かう道中の車の中は最高だった。
互いに好きな音楽を流し合い、僕は助手席で楽駆の運転を応援。
駐車場に着いた。外に出た瞬間、想像の3倍寒かった。
少し先に他のお客さんもいたのだが、遠目からでもわかることがある。装備がすごい。アウトドアな服装に、靴には雪の中を歩く用の爪みたいなのが付いているではないか。僕の隣を見ると、薄手のコートで、革靴を履いている楽駆君が物凄く寒がっているではないか。
大丈夫なのだろうか。温泉にたどり着けるのだろうか。
前の人達に着いていくと、とてつもなく険しい雪山が見えた。
階段が一応あるので、恐る恐る2人で登り進めていた20歩のところで、楽駆君が足を滑らせた。「あ、やばいやばいやばいかも」と言いながら、上からツルツル滑り落ちていった。当たり前だ、革靴なんだから。笑いが止まらなかったけど、楽駆君が滑り向かう先は、階段から外れた道の先にある崖。僕は自分も滑らない様に木を掴み、もう片方の手で、彼の手をキャッチ。間一髪、そしてまさにファイト一髪だった。
2人で顔を見合わせて、何も言わず駐車場に戻った。
この山は登れない。もう諦めようか。けど、ここまで来たのに諦めるのか。
そんな話をしながら考えていると看板を発見した。
昔は車道だった道があるらしい。その道は険しくないものの、歩いて2時間かかるらしい。
この寒い中2時間は大変すぎるけど、行くしかない。
しかし、車道を歩き始めて20歩のところで、この道の恐ろしさに気付く。
全ての場所が凍っているのだ。スピーカーをリュックにつけてお気に入りのプレイリストを流すものの、2人の空気は地獄の様で、会話なんてほとんどしていない。楽駆君が久しぶりに口を開けた。
「せっかく山に来てるのに、足元しか見れないの悲しすぎる」
その通りだ。僕らはずっと「どの地面が滑らなそうか」という気持ちだけで、ずっと下を見て歩いている。
1時間半歩いたところで、別れ道が来た。
携帯で地図を調べようとしたが、2人とも圏外。
一か八かで僕が道を決めると、30分進んだところでこの道が間違っていることに気付いた。僕たちは座り込んで、動けなくなった。
また30分、同じ道を歩くのか。
最後の力を振り絞るかの様に、楽駆君が「よし、行こう」と言い、全力で走り出す。僕も走り出す。このまま、僕たちは秘湯に行くのだ。
走り出して1分もたたずに、2人は歩いていた。
それから、何を会話したのかは覚えていない。
湯気が出ている旅館を見た時に、僕らは立ち止まってただそれを見つめた。
中に入り、お金を払い脱衣所に行く。
2人とも裏返しに服を脱ぐ。
脱衣所の古い扉を開けると、眩しすぎるくらいの光が入ってくる。
お湯で体を流し、静かに入る。
本当に、気持ちが良すぎて笑いが止まらなかった。
そして、満面の笑みで楽駆君とハイタッチをした。彼と出会ってから初めてハイタッチをした。とてつもない静けさの中、湯気の間から滝とその音だけが聞こえる。楽駆君に言う。
「もしも天国が存在するなら、こんなところがいいね」
「てかもう、ここが天国みたい」
今でもあの気持ちよさは忘れられない。
お風呂から出て、脱衣所に行くと、お爺さん2人が爆笑しながら入って来た。
挨拶をすると返してくれて、色んな話をしてくれたが、酔っ払っているし方言もあるので、何を話しているのか一言も理解できなかった。だけど、僕たちと同じで歩いて来たらしい。
どのタイミングでお酒を飲んだんだろう。凄く幸せそうだった。
お風呂を出て休んでから、2人で話し合い、旅館の人にお願いをすることにした。
「駐車場までのバスを出してほしいです。」
流石に同じ道を帰るなんて無理だし想像するだけで気が狂いそうだ。
旅館の人は優しくて、追加料金でバスが出ると教えてくれた。
秘湯に入りながら、カートが現実で会ったレジの店員の女性のことを、夢の中でも会っていた話をする。カートは夢の中で動揺していて、その女性はカートを抱きしめながら「大丈夫よ。悲しみは使い古した喜びなのよ。」と言ったらしい。
その話をしながら、カートはマークの肩揉みをする。動揺するマークだが、2人は何も言葉を話さず、静かな時間だけが流れていた。
映画の2人も僕らも都会に帰る。
都会にいる自分と、自然の中にいる自分とでは何が違うのだろうか。
僕は、心がゆっくりになれる気がする。
普段、情報の量が多い都会の中で生きていると、無意識に何かを考えてて、気分が下がったりする。自然の中にいると何も考えられなくなり、ただそこにいることが幸せになる。
「人間が自然を壊してきたはずなのに自然に癒しを求めて車で何時間もかけて旅行するのって不思議だね。」
「うん。本当にそうだね」
彼と旅行の最後に話した。