僕が小学生の頃レンタルビデオショップで借りた映画には、大人になってもずっと憧れ続けることになるスターが出ていた。『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のマイケル・J・フォックス、『ホーム・アローン』のマコーレー・カルキン、そして『ゴーストバスターズ』のビル・マーレイ。この3人は、あの頃の僕を今いる場所まで連れてきてくれた恩人のような人たちだ。
その中でもビル・マーレイは、あれから10年以上の月日がたった今も毎年のように映画館で再会し、元気な姿を見せてくれている。彼はどんな映画に出ているときも彼のままで、そんなビルの姿をスクリーンやテレビの画面で観ている僕もまた、あのビデオショップで棚から棚へと目を輝かせていたあの頃のままなのだった。昔から身長も小さくて早口で、どうやったって、まっとうなヒーローにはなれなそうな僕にとって、ビルは自分が憧れることができる本当のヒーローだった。
小学二年生のある土曜日、『ゴーストバスターズ2』はテレビを観ていた僕のハートをみごとにかっさらっていった。オバケを退治する、という設定や超超魅力的なへっぽこ四人組、小学生ならみんな百発百中でときめいてしまうスライムにレーザービーム、オバケを吸い込んで捕まえるあの箱! そしてなによりビル・マーレイ演じるピーター・ヴェンクマン博士のイカすこと! 情けなくもかっこよく、いつもふざけてジョークばっかり口にしている博士。当時の僕にとってのヒーローは、サッカー選手やプロ野球のホームランバッターではなくて、髪の毛ぼさぼさのヘラヘラして頼りない『ゴーストバスターズ2』の中のビル・マーレイだったのだ。
『2』をテレビで観た次の日の朝(その日曜日のことははっきりと覚えている)、僕は家のリビングのテレビ台の下にあるガラス棚を覗いたけれど、その並べられたビデオテープの中に『ゴーストバスターズ』はなかった。「確かあったはずだけどなー」とか言いながらお父さんが奥の方のビデオテープもごそっと出して探しても、結局見つからなかった。確かにあの頃ガラス棚のビデオテープたちには穴が多かった。
ゴジラでもルパンでもない映画を、「レンタルビデオショップ・アラスカに借りにいきたい!」と思ったのは多分このときがはじめてで、僕にとって『ゴーストバスターズ』は自分が映画を好きになるきっかけのひとつだった。そしてその瞬間から、アラスカのあの膨大な数のビデオテープが、僕にとって「よくわからないもの」ではなく、「これから出会ういくつもの映画」としてはじめて色をつけたのだと思う。
大学生になって色々な映画を観るようになってからも、『ゴーストバスターズ』に出てきたビル・マーレイは時々忘れたころに、目の前にやってきては僕のハートを奪っていった。『ロスト・イン・トランスレーション』に『ブロークン・フラワーズ』、『コーヒー&シガレッツ』。なにより僕にとって大きい存在だったのは、大好きなウェス・アンダーソン監督の数々の作品に登場したビルの姿。『天才マックスの世界』に『ロイヤル・テネンバウムズ』、『ファンタスティック・ミスターフォックス』、『ムーンライズ・キングダム』、『犬ヶ島』、ちょい役での登場だった『グランド・ブタペストホテル』と『ダージリン急行』。そして主演をつとめた『ライフ・アクアティック』! もちろん僕がこれらの作品に夢中になったのは、ウェスの映画のもつ魔法的な力にほかならないのだけど、ビル・マーレイの存在もやっぱり大きいと思う。多分、海外の映画を好きになった瞬間に映画の中にいた彼のことを、例えばボロボロのギターをくれた親戚の叔父さんや、難しそうな小説を無理やり貸してくれた先輩のような存在、そうつまり『スパイダーマン: スパイダーバース』での主人公・マイルスにとってのマーロンおじさんのような存在のように感じているのだ。(僕はこの映画をイギリスツアーの行き帰りの機内で5回も観たほど、あまりに素晴らしかったのでここに引用する)。
ビルはイリノイ州のシカゴ生まれで、シカゴ・カブスの大ファン。シカゴは、海外小説のなかでも一番大好きで影響を受けたスチュアート・ダイベックの連作『シカゴ育ち』『僕はマゼランと旅する』『路地裏の子供たち』の舞台になっている都市で、僕にとって特別な憧れのある場所だ。そんな小さな偶然も僕にとってはとても大事で、余計にビルのことが好きになってしまう要因だ。ちなみに、彼にまつわる数あるエピソードで僕が一番好きなのは、プライベートの彼に話しかけると、とんでもなく奇天烈なことをされて、去り際にひとこと「(このことを話したとしても)誰も君の言うことを信じないだろうね」と言われるという噂だ。ある人は持っていたフライドポテトをまるごと食べられてしまったという。チャーミングすぎて最高だ。
そんな彼に憧れ続けた僕は、いつのまにか彼のように冗談ばっかり言ってる情けない男の子になってしまったみたいだ。
どうしたってカッコつかないことを逆に自慢するわけでも大袈裟に嘆くわけでもなく、たっぷりのユーモアでもって「それはそれで良いんじゃん」というものに変えていく。彼のそんな姿は僕のような「どうしたってカッコつかない人たち」にとって、とても輝いて見える。どこかすっとぼけて冗談ばっかり言っていて、ここぞというときにかっこいい姿を見せるかっていうとそうでもない。でも、彼はギャングの集団に一人立ち向かったり地球の危機を何度も救ったりはしない代わりに(2回だけオバケからニューヨークを救ったけど)、寂しかったり情けなかったりするときには、「わかるわかる。俺だっていつまでもこんな感じだよ」と寄り添ってくれるのだ。それは、僕が音楽を作ったり物語を描いたりする上でとても大事にしていることでもある。
僕にとってビルは、いつだってビデオショップのあのワクワクを思い出させてくれる、そして、いつまでもカッコ良く(と同時にカッコ悪く)ありつづける永遠のスターだ。
彼が教えてくれたのは 幽霊の足音の見分けた 彼が教えてくれたのは 昨日が今日もやってきたときの たのしみかた 彼が教えてくれたのは 聖人が平日昼間になにをしているのか 彼が教えてくれたのは 差出人不明の手紙の返し方 彼が教えてくれたのは ヒントは壁紙にあるということ 彼が教えてくれたのは 好敵手の自転車の潰し方 彼が教えてくれたの プールにゆっくりと沈むやり方 彼が教えてくてたのは 寝台列車には余裕を持って乗らないと いけないということ 彼が教えてくれたのは クリスマスソングの歌い方 彼が教えてくれたのは 嵐をやり過ごす場所の歌