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河野知美「揺れる泪、闘う乳房 〜Pはつらいよ映画日記〜」vol.6

2023年4月
葉桜の頃、退院。越川道夫監督との電話。

Sponsored by 映画『水いらずの星』
揺れる泪、闘う乳房 〜Pはつらいよ映画日記〜
俳優は、プロデューサーは、どんな日常生活を送り、どんな思いで作品の劇場公開までを過ごすのか。そして、もしもその間に、大病を宣告されたとしたら——。
あるときは、唯一無二のルックスと感性を武器に活躍する俳優。またあるときは、悩みつつも前に進む自主映画のプロデューサー。二つの顔を持ち、日々ひた走る河野知美さん。
2023年初冬、河野さんが主演・プロデュースを務める新作映画『水いらずの星』が公開されます。越川道夫監督、松田正隆原作、梅田誠弘W主演の本作。その撮影から公開に至るまでの、約1年間の映画作りと闘病について、河野さんが日記を綴ります。
第6回は2023年4月の日記です。
俳優・映画プロデューサー
河野知美
Tomomi Kono
映画『父の愛人』(13/迫田公介監督)で、アメリカのビバリーフィルムフェスティバル2012ベストアクトレス賞受賞。その他のおもな出演作に、映画では日仏共同制作の『サベージ・ナイト』(15/クリストフ・サニャ監督)や、『霊的ボリシェヴィキ』(18/高橋洋監督)、『真・事故物件パート2/全滅』(22/佐々木勝巳監督)、ドラマではNHK大河ドラマ『西郷どん』(18)、Netflixオリジナルシリーズ『呪怨:呪いの家』(20/三宅唱監督)、HBO Max制作のテレビシリーズ『TOKYO VICE』(22/マイケル・マン監督ほか)など多数。また、主演映画『truth~姦しき弔いの果て~』(22/堤幸彦監督)ではプロデューサーデビューも果たし、『ザ・ミソジニー』でもプロデュース・出演を兼任。2023年初冬、梅田誠弘とのW主演作であり、プロデューサーとしての3作目でもある映画『水いらずの星』(越川道夫監督)が公開予定。|ヘアメイク:西村桜子
河野知美「揺れる泪、闘う乳房 〜Pはつらいよ映画日記〜」vol.6

4月1日

エイプリルフールですね。
嘘をつくのが苦手なので、あえて真実についての追求をしよう。と思います。

「全国の乳がん患者さんと夫202人を対象に実態調査を実施」
(ブリストル・マイヤーズ スクイブ株式会社 公式HP 2008/7/31掲載)

「乳がん患者と患者の夫のアンケートで明らかに
“乳房へのこだわり”は夫よりも患者本人が強い?」

(がんナビ 2008/8/5掲載記事)

私の現状
・悪性の腫瘍(直径2.5センチ)が右乳房にみつかり、更に乳腺全域に散らばったガン細胞が見られたため、右乳房の中を全て摘出。今後のことも考え、乳頭付近も危険とのことで切除。右脇から乳頭があった場所まで一直線に傷が入った。現在エキスパンダーを入れ乳房の形を整えている。傷口から出る廃液は1日30mlをきったり、きらなかったり。

あのね。記事を読んで安心したんだ。
患者さんにとって、命と乳房がほぼ同じくらい大切だとの調査結果を読んで。
私は仮にも俳優という、前に出る仕事をしているから、乳房を失うことに対して異常な喪失感を抱えているのではないか。と思っていた。

でも、違う。違うんだよ。やっぱり。

だからね、私伝えたいことがあるんです。
乳がんになった方に、「手術すれば大丈夫」って簡単に言わないであげてほしいんです。
何故なら、乳房を失うことは命を失うことと同等だから。
もし、「大丈夫」という言葉を使うなら、「貴女ならこの状況をきっと乗り越えられる。大丈夫」という意味で使ってあげてください。

なんて身勝手なお願いかもしれない。
みんな悪気があって言うわけじゃない。
だからこそ、私も素直に受け取りたい。
そうすれば、きっと地味に傷つくことを重ねることを避けられる気がするから。

4月2日

自分の価値は自分で決める。なんて言葉が流行った記憶。本当にそうなのだろうか?とも思う。

もちろん、自分の価値を高めるのは日々の努力であったり、経験だったり、成果だったり。
でも、それを評価するのは他人だ。自分自身ではない。
他人が認めてこそ、自分が積み上げてきた価値は、本物の価値になるというか。
世界から見ればちっちゃな“自分なりの”努力、経験、成果の“つもり”が、他人から見て本当に努力してる、良い経験をしてる、成果を出した。と認めてもらえた時、初めてその工程の全てが自分の“価値”となるのじゃないか。

プロデューサーとしてまだまだ、まだまだだけど、私は一つの指標として、今日口座に自分の価値が振り込まれたと思っている。
これまでの努力、経験、成果があってこそ、そしてこれからもそれを続けていく期待と責任の重さも込められた金額。
映画製作者として、俳優として私はもう独りよがりじゃない、誰かの夢を背負っていると日々実感しているのである。

一方でね、自主映画というと、絆とか縁とか信頼関係で成り立つみたいな感じがあるじゃないですか。
でも、一概にそうとも言い切れない気がしてるのです。
自主映画だろうが商業映画だろうが、そこに何十万でも何百万でも、何千万でも動けば、それはビジネスなんです。
だから、最初は良好な縁を繋いでいられたとしても、仕事をしていく中でけんかもしますし、不仲になったり信頼関係が揺らいだりして思わぬ事態に陥ることがあるんです(実際に私もそういうことを経験しました)。
なので、お伝えしておきます。2〜3桁のお金を動かす取引には必ず覚書や契約書を作成したほうがいいです。
努力してお金を集めた人が最後に痛い目見るのを防ぎます。
「そんなことをしたら信頼関係が揺らぐじゃないか!」と言う人もいるかもしれません。
でも私からすると、そんなことで信頼関係が揺らぐような関係の人ならなおさら一緒に仕事するべきじゃないと思います。
もしわからないことがあればアドバイスします。
私のTwitterにお問い合わせください。

更に加えれば、映画は完成させて、公にしなければ自己満足でしかありません。
関わった人の思い(特に低賃金で尽力してもらっているならなおさら)に報いるためにも、きちんと完成させ、公にする努力は監督&プロデューサーとしてするべきだと思います。

少し真面目な話になってしまいましたが、そう言って私も姿勢を正しているんです。
誠意だけは忘れちゃいけないと頭にインプットしているわけです。

「Ars longa, vita brevis」
芸術は長く、人生は短し

4月3日

パリからメールが届く。映画関連の。
映画人になりたいと思ってここ数年生きてきたけど、なりたいと思ってなれるものではなく、だんだんとなっていくのだな。と思ったりする。

自分の活動が最初は小さくても続けていると、だんだんとそれを見ていてくださる方が増え、そして連絡をくださるようになる。

幼稚な文章しか書けないけど、最近はコメントを求めてくださる方も出てきて、光栄という言葉しかない。

『ザ・ミソジニー』の配給元・プレイタイムの斉藤さんも、こんな私にたくさんの試写状をご丁寧に送ってくださったり、プロデュース作品の刺激になればと言ってくださったり。

だんだんと私の生活に映画が満ちてきて、映画を製作するだけが「映画作り」じゃないんだなって改めて思えたりして。

ずっと、こんな私には見向きもしないんだろうなぁなんて思っていた方も、最近の活動を見て、「こんな企画があるよ! 挑戦してみたら? 力になるよ」と言ってくださったり。

映画って本当にすごいな。無限の可能性を秘めているんだな。
私の体の半分以上が今映画で満たされている。

それもこれも、今までを支えてくれたみなさんのおかげ。
そしてこれから一緒に戦おうとしてくださるみんなのおかげ。

私みんなのこと愛しているよ。大事にするよ。
映画でいっぱいの日々にしようね。
私一人じゃ何もできないから、みんながそばにいてくれるよう、私たくさんがんばるね。

4月4日

ついにこの日がきた。
昨日まで、先生が廃液の量を鑑みて答えを渋っていたのに、今朝の急激な回復により退院!

「今日、退院していいですか?」とお伺いしたら、「そう言うと思いました」と先生呆れ顔。

病室の床にスーツケースを広げ、そそくさと整理整頓。旅立ちの準備をしていた私に苦笑い。

ゆっくり自分のペースで帰りたくて、どでかいスーツケースを押しながらバス停までテクテクと。

もう葉桜になったんだな。とか、気温が結構暖かくなったんだな。とか、体力落ちないように努力していたけど多少は落ちてるな。とか、とか、とか。

バスの車窓から眺める景色は、右胸の違和感とは裏腹にどこか希望に満ちていて、私を待ってくれている人たちに会える期待感に満ちていて。

病気を理由にこの手を止めなくてよかった。と。
いろんなことあるけど、諦めずに歩き続けてよかった。と。いや、病気を越えなければこの先はなかったわけで、支えてくれた人たちに感謝。

心配かけてごめんね。まだまだこれからも闘病生活は続くけどきっと乗り越えて見せる。

「おちこんだりもしたけれど、私はげんきです。」

映画『魔女の宅急便』より

4月5日

「おかえりなさい」という言葉の素敵さを知った日。
なんて優しくて、フワフワしていて心地よい。
温もりのある言葉なんだろう。

SNSにて退院のご報告をさせていただいた。

自分の帰る場所があるかなんてことは、大きなことがないとわからないことだったりして。
何者でもない私の帰りを待っていてくれる人などいない。と思ったりすることもあるけど、そんなことはないんだよ。って気づかせていただいた日。

みんな誰かの待ち人なんだね。

自我のために行動を起こすことは大事なんだけど、その先で誰かのために行動できないとずっと平行線のままだ。成長しない。と最近知り合った方がさくっとおっしゃった。

本当にそうだなぁ。と思った。

誰かが認めてくれない、誰かが仕事をくれないなんて言っている時点では、本当にその通りになる。
見返りを求めずただただ突き進んだ先に本当の認知が訪れる。

手術をして、失ったものはあるけど、私の根本は何も変わっちゃいない。

退院して初めて自分の傷口を自分で洗わなくちゃいけなくて、薄目を開けながら洗う。

鏡の奥の姿を見た時、一瞬こみ上げるものがあったけど、でもそんなこと関係ない。これも私だ。私なんだ。
この姿を愛してくれる人と一緒にいよう。と目をキリっとさせる。

温泉だって堂々とこの体で入っていけばいいんだ。
きっとできる。これから病気で戦う人たちのためにも。
病気じゃなくても何かしらのコンプレックスを持って生きている人たちのためにも。

4月6日

下北沢という街について。

ここを歩けばたいてい誰かにぶち当たる。という言い方が妥当かはわからないが、ぶち当たる。という感覚が強い。

今日は仲良くさせていただいている、関口アナン氏の舞台を本多劇場へ。
レジェンドと言われている加藤健一さんとの三人芝居『グッドラック、ハリウッド』を観に。
いやぁ。素晴らしかった。俳優が3人しか出ていないにもかかわらず、その重厚さと間の埋め方。なんの過不足もない。
翻訳戯曲にもかかわらず違和感が微塵もない。役者の人生も背景として映し出されてこそ、
本物の演劇なのだな。と痛感した。

観劇後、下北沢をフラフラと。

約束もしていないのに、舞台後の関口アナン氏に遭遇するわ、木原勝利先輩に遭遇するわ。

この遭遇がきっかけで、渋谷のラジオの中野マサアキさんの番組「渋谷のシネマ」に、『水いらずの星』チームの出演が決定したり。

演劇の街というのもあるけれど、改めて私が生息するべき街なんだと自覚。
人の縁が何事も運んでくれると改めて教えてもらう。

下北沢恐るべし。
この街が私は好きです。

4月9日

午前3時。学生の頃の遠足前夜のような気持ち。そわそわしてうまく寝付けず、結局起床予定1時間前に目が覚める。

待ちに待った現場復帰。
こんなに嬉しいなんて。

私ね、仕事人間てわけじゃないよ。
仕事が命なわけじゃない。
それより、現場に行って色んな人と出会って、たわいない話から真面目な話までできる楽しみがいつも心をソワソワさせる。

だから、映画にまつわるエトセトラに関わっている時も、あの監督とこんな映画が作れたら。あの人とこんなコラボができたら。あの俳優さんにこんな役をやらせたら。

全ての「〜たら」は私の幸せスイッチにつながっている。それをなくしたら製作過程の事務作業はできない。

無我夢中だから、時間を忘れて作業をしてしまう感じ。

現場も同じ。私にとってはもはや仕事ではなく、娯楽なのかもしれない。苦しい辛いも丸ごと幸せへと繋がっている。

さて、おはよう。
それでは行ってきます。

4月11日

自転車に乗っているとフラフラする。
これが、退院後に体力が急激に落ちるということか?
ウォーキングは1日1万歩を目指して歩いていたが、自転車を漕ぐ筋肉が激減していることに気づく。

今日は朝から多忙を極めた。
週明けということもあり事務処理を行ったり、銀行に行ったり、人に会ったり、打ち合わせをしたり。

東京国際映画祭のエントリーに対して、逆算して各セクションと現状を共有しつつ詳細と可能か否かも含めて詰める。

『水いらずの星』も今月末にどうにかピクチャーロック(*映画作りにおいて、画の編集および尺が確定すること、およびその段階の映像を意味する。これを元に整音、効果、音楽、VFXなどの作業に行う)があがりそうだと、配給の財前さんが越川監督に確認。

その後の作業を逆算して進めなければならない。
先回りしてやれることをパンフレットチームとも模索しなければならない。

本当に今こそスタッフ一丸となって東京国際に向けて動き出さなければ。

映画製作は、撮影が終わったからって終わりじゃない。
完パケがあがったからって終わりじゃない。
その先を見越しつつどう動かしていくかがプロデューサーの腕の見せ所なのかもしれない。
いやはやいやはや。でも私はいろんな意味で環境に恵まれている。
まずはそこに感謝の日でした。

河野知美「揺れる泪、闘う乳房 〜Pはつらいよ映画日記〜」vol.6

4月18日

顔が見たくなって、中目黒にいた廣田朋菜に会いに行く。
ポテトフライとクラムチャウダーをご馳走になる。

「あなた、スープ好きだよね?」と言われたから。
「うん」と答える。

運動不足だから、中目黒から世田谷まで歩いて帰ると言ったら、「私も歩くわ」と言うから、「うん」と答える。

我々は淡白な会話をさりげなくする。
でも、それで成り立っている。

最近あったこと、考えていること、共感し、たまに蹴散らし、1時間弱のウォーキングを疲労もなく終える我ら。

どこか、冷めた目で世界を見ているようで、その深さは人一倍深い。

ずっとずっとずっと歩いていられるような気がした。
気づいたら廣田はまた私の家のソファーに座っていた。

最近、廣田という可愛いペットを飼っています。
(とか言うと怒られるかな…)
ルナと共に…。

4月20日

今日は、渋谷のラジオ「渋谷のシネマ」のゲストとして、『水いらずの星』の宣伝で、梅田くんと出演させていただいた。

1時間があっという間に終わってしまって、うまいこと話せたのか話せてないのかわからぬままでした。

もっと梅田くんにお話ししてもらいたかったな。
アーカイブを聴いて少し反省。

先日、中野さんと出会って、1時間経たないうちに今回の出演が決まって。
なんだか人との縁が繋がる上では、時間の長さなど関係ないのだなと思ったり。

放送が終わった後、MCの尾崎さんと中野さん、梅田くんと4人で何時間飲んだだろう。

中野さんも「自分の場所は自分で作る!」と気概を持ち、映画製作に取り組んでいて、その大変さや、そこからどう関わってくださるみんなが心地よく現場にいられるのか考えていらっしゃって、まっすぐで綺麗な眼に本質が映る。

帰り道、渋谷の歩道橋の上で梅田くんが「ラジオ楽しかったぁ」と物凄い感情を込めて小さく叫んでいたのにびっくりして、でもそれならよかった。とホッとした。

4月21日

とうとう東京国際映画祭のエントリーが始まったと、財前さんからガイドラインが送られてきた。

いよいよ。という感じで毛細血管がブワッと開く。
越川監督からいまだにピクチャーロックは来ないけど、もう少し待つことにする。来週あたり連絡してみよう。

結果はどうであれ、エントリーをしなくちゃ始まらない。
始められない。映画という奇跡を信じて進めばいい。

「いつまでもそのままで
泣いたり 笑ったりできるように
曇りがちな その空を
一面晴れ間に できるように」

くるり「奇跡」より

4月22日

新宿シアタートップスに、ゴツプロ!の通称大ちゃん(塚原大助氏)がやっている『ブロッケン』を観劇に。

久しぶりに電車に乗ってたら、混み合っていて少し怖くなる。
右胸をなるべく庇いながら車内もホームもゆっくり周りに注意しながら歩く。

少しずつ、私の生き方が変わってきてるんだな。と思ったり。

先日、『水いらずの星』のスチールカメラマン上澤さんが家に会いに来てくれた時、ストレスの発散方法が踊りまくることだったのに、今はエキスパンダーがズレないように上下運動ができないから踊れなくて発散しきれてない。と言ったら、上澤さんがアクション付きで「横に動くダンスにすればいいんじゃないですか?」と言うので、なるほど!と思い、最近はツイストメインで発散している。

さあ、企画マーケットの準備するぞ!
やり遂げるぞ! 気合いだ。気合い。

写真:河野知美

4月23日

堤幸彦監督の最新作『ゲネプロ★7』が公開になった。
私史上最高にお気に入りな役で出演させていただいている。

そんな中、久しぶりに堤組の助監督である鬼頭さんと焼肉。
招待券と劇中で使った、私の巨大ポスターを届けに来てくださった。

久しぶりにお会いした鬼頭さんはかなり痩せており、どうしたんですか?とお尋ねしたら、「入院してました」とのこと。

昨年ずっと現場に入っていたのは知っていたけど、かなり身体にきていたんだろうなぁと思う。

製作者として、改善しなければならないこともわかりつつ、無理をしないと成り立たない環境であることもわかりつつ。
反省と仕方ないを繰り返す…。

それでも、焼肉を美味しそうに頬張る姿を見て少し安心。

会話の中で、「いくら行動してても、相手に伝わらなくちゃ無かったのと同じなんだよ」
という言葉が出てきて。本当にその通りだなぁ。と思って、どう上手に伝えていくかをぼんやり大好きなレバーを食べながら考えたりしたのでした。

鬼頭さん、『水いらずの星』のポストカード持っていてくださったな。
共通の知り合いの西田さんが渡してくださっていたみたいだ。ありがとうございます。

写真:河野知美

4月24日

『水いらずの星』という戯曲の脚本を越川監督からいただいた時、私は奇妙礼太郎さんの「アスファルト」という曲をずっと聞いていた。

この曲がエンディングに流れたら、脚本上で起こる全てのものを許せる気がして。

監督に勇気を振り絞って、これがエンディングテーマだったらいいなぁ。ってお伝えしたら…。
なんて言ってたっけ。

私が製作する映画について言えば、心、気持ち、想い、熱意なんてもので出来ている気がする。
でも、それがもし、なくなってしまったら、映画はビジネスという事になる。

くっだらないけど、ビジネスとしての映画しか残らない。

だから、それを失った映画は契約書で埋め尽くされ、やれ条件だ。やれ期限だ。みたいなことになって、現実に引き戻される。

夢から現実に引き戻される。

なんかものすごく人間になったみたいだ。

魔法が解けるみたいだ。

4月26日

越川監督の声が聴きたくなって電話する。
監督は『水いらずの星』を編集していた。
「俺は河野さんの声さんざん聴いてるけどね」と冗談混じりに言っていた。

相変わらず、色んなお話を聞かせてくれて、今関わってる案件の話で、「俺はさープロデューサーやってる時はさ、みんなの笑顔が見たくて、心地よくやれたらって、楽しんでくれたらいいなぁと思ってやってるんだよね」って言っていた。

「でもさ、邪念が人間にはあるじゃん? 本来はそれを捨てきれた人が本物なんだろうけど、なかなか捨てきれない事の方が多い」とも。

自分に言われている気がした。

「それなら笑顔が見たくて。という気持ちはあるのに、邪念が捨てきれない時はどうするんですか?」と尋ねた。

「誠実に一つ一つやるしかないんじゃない?」とおっしゃった。

「貴女は病気とちゃんと向き合うんだよ。焦らなくていいんだから」とおっしゃった。

「映画は不可能な事をしている。ということをアドバイスしておく。先輩からのアドバイスだ」とおっしゃった。

「不可能なことなんですよ。だからいつか自分が出ていない作品を作りなさい」とおっしゃった。

「胸に留めます」と何十回も言った。

4月28日

本当にいい意味で、私自己中になります。
みんなの思いとかもう知りません。
みんなの気持ちとかもう推し量りません。
自分のために頑張ります。

越川監督がおっしゃった。
「愛情のある作品ほど、愛情のあるスタッフほど、その分だけ邪念が宿る」と。

作品のため、じゃなくて愛情の分だけ尺が伸びてしまったりするし、それがなければ2時間枠でと言われればザクザクと切れると。
でも、愛情ある作品はそうもいかない。いい意味でも悪い意味でもね。と。

それと同じようなことだ。
私にとって邪念とは、「みんなのために」だと気づいた。

みんなの作品に対する各自の思いは思いで理解している。
でも、背負うのもうやめた。だって私が企画したんだもの。
私が製作したんだもの。私が責任者だもの。

作品をいかに良いものにするか。
この映画をいかに多くの人に届けるか。
どれだけ私が楽しい事をするか。
自分が頑張った事をどれだけ知ってもらうか。
私主演しました! がんばりました!
見てもらいたいです! ちなみに、プロデューサーもやってます!
この作品のために一年のほとんどの時間を使っちゃいました!
アルバイトもせずにやってしまいました! 大枚も叩いてしまいました!
作品が素敵になるアイデアどんどん欲しいです!
馬鹿みたいな話ですが本当です!って。

そのために私は自己中になります。
自分のためになら迷う事なく頑張れる。

でも馬鹿野郎なので言います。
これまで尽力してくださったみんなに心から感謝しています。
これからもよければ私についてきてください。
きっと見たことのない景色が見えるはずです。

4月30日

昨日、ゆかちゃん(上澤さんのことを最近こう呼んでいる)が家に来てくれた。
忙しい合間を縫って。

とても大事なお話をとても冷静にした。

私が映画の力を心底信じていること。
映画は完成さえすれば絶対に死なないということ。
私がPとして下した決断は決して感情論だけではないということ。
自慢じゃないけど、製作した私が誰よりも『水いらずの星』という映画の力を信じて、
愛してやまない。ということを。

ゆかちゃんは理解してくれた。伝わったと思う。

誰でもない。
私が『水いらずの星』のプロデューサーであるということ。

今日は自分がプロデュースした作品の、海外も含む映画祭エントリーに向けて作業したり、パブ関連の情報をまとめたり。

私に休みはない。

河野知美「揺れる泪、闘う乳房 〜Pはつらいよ映画日記〜」vol.6
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INFORMATION
『水いらずの星』
時代の流れで造船所の仕事を諦めビデオ屋でバイトをしている男は、ある日余命が僅かだと宣告される。そんなとき頭に浮かんだのは、6年前に他の男と出ていった妻の顔だった。瀬戸内海を渡り訪れた雨の坂出。しかし再会した妻は独り、男の想像を遥かに超えた傷だらけの日々を過ごしていた…。
公式Twitter: @Mizuirazu_movie 
公式Instagram: @mizuirazu_movie
©2022 松田正隆/屋号河野知美映画製作団体
プロデューサー:古山知美
企画・製作:屋号河野知美映画製作団体
制作協力:有限会社スローラーナー/ウッディ株式会社
配給:株式会社フルモテルモ/IhrHERz 株式会社
2023年初冬公開予定
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