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2023年夏、横浜と地元・鳥取との二拠点生活を始めました。「こんな田舎は嫌だ」と10代で離れてしまったけれど、年を取るに連れて生まれ育った土地にどんどん惹かれている自分がいました。海も山も近く、豊かな自然の中に流れるとろけるようなゆったりとした時間は、「そんなに生き急がなくていいよ」と言ってくれているような安心感をもたらしてくれます。
鳥取の拠点にしたのは県の中部に位置する湯梨浜町の「松崎」という地区。この場所を選んだ理由は、豊かな自然と点在するカルチャースポットの存在でした。2012年にできたゲストハウス「たみ」をハブとして県外からの移住者が少しずつ増え、昭和の街並みが残るエリアにカフェや本屋、古着屋など個人で営むお店が増えてきました。
その一つが2021年7月にオープンした映画館「ジグシアター(jig theater)」です。しかも山陰地方(鳥取・島根)では唯一となるミニシアター系の映画館。地元にミニシアター系の映画館か…うれしい。心躍る僕は、春が近づきつつある3月に鳥取に向かいました。
作品セレクトはDJ方式!?
映画館「ジグシアター」
羽田空港から飛行機で1時間。「鳥取砂丘コナン空港」(鳥取県は、マンガ『名探偵コナン』の作者・青山剛昌さんの出身県でもあります)に降り立ち鳥取駅へ。そこから普通列車に乗ってジグシアターのある「松崎駅」に向かいます。
列車に揺られること40分、松崎駅に到着。ここは一時間に一本くらい列車が通る無人駅で、降り立った瞬間に時間が止まったかのようなのんびりとした空気に包まれます。ジグシアターまでは徒歩で約15分。駅から出て直進するとこの地区を象徴するスポット・東郷湖(東郷池とも呼ばれる)が目の前に現れます。
この湖は海水と淡水が混じり合っている周囲約10kmの汽水湖で、天気や時間帯で表情を大きく変える景色は美しく、時折自分の心情を表してくれているかと思うほど。眺めているとなんだかセンチメンタルな気分になります。
湖に沿って進むと、丘の中腹に白い大きな建物が見えてきました。その建物は廃校になった小学校で、そこにジグシアターがあります。少し暖かくなってきた春の日、カモが気持ちよさそうに水の上を進む姿もありました。
丘のふもとまで到着。坂を上るとゴールはもう目の前です。
ジグシアターがある旧さくら小学校に着きました。もともと教室だったスペースは映画館の他に花屋や雑貨屋、絵はがき屋などに活用されています。早速、映画館へ、と言いたいところですが、その前に1Fにあるカフェ「Librarie by HAKUSEN」に立ち寄り、腹ごしらえ。
温かい日差しが差し込む気持ちいい午後。僕は「BLTサンド」をオーダーしました。島根県出雲の「ル コションドール 出西」の食パンや、福岡県うきは市にある「リバーワイルドハムファクトリー」のベーコンを使用したお店おすすめの一皿で、ふんわりと広がる食パンの甘さに、新鮮な野菜のシャキシャキ感やベーコンの程よい塩味が口の中に広がります。
そろそろ上映時間だと気付き、席を立ちお会計へ。そこであるものが目に付きました。
このお店では映画鑑賞用のタンブラーを貸し出していました。カフェで淹れたコーヒーを映画館で飲めるなんて…うれしい…。もちろんテイクアウトして、いざジグシアターへ。
ロビーには本やCD、DVDがぎっしり詰まった本棚が並んでいました。気になるものが多くて「もう少し早めに来るんだった…」とちょっとだけ後悔したのはここだけの話。
この日、ジグシアターではアキ・カウリスマキ監督の『枯れ葉』を上映していました。フィンランドの名匠、アキ・カウリスマキが5年ぶりにメガホンをとり、孤独を抱えながら生きる男女がかけがえのないパートナーを見つけようとする姿を描いたラブストーリーで、第76回カンヌ国際映画祭の審査員賞を受賞した作品でもあります。
上映時間になりシアター内へ。
客席は運搬用の木製パレットを活用して作られたそうで、座って観ることはもちろん、足を伸ばしたり寝転がったり、友人や恋人、家族とシートを共有して観ることもできます。一つひとつの席にゆとりがあるので、185㎝と無駄に背が高い僕でも気兼ねなく映画を楽しむことができます。コーヒーを片手にリラックスした状態で『枯れ葉』が始まりました。
舞台はフィンランドの首都・ヘルシンキ。理不尽な理由から仕事を失ったアンサと、酒に溺れながらもどうにか工事現場で働いているホラッパがお互い名前も知らないまま惹かれ合うのですが、二人は不運なイタズラにも思える出来事に見舞われます。そうしていくつもの回り道を経て、やがてハッピーエンドにたどり着くのです。
静かに淡々と——登場人物の感情の起伏がない滑稽さが、時にユーモラスに思えてクスッと笑ってしまったり、でもそこにあるしぐさや言葉、絶妙な「間」にどんどん引き込まれていきます。ラストシーンで「ああ、キュンとする」と、もはやアキ・カウリスマキワールドの虜になっていました。
そんなじわじわと心が温かくなる一方で、作中何度もロシアによるウクライナ侵攻のニュースが流れていた場面のことを思い出し、現実に引き戻されるというか、今ここに生きる私たちの世界を突きつけられたような気持ちにもなりました。あの二人、今はどんな生活をしているのだろう、まだ一緒にいるのかな。そんな想像もしながら席を立ちました。
シアター内からロビーに移動すると、濱口竜介監督のサインを見つけました。2021年に「濱口竜介傑作選」と題して、濱口監督の作品『PASSION』、『HAPPY HOUR』を上映したほか、濱口監督を招いてトークイベントも開催されたそうです。山陰地方で、第一線を走る映画監督の生の声が聞けるのは本当に貴重な機会。
そんな新しいカルチャーをこの地で生み出しているジグシアターをもっと知りたくなり、運営するお二人に少しお話を伺いました。
ジグシアターは柴田修兵さん(左)と三宅優子(右)さんのご夫妻が運営されています。お子さんの誕生を機に、大阪から自然豊かな場所への移住先を探されていたそうで、その候補地の一つが松崎でした。
そんなお二人は、意外にも大阪では映画とは全く関係のないお仕事をしていたとのこと。松崎では「人が集まるスペースを作りたい」という柴田さんの思いから映画館が候補に挙がり、その後、さまざまな縁がつながりジグシアターは誕生しました。
2021年7月のホン・サンス監督作品『逃げた女』を皮切りに、基本的に月に1作品の上映、もしくは自主企画を実施しています。これまでの自主企画は、「ギヨーム・ブラック特集上映」や、女性監督にスポットを当てた「SHE by HER 彼女による彼女」、三宅唱監督作品を特集した「三宅唱の映画たち」などがあります。
三宅さんのデザインセンスが光る自主企画用のチラシも見せていただきました。
上映作品のセレクト基準を伺うと、「新作、リバイバルにかかわらず全国的なミニシアターの潮流をおさえながら、作品の持つ魅力や国や時代、特色などのバランスを取りながら決定している」と柴田さん。「それはロングスパンでDJをしているような感覚」と独特の表現を交えつつ、「みんなが大好きな曲(作品)ばかりを選んでかけていてもそれはそれで味気ないというか、たまに『次はこう来たか!』みたいな裏切られた感を出すことで全体の流れがうまく繋がることもある。自主企画はその役割の一つにもなっているんです。」と話されました。
開館からもうすぐ3年。今では鳥取県内だけではなく近県から映画を観に来る方も多いそうで、終映後にお客さんと映画の感想を語り合えることも楽しみの一つであり、その会話を今後の上映の参考にしているとも教えてくださいました。
あっ、ジグシアターで忘れてはいけない重要なことがありました。それは無料託児サービスです。事前に申し込みをすれば、親が映画を楽しんでいる間、保育士資格と社会福祉資格を持たれている三宅さんが子どもと一緒に過ごしてくれます。
余談ですが、後日、このサービスを利用させてもらいました。映画好きな親には本当にありがたいサービスでしたし、我が子も三宅さんとの時間に大満足の様子で、お迎えに行くと「まだ帰りたくない」「パパ嫌い」と言われたほどでした(苦笑)。
『枯れ葉』を観終わった僕は、松崎駅の方に向かいました。お目当てはジグシアターから徒歩10分、東郷湖のほとりにある本屋「汽水空港」です。
後編へ続きます。
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