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美しいのは、僕だけではないよ。
愛のある人は皆、美しいのだから
― 今作で演じられた主人公17歳の少年・カルリートスは、息をするように人を殺し、ダンスを踊るように盗みをはたらく、その「凶悪さ」も特筆すべきですが、何と言っても“神様が愛を込めて創った”と例えられるような「美しさ」に魅了されました。演じてみて、「美しさ」についてどう感じましたか。
フェロ : 全ての人は皆、美しいんです。身体に愛を込めている人は皆、美しい。そして、憎しみを持っている人は皆、醜いのではないでしょうか。
― 主人公・カルリートスが、殺人や強盗などの犯罪をおかしても美しいのは、愛を持っているからだと。
フェロ : そうでしょうね。彼は、両親から愛されていたし、彼も愛していた。友人で強盗のパートナーでもあるラモンも愛していた。
ただ、彼は、愛を盗むことも愛していたんだと思います。
― 確かに、彼は、誰かが寵愛する美しい宝石や絵画や銃、そして自分ではない誰かにも愛されている友人の愛などを欲し、例え、それが殺人という凶悪な手段で得られるものだったとしても、厭わず自分のものにしようとしていました。
フェロ : 人を殺すという行為も、その人が憎くて殺したわけではないですね。愛を自分のものにするため、という意味以上のことを理解せずにやっていたんだと思います。
― そのカルリートスという少年と、演じたフェロさんご自身に重なる部分はありましたか?
フェロ : 彼と僕の通ずるところは、たくさんありますね。思春期の子供を心配する母と子の関係、「何者かになりたい」という願望、恋愛、孤独…。それは、僕だけでなく、多くの若者となんら変わりはないのではないでしょうか。
― 今作のオルテガ監督は、何のためらいもなく犯罪を犯すカルリートスを、理解することができない“サイコパス”として描いていないと言っています。カルリートスが犯罪に魅せられたのは「犯した罪が犯した者にアイデンティティを与え、その人物は初めて何者かになれる」からだと。それは、「何者かになりたい」と願う多くの若者にとって、理解できなくないことですね。
フェロ : カルリートスは自分の存在を確かめるために、盗みや殺人を繰り返していたのかもしれません。それは友人や恋愛、親子の関係から訪れる孤独感を埋める行為でもあるとも言えます。
「人は誰しも一人で生まれ、一人で死ぬものである」という言葉がある通り、人生の大半を誰かと一緒に過ごしていたとしても、みんな孤独だと思います。
― フェロさんは、そういう孤独とどう向き合い、乗り越えてきたんですか?
フェロ : 「沈黙と友達になる」ということではないでしょうか。一人でいることは苦しいですが、人生において役立つことです。苦しみから学ぶことも多い。孤独と友達になるのは、簡単なことではありませんが、友達になればなるほど、孤独と寄り添い生きることができるんです。
ロレンソ・フェロの「心の一本」の映画
― 普段からフェロさんは映画を観られますか?
フェロ : 時間さえあれば映画を観ていますね。特に、自分の気持ちが落ち着いている時に観たくなります。小さい頃から俳優の父(ラファエル・フェロ)に連れられ、映画館で宮崎駿監督やピクサーなど多くの作品に触れてきたからだと思います。子供時代から、映画が大好きなんです。
― フェロさんの心の1本を教えてください。
フェロ : ジョン・カサヴェテス監督の『グロリア』(1980)です。『永遠に僕のもの』を撮り終わった後、オルテガ監督に勧められて観ました。
― ニューヨークを舞台に、マフィアに家族を斬殺された少年・フィル(ジョン・アダムス)と、彼を引き取った女性・グロリア(ジーナ・ローランズ)の逃避行を描いた映画ですね。フィルとグロリアの心の距離が、旅が進むに連れて、次第に近づいていく様子が印象的な作品です。
フェロ : 子供だけど大人のような振る舞いもするフィルと、大人だけど子供じみた振る舞いもするグロリアの二人の関係性が面白くて。カサヴェテス監督の作品は、『グロリア』のように登場人物の関係性を微細に作り込んでいるところが好きですね。
『永遠に僕のもの』と通ずるところも、たくさんあると感じました。ニューヨークの街の描き方やグロリアのファッションなどのスタイリッシュなところ、マフィアを描いているところ。特に、フィルとグロリアのロマンスは、僕が演じたカルリートスと友人ラモンのロマンスによく似ています。
― 先ほど、宮崎駿監督の名前も出ましたが、日本映画で好きな作品はありますか。
フェロ : たくさんありますが、一番好きなのは北野武監督の『座頭市』(2003)です。
音の演出も好きですし、俳優たちの演技も好き。ラストでの、盲目の座頭市が道端の小石につまずいた後、「いくら目ん玉ひんむいても、見えねぇものは見えねぇんだけどな」とつぶやき、「本当は目が見えているの?」「目が見えていても、大事なものが見えていないという意味?」と観客に考えさせるセリフを入れるユーモアセンスも最高! もう全部好きなんです。信じられないような映画です!
― 映画はフェロさんにとってどんな存在ですか。
フェロ : 僕にとって映画は、複雑な自分を様々な形で表現し、どういう存在であるかを伝える方法だと思います。スクリーンを通じて自分の感じていることや考えを表現する。そして、夢を実現する方法でもあると思いますね。
― フェロさんは俳優業と共に、ラップシンガー「Kiddo Toto」として音楽活動もされ、これまでにシングル2枚とアルバム1枚をリリースされていますよね。
フェロ : 友達の間でラップが流行って、そこから曲作りを始めたんです。曲作りを始めたのは、15歳かな。今はシャワーを浴びている時や、友達のスタジオでみんなと過ごす時に音楽が浮かんでくることが多いですね。その音楽に合わせて、歌ってみたりすることもあります。
最近はそうやって何かを生み出すプロセスが一番楽しいんです。私はその表現を通して「自分の心に忠実に従い、人生は楽しむべきである」と伝えていけたらと思っています。