赤とんぼ じっとしたまま 明日どうする
これは「寅さん」を演じた渥美清さんが六十三歳のときに詠んだ句だという。私は俳句にはあまり詳しくないけど、図書館でふと手にした『渥美清句集 赤とんぼ』をめくっていると、思わず吹き出してしまったり、わかるわかるこの感じと思ったり、ああ切ないなと胸がギュッとするような俳句にたくさん出会う。そして冒頭の句を見たとき、この「赤とんぼ」が他人事だとは思えず、まるで昨日のことのように目の前に蘇る記憶があった。
御茶ノ水にあった小さな出版社をやめ、無職生活が始まったのは二十八歳のころ。「今日からはもう満員電車に乗らなくてもいいし、タイムカードのあの『ジー…ガシャッ』という地味な音に自分の時間を縛られることもないんだ!」と当時の私は開放感でいっぱいになった。でも、永遠に終らない夏休みほどつらいものはない。「さあ、今日は何をしよう?」というワクワク感は、だんだん「今日は一体何をすればいいんだろう?」という不安へと変わっていった。もう「これをしなよ」と言ってくれる人も、「はい、今日も一日御苦労さん」と肩を叩いてくれる人もいない。まさに冒頭の俳句の「赤とんぼ」のような気持ちで「……」と毎日を過ごすことになった。
そんなわけで会社を辞めた私がまずしたことは、自分だけのタイムカードを作ることだった。何時に起き、何時にこれをして、何時になったら今日はおしまいというようなことを紙に書き、どこへ行くにもそれを持ち歩いた。結局、そのスケジュールが守られたことは三日となかったけれど、不安にかられるたびに私は新しいタイムカードを作りつづけた。まるで大海原を筏で漂っているような日々の中で、何でもいいから自分を繋ぎ止めておくものが欲しかったのかもしれない。
俳句には、そのときの記憶や風景をぎゅっと閉じこめる魔法のようなものがあるのだろうか。何年も前のことが鮮やかに思い出される。
その出版社で働いていたときに、Tさんという女性と出会った。彼女は私にとって「こんなふうに年を重ねたいな」と思わせる素敵な雰囲気をもつ人だった。ゴチャッとした狭い事務所の中で、Tさんは背筋をピンと伸ばして椅子に腰かけ、まるで美術品を置くみたいにお茶を出した。誰も見ていないし、褒めてくれるわけでもないのに、彼女は毎日それを続けた。
ある日、ひょんなことから仕事帰りに二人で飲みに行くことになり、会社のこと、将来のこと、彼女が俳句をつくっていること、私が本当はお芝居をやりたいと思っていること……いろいろ語り合った。「真歩さん、あなたは素晴らしいものをたくさん持っているのよ。もっと行ける人だわ」とTさんは繰り返し私に言ってくれた。
夜も遅くなり、御茶ノ水駅まで二人で肩を組んで歩いた。私は飲み過ぎでもう一歩も歩けず、道端のベンチに腰を下ろした。駅前は帰宅するサラリーマンとネオンの明りであふれていた。Tさんはおもむろにメモ帳を取り出し、「真歩さん、ここで一句」と言う。一句と言われても、俳句なんて生まれてこのかた詠んだこともない。困って空を見上げるとぽっかりと浮ぶ月。しかもお酒のせいでブレて見える。
「二つの月、目を閉じても二つ」と私が言うと、Tさんは笑って「春の月ねえ……」とつぶやいた。
それから七年後、私の出ている舞台をTさんが観に来てくれた。『漂流劇・ひょっこりひょうたん島』というお芝居で、東京、長野、大阪、福岡と旅公演をし、再び東京に戻ってきたときだった。劇場近くの喫茶店で久しぶりの再会を喜び、お互いの近況を語り合った。少し前に旦那さんを亡くしたばかりだという彼女は目に涙をためて、「真歩さんの今の仕事は素晴らしいわね」と劇の感想を言ってくれた。
私は、Tさんに喜んでもらえてとても嬉しかったけれど、芝居が終るたびにいつも帰る場所のないような虚しい気持ちになることを打ち明けた。「せっかく出会った人たちともまたバラバラになる。舞台の上にあった世界も消えてただの更地になる。そういうことを繰り返していると、どこへ行っても『ここには永遠にはいられないんだ』と思ってしまうし、誰と一緒にいても『いつか別れが来るんだ』と思ってしまうんです」と話した。
静かに聞いていたTさんは、「真歩さん、それは詩人にとっては最高の暮らしなのよ」と微笑んで言った。「松尾芭蕉だって西行に憧れて旅に出た。そうして旅先でたくさんの俳句を生んだの。私だってそういう暮らしをしてみたいと思うけれど、なかなか出来ることではないのよ」と。
その言葉を聞いて、私はとても驚いた。会社を辞めて好きなことができるようになってからも、三日後の予定もわからない“赤とんぼ生活”をどこかでずっと引け目に思ってきたのだ。それが初めて「それは最高の暮らしなのだ」と肯定されて、私の中でグルンと何かがひっくり返るような音がした。
一所不住の旅人は、「明日、自分はここに居ないかもしれない」「もうこれで会うのは最後かもしれない」と思うからこそ、今この瞬間の出会いを一つひとつ心のメモに焼きつけておこうとするのだろうか。
あの御茶ノ水のベンチで「春の月ねえ」とTさんがつぶやいたとき、私にはまだよく分からなかった。月は年がら年じゅう同じに思えた。でも、詩人や旅人はきっと毎晩のように空を見上げて知っていたのだ。一つとして同じ夜空はないということを。
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さて、「寅さん」シリーズ全四十九作品をすべて観るという「男はつらいよ登山」も、さきほど最後の一本を観終え、ようやく頂上まで辿り着いた。永遠に終らないんじゃないかと思ったけれど、やはり何事にも終わりは来るのだ。
振り返ってみると実にいろんな回があった。二十六作目『寅次郎かもめ歌』(私の好きな二代目「おいちゃん」の松村達雄さんが定時制高校の先生役で再登場する)、八作目『寅次郎恋歌』(土手に座っている寅さんに子供たちが「寅さん腹減ってるんだろ」と給食の残りをあげるシーンが好き)、三十九作目『寅次郎物語』で甥っ子に人生を問われる寅さんの返答もしみじみと良かった。……こんなふうに挙げていくとキリがない。
第一作目『男はつらいよ』の最後に、故郷に別れを告げた寅さんが、上野駅の食堂で一人ラーメンをすすっている場面がある。これは私が見つづけたシリーズの中でも最も「つらい」と思う瞬間だった。一つの場所に落ち着き、皆と地道な暮らしをしたいと願う自分と、そうできない自分の稼業との間で、引き裂かれるようにして乱暴にラーメンをすする旅人の涙を、私は忘れることができない。
その後、寅さんは苦笑いしながら毎年故郷の団子屋の門に姿をあらわす。団子屋の皆は「やれやれ」と口では言いながらも、寅さんが旅先で恋をしていつも新鮮な出会いを風のように連れてくるのを心待ちにしている。そんなふうにツバメのように故郷へ戻っては、また渡り鳥のように去っていく寅さんの後ろ姿を、私たちは「またそのうち戻ってくるだろう」と思って見送る。でも旅人の方は、いつだって「もうこれが最後かもしれない」と思いながら故郷を後にしたのだと思う。
そして、いつかは本当のお別れがくる。毎年、お盆と正月に帰ってきたこの旅人はもう私たちに姿を見せてくれない。トラベラ・ノー・リターン。旅人帰らず。
今度こそ、寅さんは永遠の旅に出たのだ。
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