目次
「違和感」の正体を見つめる
(三浦さんと玉田監督が着席)
三浦 : ご無沙汰してます!
玉田 : 元気ですか?
三浦 : はい。一緒にお話しできて嬉しいです。
― 三浦さんと玉田監督は、今作の撮影に入る前も、時間をかけてたくさん話をして、作品や役についてディスカッションを重ねたと伺いました。
三浦 : 監督がそういうコミュニケーションの時間をとってくださったので、たくさん話しました。…話しましたよね?(笑)
玉田 : はい、話しました!
― まずはお二人で、どんな話から始められたんですか?
三浦 : 佳純が感じている「違和感」とか「生きづらさ」みたいなことを、ちゃんと理解しようということを話しました。玉田監督とリハーサルしながら、その「違和感」を整理していったんです。
― 三浦さんが演じた主人公・佳純は、「人に恋愛感情を抱いたことがない」という人物でした。今作は、セクシュアル・マイノリティである主人公を描いた映画『his』(2019)でも脚本を務めた、アサダアツシさんの企画が発端だったそうですね。
玉田 : アサダさんから最初に脚本をもらった時、佳純の中に虚無感のようなものがあるんじゃないかと思ったんです。どこか諦めているような。
三浦 : 佳純は、周囲とのコミュニケーションの中で「自分は他人とはどこか違う」という思いを抱えているけど、その本心を相手には伝えない。それは、「言いたいけど言えない」んじゃなくて、「言わないことを選択している」ような感じがするというか。
自分のことがちゃんとわかってるんだけど、伝えることを諦めているというところから始めようと玉田監督と話しました。
― 佳純自身のセクシュアリティの話ではありつつも、他者とのコミュニケーションの中で生まれる違和感や虚無感、ということに軸を置いたのですね。
玉田 : 佳純は周囲の人とは結構話すし、コミュニケーションもとるけど、「ここから先の領域は言わない」という部分があって、自分でもそのことに気づいているけど、人付き合いというのはそういうものだとどこか諦めている。それが、佳純の抱える「寂しさ」とか「虚しさ」みたいなものにつながっている気がしたんです。
三浦 : 私も、「26歳の女性」という一般的なイメージを世間的に押し付けられることに、違和感を感じた経験があって。だから、佳純が感じる居心地の悪さや、自分自身のことがわからなくて悩んでいる、という部分を共有できると感じました。
― 今作は、企画や脚本の段階から、アロマンティック(他者に恋愛感情を抱かない)、アセクシュアル(性的に他者に惹かれない)当事者に協力を得て、撮影を進めたとお聞きしました。
三浦 : 私も撮影に入る前、直接お話しする時間を設けていただいたんです。そこで、「一番苦しいのは、伝えても信じてもらえないことなんだ」と伺って。カミングアウトをした時に、差別を受けるとか、態度を変えられるとか、そういうことは少ないけれど、とにかく信じてもらえない、と。
― なるほど。
三浦 : 「まだ運命の相手に出会えていないだけだよ」とか「これから好きな人が現れると思うよ」と言われてしまう。そうすると、自分のことを否定されているように感じる、と。それは、さっき玉田監督がおっしゃっていたように、「虚無感」へつながると思うんです。
― 今作でも、恋愛や結婚には興味がないと伝える佳純に、お見合いや婚活を勧める周囲の人たちの姿が描かれていましたね。一方で、佳純のセクシュアリティを軸に描きながらも、「アロマンティック」や「アセクシュアル」という名前での説明はされていませんでした。
玉田 : 名前をつけてしまうことで、輪郭がはっきりしてわかりやすくなると同時に、そこから削ぎ落とされる部分も出てくると感じたんです。削ぎ落とされた部分も、その人の一部なのに。
玉田 : アロマンティック、アセクシュアルな人の中にも「ここは自分と同じだけど、ここは佳純と違う」とか、それぞれにグラデーションがあると思うんです。
三浦 : セクシュアリティが、そもそもグラデーションのあるものですもんね。はっきりと、「こっちとこっち」みたいな境界が引けるものでもなくて、その間にいる人もたくさんいて。
答えを出しきれないような「複雑なもの」は、複雑なままでいい。そういう映画になっていると思います。「何かの属性に当てはめて、その人を捉える」のではなくて、「その人の言葉を聞いて、その人を知ればいい」という、すごくシンプルなメッセージですよね。
会話をしながら、お互いを知っていきたい
― 佳純が、対話を通してとつながることができたのが、中学の同級生である真帆(前田敦子)ですね。真帆が持っていた「女性に対する古い価値観への疑問」に佳純は共鳴し、二人は距離を縮めていきます。
三浦 : この映画で佳純がわかり合えた人たちって、結局、属性を用いなくてもつながれる人だったんですよね。
三浦 : そういう人との出会いを通して、「周りと違う自分」を自身で受け入れることができたら、ラベル付けもいらなくなるんだよなって。私たちが生きる現実の世界は、まだまだそこに頼らないといけない過渡期にあると思うんですけど。
玉田 : 佳純は多分、「自分は何か周りの人と違うんじゃないか」と小さい頃から思い始めてから、自分の中にない“恋愛感情”というものについても、突き詰めて考えてきたと思うんです。だからこそ、その違和感を伝えた時に、相手を戸惑わせてしまうんじゃないか、と先回りして考えてしまうし、言わない選択をしてしまう。
三浦 : そうですね。
玉田 : そういう思考のクリアさが、三浦さんと通じるような気がしました。三浦さんは、すごく頭がいいイメージがあったんです。頭がいいというのは、モヤッとした感情をそのままにしておかないで、自分の考えをきちんと整理している、という意味で。で、実際にお会いしてもそうでした。
― 今隣で話を聞きながら、じっと考えていらっしゃいましたが、三浦さんは、ご自分でもそういうところがあるなと思い当たりましたか?
三浦 : あるって言ったら、自分のこと褒めてるみたいになっちゃうかな…(笑)。
玉田 : (笑)。
三浦 : でも、そうですね、よく考えて整理しようと試みるタイプではあると思います。誰かに伝えるためというよりは、自分の作業として。
― 自分の考えを整理していく過程で、誰かと対話したことに影響されることもありますか?
三浦 : はい。私はすごく恵まれていて、例えば「恋愛ってなんだろうね」みたいな話ができる友達が結構いたんです。「恋バナ」じゃなくて、「愛や哲学の話」として共有できる友達が。
― 佳純にとっての、真帆のような。
三浦 : そうかもしれません。アウトプットや対峙の仕方はそれぞれ違うけど、根っこにある、疑問を抱くポイントは共有できる。自分と全く同じではないんだけど、理解してもらえたり、伝わっている実感を持って話をしたりすることができる。そういう人と、折に触れて出会えているから、ちゃんと考え続けることができているんだと思いますね。
― 先ほど、「佳純は相手の気持ちを先回りして考えてしまうから、伝えることを諦めてしまう」というお話がありましたが、多様性が問われる今は、自分と違う価値観を持つ人のことを理解したいと思いながらも、どこまで踏み込んで聞いていいのか躊躇している人も多いのではと感じます。相手のことを知りたいけど、これを聞いたら傷つけてしまうのではないか、など。
三浦 : そうですよね。
― お二人は、演劇や俳優というお仕事を通して、さまざまな価値観の方と出会う機会も多いと思うのですが、その中で、相手を知るため、自分を知ってもらうために、どのようにコミュニケーションをとっていますか?
玉田 : 僕は、仕事として作品の演出や監督をする時は、現場を共にする人たちとたくさん話したいし、リハーサルの時間もいっぱい設けたいと思っています。面白さの種類を共有したい、というか。
三浦 : うんうん。
玉田 : 「これが面白いと思う」とか「こうしたらもっと面白くなるんじゃない?」とか。そういうことを、事前に一緒に揉んでおきたいんです。だから、この人となら一緒に話しながら進めていけそうだな、と思える人をキャスティングしているかもしれません。
三浦 : それって、「話せそう」の中に、価値観が共有できるかどうか、ということも含まれていますか?
玉田 : 根底にあります。どうやってそれを知るかというと、例えばその人が過去に出演している作品を観てみるとか。
三浦 : なるほど、なるほど。
玉田 : 自分もいいなと思える作品に携わっていたり、憧れるような仕事をしていたりすると、共通する価値観があるかもしれないと思います。そういう人だったら、「撮影前に話をするための時間を割きたい」と言ったら、「やりましょう」と賛同してくれるんじゃないかと(笑)。
三浦 : 「価値観の合う人と、仕事のできる確率を上げる」ということですね。
玉田 : そうですね。まずはそこですね。
― 価値観が合うことに加えて、多少のズレがそこに生まれた時、ちょっと踏み込んだやりとりをしても、この人となら心をオープンにして一緒に進んでいけそう、という目線もキャスティングの中に含まれますか?
玉田 : ありますね。…うん、それもあります(笑)! これは多分、その人が所属する事務所が選んでいて、本人はそうでもなかったのかもしれないな…みたいな仕事があったとするじゃないですか、仮に。でも、芝居はその人の責任でやりますよね。そうすると、芝居で絶妙に抵抗している、というのがわかることがあるんです、不思議と。
三浦 : あーなるほど。面白いですね!
玉田 : 自分の我がちゃんとあるというか。自分のやりたい芝居が見える。そういう人の方が、話せそうというか、魅力的に見える。
三浦 : 私、全然我ないですよ?(笑)。
玉田 : いや! そんなことないと思います。
三浦 : (笑)。でも、私も現場に入る前は、基本的にコミュニケーションを取りたいです。理由はすごくシンプルで、緊張するから。初対面の人よりも、事前に3回とか4回とか話している人の方が、一緒に作品をつくりやすいじゃないですか。
今回は、話をする時間を事前にとってくださったので、取り組みやすかったです。「ここが気になります」とかも、こちらから言うことができました。玉田監督から「あなたが考えていることを聞きたいです」と言われているような空気を感じたんです。
玉田 : 僕も話したいですね。作品をつくっている間は常に。
― 対話を深めていく中で自分と違う考えにぶつかってしまった場合は、どうやってコミュニケーションを取っていきますか?
玉田 : 「説得しよう」という考えはなくて、違ったら違ったで、それが面白いと思えるというか。それを魅力的に見せられればいいなと。
三浦 : 私も、自分の価値観を押し付けることもしたくないし、みんな違うことが当たり前だと思っているので。
― 自分と違う価値観に出会うことは、新しい自分を知るきっかけにもなりますよね。
三浦 : そういうことを、この仕事を通してずっとしているような気がします。本当にたくさんの感情とか価値観に、作品や、作品に関わる人を通して触れる機会が多いので。学びがあるなと思うし、それが私がこの仕事に感じている魅力のひとつです。
三浦透子、玉田真也監督の「心の一本」の映画
― 最後に、お二人にとって、新しい価値観に出会えた映画や、自分の中にある感覚と共鳴した映画がありましたら、教えてください。
三浦 : えーなんだろう!
― 難しければ、何回も繰り返し観ている映画でも…!
玉田 : あ、それならあります! 僕は、山下敦弘監督の『松ヶ根乱射事件』(2007)を何回も観ていて。最初に観たのは高校生くらいなんですけど。
― 『松ヶ根乱射事件』は、閉鎖的な小さな町で起こる事件を軸に、そこに生きる人々の不穏な空気が炙り出されていくという、ブラックコメディですね。
玉田 : 山下さんが20代最後の年に撮った映画なんですけど、「これが自分の作る20代最後の映画だ」と思いながらつくったと、あるインタビューでおっしゃていて。
作品も観た上で想像すると、「尖ろう」という意識があったんじゃないかと。今後いろんな仕事に関わっていくけど、この作品は自分の好きなことで塗り固めてやろう、という気負いを感じるんです。僕はもう20代は過ぎましたけど、自分も作品をつくる時は、そういう気持ちを忘れないようにしようと思える映画です。
― 玉田監督ご自身も、今振り返ると、20代最後の時というのは同じような気持ちがありましたか?
玉田 : 何にもなく過ごしてました(笑)。
三浦 : (笑)。
玉田 : 毎日必死で、何も考えることができていませんでしたね。当時は山下さんもそうだったかもしれないけど。でも、40歳になってもそのつもりでつくる、という気概でいたいですね。
自分の作品の参考にするために観たりとかはしないんですけど、ふと思い出して、「あ、『松ヶ根乱射事件』でも観るか」って。すべてのシーンが好きなので、ずっと「このシーンのこの人の芝居好きだなー」とか思いながら観てます。
― ご自身の創作に向き合うモチベーションにつながってくるのですね。
玉田 : そうです。これを観ると、どんな時でも、自分の好きなことをねじ込むような気持ちでいようと思えます。
― 三浦さんはいかがですか?
三浦 : たくさんあるんですけど、これまであまり話したことがない作品を挙げるとしたら、『青春神話』(1992)というツァイ・ミンリャンの映画ですね。時々、劇場でもリバイバル上映をやってくれるので、かかってるタイミングで合う時は観にいっています。
― 『青春神話』は、台湾の映画監督ツァイ・ミンリャンのデビュー作ですね。ひとりの青年を中心に、経済成長を遂げた当時の台北の街を描いた青春群像劇です。
三浦 : 私は映画を観ていて、新しい価値観に触れる時ももちろん感動するんですけど、「なんかこれ、私も味わったことある」みたいな瞬間に出会った時に、何かとつながった感覚になれるんです。「自分と同じ感情を抱いている人がどこかにいるんだ」って思えるというか。
― 『そばかす』の映画の中で、北村匠海さん演じる佳純の同僚が言っていたセリフにも通じますね。
三浦 : そうです。『青春神話』も、明確に起承転結がある映画じゃないんですけど、ものすごくヒリヒリした感じが伝わってくるんです。言語化できない何かが映っている気がして。言語化できないものを、言語化できないまま残してくれているところが、私は好きですね。
あと、ツァイ・ミンリャン監督は、俳優のリー・カンションをずっと撮り続けてるんですけど、その関係性もすごく素敵だなと思っていて。
― リー・カンションは、高校卒業後にアルバイト先のゲームセンターでツァイ・ミンリャン監督に見出され、『青春神話』以降、ツァイ・ミンリャン監督の全作品で主演を務めています。
三浦 : 自分が好きだなと思った人のことをずっと撮り続けていくのも、やっぱりコミュニケーションがあってこそだと思うし。ツァイ・ミンリャンの撮るリー・カンションは、役を演じてはいるんだけど、どこか彼自身の姿も現れているように感じるんです。
玉田 : うん。
三浦 : 役者というのは、「自分ではない何か」になるということでもあると同時に、「自分という隠せないものが出てくる」仕事でもあるんですよね。だからこそ、滲み出た時に魅力となるようなものを、自分自身も築けていけたらいいなと思っています。