PINTSCOPE(ピントスコープ) 心に一本の映画があれば PINTSCOPE(ピントスコープ) 心に一本の映画があれば

どうしても語らせてほしい一本「本来の自分を思い出させてくれた映画」

眠れない夜に私を救ってくれたのは、70年前の名作ミュージカル映画だった 『雨に唄えば』

雨に唄えば
© 1951 Tuner Entertainment Co. © 2000 Warner Bros. Entertainment Inc. All rights reserved.
ひとつの映画体験が、人生を動かすことがあります。
「あの時、あの映画を観て、私の人生が動きだした」 そんな自分にとって特別な、そして誰かに語りたい映画体験記。
今回のテーマは、「本来の自分を思い出させてくれた映画」です。
今回の語り手
ライター・編集者
野風真雪
Mayuki Nokaze
フリーライター/編集者。早稲田大学 文化構想学部を卒業後、ギャラリーやWeb制作会社での編集職を経て独立。現在は様々な土地を旅しながら、ヒップな暮らしを探求中。

「昔の映画」だからこそ、救われることがある

一時期、あまりうまく眠れなくなってしまったことがあります。
夜中の2時、一人ぼっちの東京。その日は、新卒で就職した会社を辞めるかどうか悩んでいて、適応障害の診断を受ける寸前でした。

眠ろうとしても、目を閉じると頭の中には色々な悩みや考えがぐるぐるとしてしまいます。思考はどんどん飛躍していって「今この世界で、こんなに孤独なのは私だけじゃないだろうか」と絶望し、さらに眠りは遠ざかっていきます。

そんな時には、現実世界とリンクするようなテレビやSNSを見るのもしんどくなるもの。現実世界から私を引き剥がしてくれる娯楽で、気を紛らわせたい……と思い観たのが、映画『雨に唄えば(原題:Singin’ in the Rain)』(1952)でした。確か、その夜は雨が降っていたこともあり、選んだ記憶があります。

『雨に唄えば』は、1953年に公開されたMGM(※)ミュージカル黄金期の金字塔的作品。サイレントからトーキーに移行しはじめた時代のハリウッドを舞台に、人気スターのドン(ジーン・ケリー)とリナ( ジーン・ヘイゲン)、そして駆け出し女優キャシーの三角関係と、ショービジネスの裏側を描いた物語です。2006年にアメリカ映画協会が発表した「ミュージカル映画ベスト」(AFI’s Greatest Movie Musicals)の第1位に輝くなど、映画史に残る名作として知られています。

※「メトロ・ゴールドウィン・メイヤー・スタジオ」(Metro-Goldwyn-Mayer Studios Inc.)。アメリカの老舗映画制作・配給会社のひとつ。

雨に唄えば
© 1951 Tuner Entertainment Co. © 2000 Warner Bros. Entertainment Inc. All rights reserved.

数年前に大学の授業で観たことがあったのですが、正直あまり内容を覚えていなかったので、「寝落ちできればいいな」という半分よこしまな気持ちで観始めました。

しかし、作品が始まるやいなや、私は画面に釘付けになりました。当時のミュージカル映画は当然のことながら、CGなどは使われておらず、華やかなセットと俳優の一発撮りのダンスが光ります。監督・主演を務めたジーン・ケリーをはじめとする、当時のトップ俳優たちが繰り広げるダンスや歌は「圧巻」の一言では表現しきれないほど。

特にコズモ(ドナルド・オコーナー)が仕事や恋愛に悩んでいる主人公ドンを励ます『Make ‘em Laugh』の曲には思わず顔が綻びます。みんなは笑いを欲しがっている、役者たるもの、ただ人々を笑わせるんだ! と歌いながらスタジオ中を飛んだり跳ねたり。マネキンや壁、ソファなどの舞台セットを駆使して一発撮りとは思えない身体能力を発揮しながら陽気に歌うシーンに笑顔になります。それと同時に、純粋な「人々を笑わせる」という使命を持った彼らに自分自身の姿を重ねたのでした。「自分自身は本来、何をすべきなのだろう?」「最近の私は身近にいる大事な人を笑顔にできていただろうか?」と。

雨に唄えば
© 1951 Tuner Entertainment Co. © 2000 Warner Bros. Entertainment Inc. All rights reserved.

やはり当時の映画は、美術セットにかけるお金もスタッフの数も相当なもの。これだけの作品を作り上げる情熱とその努力には脱帽です。「人を元気づけること」「人を笑顔にさせること」。これこそがエンターテインメントなのだ、と映画の真髄を知ったようでした。

『雨に唄えば』は約70年前の映画なので、主演のジーン・ケリーはもちろん、出演者やスタッフはほぼもうこの世にいない人々です。さらに、公開当時に映画館を訪れた人々もほぼ亡くなっているであろう今ーー。映画という娯楽が生まれて100年以上経ってもあまり変わることなく、21世紀を生きる私たちも同じようにその文化を楽しめているという事実に、そして未だに人の心を揺さぶる力を持っているという事実に、映画の持つ無限大のパワーを感じざるを得ませんでした。

雨に唄えば
© 1951 Tuner Entertainment Co. © 2000 Warner Bros. Entertainment Inc. All rights reserved.

そして、そんな当時の人々が作り出したこの大作を夜中に観ていると、自分が会社の中で感じていた悩みもちっぽけに思えてきて、押し潰されそうだった自分の心がふっと軽くなるのを感じました。今はこの世にいない彼らの歌声が誰よりも私の心に寄り添ってくれて、「彼らがいるから大丈夫。この世界で自分は一人じゃないんだ」と、心強く感じすらしたのです。

遠い過去に作られた、遠い世界の、架空のファンタジー。そして、その中で繰り広げられる華々しいショー。当時、会社という小さな世界で悩んでいた私の状況を、今は亡き人々の情熱と昔のハリウッド映画という全く異なる世界の力が打ち破ってくれたのです。

映画を観た数日後に私は体調が悪化し、会社を辞めることになりますが、あの雨の夜に、私を孤独から救ってくれたのは、確かに『雨に唄えば』でした。

映画は「現実逃避の一つの方法」とも言われます。それでもいいと思うのです。

辛い時にあなたを救ってくれるのは、友人や家族などの身近な人でもなく、現実世界とは遠く離れた、ある一本の古い映画かもしれません。映画にはそんな不思議な力があると信じています。

雨に唄えば
© 1951 Tuner Entertainment Co. © 2000 Warner Bros. Entertainment Inc. All rights reserved.
BACK NUMBER
FEATURED FILM
ブルーレイ 2,619円(税込)/DVD 1,572円(税込)
発売元:ワーナー・ブラザース ホームエンターテイメント
販売元:NBC ユニバーサル・エンターテイメント
© 1951 Tuner Entertainment Co. © 2000 Warner Bros. Entertainment Inc. All rights reserved.
PROFILE
ライター・編集者
野風真雪
Mayuki Nokaze
フリーライター/編集者。早稲田大学 文化構想学部を卒業後、ギャラリーやWeb制作会社での編集職を経て独立。現在は様々な土地を旅しながら、ヒップな暮らしを探求中。
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