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河野知美「揺れる泪、闘う乳房 〜Pはつらいよ映画日記〜」vol.12

2023年10月
釜山参戦! そして『水いらずの星』チラシを配る日々

Sponsored by 映画『水いらずの星』
揺れる泪、闘う乳房 〜Pはつらいよ映画日記〜
俳優は、プロデューサーは、どんな日常生活を送り、どんな思いで作品の劇場公開までを過ごすのか。そして、もしもその間に、大病を宣告されたとしたら——。
あるときは、唯一無二のルックスと感性を武器に活躍する俳優。またあるときは、悩みつつも前に進む自主映画のプロデューサー。二つの顔を持ち、日々ひた走る河野知美さん。
2023年11月24日、河野さんが主演・プロデュースを務める新作映画『水いらずの星』が公開されます。越川道夫監督、松田正隆原作、梅田誠弘W主演の本作。その撮影から公開に至るまでの、約1年間の映画作りと闘病について、河野さんが日記を綴ります。
最終回となる第12回は2023年10月の日記です。
俳優・映画プロデューサー
河野知美
Tomomi Kono
映画『父の愛人』(13/迫田公介監督)で、アメリカのビバリーフィルムフェスティバル2012ベストアクトレス賞受賞。その他のおもな出演作に、映画では日仏共同制作の『サベージ・ナイト』(15/クリストフ・サニャ監督)や、『霊的ボリシェヴィキ』(18/高橋洋監督)、『真・事故物件パート2/全滅』(22/佐々木勝巳監督)、ドラマではNHK大河ドラマ『西郷どん』(18)、Netflixオリジナルシリーズ『呪怨:呪いの家』(20/三宅唱監督)、HBO Max制作のテレビシリーズ『TOKYO VICE』(22/マイケル・マン監督ほか)など多数。また、主演映画『truth~姦しき弔いの果て~』(22/堤幸彦監督)ではプロデューサーデビューも果たし、『ザ・ミソジニー』でもプロデュース・出演を兼任。2023年初冬、梅田誠弘とのW主演作であり、プロデューサーとしての3作目でもある映画『水いらずの星』(越川道夫監督)が公開予定。|ヘアメイク:西村桜子
『水いらずの星』河野知美「揺れる泪、闘う乳房 〜Pはつらいよ映画日記〜」vol.12

10月1日

とてもとてもお恥ずかしい話なんだが、父の援助もあって育毛治療をしている。

今後も俳優業を続けられるようにと、父から娘への配慮だった。

タモキシフェンが原因かストレス性か、明確な理由はわからないけど、日々抜けていく髪の毛をかき集めてゴミ箱に捨てる時の哀しみは到底言葉にできない。

しかも、私は俳優であるし表に立つ仕事をしているし……。

乳腺科の先生に相談したら、育毛剤はつけて問題ないとのことだった。育毛治療の病院でも乳がん闘病中であることはお伝えし、ヒト幹細胞による治療だと万が一のリスクがあるので、違う方法にしましょう、と。

乳がん闘病中で私のような状態に悩み、治療を受ける方は「たくさんいらっしゃいますよ。頑張りましょうね」とのことだった。

薬と塗布剤を毎日、エクソソームを月一。

私の毛質は外国人の毛質に似て、細く柔らかい。体毛もほとんどない。

だけど治療を受けてから、顔や、手足などに結構毛が生えてきたことに気付く。

顔剃りなんてしたことないのに、最近は三日に一度くらいしている。

効果が出るといいなぁ。

病気と闘うとは、その病気を克服したら終わりではなくて、そこから派生する副作用や精神的な負担がたくさんある。

私はロボットではない。
まさに人間として闘っている。
自分がこの病気と闘いながら、映画製作をしていることは正当化しない。
迷惑をかけることもあるだろう。
でも、最後まで責任を持つ。
というより、私にしか責任はとれない。誰もとれない。

ダサくて滑稽でもがむしゃらに、今を必死に生きることしか今はできない。

10月2日

今日は俳優、河野知美として書きます。

本当にドキドキしながら、でもどうしても『水いらずの星』を観ていただきたくて、堤幸彦監督にコメントを依頼させていただいた。

前にも書いたが、堤監督と出会わなければ、そしてプロデュース・出演させていただいた堤監督の作品『trurh〜姦しき弔いの果て〜』で広山詞葉という俳優に出会わなければ、私は今釜山国際映画祭への出発準備もしていないし、たぶんプロデューサーなんて肩書きのつく仕事をしていなかったし、『水いらずの星』という作品にも出合えていない。

畏れ多い堤幸彦監督という存在。

その目はいつも審美眼というか、真実眼というか、笑っているけど、奥底を見抜かれている感覚があって、嘘をつけない存在。ごまかしてもごまかせない存在。

その監督からコメントとは別に、「夜中に圧倒されてしまった。素晴らしい映画でした! 感動しました」と連絡をいただく。

そして、私の一生の宝になるであろうお言葉。

「芝居うまいねー」

時間が止まった。私の中で、驚きで時間が止まった。

こんな言葉が堤監督からいただけるなんて、堤監督に出会った頃の私は予想しているはずもない。

そして改めて思うのです。
越川道夫監督の演出の凄さを。
相手役の梅田誠弘さんの凄さを。
私は二人に導いていただいた。
その現場をスタッフのみなさんに支えていただいた。

芝居を愛している。

それは褒められたからじゃない。
ずっと俳優である私を見つけたかったからだと思う。
その心をごまかす必要はない、とわかったからだと思う。

私は芝居を愛している。
そのためにも、健やかに生きたい。

『水いらずの星』河野知美「揺れる泪、闘う乳房 〜Pはつらいよ映画日記〜」vol.12

10月3日

今日の今日まで手につかなかった、釜山国際映画祭の準備をもろもろする。

宿は海の見えるホテルを予約した。
少し砂浜でゆっくりするか、宿のプールで泳ぎまくるか。
……と思ったけど術後だし、水着を着る勇気は到底ない。

釜山に行っても英会話の授業は毎日6:30からすることにしている。ルーティーンを崩さない。
授業が終わったら、顔を洗って海沿いを散歩しよう。となりの24時間カフェでコーヒーを飲もう。今まで溜まっていた本を読もう、とかなんとか。

ピッチで必要な書類を作成して、何度も何度も練習して、財前さんと今後の話をして、「あんまり抱え込みすぎないでくださいね」と伝えた。『水いらずの星』ともう1作、合わせて2作品を同時進行することの大変さもわかった上で、「私ができることはします。本当にできない時は言いますから」とお伝えした。

明日は5時から英会話だから、早く寝なければならないのに、なぜか『水いらずの星』を大きな画面に映して見てしまった。

映画というのは恐ろしい生きものだ。
先日、ヘアメイクの西村桜子ちゃんと話していたとき、そんなことを思った。
映画作りに関わるというのは、本当にタフじゃないと。
去る人が悪いわけでもない。
ただ、本当に精神がタフで至極映画が好きな人しか残れないよね。
そんな話になった。

一本携わったからといって、知った気になっていてはその先は続かないな、と自分でも思ったし、本当に、興味本意で足を踏み入れるものではないと改めて思う。
今まで「やってみたかったら、やってみたらいい」と思っていたこともあるけど、やっぱり違うなと思った。そんな代物じゃない。
映画は各部署の集合体なわけで、一人で完結できるものではない。
その部署の治外法権みたいなものがちゃんとあって、一緒にやっているからといってその治外法権の境界線を跨いではいけないし、かと言って、プロデューサーとしては「なんでもどうぞ」と言うわけにもいかない。

私は今までいろんな人の話を、きちんと聞きすぎていた気がする。
それが私の弱みであった気がする。
だからこれからは少し”聞かない技術”を身につけたい。

改めて言う。映画というのは恐ろしい生き物だ。

『水いらずの星』河野知美「揺れる泪、闘う乳房 〜Pはつらいよ映画日記〜」vol.12

10月4日

釜山に着きました。今まで旅に出るときは、何から何まで詳細に調べていくタチだったのに、今回はなんにも知識がないまま、航空券と宿だけ予約して、「Platform Busan」が始まるまでの3日間、宿泊先まで自分の足で歩いて、バスに乗ったり、電車使ったり。読むのが難しいハングル文字に冷や汗をかきながらやっと辿りついた最寄りのバス停からは、宿泊先までもう一山の道のりがあった。

苦い笑いが込み上げる。

最高じゃないか。やってやろうじゃないか。無駄に詰め込んだ服の重みがズンッと手のひらに食い込む。超傾斜の坂道。手を離したらそのままどこまでも下っていくだろう緑色のモンスター(トランクね)。息も切れ切れに登っていく。左手は術後で使い物にならない。
ここまでか? いや、まだいける? もうタクシー使えば? いや、空車がどんな文字かわからない。

そんな自問自答を繰り返していたときだった。

モンスターが突如軽くなった。

え?

と振り向くと、そこには高級そうなサングラスをかけた渋メンがニッコリ笑って一緒に引っ張ってくれているではないか!

42歳の河野。思わずドラマか?と。

彼はグイッとモンスターを引っ張りながら、私に「follow me」と言う。

そして最後に、「Have a nice evening!」と言って爽やかに去っていった。

呆然。

そして気づく。自分のボロボロの姿に……。
ロマンスはまだ遠いままのようだ。

『水いらずの星』河野知美「揺れる泪、闘う乳房 〜Pはつらいよ映画日記〜」vol.12

10月7日

本日から「Platform Busan」が始まった。
各国のファウンダーの方々が、どのようなフローと条件で助成金を得られるのかと直接教えてくださる「Fund Talk」と、「Kick-off」。

そしてレセプションパーティが開催された。

驚くほどの人、人、人!!!

VIPOから出席した3人の(若き?と言われている)プロデューサーさんと、今回はVIPOのメンバーとして参加された和エンタテインメントの小野光輔さんとテーブルを囲み、映画談義に花を咲かせる。

5年くらい前に、まだ映画製作など全くしておらず、俳優だけをやっていた私は、小野さんにこれからのことを相談した。

小野さんは杉野希妃さんをプロデューサーとしてマネジメントされたり、若いこれからの監督さんの映画製作をサポートされたりしていたので、あのときの相談は、俳優としてではなくて、プロデューサーとしてどうやっていけばの相談がしたかったのかもしれない、と今振り返れば思う。

とにかく、それから5年の歳月が経ち、釜山国際映画祭で小野さんと、プロデューサーとしてお話をしている。

「不思議ですねぇ」とお互いに笑った。

10月9日

坂道の多い釜山にて、すべって左腕を強打した。

だから、久しぶりに今日はホテルの部屋で荒れた海を眺めながらゴロゴロ。

明日のピッチの予習をチョロチョロ。

昨日、他の方たちのピッチを見ていて重要だと学んだこと。

  • 1.どんなに素敵な企画でも、情報過多だと入ってこない。
  • 2.予算についてきちんとされてないものは、出資の話まで行きつかない。
  • 3.イメージを自然と植えつける事が必要。

あとは、聞き手が聞きやすい話術。
監督より、プロデューサーが客観的に話した方がよい。

まあ、練習します。

10月10日

新しい世界がどんどん広がって、同じ意志の人たちが集まって、世界を見据える感覚。

本当の世界をこの目で見ようとしている人たちの感覚。

「映画は芸術であり、商品でもある」ということが、マーケットセクション全体にこだましていて、ただ映画を作りたいだけじゃない、お互いがディスカッションをして新しい映画を模索する感覚。

決して、調子になんて乗ってない。みんな自分で入り込んで、自分で交わって、それなりに苦労して、挑戦してる。

泥臭い感じがした。

一見華やかに見える世界だけど、地に足がついている。

ピッチもめちゃんこ緊張したけど、たくさん質問も出て、「あなたの企画最高!」とロビーにいたら言ってもらえたり、「大変興味深いし、ぜひなんらかの形で関わらせて」との声をいただいたりした。

日本チームの感想としては、ようやく世界戦略に向けてスタートを切ったという感じがあるけど、進もう。いざゆかん。

10月11日

たくさん笑って、たくさん泣いて。
でも、いつもちゃんと河野と向き合って、ちゃんと俯瞰して、話をしてくれる越川道夫監督が大好きだ。

監督が水いらずの星の企画を始動させるとき、河野に伝えてくれた言葉。

監督とプロデューサーは最後まで二人で一つ。

「プロデューサーとして頑張れ。最後の日まで生ききれ」と言われた気がした。

今日は、沖縄環太平洋国際フィルムフェスティバルの記者会見だった。

プログラマーさんが、なぜ『水いらずの星』をノミネートしたかの理由を丁寧に丁寧にお伝えくださった。「役者さんの芝居が素晴らしく、見ているうちにどんどん引き込まれていく」と。

監督が嬉しそうだった。その顔を見て私も嬉しかった。

映画祭に入選、入賞することがすべてではないけど、観ていただけて、感想をいただけることは素敵な事だなあと思った。最後の日まで頑張ろうと思った。

『水いらずの星』河野知美「揺れる泪、闘う乳房 〜Pはつらいよ映画日記〜」vol.12

10月17日

新宿武蔵野館さんより、『水いらずの星』のチラシがかなりはけたそうで、追加の発注依頼があった。

なんと嬉しいことだろう。

それだけ、多くの方が手にとってくださっているということ。

デザイナーの藤井瑶さん、写真家の上澤友香さん、編集者・ライターの川口ミリさんが丁寧に丁寧に作り上げてくださった。我々、制作チームの作品への想いを、お客様へつなぐ架け橋。

武蔵野館ではパンフレットの見本をチェックできるので、中身を見た上で、手に入れてくださる方が増えればいいなあと。

ただ届けたいんだ。映画を観ていただきたいんだ。監督が想いを込めて作り上げた作品を。
スタッフみんなが寝る間を惜しんで磨き上げた作品を。

みんなが努力した時間量を私は知っている。
私ができることは何でもしたい。

10月18日

入院の日。
毎日、劇場でのチラシ配りをしていたけど、しばらくお休み。

悔しい。
映画のためならなんだってしてきたけど、ここにきて活動できないことが。

でも、病室にいてもできることがあるはずだと考えを巡らす。
私は一人じゃない。
私にはまだできることがある。
その一つが矢田部吉彦さんからのインタビュー依頼だった。

私が病室からでもいいかお伺いしたら、快諾してくださり、2時間ほどインタビューをしてくださった。
「できることがないか考えて、ぜひインタビューさせてもらいたいと思いました。そのくらいの作品なので」とおっしゃってくださった。

越川監督の作品に精通されているからこそ、紐解ける視点で、『水いらずの星』を、プロデューサーの古山知美を、俳優の河野知美を掘り下げてくださった。

私が「俳優をやりながらプロデューサーをやっているのはそんなに珍しくないと思う」とお伝えしたら、「珍しくないかもしれませんが、じゃあ誰が思い浮かぶかといえば、河野さんほどちゃんと浮かぶ方はいない」と言ってくださった。

ありがたいと思った。

それはすべて、私が機会に恵まれ、人に恵まれ、環境に恵まれていたからこそ。

前向きな意味で「しっかりしなければ」と思った。私にとっての映画製作は、もはや私だけの映画製作ではない。よりポリシーを持って挑まなければ。

矢田部さんにインタビューしていただいたコラム、ぜひこちらからお読みください。

10月19日

眼を瞑ると確かな鼓動が聴こえる。
私の中にいる誰かが、雨が降り続く外の街のはじっこで、息をつないでる。

静けさは時を止めるのだと思った。

雲が動くスピードで、ゆっくり自分が死へと進んでいるような気さえした。

形成手術はまたできなかった。

しばらくはできないな。
『水いらずの星』と、もう1作の公開を終えて、その後だな。
でも、その頃にはきっとまたたくさんのやりたいことが見つかっていて、私はタイミングをはかれずに前へ進んでいるんだろうな。
進んでいたらいいな。

『水いらずの星』河野知美「揺れる泪、闘う乳房 〜Pはつらいよ映画日記〜」vol.12

10月20日

私が再入院するツイッターを見つけた、中高の同級生が連絡をくれた。

グループLINEなので、次々にみんながメッセージをくれる。

「『水いらずの星』の初日、みんなで予定立てて絶対行くから!」って。
「だから、トン(中高の時の私のあだ名)、ファイト」だって。
「私たちがついてるよ」って。

「ありがとう。知ってる。いつも勇気もらってる」と返した。

いつも一緒にいるわけではないけど、あれから20年の歳月が過ぎても友だちでいる。
当たり前のようにそこにいてくれる大切な人たち。

みんなの人生がただただ健やかに続くことを願ってやまない。

そして、久しぶりに『サニー 永遠の仲間たち』を観た。
女友達ってやっぱ最高。

「サヨナラなんて言わない。ずっと一緒だよ。」

映画『サニー 永遠の仲間たち』より

10月25日

昨晩、廣田朋菜氏に「帰宅したよー」と連絡したら、「夜用事があるけど、それまで会いに行こうかな」なんて言ってくれるから、ちょっとウルっときたけど、「今晩はゆっくりする」と伝えた。

廣田は「うん、気にすんな。困ったことがあったらいつでも」と言ってくれた。

明日から、劇場でのチラシ配りを再開したいと思う。
私には、いつも前線で戦い続けることしかできない。
でも、それは普通にできることのようで、意外とできないことだとも思っている。

意地でもなんでもいい。映画を観てもらえるなら、それでいい。

そのための休息日。

今後立ち上げる予定の、白石晃士監督との新作への予算を集めるため、家で申請書を書いたり、企画書作ったり。

まだ具体的にいつみたいな話はしていないけど、海外との共同制作に向けてプリプロ資金を集める手続きを。 約束ごとはどんなやり方であれ、最終的に形にするつもりだ。

映画は私に勇気をくれる。生きている意味をくれる。

『水いらずの星』河野知美「揺れる泪、闘う乳房 〜Pはつらいよ映画日記〜」vol.12

10月26日

久しぶりに新宿武蔵野館にて、『水いらずの星』のチラシを。

劇場スタッフのみなさんが「おかえりなさい」と言ってくださった。

私が手術入院後だということをご存知だとはいえ、「なんだこれは?」と思った。「なんてことを言ってくれるんだ」と思った。
私が勝手にしているチラシ配り。それなのに。それなのに。
なんか体温がふんわり温かくなって、言葉にならなくて。
ただただ、頭を下げるだけになってしまった。

ずっと憧れていた、新宿武蔵野館&シネマカリテ。
感性のあるセレクションでいろどられた上映ラインナップは、若き私をいつも素敵な映画の世界へ誘ってくれていた。

それが今、武蔵野館のスタッフさんに応援されながら、ここで上映されるプロデュース作品のチラシを配っている。

若き頃の河野よ。なんてことが起こっているのだ!

もはや、私がプロデューサーだから、主演だからの次元ではない。
これは、製作・宣伝に携わってくれたスタッフのみなさん、劇場のみなさん、そしてそこからつながるインディペンデント映画界、日本映画界にまで影響していくことなのだ。

変わらないかもしれない。でも変えられるかもしれない。
奇跡は起きるかもしれない。声は届くかもしれない。

大丈夫。大丈夫。きっと届く。

10月28日

11月3日の私の大大大好きなロウ・イエ監督が『サタデー・フィクション』公開に向けて、武蔵野館で舞台挨拶をするではないか!!
ということで、廣田氏に「これ行きたい!! 命がけでチケットとりたい」と言ったら、「やってみるか」と。

昨日正午にチケット販売開始。二人でパソコンにかじりついて勝ち得たチケット。

興奮で昨晩は眠れなかった。
ロウ・イエ監督に会える。会える。会える!!!

そんな中、チラシ配りをしている中で、だんだんと「チラシもらったよー」とSNSに上げてくださる方が増えてきて。

あぁ、届き出したんだなぁと。ありがたいなぁと思う。

「大変だと思いますけど頑張ってくださいね」とか、チラシに書き入れたサインとメッセージを見て「メッセージ付きじゃないですか、行くしかないじゃないですか」なんて言ってくださったりして。

無駄なことなんて一つもないんだなって。
思いと行動はすぐには伝わらないけど、日々重ねていけばきっといつか大きく伝わり出す瞬間があるのではないか、と思わされて。

私は映画という媒体を通して、結局、人に支えられに行っている気がした。

『水いらずの星』河野知美「揺れる泪、闘う乳房 〜Pはつらいよ映画日記〜」vol.12

10月30日

新宿武蔵野館にて、本日もチラシ配りをしていた。
週初めの劇場はそこまでお客様もいらっしゃらなくて、でも、ロウ・イエ監督の作品上映にはたくさんの方たち、特に在日中国人の方たちが観に来ている感じだった。

監督は、国を離れても国民に愛されているのだな、と思い。
勝手に私が嬉しくなる。

そんな中、お声がけしてくださる方がいらっしゃった。
つい先ほどチラシをお渡しした男性だった。

その方が、わざわざ私のところに再度やってきてくださり、「頑張ってくださいね。こういう地道な作業はいつかかならず伝わります」とおっしゃってくださった。
その方も映画関係者の方だとおっしゃり、ご自身のチラシをお渡しくださった。

名を名乗らずに去ろうとされたので、「あの! すみません。もしよろしければお名前を」と。そして、ご自身のXにてそのことをつぶやいてくださった。

その方は、『福田村事件』の脚本も手がけられた、脚本家・映画監督の井上淳一さん。
お気遣いがうれしくて、ありがたくて、私は深く一礼した気がする。

終わりに
望んだものは何だろう? 行きたい場所は何処だろう?
そんな事を自問自答しながら、まさに”駆け抜けた”人生の縮図のような一年だった。

いや、来年も、再来年も、そんな感じで私は生き急いでいるのかもしれない。
生命の限界は私たちが想像するより遥かに遠く、深く、一生分の時間をかけても知ることができないのではないか。

それでもそれを、少しでも知りたくて、映画をつくり、芝居で表現し、仲間と、そして自身と闘い続け、きっとこれからもそうするのであろう。

生きてほしい。失敗してもいい、何かを失ってもいい。全ては正しいときに正しいタイミングでやってくる。

連載を始めた当初、私は酷く弱かった。自分自身にばかり目が向いていた気もする。誰かに、何かに、守られすぎていた気もする。

でも、今はどうだろう。
少し逞しくなったのではないか。守りたいものが増えた。手放す勇気も持った。

でも、それも全て過去。その全てをこの連載に置いて、また新たな毎日に挑もうと思う。

PINTSCOPEさん、関わった全ての方、読者の皆様に敬意を表し、私は新たなノートを買いに行きます。本当に一年、ありがとうございました。

とうとう映画『水いらずの星』、11月24日公開です。

河野知美
INFORMATION
『水いらずの星』
時代の流れで造船所の仕事を諦めビデオ屋でバイトをしている男は、ある日余命が僅かだと宣告される。そんなとき頭に浮かんだのは、6年前に他の男と出ていった妻の顔だった。瀬戸内海を渡り訪れた雨の坂出。しかし再会した妻は独り、男の想像を遥かに超えた傷だらけの日々を過ごしていた…。
公式Instagram: @mizuirazu_movie
© 2023 松田正隆/屋号 河野知美 映画製作団体
プロデューサー:古山知美
企画・製作:屋号河野知美映画製作団体
制作協力:有限会社スローラーナー/ウッディ株式会社
配給:株式会社フルモテルモ/IhrHERz 株式会社
11月24日(金)より新宿武蔵野館、シネマート心斎橋ほかにて全国ロードショー
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