目次
YouTubeを舞台にすると
見えてきた「人間関係」
― 本日はよろしくお願いします。
ムロ : 気をつけてください。𠮷田さんとの二人での対談取材、今回がトップバッターだから、僕らは話がとっ散らかって、ゴールに辿り着かない可能性大です(笑)。
𠮷田 : ここが揃うと、話止まらないからね。
― 今作は、𠮷田監督が「久しぶりにキュンとする作品を作りました」とコメントされていたように、前作『空白』(2021)のシリアスな空気から一転、微笑ましいラブストーリーから幕を開けますね。
𠮷田 : 昔から僕は、“美女と野獣”みたいな設定が好きなんです。側から見ると「冴えない」二人が、「冴えないこと」に真剣に取り組んで、きゃっきゃ楽しそうにしているというのが、“美しい”と思っていて。
― ムロツヨシさん演じるイベント会社勤務の「田母神」と、岸井ゆきのさん演じる底辺YouTuberの「ゆりちゃん」の二人が、今作での“美女と野獣”ですね。
― 田母神は、合コンでゆりちゃんと出会い、再生回数が伸びない彼女のチャンネルをサポートするため、撮影や動画編集を手伝うようになっていきます。
𠮷田 : 美しい人たちが一生懸命やっているのは、「それは、まぁ素敵ですわな」という感じなんだけど、どこか日常がパッとしない人たちが一生懸命な姿に、「なんだろう…この胸の高鳴りは」と、僕は惹かれるんです。
まぁ、そのキュンとするポイントが、みんなとは一緒じゃないんでしょうけど(笑)。
ムロ : 僕は、𠮷田さんの作品に出演するのが『ヒメアノ〜ル』(2016)から2作目なので、そういう“キュン”は感じ取りました。もし、初めての作品だったら、「この人何言ってるんだろう?」みたいになっちゃうと思うんですけど(笑)。
𠮷田 : あと、俺、(岸井)ゆきのが演じるゆりちゃんをモニター越しに見ながら、「そんな顔されたら、キュンするわ!」ってなってた(笑)。ゆきの好きなんだよねー。
ムロ : 撮影のときも、本当にまっすぐそれ言いますよね!
𠮷田 : 大好きだから。
ムロ : (笑)! 映画が完成してから、𠮷田さんに「撮影のときムロくんは影の主演だと思ってたけれど、編集したら、やっぱりムロくんが主演だった」って、言われて。
𠮷田 : 編集してたら、だんだん「あ、そっか。俺ムロくんが主演で撮ってたんだ!」って、気づいてきて。
ムロ : そうだよ!
𠮷田 : だって、ゆきののゆりちゃんに“キュン”ってしてたんだもん。
ムロ : 確かに、ゆきのちゃん演じるゆりちゃんの豹変ぶりは、すごかったですからね。だから、僕もどんどん引き出されて、あんなことになってしまって…。
ゆりちゃんの豹変ぶりに、田母神が思わず「すごいね!」というセリフがあったんですけど、芝居でというよりは、自然と出てきた感じでした。
𠮷田 : 完全に入っちゃってたよね。
ムロ : どう考えたって計算で出せるものじゃないし、自分の中にあるトーンじゃなかったからね(笑)。
― 献身的にサポートしていた田母神は、ゆりちゃんに次第に見返りを求めるようになり、ゆりちゃんは恩を仇で返すかのように、田母神をこっぴどく拒絶していき、二人は最悪の関係となっていきます。
ムロ : 𠮷田さんは、人が変わってしまう恐ろしさを描きたい、というのもあると思うんだけど、その前に、冴えない人たちの距離が縮まっていく過程を描きたいというのもあるんだろうなーと。
― 『ヒメアノ〜ル』や『空白』など𠮷田監督の映画では、関係性が崩れていく瞬間の人の心理が、容赦なく抉り出されています。今作も、前半で距離を縮めていった二人の関係は、ゆりちゃんに訪れた変化をきっかけに、驚くほどスピーディーに崩れていきました。
― この「見返りを求める男と恩を仇で返す女」という設定は、どのように生まれてきたのでしょうか?
𠮷田 : 今作のプロデューサーと映画の企画について、2018年頃に話していた時、思いついたことだったんです。まず最初に「承認欲求」や「自己顕示欲」を描いたものをやりたいというのがあって。「人からすごいって言われたい!」とか、そういうことをとにかくやりたかった。
ムロ : 時代としても、ちょうど話題になっていたテーマでしたもんね。
𠮷田 : それを具体的にどんな設定で描くかを、時間をかけて考えたときに、「YouTuber」でやりたいなと。そこから、「見返りを求める男と恩を仇で返す女」をやろうと思いついて。
― なぜ、YouTubeを舞台にその関係性を描こうと思ったんですか?
𠮷田 : 例えば、役者と監督とか、ミュージシャンとプロデューサーという関係性だと、その世界だけで完結してしまう気がして。
でもYouTubeだと、お互いへの見栄とかディスり合いを動画で流すことができるから、二人の痴話喧嘩を世界中が見ていることになる。二人と全然関係ない人たちからコメントがきたりとか。これはいいの思いついたぞ、と思いましたね。
ムロ : YouTubeやSNSというのは、メディア自体もその中のコンテンツも、ものすごいスピードで変わっていくじゃないですか。僕が最初にこの台本を読ませていただいたのは2年前なんですけど、「承認欲求」というテーマの行き先も、撮影している間に多分どんどん変わっていくだろうから、どうなるんだろうと。
正直、最初に台本を読んだときは、二人が豹変してディスり合っていく姿に「人はここまでモンスター化するだろうか」と思ってたんですが、今まさにドンピシャの時代になりましたね!
𠮷田 : むしろ、現実に比べるとちょっと弱かったかもしれない(笑)。
ムロ : いや、よく見抜いてたなーと思って!
𠮷田 : 俺はむしろ逆を考えてたの。オンライン上での表現の規制がもっと厳しくなって、今回演出に使ったような表現方法はYouTube上ではBANされる存在になるかなと思ったら、現実では更に上をいく存在が出てきてるという(笑)。
カメラを向けることで変わる、
現実と自分の距離
― 今回YouTubeが舞台ということで、ムロさんは共演する相手にカメラを向けたり、向けられたりすることがあったと思うのですが、それは、どんな感覚でしたか?
ムロ : 田母神とゆりちゃんが遊びながら動画を撮っているシーンは、𠮷田さんから「二人にお任せします」という感じだったんです。だから、自由に演じさせてもらいました。自然とリアリティを持ってできたシーンだったのかなと思います。ゆきのちゃんが楽しそうなところを撮る、というのは楽しかったですよね。
𠮷田 : 俺は、ムロさんがスマホで撮った動画を見せてもらって、「こういうの撮ってたんだー」って後からわかるという(笑)。
カメラを持って撮影しながらの芝居もそうだけど、カメラ目線で演技をするということについては、どうだった? 役者って、そういう状況はあまりないじゃない。でも、バラエティ番組も多く出ているから、慣れているのかな。
ムロ : 確かに、あまりないかもしれないですね。でも僕は、演劇もやっているので、「客席に向かって語りかける」、つまり「見てる人の方を見て話す」というのは、慣れざるを得ないんですよね。
𠮷田 : もとから司会者気質なところも、あるもんね。
― 田母神とゆりちゃんが、スマホを付けた自撮り棒をフェンシングのようにお互いに向け合い、撮影しながら本心をぶつけ合うシーンも印象的でした。あの対立構造は、𠮷田監督が、主催するワークショップの中で思いついたとお聞きしました。
𠮷田 : そうそう、「ある一人の男が、対面している人を急にスマホで撮影しだして、あることを強要してくる」という怖いシーンをワークショップで設定したときに、参加者のひとりが、自撮り棒にスマホをつけてその場面に現れたんです。「自撮り棒を人に向ける」っていう行為が意味がわからなすぎて(笑)。
― 自撮り棒は、自分自身を撮るものですもんね。
𠮷田 : そうそう。だから、これで相手も同じことしてたらもっと面白いし、そこに夕陽が差し込んできたら、俺泣いちゃいそうな気がする、って思って。
― 棒があることで相手との身体の距離は遠くにありつつも、自分が向けているカメラは相手のすぐ目の前にあって。離れながらもパーソナルスペースに迫っていくあの距離感が、現代的で面白いなと感じました。
𠮷田 : 多分、まだやってる人誰もいないよね(笑)。
ムロ : でも確かに、今お話聞いて思い出しましたけど、棒を持ってスマホで撮りながら相手と話していると、向こうにいる本人に話しかけてるときもあるけど、スマホ画面に映ってる相手に話してるときもありましたね。
𠮷田 : あーなるほど!
ムロ : ゆりちゃんに対しての「本当はこうであって欲しかった」という希望や本音の部分は、僕は画面の方に話しかけてたかもしれないです。今気づいたんですけど。
― カメラに映るものだけに集中していると、普段は言えない本心が言えたり、行動できたりしてしまうのかもしれません。
𠮷田 : 確かに、例えば、撮影しているときに地震が起こると、画面を通してその現実を確認しているからか、普段に比べて怖くなかったりするよね。
人間って、何かカメラを構えて入り込んでいると、戦場カメラマンもそうかもしれないけど、そのときは現実から切り離されているのかもしれないですね。撮影しているときは、自分のピントがカメラを通して向けられてるからか、普段の自分では出来ないことができたり。
ムロ : 多分それもあるのか、最近街を歩いてても、以前よりもスマホを向けられる回数が増えた気がするんですよ。昔はもう少し「撮っていいかな…」みたいな遠慮した感じがあったけど、最近はそれも薄れているように感じます。「私見てませんから」みたいな態度なんだけど、実はスマホで撮影しているみたいな(笑)。
𠮷田 : 多分、ムロさんのキャラクターもあるよね。撮っていいんだと思われやすいじゃないかな(笑)。それが役所広司さんだったら、やめておこうかなと思うのかもしれない。
ムロ : おい、比較はやめて!(笑)
批判は、感情ではなく「データ」として受け取る
― 𠮷田監督は、今作に関するコメントの中で「YouTuberに対するリスペクトも込めている」と書かれていましたね。また、ムロさんは、今作の中で“ゴッティー”という覆面YouTuberを体験されました。今作を通して、お二人の中でYouTubeに対する向き合い方、距離感は変わりましたか?
ムロ : YouTubeって、これまであんまり見てなかったんです。毛嫌いしてたわけじゃなくて、僕はデジタルネイティブの世代ではないし、Twitterとかインスタライブはやっていたけど、YouTubeはちょっと自分にとって遠い存在だったんですね。
でもこの脚本をもらってから、少しずつ見るようになって。それで思いましたけど、登録者数が多いチャンネルの番組って、すごく考え込んで作られてるんだなと。
𠮷田 : うん。
ムロ : 毎日企画を考えて毎日編集してるんだろうなと思うと、めちゃくちゃ大変だな!って。一応僕も、ものづくりに携わっている人間だからわかるんですけど。だから、逆にYouTubeを見れば見るほど「これは手を出せない」と思いました。
𠮷田 : ムロさんや俺は、舞台や映画を作ってるから、今は自らYouTubeをやろうとは思わないけど、こういう性格の人間が、もし、ものづくりとは関係のない仕事に就いている状況だったら…
ムロ : 絶対やってますね!
𠮷田 : 俺もやると思う。何か表現して形に残したいというエネルギーはある、でも何者でもない、という状況だったら、絶対やってるよね。
ムロ : 趣味を深めたり、広げたりするチャンネルもあるじゃないですか。高速道路を走る車のドライブレコーダーの映像を、編集しないで流してたり。あれは見ちゃいましたね。あと焚き火の動画も、一時期ハマって見てました(笑)。
多分、「登録者数を増やす」ことが一番の目的ではなくて、それを発信して誰かに見てもらうことに楽しみを感じてるんですよね。「これは広がるよな、世界!」と思いました。
― ムロさんは、2020年4月に緊急事態宣言が出されてから、公式アカウントでインスタライブの配信をスタートし、さらにYouTubeではヨーロッパ企画の上田誠さんや映像作家の真鍋大度さんと「非同期テック部」という活動を行うなど、コロナ禍でもSNSを舞台に表現を発信し続けていましたね。
ムロ : 2年前のコロナで仕事がストップしたあの頃は、SNSに助けられましたね。性格上、何もできない状況だからこそ、何かやっていないと危ない人間だと自分でわかってたので。堕落してお酒だけ飲んで、不平不満を独り言のようにつぶやきながら暮らす、そういう側の人間になってしまうだろと。だから、やっぱり人前に立って何かやろうと思ったんです。
インスタライブは無料でできますし、それによって朝起きることもできた。そういう時期があったからこそ、発信することの根源的な楽しさに、改めて気付くことができました。
― 今は誰でも気軽に自分の表現を発信できる一方で、それがすぐに数字や他者からの評価に晒されてしまうジレンマも抱えています。お二人も、役者や監督という仕事柄、周りの反響や批評が常に聞こえてくる環境にいらっしゃると思うのですが、批判的な周りの声には、どのように折り合いをつけていますか?
ムロ : 最近は、批判であっても、感想があることはありがたいことなんだなと、綺麗事だけど思うようになりましたね。今、「muro式」の舞台が終わった直後だからそう感じるのかもしれないけど。全部を間に受けすぎてしまうと良くないし、聞かなくなるとそれも意固地だと思うし。
聞こえてくる声は受け入れながら、それでも好きなことをやる。そのことが「試されている」のかなと。そう思うようにしていますね。
𠮷田 : 俺はね、否定的な意見に関しては結構データ取るの。
ムロ : あ、やっぱりデータ取ります? 俺もやる。
𠮷田 : 俺の映画に対して、「ここが嫌だ」という意見が「この人もこの人も同じこと書いてるな」っていうときあるじゃない? ひとつの映画に対して、「受け入れられない」ところが多くの人で重なるということは、特殊な意見ではないなと。
― 批判的な意見にも、感情的になるのではなく冷静に捉えるんですね。
𠮷田 : そう。だったら、次はこの人たちを納得させつつ、でもここは曲げたくないぞ。じゃあ、その中間をやろうと。「それを俺はできる…なぜなら俺はイケてるからだ!」と毎回気持ちを持っていくんです。
ムロ : 言い聞かせながら(笑)。
― ご自身の作品への意見や評価は、耳に入ってくるというよりは、積極的に見るようにしているんですか?
ムロ : 個人の活動に関しては、いつの間にか自分からは見なくなりましたね。やっぱり、自分で分析して凹んでるんだろうなと思います。僕も自分への否定的な意見をデータ化したことがあるんですけど、そういう言葉って心に残っちゃうんだなと。
逆に、嬉しい感想も、ありがたくて見ると嬉しい気持ちになるけれど、それを自分がプラスにできているかというと、そうでもなくて。だから自然と見なくなりましたね。自分が演出している「muro式」の舞台は、エゴサーチして、否定的な意見はデータ化してるんですけど。
𠮷田 : 俺は、映画の中で説明描写をあんまりしなかったときなど、観てくれた人が結果どのくらい理解してくれたか、ということはよくリサーチしますね。
「あえて説明セリフを抜いてみよう」と試したところが「ちゃんと伝わってる!」とわかることもあれば、「これは説明を入れておこう」としたシーンが「あの部分は蛇足だ」とコメントされているのを見て、「自分を信じられなくてごめん!」って反省することもありますよ(笑)。
ムロツヨシ、𠮷田恵輔の「心の一本」の映画
― お二人にとって、自分の「好き」を思い出す原点となるような映画はありますか?
ムロ : 最近だと、この前『トップガン』(1986)観たらめちゃめちゃ面白かった!!
𠮷田 : 新しい方?
ムロ : 1作目の方! 『トップガン マーヴェリック』(2022)はこれから観ます。公開が始まるから1作目をまずは観なくちゃと思って、他に観なきゃいけない映画たくさんあるのに『トップガン』観ました。やっぱり面白いなーと思って!
𠮷田 : 絶対に2作続けて観たいよね。俺もそれは決めてるの。
ムロ : 今みんな観てるでしょうね。
𠮷田 : それで思い出したけど。俺ね、映画の専門学校に通ってたんだけど、ああいう学校って、北海道から沖縄まで、全国からたくさんの映画好きが集まってるんだよね。俺は、地元では「俺ほど映画に詳しい奴はいない!」と思っていて、その勢いのまま入学したんだけど、周りもみんなめちゃくちゃ詳しかったの(笑)。
ムロ : あるよねー!
𠮷田 : そういう人たちは、「俺の好きな映画」の話なんかしてなくて、「カンヌでグランプリ獲ったあれ最高だよね?」って話しかけてくるんだけど、俺は「?」となりながらも「あー観た観た、良かったー!」と合わせてたなー。でね、俺は本当は好きな映画を『グレムリン』(1984)だと言いたいの。
ムロ : (笑)。
𠮷田 : でも、「『グレムリン』一番好き!」とか言うと、めっちゃ馬鹿にされるわけ。だけど、自分の「好き」がわかってないと、作品は作れないし、自分の「好き」を他の人から馬鹿にされても、それをやらないと本当に何もできなくなっちゃう。だから、俺は『グレムリン』なの。
可愛いとブラックユーモア、両方あるみたいなところも、結構今回の『神は見返りを求める』の原点でもあって。
― 『グレムリン』は、ペットとして少年が飼うことになった可愛らしい「ギズモ」が、あることから凶悪な「グレムリン」として大量発生してしまうSFブラックコメディ映画です。前半の微笑ましさが後半で激変していく様は、確かに今作と繋がるものがありますね!
𠮷田 : 前半「キュン」だけど、後半「ぎゃー!」みたいなのが、同じだからね。ほぼ『グレムリン』です!
ムロ : 確かに(笑)。
― ムロさんはいかがですか?
ムロ : 昔の自分が好きだったものを思い起こさせる映画、という点でいうと、何度も観た『星の王子ニューヨークへ行く』(1988)ですね。
𠮷田 : あーーー!
ムロ : あれは1年に1回は観ましたね。定期的にテレビの洋画劇場とかでも放送されてたから。大人になってからも、3年に1回は観るようにしてるかな。
― エディ・マーフィ主演の『星の王子ニューヨークへ行く』は、コメディ映画の傑作『ブルース・ブラザーズ』(1980)や、マイケル・ジャクソンの伝説的なホラーミュージックビデオ『スリラー』などでも知られる、ジョン・ランディス監督の人気作ですね。
ムロ : コメディということの奥深さを、あの映画で知りましたよね。植木等さんという存在をきっかけに、子どもの頃の僕はザ・ドリフターズにはまって、コントはよく見ていたけど、コメディ映画というと、エディ・マーフィの『星の王子ニューヨークへ行く』ですね。出演者が楽しそうに演じているのが良くて。
𠮷田 : 今のアメリカ映画もそうかもしれないけど、特に昔のアメリカ映画で俺が結構参考にしてるのは、「ボケに対してツッコミがいない」という構図で。日本の文化って、突っ込むじゃない。でもアメリカ映画って、変な奴がいたら、誰かが突っ込むんじゃなくて、周りが唖然としてるの(笑)。
ムロ : はいはいはい!
𠮷田 : 誰も注意しないし、ただみんなが引いているという。あれが好きで、俺もわりと自分の映画でそうしてます。
― 今、挙げてくださった二作品には、コメディ映画という共通点がありますね。お二人にとって「笑い」というのは、作品に触れる上でひとつの軸になっているのでしょうか?
ムロ : 感情が動くという意味では、ひとつの軸ですね。大人になると、辛いという感情で心が動く作品も選ぶようになりましたけど、子どもの頃は特に、笑いには救われましたよね。
𠮷田 : 俺ね、子どもの頃は学校で面白い奴だと思われてたの。でも逆にいうとそれだけで、サッカーもクラスで一番下手くそだったし、足も遅いし勉強もできない。そうなると、唯一人気者になれるのって、「ちょっと面白いあいつ」しかない。だから、昔からずっと面白いものへの執着というのはありますね。