明治三十六年二月、飛騨から野麦峠を越えて信州諏訪へ向かう百名以上もの少女達の集団があった。毎年、飛騨の寒村の少女達はわずかな契約金で製糸工場(キカヤ)へ赴く。河合村のみね、はな、きく、ときも新工として山安足立組で働くことになっていた…。