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表現することで、見えてきた自分
― この取材の後、完成披露試写会が行われる予定となっていますが、齋藤さんと八木さんと後さんは完成披露試写会への登壇が初めてと伺いました。
自身と同年代の役として、中学生の合唱部員を演じられた3人は、歌や関西弁のトレーニングなど、様々な初挑戦がそれぞれにあったと思います。撮影から少し時間がたった今、今作での経験を振り返ってみていかがですか?
後 : 僕は映画に出演すること自体が初めてだったので、それこそ経験したことないことだらけで、全てのことが新鮮に感じられました。現場では、共演者やスタッフのみなさんが優しく接して、そして指導してくださったので、とてもありがたかったです。
― 後さんは、齋藤さん演じる合唱部の部長・聡実に憧れる後輩・和田を演じられました。合唱団の部活シーンは脚本を務めた野木亜紀子さんが、原作の漫画を映画として成立させるため創作したオリジナルパートとなります。
― 山下敦弘監督は映画『カラオケ行こ!』公式ビジュアルブックのインタビューで「和田」という人物が大好きで力が入ったと語っていましたね。
後 : この経験を言葉にするのは難しいのですが、『カラオケ行こ!』という作品に携わった時間全てが学びだったと思います。得たものは数えきれないぐらいありますね。
八木 : 私もこの映画が初めてで。これまでグループ活動が中心だったので、映像作品でのお芝居経験自体が初めてでした。
― 八木さんは、アイドルグループ「さくら学院」のメンバーとして活動された経験を経て、今作で俳優としての一歩を踏み出されたんですね。
八木 : 「新しい世界」への挑戦と感じました。お芝居の稽古は受けていたのですが、その中でたまに落ち込んだり将来を考えたりすることもあって。そんなタイミングで、この作品に出演が決まったんです。
現場での経験は、まず「楽しい!」っていう想いがいちばんにありました。お芝居って、普段の自分では出せない面をこんな風に表現できるんだ、まだ「自分の知らない自分」があるんだという発見があったんです。作品を通して「新しい自分」に出会えた経験でした。
― 八木さんは合唱部の副部長で、面倒見が良くしっかり者の中川を演じられましたね。聡実くんや和田くんを見つめる眼差しや、かける言葉など、あの年代特有の「女性の方がちょっとお姉さん感」が伝わり、「あるある!」と自身の青春時代を思い出しました。
綾野 : 中川さんは本当に素敵ですよね。聡実や和田、合唱部のことも、ちゃんと面倒をみていましたから。中川さんにはかなわないですね。
齋藤 : 僕も本当に数え切れないくらい学ばせていただきました。この取材もですが、学びしかなかったですね。
― 齋藤さんは、綾野さん演じるヤクザの狂児に歌の指導を頼まれる聡実を演じられました。オーディションによってこの役が決まった後、歌や関西弁のレッスン、綾野さんとのリハーサルなど、準備期間も含めて担うことが多くあったのではないでしょうか。
齋藤 : そういったことも全て初めての経験でしたが、それだけでなく、俳優としての志だったり現場での立ち振る舞いなどを、綾野さんや山下監督などに教えていただきました。
― 齋藤さんはクランクアップ後のコメントで「綾野さんと山下監督がいつもそばにいて励ましてくれた」とおっしゃっていましたが、今作を通して、自身に何か変化はありましたか?
齋藤 : お芝居の技術的なことはもちろんなのですが、いちばんは台本を読むときの視点です。考える幅が広がったような気がするんです。この作品に携わってから、「見えるもの」が多くなったんじゃないかなって…。
― 山下監督は今作を「齋藤潤のドキュメンタリーでもある」(公式ビジュアルブックより)と表現されていました。綾野さんと「(今作は)聡実くんの映画だ」と話し合われ、リハーサル中から綾野さんが齋藤さんを引っ張り、プロデュースしてくれた感覚があったともおっしゃっていましたが、今3人の話を聞いて、綾野さんはどんなことを感じられましたか?
綾野 : この作品が架け橋となり、齋藤さんと八木さんと後さんが、また新たな出会いの旅に出発していくのだなと感じられ、とても嬉しいです。このインタビューの場も一つ一つ大切な時間になっているのだと思います。
― なるほど。俳優にとってはインタビューの場も重要な経験なんですね。
綾野 : 自分の「感じたこと」や「考えていること」を言語化して真摯に伝えるということが、役者としても人としても魅力につながっていきますから。
言葉で想いを伝える、ということ
― 今作では、変声期にいる聡実が誰にも言えなかった気持ちを狂児にこぼしたり、和田が憧れていた部長の聡実に失望の感情をぶつけたりと、思春期だからこその悩みや人間模様が印象的でした。齋藤さん、八木さん、後さんは、そんな悩みを打ち明けられる存在や、信頼しているからこそ気持ちをぶつけてしまう存在はいますか?
八木 : 私は母ですね。何かあったときはいちばんに相談する相手です。お芝居のことも含めて、色々アドバイスをもらってます。
寝る前とかに考え込んでしまったりするタイプなので、そういうときはお母さんに伝えるようにしてるんです。
後 : 僕も家族に相談してます。でも、イライラがたまると、つい、きつい言葉を投げかけてしまうこともあります。
今、中学3年で、進路について考える機会が多いのですが、壁にぶつかることがたくさんあって。そんなときは、良くないことだって自分ではわかってるんですけど、家族にあたっちゃうことがありますね。
齋藤 : 僕も親とはとても仲良くて、反抗期も全然ないんです。カッとなって誰かに気持ちをぶつけることもなくて。あんまり本音を誰かに話すことはないなと思っていたんですが、お二人の話を聞いていて思い出しました。お芝居のときだけ、自分の本音を打ち明けることができるんです。
― それはどういうことでしょう?
齋藤 : 例えば、今作のリハーサルで、僕が「聡実」という役をどう演じればいいのかわからない状態になってすごく落ち込んでるときに、(綾野)剛さんや山下監督に「わからない」って正直に伝えることができました。
僕は、どちらかというと一人で悩みを抱えてしまう方なので、そうやって伝えられたのは相談できるよう関係性を築いてくださったり、寄り添ってくださったりしたからだと思います。
― 周りの人は、どう寄り添ってくださったんですか。
齋藤 : 狂児とのカラオケーのシーンで、山下監督からの「こう演じてほしい」という演出に上手く応えられず、自分には演じきれないんじゃないかと追い込まれたことがあったんです。そんなとき、剛さんが「本番までまだ日数があるし大丈夫」と声をかけてくださって。
また、剛さんが僕のことを「一人の俳優」として見てくださっていたので、僕もその期待に応えたいなっていう気持ちでいっぱいでした。
齋藤 : 「ずっと一緒にいるから」っていう言葉も伝えてくださったので、僕は役に没頭できたんだと思います。
― 「安心できる場所」だったからこそ、悩みを誰かに伝えたり、芝居に専念できたりしたんですね。今作でも、悩みを抱えた聡実の安心できる場所として「映画を見る部」が登場します。みなさんにとって、そういう場所、または無心になって没頭できるものはありますか?
八木 : 私はお笑いですね。大好きなんです。普段から笑うのが好きだし、学校とか何気ない日常でも「笑える」ってすごくいいことだなと思っていて。とくにNON STYLEさんの漫才が好きです(笑)。落ち込んだときには、お笑いを見て、沈んだ気持ちを笑い飛ばしてますね。
後 : 僕は色んな作品を観て、その世界観に夢中になったりしています。その作品の世界に入り込んで、穏やかな気持ちになったりとか。
齋藤 : 僕は高校の授業ですね。ダンスや楽器を演奏したり。初めてドラムとかギターにも触れるようになって、毎週その授業が楽しみです。朝早く行って練習することもあるんです。そういった時間を過ごすのがすごく幸せだなって思います。
― 綾野さんは、3人のお話を聞いてよみがえった、ご自身の思春期の記憶などありましたでしょうか?
綾野 : 「夢中になる」ということを考えていました。そのきっかけは喜怒哀楽から生まれることもありますが、「夢中」は、余分な物を全て置き去りにして走れるくらい快活であり、逞しさがあると思います。
それは、中学の部活の情景とつながっていて。陸上部だった頃、冬は日が暮れるスピードが早く、街灯がともる中、灯が地面に乱反射して、走っていると自分の影が前からきては後ろにいき、また前にいっては後ろにいく。自分の影を追い越してはまた追い抜かれるということを繰り返していました。
― 走っていたときのその景色と、「夢中」が綾野さんの中で結びついているんですね。
綾野 : 当時の僕は、3人のように志高く自覚があったわけではありませんが、ただ走ることに夢中になっていました。全てを置き去りにして走り続けていた日々はきっと幸せなこと。
僕は役者としての3人しか知りませんが、いろんなものに夢中になれる中の一つに「役者」があるのであれば、とても嬉しく思います。
綾野剛、齋藤潤、八木美樹、後聖人の「心の一本」の映画
― 最後に、みなさんの「心の一本の映画」を教えてください。役者になったきっかけやご自身にとってお守りのような作品があれば。
後 : 僕は『砂の器』(1974)が思い浮かびました。祖父母に勧められて観た映画なんです。
― 松本清張の同名推理小説を映画化した作品ですね。ある殺人事件を捜査し翻弄する刑事・今西の姿と、捜査から浮かび上がった人気作曲家・和賀の拭いきれない暗い過去が描き出されています。
後 : 映画の後半で、ハンセン病を患う父親と息子の旅路が描かれるんですけど、二人が周りの人から差別されたり隔離されたりするシーンがあって。
ハンセン病の誤った認識による偏見からそのような差別を受けてしまうのが見ていていたたまれなかったです。相手のことを理解しようとせず、一方的な偏見だけでその人たちを決めつけることはやっていいことではないなと。すごく考えさせられた作品でした。
八木 : 私は是枝裕和監督の『ワンダフルライフ』(1999)ですね。天国の入り口で起こる、人生の中で大切な思い出を一本の映画にするっていう作品で。
― 人が死んでから天国へたどりつくまでの7日間を描いたファンタジードラマで、「人にとって思い出とは何か?」という普遍的なテーマを描いています。
八木 : 最近、私の祖父が亡くなったんです。とても寂しくて、思い出すと涙が出ちゃうときもあるんですけど、そんなときにこの映画と出会いました。
「今、おじいちゃん、映画撮ってるのかな」とか「どのシーンを映画にしてるのかな」とか、そういうことを考えていると笑顔になれるというか。祖父が天国で今も楽しく過ごしてくれていればいいなって気持ちになるので、私にとってお守りのような映画です。
齋藤 : 僕は小学6年生の頃に観て、俳優を目指すきっかけになった『キングダム』(2019)です。僕の中で、いちばん心に残っている作品ですね。
― 原泰久の人気漫画を実写映画化した『キングダム』は、中国春秋戦国時代を舞台に、天下の大将軍になるという夢を抱く戦災孤児の少年・信と、中華統一を目指す若き王・嬴政(えいせい)の活躍を壮大なスケールで描く作品です。
齋藤 : 主人公・信が、夢のために命がけで戦うすごく熱い映画なんです。映画館でこの作品を観たときはものすごく胸を打たれて、僕もスクリーンの中に立ちたいと思いました。
誰かに勇気や感動を与えられる役者になりたいと思うきっかけとなった映画ですね。これからは『カラオケ行こ!』が自分を支えてくれる存在になっていくと思います。
― 綾野さんはいかがですか?
綾野 : 役者にとっての「映画」って、お芝居だけでなく、作品がどう生きていくかという視点も、一つの見方として注目しています。例えば、海外作品だと『アイ・アム・サム』(2002)のショーン・ペンや、『ダークナイト』(2008)のヒース・レジャーなど、すばらしい作品とそれを支えるすばらしい役者がたくさん思い浮かびます。
その中で、映画がどのようにクリエイションされているのか?という興味のスイッチを、いちばん初めに入れてくれたのが、ガス・ヴァン・サント監督の『エレファント』(2003)でした。
― 1999年にアメリカ・コロンバイン高校で起きた二人の生徒による銃乱射事件をモチーフにしたセミ・フィクションで、第56回カンヌ映画祭で最高賞のパルムドールと監督賞を同時受賞しています。
綾野 : この映画は多くのシーンをワンシーン・ワンカット・長回しで撮っています。その手法を用いる意図があり、それは作品全体へのビジョンとつながっている。圧倒的なリハーサルの数と鍛錬があってこそ生まれるクリエイションに当時とても惹かれました。
― 撮影監督を、ガス・ヴァン・サントだけでなくデヴィッド・フィンチャー監督とも多くタッグを組んだハリス・サヴィデスが務めていますね。画面のサイズも、一般的なシネスコやビスタサイズではなく、スタンダードサイズで撮影されています。「ワンシーン・ワンカット・長回し」はカットをかけないので、俳優スタッフともに微細な段取りが必要となります。
綾野 : それまで僕は、勘や直感は生きていく中で培われるものだと思っていました。しかし、この映画を観て、鍛錬の先にあるものが直感なのだと思い知らされました。鍛錬がないと直感は生まれないことを体感した作品の一つです。
それは映画を楽しむだけではなくなった瞬間でもありました。自分が役者として生きていく覚悟につながった作品です。
― 以前、綾野さんにインタビューした際も『エレファント』を挙げていただきましたが、今回は全く別視点での語りで、多面的に作品をご覧になってるんだなということがわかりました。エンタメとしてではなく、一人の表現者として映画と向き合わざるを得なくたった作品であると。
綾野 : たとえ当時の様に作品が観れなくても、役者と出会ったことで、新たな視点や景色から魅力的に観られています。それは役者という仕事に関わる全てを愛せられると、自負できていることにもつながっているのだと、いつも現場が教えてくれますから。