目次
※本稿にはセリフや展開にまつわる話も出てきますので、ネタバレを気にされる方はくれぐれもご注意くださいませ。
現実が破綻していくプロセスのスリリングさ
清田 : 桃山商事の映画連載、今回は岸田國士戯曲賞や読売演劇大賞など、これまで演劇界の主要な賞を次々獲得し、2022年に発表した初監督作品『わたし達はおとな』も話題となった加藤拓也監督の『ほつれる』を取り上げたいと思います。これはワッコがセレクトしてくれた作品だけど、きっかけはどういう?
ワッコ : 本作には、加藤監督が主宰を務める「劇団た組」で2023年5月に上演された『綿子はもつれる』という舞台版的な位置づけの演劇作品があって、それを先に観ていたんです。舞台が原作というわけではないんですが、同じ人間関係、同じシチュエーションから二つの作品をつくるという試みとのことで、映画のほうも気になっていて。
清田 : それは確かにおもしろそう。舞台版も観たかったな。
ワッコ : 映画で文則を演じた田村健太郎さんが、舞台のほうでも別の役で出ていたんですが、映画とはまた違った魅力を放ってて最高でした(笑)。
森田 : この映画では“不倫”がひとつのテーマになっていて、主人公の綿子(門脇麦)は文則という夫がいながら、同じく既婚者である木村(染谷将太)と恋愛関係にある。そして、一泊でグランピング旅行した帰り道に木村が交通事故に遭ってしまい……という事件から始まるわけだけど、清田はどうだった?
清田 : 自分としては、現実が破綻していくプロセスのスリリングさが印象的だった。綿子は最初、親友である英梨(黒木華)と一緒という設定で木村と不倫旅行に出かけていたわけだよね。小田急のロマンスカーで遠方のキャンプ場に行って、グランピングを楽しんで次の日に帰る。何ごともなければおそらくバレることはなかったと思うけど、都内でじゃあねって別れた直後に交通事故が起きてしまった。
ワッコ : 綿子は倒れる木村を遠巻きに目撃するんだけど、救急車を呼びかけたものの途中で電話を切って立ち去るという……究極的なシチュエーションでしたよね。
清田 : 助けを呼びたいのはやまやまだけど、それをやってしまうと後々「なぜそこにいたの?」って話になってしまいかねないわけだもんね。不倫してる人って、多かれ少なかれああやって現実に怪しまれない程度の嘘をまぶしながら時間を作ってるんだと思うけど、それは同時にジェンガの1ピースを抜いたら一瞬で崩壊するみたいな危ういバランスで成り立っている。バレないようにあえて絡み合わせておいた虚実がほどかれていくプロセスというか……もしかしたら『ほつれる』ってタイトルもそれに関係してるのかもなって。
ワッコ : わたしは英梨の存在が気になりました。彼女は木村の元同僚で、そこつながりで綿子と木村は出会っている。でも、英梨は綿子から不倫について知らされてないんですよね(おそらく気づいてはいたものの……)。そういう中で綿子にいろいろ振り回されていく英梨に超感情移入してしまって。
森田 : いきなり山梨まで車を運転させられたり。
ワッコ : 不倫旅行の嘘設定に利用されたり、浮気を疑った夫と電話で話させられたり。さらにはサービスエリアでお茶してたとき、子どもの習いごとにまつわる悩みを話す英梨に対し、綿子は明らかにどうでもよさそうな反応だったりで……こっちの話は聞かないんかい!みたいな。わたしだったら「こいつ、まじ自分のことしか考えてねえな、くそ!」って気持ちになっちゃうと思うんですよね。
清田 : そっか。ワッコも去年、友人関係でいろいろつらいことがあったもんね……。
ワッコ : そうなんですよ! 何人かの女友達から恋愛の相談をされていたのですが、自分なりに真剣に考えてリアクションやアドバイスをしていたのに無視され、そうこうしている間に事態が最悪な感じになり……。友情関係に疲れてしまったので、綿子に付き合ってあげている英梨は偉いなーって余計に感じてしまったというか。
文則のサイボーグみたいな詰め方
ワッコ : 森田さんはどうでしたか?
森田 : 個人的には文則が印象的だった。綿子を問い詰めていくところとかモラハラみを感じるし、態度や振る舞いがちょっと気持ち悪くもあったんだけど……。
ワッコ : 「とりあえず謝ろうか」とか、サイボーグみたいな詰め方もしてましたね(笑)。
森田 : あの一言は最高だった! とにかく田村さんの演技すごかったよね。その一方で、綿子に歩み寄ってるのに拒まれたり、約束していた不動産の内見をすっぽかされたりと、文則ってちょっとかわいそうでもあって。さらには自分が抱えている母親の過干渉という問題を言語化するところとか、「俺も正直離婚を考えたことあるよ」みたいに切り込んでいこうとするところとか、そこまで嫌いになれない感じもあったんだよね。内容だけ見ると、意外とサイボーグではないというか。
清田 : 確かに。綿子から蔑ろにされたり、詰めてる途中で開き直られたり、キレてもおかしくなさそうな場面もたくさんあったけど、あくまで対話重視の姿勢だった。
森田 : 詰め方に怖さはあったものの、「納得いくまで話そうよ」って、ちゃんとコミュニケーションを取ろうという意思は感じられたよね。
清田 : それで言うとさ、なんというか「リベラル夫の限界」みたいな問題も見えた気がする。暴力やモラハラに走ることなく、話し合いによって乗り越えていこうとする文則の姿勢は本当に大事だと思うけど、綿子のほうはすでに冷め切っていたじゃない? いくら理性的に振る舞い、粘り強くコミュニケーションを取ろうとしても、相手に関係を続けていこうというモチベーションがない状態だと、対話ってあんなにも空転するんだって、ちょっと恐ろしくもあったわ。
ワッコ : 結局はエモが勝つ、みたいな。綿子は本当にどうでもいいと思っている感じでしたもんね。嘘のツメが甘かったり、詰め寄られたときも黙っちゃったり……文則ですら「もう少しちゃんと設定考えろよ」って感じでイライラしてたし。
清田 : そうそう。かと言って、木村に対する綿子の思いもそこまで熱いものには感じなかったんだよな……。いろいろリスクを冒して不倫してるわりに、熱量や説得力をもって描かれているわけではなかったというか、そこが不思議な手触りだったけど。
森田 : 全体を通して秘密や嘘が幾重にも重なっていて、それが物語を駆動していくんだけど、テーマとしては「打ち明ける/打ち明けない」ということに焦点が当てられているように感じられた。嘘や秘密を抱える続けることの苦しみとか、誰かにそれを打ち明けたときのスッキリ感やカタルシスとか。それこそ綿子が英梨に不倫のことを話してなさそうなのもそうだし、木村の父・哲也(古館寛治)が不倫の関係に気づいたとき、綿子に対して「知らないふりをしておくのが気持ち悪い」「僕だけがこのことを抱えていたくはない」みたいに言ったシーンなんかも象徴的だなって。
怖くて聞けなかったことが
タブーじゃなくなる瞬間
ワッコ : 綿子がSNSの裏アカウントで木村との匂わせ写真をアップしていたのもそのテーマに関係してそうですよね。
森田 : 確かにそうだね。秘密が明るみになったあとなんかは、木村の妻・依子(安藤聖)と二人きりで会うシーンがあったし、結局は文則にもバレて、それまで隠してきたことをいろいろ打ち明けることになって。
清田 : 依子も文則も、綿子にとっては本来最も不倫の事実を隠さなきゃいけない相手だったわけだけど、そこから一転し、亡くなった木村について最も話せる存在になったところがすごかったよね。
森田 : 多分、綿子は誰かに話したかったんだと思うんだよね。木村との日々とか、木村に対する思いとかって、不倫関係という「密室」にいたときは誰にも話せなかったわけだから。でもそれがタブーではなくなって、ドアが開いて解放された。文則は自分のことをよく知っているし、依子は木村のことをよく知っているから、話す相手としては実は一番手応えを感じられる人たちだよね。
清田 : 文則も「この際だから聞くけど」みたいなモードになってたよね。こういうさ、堤防が決壊した瞬間、それまでずっと気になってたけど怖くて聞けなかったことがタブーじゃなくなる感じって結構ある気がする。
ワッコ : そういう現象ありそうですよね。わたしも元カレの浮気が明るみになったあと、気になってたことをいろいろゴン詰めしたことがありました(笑)。でもまあ、その元カレは保身しか考えていない感じで話し合っても意味はないなって思ったんですが、綿子と文則の会話はもうちょっとぶっちゃけ感ありましたよね。「木村くんに会いたい」とも言ってたし。
清田 : 文則の気持ちを想像するとちょっと複雑だけど、誰かに罪や秘密を思い切り打ち明けることの効果って、馬鹿にできないものがあるもんね。
森田 : 案外、英梨に話せていなかったことが重要なのかも。友達に話すというガス抜き的なことができていたら、ああいう展開にはならなかったかもしれない。
ワッコ : それで言うと、本人にその意図はなかったとは思いますが、英梨の距離感は絶妙だなって思いました。ちゃんと付き合ってあげるけど、そこまでぐいぐい行くわけでもない感じというか。さっき女友達をめぐる受難の話をしましたが、わたしは「別れなよ」「絶対こうしたほうがいいよ」とか言っちゃうタイプで、英梨みたいなスタンスをなかなか取れなくて。それでモヤモヤを募らせて「人間関係を全部リセットしたい!」ってなっちゃうことがよくあるんですが、ああいう“半身感”のある態度のほうがいいのかもなって。
森田 : 仲良しだし、ケアもするけど、スタンスは半身か……なるほど。
ワッコ : ガンガンに打ち明けられて、こっちもガンガンに突っ込むみたいに、全身で向き合っていくと嫌なことしかないから、やっぱり半身ぐらいがセーフティーって説もあるんですよ。綿子が言っていた「不倫関係だったときのほうがいい人でいられる」みたいなことともつながってくると思うのですが。もっとも、半身は半身で孤独感につながるという問題もあって、そのバランスが難しいところだなって思いました。
清田 : 我々のポッドキャストでも孤独についての話はたびたび出るもんね。孤独という切り口で映画を語ってみるのもおもしろいかも!
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