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経験は誰にも盗られない、わたしだけのもの
恵比寿のライブハウスにある一室。リラックスした様子で、ソファーに身をしずめているMitskiさん。キュートな笑顔とふいに見せる大人っぽい仕草のアンバランスさが、彼女自身の魅力となって醸し出されていました。まず取材をして驚いたのが、彼女が話すネイティブレベルの日本語。当初はインタビューに通訳が入る可能性も伝えられていたのです。
Mitskiさんは、アメリカ人の父親の仕事で、日本で生まれた後、7つもの国を行き来しながら、毎日を送ってきました。流暢な日本語は、日本人である母親から教わったと彼女は話します。
「子どもだった頃は、毎年のように新しい国へ引っ越していたので、いつも周りの目線を気にして『どうやってここの社会に融け込もう?』と考えていましたね。そういう環境で育つと自分を失いやすいというか……、自分の気持ちがわからなくなって、自分が消えてしまうように感じるんです」
「友だちもあまりいなかったし、わたしには故郷もない」と語るMitskiさん。いろいろな場所を転々としてきた彼女は、自分だけの落ち着く空間、例えば自分の部屋やベッドなど、を持ち続けることも難しかったそう。いつも旅をしているような日常の中で、まだ幼いMitskiさんは「どうにかして自分で自分の居場所を見つけなければ、自分が消えてしまう」と思うようになります。
「自分の居場所はどこだろう?と考えたとき、“自分”しかないと思ったんです。自分が“自分の家”、自分が“自分の国”、自分が“自分の居場所”なのだと」
彼女のツイートには、こんな言葉が載せられています。
「わたしはあなたの映画の登場人物じゃない。わたしは“わたしの”映画の登場人物なの(I’m not girl in your movie. I’m the girl in *my* movie.)」
彼女の中で「わたしは“わたし”」という発見があったからこそ、「周りがどう思うかではなく、自身がどう思っているのか」に一番注意を払えるようになったといいます。ただ、一度その気持ちが行き過ぎて、「どうせ引っ越したら会わなくなるんだから」と自らを閉じ、人を避けてしまっていた時期もあったそう。
「そんなとき、お母さんからよく言われたんです。『ものはいくらでも盗られたり、失くしたり、壊れたりする。でも経験は自分だけのものだから、とにかくいっぱいしときなさい』って。それでだんだん、何が起こっても、それがたとえ自分にとって悪いことだったとしても、それを自分の一部にするようになっていきました」
自分だけの物が何もなかったMitskiさんは、自身の経験を「自分のもの」として捉えるようになっていきます。
自分が何者なのかを意識して、
わたしが消えないようにする
音楽を聴くのが好きだった両親のもとで育ったMitskiさんは、自身も9歳からピアノを習いはじめます。初めて作曲したのは17歳くらいのとき。何か直接的なきっかけがあったわけではないそうです。
「親は仕事で忙しく、友だちもほとんどいなくて。結構孤独な人生を送ってきたんです、わたし。そんな中で、からだの内側からマグマのように、ひとりでにグツグツと湧いてきたもの、それが音楽だったんです」
どの道を歩いていても結局、音楽に辿り着いていたと思う、とMitskiさんは話します。「どうしたらMitskiさんにとっての音楽のように『わたしには、これしかない』と思えるものに出会えるんでしょう?」と聞いたところ「わたしには本当に、音楽の他には何もなかったの」というシンプルな答えが返ってきました。
「昔から『世の中の役に立ちたい』という思いが人一倍あるのに、できることが全然なかったんです。不幸ですよね(笑)。でも大学に入ってから、音楽が唯一の自分の取り柄だと気づいて。そうじゃなかったかもしれないけど、自分ではそう思っていて。本来こういう仕事って、何かを犠牲にしないとできないんです。でも、わたしには音楽の他に犠牲にするようなものが何もなかったというか、犠牲にしていても犠牲と感じなかったんです」
自分は何の役にも立っていない、何の取り柄もない、と感じていたMitskiさんは、音楽と出会い、自分の存在意義をそこに見出します。
「ステージの上で歌っているときは、本当に本当の自分でいられるんです。一番心地いいというか、自由を感じられるというか。もちろん、別に今嘘をついているというわけじゃないのだけれど。でも普段は、社会人として気をつけている部分はどこかしらありますからね。まあ、ステージ上が最も自分らしいって、あまり健康的じゃないとは思うけど(笑)」
ひとりぼっちだった子ども時代を通して、自分で自分に居場所をつくりだしたMitskiさん。自分が消えてしまわないように、自分はどう思っているのか、自分は何を求めているのか、自分は何者なのかを強く意識するようになったと語ってくれました。
後編では、Mitskiさんが自分と社会をつなげるための“音楽”という存在と、自分と社会を切り離して見るための“映画”という存在に迫ります。